第7話 攫われた少女の救出
夜は身体を休めることに徹しなければならない。この先も悪魔や魔物との戦いは避けて通れない。少しでも万全な状態で臨む必要がある。
早めに寝ようとすると、シェーラがもの凄い形相で睨んできた。
「まだ怒ってるの?」
「ち、違うわよ! そのことはもう忘れて! そうじゃなくって、どうしてアリスはそのまま寝ようとしているの?」
「そのまま? ああ、服のことか。いつでも動けるように寝間着にはならないよ」
「そうでもない! ああ、もう! 気が利かないわね。私が着替えるの」
ああ、なんだそんなことか。思わず漏れてしまいそうになった言葉を飲み込んで、アリスは手を差し出した。
「どうぞ」
「なっ! ア、アリスがいるから着替えられないのよ!」
「ならそう言えばいいのに」
「うるさいうるさい! バカバカ!」
投げつけられた枕を受け止め、アリスはため息を漏らす。
初対面の大人びた印象とはほど遠い。今の彼女はお転婆娘だった。悪魔の戦いよりよほど精神にくる。疲れるなあと思いながら重い腰を上げた。
「なにかあったら大声を出して。無理なら物音を立てて。扉のすぐ向こうにいるから」
「乙女の着替えの音を聞こうだなんて、とんだ変態ね!」
「シェーラは自分の命にどれだけの価値が――」
「わかった! わかりました! はいはい、私が悪かったですー。衣擦れの音を聞いて興奮していればいいわ!」
旅なんて中止して今すぐに魔王へ届けてしまおうか。ため息を吐き捨てて部屋を出ようとしたところで、突如窓ガラスが割れた。
「きゃっ」
すぐさまシェーラを抱き寄せて窓から離れた。背中に庇い窓の外を注視する。帯刀している柄に手をかけ、いつでも抜き払えるように構えた。
だが、そこからは何も現れない。気配すらない。
ただの嫌がらせだろうか。アリスが柄から手を放すと同時、シェーラが声を上げた。
「石になにか巻きつけてあるわ」
窓ガラスと一緒に部屋の中に転がっていた石ころ。そこには紙が巻きつけられていた。嫌な予感がする。
『昼間のガキは預かった。返して欲しくば、街の外へ二人だけで来い』
「これって……」
「昼間の悪魔の仕業だろうね」
だから嫌だったのだ。面倒ごとに関われば、さらなる面倒ごとに巻き込まれる。
今までの傾向からシェーラの行動は読めた。だから先回りする。
「行ってくる。シェーラはここで待ってて」
「私も行くわ!」
「駄目だ。今度こそ指示に従ってもらう」
「陽動かもしれないわ。アリスがいなくなった隙に私を襲ってくるかも」
「それは――」
ない。そう言いそうになったが、考えてみれば確かに可能性はゼロではない。石を投げ込んだ悪魔がまだ近くに潜んでいるかもしれない。アリスが部屋を出たあとに窓から入ってくるかもしれない。
アリスはすぐに決断した。
「絶対に僕の後ろにいて」
「ええ、わかったわ!」
これから死地に赴くというのに心なしか嬉しそうだ。いったいどういう神経をしているのだろうか。
すぐに二人は街を出た。門番に怪しまれたものの、外出する理由を問われることはなかった。面倒ごとに関わりたくないという感情が表情によく表れていた。
外ヘ出て少し歩いたところに、それはいた。昼間の悪魔――だけではない。計一〇人の悪魔が待ち構えていたのだ。
多勢に無勢。圧倒的不利な状況。
アリス一人ならば街のごろつき程度余裕で処理できる。だが、人質であるナルの他、こちらにはシェーラがいる。
どうしたものかと考えていると、石の悪魔がナルを抱え上げた。
「その子に危害を加えるなよ。こっちは約束通り来たんだ」
『ああ、だから約束通り返してやるって言ってんだよ!』
悪魔がナルを抱えた腕を振り上げ、宙に放り投げた。
返すなど、どの口が言ったか。
ナルは悲鳴を上げながら空高く舞い、静止したのちに重力に従って落下を始めた。
もちろん、こちらまで届かない。せいぜい悪魔との中間よりわずかにこちらへ近いという程度の距離。あの高さから落ちれば軽い怪我では済まない。場合によっては命を落とすだろう。
明らかな罠だった。ナルを受け止めて無防備になったところを襲う気だ。守る対象が二つに増えるというだけでかなり不利になる。
アリスは見上げながら迷った。わずか一秒にも満たない刹那の時間だ。命を天秤にかけ、見捨てるべきだと判断した。
突如、嫌な予感がして振り返る。背後にいたはずのシェーラがいない。視線を戻せば、彼女は落下地点へ一目散に駆けていた。彼女はナルを見上げたままで、悪魔の接近に気づいていない。
「シェーラ、罠だ! 行くな!」
アリスの呼びかけにシェーラは応えない。まったく聞こえていないようだ。
アリスは舌を打った。なにが力でねじ伏せるだ。自分が決断を迷ったほんの一瞬に、シェーラは動き出していた。
――彼女の信念の方が、強い。
果たして、シェーラは間に合った。ナルを見事にキャッチする。衝撃で地面に倒れ込むが、どちらも怪我はなさそうだ。
胸が苦しくなった。まるであのときに戻ったかのようだ。襲い来る劣等感。眩しくて、羨ましくて、汚れてしまった自分が惨めで。
シェーラへ悪魔たちが襲いかかる。浮かべられた下劣な笑みに、シェーラの引き攣った悲鳴が聞こえた。
このまま何もしなければ目の前の輝かしい光源は消える。目障りなチラつきがいなくなる。自分の劣っている部分を直視しなくて済む。
ああ、なんと魅力的な誘惑だろうか。
シェーラと目が合った。彼女の声が聞こえた。助けて、と。
――あとは頼んだ。
楽になることを、この心に刻み込まれた呪いが許さない。
アリスは身体を前のめりに倒し、鯉口を切った。
「瞬劫」
本来なら間に合わない距離。アリスは自らの時間を加速して帳尻を合わせる。
シェーラのことしか眼中にない戦闘の鬼を一刀両断。続けて飛び込んで来た二人目の首を刎ね、胴体を蹴り飛ばした。
突如起きた仲間の死に動揺して反応が遅れた三人目の足を切断。身動きの取れなくなったところを確実に殺した。
ものの数秒にして死体が三つ。それを目の当たりにして、悪魔たちは慌てふためいた。
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