第15話 反逆者の処刑
翌朝。街が騒がしかった。
人間区画の住人全員が中央広場に集められており、その中心でなにかが行われるそうだ。この機に乗じて街を出ようとしたものの、中央広場へ行けとの一点張りで通してもらえなかった。仕方なく戻って広場へ向かう。
そこで目に入った光景にアリスは思わず口を押さえた。
「アリス?」
心配そうな表情で顔を覗き込んでくるシェーラに手振りで問題ないと告げ、表情を消すように努める。昨日の一件が嘘であったかのように彼女はいつも通りだったが、正直それどころではなかった。
中央広場の中心。木材で組み上げられた舞台の上に五人の人間が座らされていた。後ろ手に鎖で拘束され、表情には疲労が色濃く滲んでいる。瞳は暗闇のように光彩がない。
嫌でも三年前の出来事を思い出させられる光景だった。
「この人たち、もしかして……」
シェーラの言葉を引き継ぐかのように、舞台に上がった悪魔が宣言した。
『これより反逆者どもの処刑を執行する』
ゴクリと息をのむ音が聞こえた。あるいはそれはアリス自身のものだったかもしれない。ただでさえ漂っていた緊張感が、ここへきて最高潮に達していた。
反逆者の処刑。これこそ昨日マリアが言っていたことなのだろう。壇上の誰もが叛逆を企てるような人間には見えない。そもそも勇者が敗れ去った今、人間側に勝ち目などないのだから叛逆を目論む者がいるとは思えなかった。
悪魔はすらすらと罪状を並べていく。そこに中身はない。ただ体裁を整えているだけの戯れ言だ。誰もがわかっていながら、異議を唱える者は一人としていない。なんらかのアクションを取ってしまえば晴れてあそこの仲間入り。そんな自殺行為を進んで行う者はいない。
シェーラも理解しているようで、下唇を噛み締めて悪魔を睨めつけるにとどまっていた。彼女の成長は嬉しいが、今は褒めている余裕がない。
アリスが取り乱したのは、なにもアレックスたちが処刑された光景と重なって見えたからというだけではなかった。
舞台の上にいる者の中に一組の男女がいる。彼らの消沈のほどは他の者の比ではない。目をこらして見ると二人の手の甲には似たような傷があった。
ちょうど、アリスとシェーラと同じように。
「最悪だ」
「あれってもしかして……」
シェーラも気がついたようで、口元を両手で隠して震えていた。
「うん、運び屋だよ」
「でも、運び屋は献上品を魔王に届けないといけないわ。わざわざ自分たちの身を危険に晒すようなことをするはずがないと思うのだけれど」
それを君が言うのかと、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「僕たちと同じように住人の家に泊まっていたんだ。その家が反逆者とみなされた。当然、彼らも同罪ってことになったんだろう」
「そんなことって……」
「憲兵が反逆者だと決めたなら事実なんて関係ないんだよ。それがこの街のルール。本当に最悪だ。よりにもよってこのタイミングで」
これで彼らが背負っていた街は消滅する。
「こんなの理不尽すぎるわ」
シェーラの言うとおり理不尽だ。そしてこれが今の世界の姿だ。
処刑を担う悪魔は黒いボロ布を被っている。足がなく、身体は宙に浮いていた。その手に握られているのはところどころが錆びついた鎌。ろくに手入れを施していないのだろう。いったいあれで幾人の罪のない命を刈り取ってきたのか。
『言い残すことはあるか』
「待ってくれ! 俺は叛逆なんて――」
言い終わる前に中年男性の首が落ちた。頭部のなくなった胴体から噴水のように血が飛び出した。
『くっくっく、手が滑った』
最初から最後の言葉など言わせるつもりがないのだ。
続けて彼の妻だろう女性の頭が、恐怖に顔を引き攣らせたまま床に転がる。赤い水たまりは舞台上だけではとどまらず、地面に流れ落ちていく。
幼い男の子が両親の死を目の当たりにして泣きわめき、逃げだそうとした。その膝から下が刈り取られ、彼は地面に勢いよく倒れ込んだ。
痛みと恐怖で引き攣る悲鳴を聞き、悪魔は愉悦に浸ったような声を漏らす。男の子の頭を鎌が通過し、彼の声は途絶えた。
「アリスっ」
耐えられないとシェーラの目が訴える。だが、アリスは勝手をしないように手を強く握った。
「行こう」
ステージに背を向け、この場からシェーラを引き剥がそうとする。この続きを彼女には見せたくなかった。
「待ってくれ!」
その声にアリスは振り返る。心臓が飛び跳ねた。
「俺は運び屋だ! 叛逆なんてするわけがない! 俺はただ、コレを魔王へ届けに――」
自分への呼びかけでなかったことに、アリスは心底安堵した。もしも彼がこちらへ向けて叫んでいたなら、アリスたちも同罪として処刑されていたことだろう。
同時に、彼が犯した重大なミスに顔を顰める。
『聞いたか。こいつは魔王様に敬称をつけなかった。不敬だ。これぞ反逆者たる証拠だ!』
「ち、違っ、これは――」
悲鳴にも似た弁明は、口の刺し込まれた刃によって断たれた。鎌が後頭部へ突き抜け、上顎よりも上が宙を舞う。断面からコポコポと血泡が弾けて、言葉にならないなにかを発している。
「うそ、いや、なんて……」
『最後はお前だ』
「なんで……なんで私なの!? 私がなにしたっていうの! ジェイと結婚して、それで、幸せに、なるはず、だったのに……」
涙に濡れる悲壮に染まった女性の首が刎ねられた。
傍らにいるシェーラが呻き声をあげる。口を押さえ、彼女は路地裏の方へ駆け出した。
アリスは止めなかった。少し時間を置いてから彼女の下へ向かう。
シェーラは道の端でしゃがみ込み、膝に顔を埋めていた。過呼吸ぎみで息が荒い。忙しなく上下する肩。そこから伸びる細い二の腕に彼女の指が強く食い込んで白んでいる。
アリスは彼女の横に屈んで背中をさする。
しばらくして落ち着いたようでシェーラが顔を上げた。まるで大切な人が亡くなったかのような、悲惨な表情をしていた。
「こんなの、おかしいわよ……」
「シェーラ……」
「彼女……結婚して、幸せになるって言ってたわ。それなのに献上品に選ばれて、反逆者だなんて決めつけられて、自分の命だけじゃなくて、街も……街にいるかもしれない結婚相手も、ぜんぶ、ぜんぶ……」
彼女を慰める言葉が見つからない。
確かにここで殺されなかったなら街も結婚相手も守ることができたかもしれない。だが、それだけだ。彼女自身は死ぬ。結末は変わらない。ほんの少しだけ街の延命がなされるだけだ。次のときに街は消えるかもしれない。そもそも魔王の気まぐれで人間を滅ぼす方針に切り替わる可能性だってある。
この世界に救いなんてない。
あのとき人間が負けてから、ずっと。
胸が苦しくなった。どうしてシェーラは他人のためにそこまで心を痛めることができるのだろうか。彼女だって結末は同じだというのに。
いや、むしろ処刑された少女は幸運だったとも言えるかもしれない。魔王城へ着くまでに心が壊れてしまう少女は少なくなかった。刻一刻と迫る確約された死の恐怖。あの処刑台へ自らの足で向かっているようなものだ。戦いとは無縁の街娘たちに耐えられるわけがない。
「私たちなら助けられたのに……」
「あの場にいる悪魔を殺すだけならできただろうね。でも、そこまでだよ。すぐに門が封鎖されて街から出られなくなる。捕まるのは時間の問題だ」
いっときの感情で動くのは愚かなことだ。その先まで見据えて動かなければ、本当の意味で助けることはできない。すぐに破綻するような希望など見せるだけ残酷だ。
「わかってるわ。わかっているのよ。でも、でも……」
シェーラの気持ちは痛いほどわかる。三年前、アリスも同じように考えたから。だが、すぐに諦めた。アレックスたちを助けたところで悪魔には勝てないとわかっていたから。
彼女に必要なのは時間だ。今は惨劇を目の当たりにして混乱しているが、次第に整理がついて割り切ることができるようになる。
不意に、それは嫌だという感情がこみ上げた。彼女には諦めないでほしいという勝手な願望が膨れ上がる。
こんなものはただのエゴだ。自分が選択できなかったことを彼女に押しつけようとしているだけだ。わかっている。わかっているのだ。
それでも変わらないでいてほしいと願ってしまう。どうしようもなく望んでしまう。
「シェーラ、君はそのままで――」
アリスの願望は背後からの声に遮られた。
「悪い知らせ。街が封鎖された」
駆け寄ってきたマリアが言う。
それは絶望の知らせだった。
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