第21話 この命に替えてでも守り通す

 巻き上がる砂煙の中から現れたのは巨人。背丈はアリスの三倍ほど。灰色の表皮は水分を搾り取られたかのようにひび割れている。短い足に不釣り合いなほど太った胴体。それでいて腕は筋肉が隆起していて、その手には巨大な石の塊が握られている。剣を模しているように見えるが槌に近い。まともに受け止めれば刀など簡単にへし折られるだろう。


 かといって臆して時間をかければ後続に追いつかれる。


 アリスは覚悟を決めた。倒すしかない。


 地面を舐めるような低姿勢で巨人へと駆ける。接近させまいと巨人が投擲する瓦礫を避けながら足は止めない。


 懐へ飛び込もうとするも巨石剣の横薙ぎに阻まれる。後方へ飛んで避けるが、生じた風圧にバランスを崩されて不安定な着地となった。そこへ投石。横へ転がってやり過ごし、起き上がると同時に駆け出す。再び横薙ぎが迫る。今度は地面に伏せてかわした。


 足元へ迫ろうとしたアリスに対し、巨人は飛び下がる。同時、上段から地面へと巨石剣を振り下ろした。地面が割れ、衝撃波と轟音が広がる。


 攻撃の直前に宙へ跳んでいたアリスは破壊から逃れ、地面にめり込んだ巨石剣の刃の上に着地する。その大きさと粗さゆえに研ぎ澄まされていないため、塀の上を走るようなものだった。


 瞬劫で加速し、巨人が反撃に移る前に肩へと登る。掴み取ろうとする手から逃れ、首を切りつけた。まるで枯れ木を切るような感触。刃が届いたのは三分の一ほどで首を落とすには至らない。首が太すぎる。アリスでは決定打に欠けた。


 地面に降り立ったところに声が届く。


「伏せろ坊主!」


 男の声に振り返ったアリスは血相を変えて地面に伏せた。


 男が投げたのは人間の頭部ほどもある蛙だ。それはアリスの顔のすぐ横に着地し跳躍。巨人の胴体に張りつくと同時に体内から赤く光る。次の瞬間、蛙が大爆発を引き起こした。


「他の爆弾もばらまいてあるんだぜ。こんな風にな」


 それを合図に街のあちこちで爆発音が響き渡った。黒い煙が立ち上り、悲鳴や怒声で溢れかえる。男の狙い通り街は混乱に陥った。


 巨人の身体はよく燃えた。火はあっという間に全身を巡り焼け落ちていく。すぐに巨人は崩れ落ちた。


 それで門を守る悪魔たちの気勢が削がれたようで隊列が乱れた。好機を逃さずアリスは残りの悪魔を屠る。


「急いで」


 追っ手はもうそこまで迫っていた。このままでは追いつかれる。


「僕が食い止める。その間に門を開けて」


「任せとけ」


 男が煙玉を投げるとそれは鳥になって門へ突撃し、一帯が煙幕に包まれた。彼はその中へ消えていく。


「アリス……」


 思い詰めたような表情でシェーラが立ち止まる。だからアリスは精一杯の笑顔を作って笑いかけた。


「門が開いたら追いかける。だからそんな顔しないで」


「本当に? 嘘じゃないわよね?」


 助けてくれたとはいえ、知らない男についていくのが怖いのだろうか。アリスは力強く頷いて見せた。


「……わかったわ」


 少し心細げに目を伏せつつ、彼女も煙幕の中へ走って行った。


 門へは真っ直ぐに進むだけだから問題ないだろう。すぐに門番たちの悲鳴が聞こえた。男の作戦は順調のようだ。


 油断すると折れそうになる足を殴りつける。時間との勝負だったとはいえ瞬劫を使いすぎた。追っ手の数は多い。最悪、すべてを殺す前に力尽きるかもしれない。


 だが、やるしかなかった。ここで食い止めなければならない。シェーラの下へは絶対に行かせない。なにがあっても彼女だけは逃がさなければならない。


 やってきた先頭の悪魔に切りかかる。できるだけ瞬劫は温存。危ないときにだけ使用する。しかし、下級とはいえ多人数を相手に安全な戦いを望めるはずがなかった。屍が増える度に身体が悲鳴を上げる。刀を持つ手が緩みそうになる。歯を食いしばって柄をキツく握り直す。


 殺しても殺しても殺しても悪魔は湧いて出てくる。無尽蔵のようだ。こうしていると魔王戦を思い出す。あのときも愚痴を飛ばしながら殺し続けた。肉を断つ感触などわからなくなるくらい、ずっと。全身が赤に塗れるのにも構わず、何度も。


『無駄な足掻きだ』


 聞き覚えのある声だ。意識が朦朧とし始めていたアリスはハッとして声の方を見やる。そこには小人の悪魔が嘲笑を浮かべて立っていた。


 刀を投げ捨てたくなる。このタイミングで上級悪魔を相手にするのはキツすぎる。


『これを凌げるか?』


 小人が骨張った指を鳴らす。背後に控えていた下級悪魔が運んできた剣や槍が宙へ浮かび、ひとりでに動き出した。


「ちっ! 武装支配か」


 予め魔力を通しておいた武具を自在に操ることのできる魔法。たった一人で歩兵一〇人以上に匹敵するだろう。だが、この魔法の最大の特徴は数の有利ではない。一人が操作するからこそ生まれる完璧な連携力。肉体がないからこそできる尋常ならざる動き。


 到底、刀一本で凌ぎきれる攻撃ではない。


 やはり初見で殺しておくべきだったと、アリスは意味のない試行をする。そうしていたらあの場で二人とも死んでいただろう。わかっていも考えずにはいられない。それほどの絶望感。


『どうした。先ほどまでの威勢はどこへ消えた?』


「最後まで苦しんで死ねってことかな。……まあ、当然の報いか」


 腕試しのつもりか、一二本のうち三本が襲いかかってきた。それを危うげなく弾き、いなし、避けて小人へ向かって駆け出す。


『くかか。自ら飛び込むとは愚かな』


 待機していたうち七本が動き出す。背後からは先ほどの三本が。計一〇本による全方位同時攻撃がアリスに迫る。


 誰が見ても致命的な攻撃に、しかし、アリスは口端を吊り上げる。


「瞬劫――四倍速テセラ


 アリスが使える最大速度。四分の一の速度となった小人の攻撃など取るに足らない。前方から迫る二本に刀を当てて軌道を逸らす。できあがった空間に身体をねじ込み、小人へと一気に迫る。


 待機していた二本が主を守ろうと動き出すが、致命的に遅すぎた。


 ――殺った。


 確信を持って刀を振るう。だが、刃が届くことはなかった。


 足の力が抜けて踏み込みが一歩足りず、刀が空を切る。瞬劫が解けると同時にアリスは吐血した。呼吸がままならず膝を突く。全身の血が沸騰したように熱く、激しい脈動に血管がはち切れそうだ。


 瞬劫を使い続けた反動がここできてしまったのだ。


 無様にくずおれるアリスに、小人は勝利を確信した笑みを浮かべる。


『惜しかったな。だが、脆すぎる。死ね』


 一二本のすべてがアリスを取り囲み、一斉に襲いかかった。


 瞬劫を使って回避を試みるも発動すらしない。アリスは死を悟る。せめて一矢報いようと玉砕覚悟で小人に突っ込もうとする。


「なっ――」


 だが、身体は動かなかった。蛇が胴体に巻きついてきたのだ。


「自己犠牲なんぞクソ食らえ! 坊主にはやるべきことがあんだろうが!」


 何匹もの蛇が放射状に伸び、剣や槍をその身に受ける。絶命してロープに戻ったそれらに攻撃を防ぐ力はないが、軌道を逸らしてはくれた。その隙間を縫うようにもの凄い勢いで身体が飛ぶ。蛇に引っ張られて門の外へ放り出された。


『逃がすな!』


 追いかけてくる悪魔たちに向かって、男がカッコつけてカウボーイハットを持ち上げる。


「あばよっ」


 門の内側で爆発が起き、鉄扉を支えていた鎖が千切れる。今まさに門から出ようとしていた悪魔が押し潰された。即死だろう。


「残念だなあ、おい」


 これで逃げるための時間を稼ぐことができた。だが、足がない。


「僕は逃げられない。置いていってくれ」


 疲労で立ち上がることすらままならない。走って逃げるなど不可能だ。


「アリスが逃げないなら、私もここにいるわ」


「なに言ってるんだ。シェーラがここで死んだら――」


「バカ! 嘘つき! どうして死のうとしたのよ!」


 地面に転がったままのアリスにシェーラが駆け寄る。涙で顔がぐちゃぐちゃだった。綺麗な顔が台無しだ。ただ、自分のために泣いてくれていることがとても嬉しかった。


「あれは仕方が――」


「うるさいうるさい! 嘘つきの言うことなんて聞かないわ!」


 こう言い出したからには本当にそうするのだろう。アリスは目の前が真っ暗になった。どう頑張っても動けない。自分を連れて逃げたのでは確実に追いつかれる。


「ねえ、君さ。お願いが――」


「嫌なこった。これ以上の面倒ごとはご免だぜ」


「頼むよ。彼女が死んだら王都が消されるんだ。……連れて行ってくれないなら化けて出て一生呪ってやるからな」


「おっと、そりゃねえぜ。俺は恩人だぜ? っていうか足ならあるんだなあ、これが」


 男が指笛を吹くと茂みの奥から颯爽と馬が現れた。


「隠してたのか」


「ヤバそうな街だってすぐにわかったからな」


 自分の浅はかさに反吐が出た。長年の運び屋生活で頭にウジでも湧いたらしい。男のように保険を用意しておくべきだったと今さら思う。


「乗りな嬢ちゃん」


「いえ、私は――」


「安心しろって。坊主は引きずってくからよ」


 ロープに戻った蛇はアリスの身体に巻きついたままだった。その先が馬にくくりつけられる。


「待って。考え直してくれないかな。むしろ死ぬんだけど」


「置いていかれるよかマシだろ?」


 男はニカッと意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「そういうことなら……」


「シェーラ、止めて?」


「なにか敷くものはありませんか。アリスの下に敷きたいのですが」


 引きずっていくことは確定らしい。逃げ切るまでに身体が擦り切れていたらどうしよう。


「おっと、遊んでる場合じゃなくなってきたな」


「最初からそんな場合じゃないけどな!」


 さすがに冗談だったようで心底安堵する。アリスは馬のお尻あたりにくくりつけられた。


 門の鉄扉がわずかに上がる。そこから悪魔が這い出てきた。その絵図は地獄から這い出てきた魑魅魍魎のようだ。


「行くぜ!」


 地獄を置いて馬が走り出す。サンデアードの街がぐんぐん遠ざかっていった。


 二度とここへは訪れまいと、アリスは心に誓った。

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