第2章
第12話 虫料理は関係性を破壊する
「シェーラ、もうすぐ街に着くよ」
「…………」
馬車の荷台に乗っているシェーラからの返事はない。アリスはため息を吐いて、正面に顔を戻した。もちろん死んでいるわけではない。
彼女が口を利いてくれなくなったのは昨晩からだった。それまでは御者席で隣に座って楽しそうにおしゃべりをしていたというのに、急に荷台に移ったのだ。
アリスは何度目かの自問を行う。
「そんなに怒ることかな……」
話は昨晩に遡る。
滝を出発してから数日が経ち、次の街まであと少しのところで食糧が尽きたのだ。
十分な量を買ったつもりだったのだが、シェーラの食欲が計算外だった。アリスよりも食べるのだ。いったいその栄養が細い身体のどこへ行くのだろうと眺めていると、「えっち!」と殴られた。理不尽である。
半分が尽きた頃から魚や木の実などでまかなったきたが、それも限界だった。
だからアリスは食べられる野草と虫を食卓に並べた。勇者パーティー時代も大変お世話になった代物だ。
食いしん坊なシェーラのためにたくさん取ってきたのに、彼女の反応は意外なものだった。
「なによ、これ……」
「ん? 今日の食事だよ?」
「なんの罰ゲームよ」
「いや、だから普通の食事だって」
「こんなの食べ物じゃないわよ!」
シェーラは自らの身体を抱きしめて身震いする。表情が恐怖と嫌悪で塗り潰されていた。
「美味しいし、栄養もあるんだよ」
「そういう問題じゃないわ! 見た目が無理なの!」
木皿に並ぶのは茹でた野草と白い芋虫だ。確かにこれだけでは彩りが足りないかもしれない。お腹が減っているので早く食べたいが、シェーラが望むなら仕方がない。
別の虫を捕まえてこようと立ち上がると、シェーラに全力で止められた。
「ねえ、馬鹿なの? 馬鹿なのね? お願いだからやめて?」
「確かに料理のセンスはないって散々言われたけど、茹でるくらい僕にもできるから安心して。何色の虫が――ごふっ」
鳩尾に全力の拳がクリーンヒット。さすがのアリスも膝を突いた。完全に油断していた。危うく摘まみ食いした芋虫が出てきそうだった。
「ど、どうして……」
「虫が嫌だって言ってるの! 信じられない! 最低よ!」
シェーラは野草だけを食べると、芋虫を残して馬車の荷台に引き上げてしまった。アリスの皿に載っている野草もペロリと平らげているところは抜かりない。
ようやく回復したアリスは布にくるまって目を閉じているシェーラに声をかける。
「そんなに怒らなくてもいいだろ。本当に美味しいから騙されたと思って食べてみて」
返事はない。
「この先なにがあるかわからないんだ。食べれるときに食べておかないと駄目だよ」
返事はない。
「食糧に困ることはこれからもある。だから今のうちに芋虫くらい食べられるようになってくれないと困るんだけど」
返事はない。
「ねえ、シェーラってば」
荷台に乗ってシェーラの身体を揺する。しばらくの間なされるがままに揺られていた彼女だが、唐突にアリスの手を弾いた。
「痛い! これはやったわ。骨までいったかも」
痛がっている素振りを見せてもシェーラは無反応だった。演技だということを看破されたのか、逆鱗に触れてしまったのか。おそらくは後者だろう。
アリスは諦めて一人で食事を始めた。芋虫は名前のとおり芋のような味だ。
「あーあ! こんなに美味しいのにな!」
翌朝もシェーラは口を利いてくれなかった。ずっと荷台で丸まっていた。芋虫のように。
そうして今に至る。
空腹になればさすがに食べると思っていたのだが、腹の虫が鳴ってもシェーラは態度を変えなかった。さすがは頑固。餓死しても食べないつもりだろう。まあ、本当に命の危険が迫ったら無理矢理食べさせるのだが。口の中に入れてさえしまえばこっちのものだ。
夕刻間際になって、ようやく次の街にたどり着いた。門番に手の甲を見せる。
『これだけでは信用できない。献上品を見せろ』
初めて訪れるからだろうか。わずかながら敵意が感じられた。運び屋である証明は刻印だけで十分なはずだが、言い争ったところでこちらに益はない。大人しく見せることにした。
「シェーラ出てきて」
会話を聞いていたのだろう。シェーラはすんなり顔を出した。不機嫌さを隠そうともせず半目でこちらを睨んでくる。悪魔に向けなかったことだけは褒められる。
「これでいいでしょうか」
『ふん、いいだろう。早く入れ』
難癖つけられるかと懸念していたものの、諍いなく入ることができて一安心――と思いきや、背後の爆弾が爆発した。
「なによあれ! 感じ悪っ!」
「特別扱いされる人間を快く思わない悪魔もいるんだ。仕方がない」
「あなたに話しかけてないわよ!」
未だご機嫌斜めなようで、彼女はアリスの背中を叩いてから荷台の奥に引っ込んでしまった。
意外に痛かったので小言を言ってやろうかと思ったが、街のピリついた空気を感じて閉口する。理由はわからないが長居すべきではないと直感が告げていた。食糧を調達して明日の早朝に出発した方がよさそうだ。
本当ならいますぐにでも街を出たい。しかし、シェーラの体力が限界だろう。機嫌の悪さは虫のせいだけではなく疲れもあるはずだ。今日くらいはまともなご飯を食べさせてあげて、ベッドに寝かせてあげたい。
この街はサンデアードというらしい。最初に訪れたアルガペドと違って人間と悪魔が完全に隔絶されていた。街を取り囲む壁と同じように人間と悪魔の区画が壁で分かたれている。こういった街では、両区画を行き来できるのは限られた者だけだ。運び屋でも悪魔区画へは入れないだろう。もちろん入るつもりなど微塵もない。
宿屋を探して馬車を引いていると、誰かがこちらへ駆け寄ってきた。長い黒髪の若い女性だ。彼女は深刻そうな表情で言った。
「早く隠れなさい! こっちへ」
「なにが……ちょ、ちょっと」
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