第20話 乱入者
実際、小人の悪魔だけなら瞬劫で殺せる。だが、その穴は別の上級悪魔によってすぐに埋められる。イタチごっこだ。何度も繰り返せば先に尽きるのはこちら。敗北が確定している勝負に挑むのは気が滅入る。
それでもなにもしないよりはマシだった。
『ほう。負けを知ってなお武器を取るか。劣等種はなにも学ばないな』
勝ちを確信しているからこそ、小人の悪魔は隙だらけだった。魔法を使われる前に殺す。アリスが重心を落として駆け出そうとした刹那、空から声が降ってきた。
「男だねえ。熱血は性に合わないが、まあ、諦めが悪いのは嫌いじゃあないぜ」
すべての視線が空を仰ぐ。建物の屋根上からこちらを見下ろす影が一つ。カウボーイハットを被った茶髪の男だ。キザったらしく革手袋をはめた指でハットを上げて、片目を瞑りながらニヤリと笑みを浮かべる。
『誰だ、お前は』
「名乗るほどのもんじゃあないぜ。ああ、てめえらの敵ってことで問題ないから、そこんとこよろしくな。ってなわけで――」
小人の悪魔を軽くあしらって、男はアリスたちへ視線を移す。
「こいつらは貰ってくぜ?」
男の袖からロープが伸びる。なんの変哲もないように思われたそれは、途端に蛇へと姿を変えてアリスとシェーラに巻きついた。
「なっ――」
「おっと、じっとしてな。助けてやるんだからよ」
二人はそのまま屋根上へと引き上げられた。アリスは荒っぽく落とされ、シェーラは丁寧に降ろされる。辛うじて着地に成功したアリスは男を睨めつけた。
男は肩をすくめて門の方角を指さす。
「男にかける優しさはないんでな。それより今は脱出が先だろ?」
「……そうだね」
「助けてくださり、ありがとうございます」
「いいってことよ。人間社会は助け合いってな」
憎たらしい笑みを浮かべ男が駆け出す。
アリスはシェーラを抱きかかえて後を追いかけた。軽々と屋根を飛び移る身のこなしは一般市民のものではない。
「あれは聖法か?」
「そうだぜ。一時的に物質へ命を与えるんだ。なにになるかは変化前の物質に依存するけどな」
確かに蛇は自らの意志を持ったように動いていた。二人を引き上げたのも男が引っ張ったのではなく、蛇がひとりでにやっていた。戦闘には不向きだと思われるが、応用性が高い聖法だ。
「それで壁を登るのか?」
「いや、もっと確実な方法だぜ」
その方法について尋ねると、男がニヤリと笑う。
「見てのお楽しみだ」
「助けてもらったことは感謝してるけど、信用したわけじゃないよ」
「ったく、擦れた坊主だぜ。まあ、この街じゃあそれが正解らしいがな」
「その口ぶりだと外から来たように聞こえるけど」
「おいおい当たり前だろ? こんな息が詰まる街は願い下げだ」
言葉の一つひとつが軽く聞こえる。信用してないとは言ったものの、助けてくれた時点で彼が敵でないことはわかっている。少なくともこの街を出るという共通の目的がある間は協力した方がよさそうだ。
ただ、脱出方法は知っておきたい。流されるままに行動すると、いざというときに制御できなくなる。アレックスはなんでも気分でやろうとしたから、後始末でよく苦労したものだ。
「教えてもらえないなら別行動を取るよ」
「俺は構わないぜ。困るのはお前さんたちだからよ」
アリスは苛立ちの募った表情で男を睨んだ。それを見て男は苦笑するが答えてはくれない。
「教えてくださいませんか。私たち、つい先ほど騙されたばかりなのです。また騙されるのはないかと不安で、不安で……」
シェーラは瞳に滲んだ涙を指で拭い、片手で服の胸元をぎゅっと握りしめた。男へ向けられた縋るような眼差しに、さすがの男も観念したようだ。
「あー、もう、わかった。わかったからそんな顔すんな。美人は笑っとけ」
それを尻目にシェーラはアリスにだけわかるように片目を瞑った。
どうやら演技だったらしい。誠実で馬鹿正直な彼女だと思っていたから、驚きを隠すのに苦労した。今まで見せられてきた表情の中にもアリスを動かすための演技が混じっていたのではないかと思うと背筋に悪寒のようなものが走る。これからは気をつけようと肝に銘じた。
そうはいっても並べた言葉に嘘はない。真実だからこそ迫真の演技となったのだろう。
「街の外壁のあちこちに爆弾を仕掛けた。それで悪魔たちを混乱させるって寸法よ。あとはこの煙玉で門番の視界を遮って門を開けるだけ。簡単だろ?」
「遠慮がないね」
「おいおい。俺たちを殺そうって街だぜ? 気を遣う必要なんてないだろ?」
確かに男の言うとおりだ。気づかぬうちにシェーラに感化されていたらしい。
「そうだね。誰も彼もが殺人犯。助ける道理がない」
「はっはー。割り切るのが早えなあ、おい。そういうのは嫌いじゃあないぜ」
軽薄さを感じさせる会話に、シェーラが眉根を寄せる。
「そんなことはないと思います。昨日処刑された男性は運び屋を逃がそうとしたと聞きました。この街にだっていい人はいます」
「そうだな嬢ちゃん。そうやって善人ばかりが死んでいくんだぜ。残るのは保身に走るクズばっか。そりゃ街が腐るわな」
利己的な人間ばかりが蔓延るこのサンデアードという街は、まるで蟻地獄のようだ。他人を蹴落とし踏み台にして自分だけは飲み込まれないようにと足掻く。誰かを犠牲にし続けなければ次に餌食になるのは自分かもしれない。決してこの地獄から逃れることはできないと知りながら、それでも生にしがみついた者たちの末路。
「僕はなにをやってるんだろうな……」
「アリス?」
不安げに見上げてくる眼差しに、表情を緩めて首を振った。
「なんでもないよ」
本当に馬鹿だなと思う。彼らを嫌悪している自分にも腹が立った。
だって今、自分たちがやっていることと同じじゃないか。
シェーラを犠牲にすることで王都が一時的に救われる。最小限の被害で済むように、蟻地獄がこれ以上広がらないようにと餌を投げ込んでいるだけ。
この街は世界の縮図なのだ。
アリスは自覚してしまった。自分がマリアと同じであることを。そう。自分はただの外道だ。正義とはほど遠い場所にいる。
「もうすぐ門だぜ。先に言っとくが、逃げ遅れても放って置くからな。しっかりついてこいよ」
思考を切り替える。外道にも外道なりの矜持がある。仕事はまっとうする。それこそが犠牲となるシェーラに対する、せめてもの誠意だと思うから。
「そっちこそ遅れても知らないからね」
「言ってろ坊主」
屋根から飛び、地面へと降り立つ。当然のことながら門の周辺にも戦力が用意されていた。
「まあ、そう簡単には行かせてくれねえよなあ」
「先陣は僕が切る。彼女を守りながら続いて」
「勇ましいねえ。そんじゃあ適材適所ってことで」
背後からも追っ手は来ている。時間をかけている暇はない。出し惜しみはなしだ。
アリスは瞬劫を使い、門を守る悪魔たちへ突っ走る。
前衛の攻撃を避け、そのまま奥へ。下級悪魔の相手など後でいい。後ろに控えた中級悪魔が先だ。
それを定石と知ってか、中級悪魔はすでに魔法を解き放っていた。灼熱の炎がアリス目がけて襲いかかる。それは下級悪魔たちも巻き込む射線だ。
仲間とも思っていないのだろうか。アリスは思わず乾いた笑いを漏らした。こちらにとっては都合がいいものの反吐が出る。
進行方向を変え、瞬劫で加速。炎が及ぶ外まで一気に離脱し、さらに加速して中級悪魔の懐へ飛び込んだ。反撃の魔法を繰り出される前にその首を刎ねる。
主をなくした魔法は消えることなく、下級悪魔たちを飲み込んだ。けたたましい絶叫が響き渡る。これで半分が死んだ。
残りを処理しようと駆け出したアリスの頭上に影が落ちる。地面が爆発し、砕けた石畳が散弾のように撒き散らされた。
寸前でかわして距離を取っていたアリスだが、頬に一筋の赤が走る。破片が掠めただけなので支障はない。シェーラたちは攻撃の届かない場所にいたようで無傷だった。
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