第14話 初めて味わう死の恐怖
「悪魔区画でも同じって聞く。街長は人間だけじゃなくて悪魔にも厳しい。怪しい者はなんであろうと排除される」
「単なる人間嫌いじゃないってことですね」
人間を積極的に排除したがるのは過激派の悪魔だが、この街のそれはあくまでも監視だ。悪魔に対してもそれと同じことをしているとなると、サンデアードの閉塞感の元凶は街長による周囲への不信だろう。まるで監獄の中にいるような気分だ。
人間と同じように悪魔の中でも権力争いというものはある。自身の地位を守るために恐怖をもって支配を行う者がいても不思議ではない。いつ誰に脅かされるかわからない以上、周囲を容易く信用することはできない。魔王もそういった傾向があると聞く。悪魔社会とて一枚岩ではない。
部屋に戻って寝る支度を始める。ベッドは使わず扉に背を預けて寝る。廊下を誰かが歩けば気づくことができるし、部屋を襲撃されてもすぐにわかる。アルガペドのときと違ってここサンデアードではなにもしていないので因縁をつけられることはないだろうが、警戒を怠ることはできない。
念のため、なにかあったら叫ぶようにシェーラへ伝えに行く。扉を開くと中はまだ明かりがついていた。
「シェーラ、もしも――」
「っ――」
入るなり視線が交わり、どちらも硬直した。
シェーラの掴んでいた衣服が床に滑り落ち、下着姿が露わになる。献上品として選ばれただけあって、ほどよい肉づきに引き締まったウエストで、絹のような滑らかな白い肌が眩しくさえ見えた。
見る見るうちに紅潮する彼女の顔。
アリスは無言のまま扉を閉めて自らの部屋へと引き返す。何事もなかったのだと言い聞かせていると、ドタドタという音が隣から近づいてきて、扉が乱雑に開け放たれた。予想はついていたのでアリスは扉から距離を取っていた。
「どうしてっ、どうしてあなたはっ!」
真っ赤な表情で詰め寄ってくるシェーラ。アリスはすぐに目を逸らした。もちろん、すでに彼女は服を着ている。だが、脳に焼きついた彼女の下着姿が想起されてしまい、視線を向けることすらできない。
「今すぐ忘れて! ……恥ずかしくて死にそう」
「恥じることはないよ。とてもいい身体だった」
「そういうことじゃないわよ!」
努めて真顔で言い放つアリスに、シェーラは目を潤ませて抗議する。一応は街の状況を考慮してか声量は抑えられていた。
「なにかあったらすぐに呼んで。物音を立てるだけでも――」
「ええ、わかったわ。まさに今、私は叫びたい気分!」
大きく息を吸い込み始めたので、アリスは大慌てで彼女の口を塞ぐ。
「むぐぐ……」
「馬鹿なのか? 憲兵に聞かれたどうするの?」
決死の攻防を繰り広げていると、控え目な音で扉がノックされた。
「どうかした?」
扉一枚を隔てた向こう側からの声に、アリスは冷や汗を垂らす。今の状況を客観的に見ると「男が少女を組み伏せて口を塞いでいる」というなんとも犯罪臭のする構図だ。ここに入ってこられたら、それこそ憲兵を呼ばれかねない。
「な、なんでもありません。大丈夫です」
「ぐっ、むぐ…………」
わずかな間があったものの、マリアは「ほどほどにね」とだけ残して立ち去った。
盛大な勘違いをされた気がするが、その方がマシだろう。どうせ明日にはここを出るのだから気にしない。
途端にシェーラの抵抗がなくなり静かになった。見ればアホ毛が生気なく垂れ下がり、彼女は白目をむいていた。慌てて手を離す。口だけでなく鼻まで塞いでしまったらしい。
「ぷはっ、けほっ、けほっ……」
「ご、ごめん」
シェーラは激しく藻掻くような呼吸を繰り返す。ようやく少し安定してくると彼女はもの凄い形相でこちらを睨んできた。目尻からこぼれ落ちる涙を拭うことなく押し黙っている。
その無言の圧力にアリスの罪悪感が最高潮に達した。
「そういうつもりじゃ――」
パチンと乾いた音が鳴った。アリスの頬が小さな手の平の形で、ほのかに赤く染まる。それからポンポンと胸を何度も叩かれた。普段おしゃべりな彼女が一言も発さないことが、彼女の感じた恐怖の大きさを示していた。
こんなことは初めてで、どうしたらいいかわからなかった。適切な言葉が見つからない。なにも言えないまま時間だけが過ぎていく。
「……すごく、怖かったわ」
涙が引いた頃、沈黙を破ったのはシェーラだった。アリスの胸に額を押し当て、震える声でいう。
「死ぬかもしれないと思ったら、震えと涙が止まらなかったの」
守るべき人を相手に、自分はいったいなにをしているのだろう。運び屋が献上品を殺すなど本末転倒だ。
責められると思いきや、彼女はまったく異なることを口にした。
「……駄目ね、私」
唖然としてしまい、できたのは疑問を乗せた吐息を漏らすことくらいだった。
「街のためにこの身を捧げると決めたのに。それなのに、いざ死を目の前にしたら、怖くて怖くて、嫌だって…………今も、手の震えが止まらないの」
彼女から漏れたのは自責の言葉だった。
誰だって死ぬのは怖い。どれだけ崇高な目的のためであろうと、たとえそれが世界を救うためであったとしても、恐怖心など拭えるはずがない。できるのは虚勢を張ることくらいだ。それが普通だ。今までのシェーラの方がおかしかったのだ。
だから自分を責める必要などない。どこにもない。
「私、最低よ……」
「シェーラ……」
それなのにかけるべき言葉が見つからなかった。これから死地に運ぶ張本人である自分に、いったいなにを語る資格があるだろうか。
しばらくしてシェーラは袖で目をこすり、顔を上げた。赤くなった目元が痛々しい。瞳はまだ潤んでいて、アリスは目を合わせることができなかった。
「ごめんなさい。もう大丈夫よ。ちょっと弱気になっちゃっただけ」
ぎこちない笑みを作った彼女は、こちらに背を向けて大きく深呼吸した。小さな背中が頼りなく上下する。
「おやすみなさい、アリス」
シェーラは振り返ることなく部屋を出て行った。
扉が閉まってからも、アリスはその場に立ち尽くすことしかできなかった。
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