第8話 魔法よりも疾く
『おい、話がちげえぞ! 弱い運び屋だって言っていたじゃねえか!』
ざわめく彼らを石の悪魔が一喝する。
『一斉にかかれ馬鹿が! どれだけ強くたって、所詮は人間だ。俺たちには勝てねえ。現に、魔王様が勇者を殺しただろうが。それに――俺にはとっておきがある』
少しずつ落ち着きを取り戻していく悪魔たち。
この空気感をアリスは知っていた。低級悪魔ばかりだと思っていたが、石の悪魔は中級以上のようだ。低級悪魔にとって魔法は絶対的な安心感を与えてくれるもの。
だが、どれだけ強力な魔法を持ち合わせていたとしても、それを知っているなら対応はできる。アリスを前に魔法があることを臭わせてしまう時点で、彼らは三流以下だった。
『かかれ、野郎ども! その間に俺が――』
「なにをするって?」
瞬劫を使い、アリスは駆けてくる悪魔たちを無視して石の悪魔へ直進したのだ。
驚愕の表情を浮かべる石の悪魔は、刀の軌道を見て腕でガードしようとする。
しかし、アリスにとってそれは防御に値しない。切れるかどうかは見ればわかった。石など生ぬるい。もっともっと硬いものを切ってきた。
鋭い息とともに振り抜いた刀は、悪魔の腕ごと身体を両断した。
『馬鹿、なっ……』
「これでとってきは仕留めた。あとは雑魚狩りだ」
魔法を使われる前に殺すのが対悪魔戦のセオリーだ。どんな魔法も使われなければないも同然。先手を打つという一点において、アリスの聖法は絶大な力を発揮する。
これがあるからこそ、アリスは勇者パーティーに在籍することを許されていたと言っても過言ではない。いくら武器の扱いに秀でていようと魔法を切ることはできないのだから。
トップである悪魔が死んだ今、この集団の統率は完全に崩壊した。シェーラたちを気にもとめず、彼らは一目散に街へ走る。中に入れば互いに手出しができなくなる。
躊躇いはなかった。一度関わった面倒ごとは後始末まで完璧に済ませるべきだ。そうでなければ、さらなる面倒ごとが舞い込んでくる。彼らのような悪魔を生かしておけば報復してくるに決まっている。今のうちに災禍の芽は摘んでおくに限る。
アリスは背を向けて逃げる悪魔を次々に切り殺す。最後の一人が涙を流して命乞いをし始めた。助けてくれと何度も叫ぶ。
地べたに這いつくばる惨めな姿を見下ろして、アリスは刀を降ろした。悪魔は安堵の笑みを浮かべる。
『ありがとう。ありがとう』
立ち上がる瞬間、悪魔の口端が吊り上がった。
『馬鹿がっ! 死――』
刎ね上がった悪魔の頭が地面に落ちる。襲いかかろうとした格好のまま身体が地面に倒れた。
アリスは刀を振って赤色の血を落とす。
見逃すはずがなかった。窮地に陥ったら態度を一変させるような奴を信じるわけがない。アレックスとの旅で嫌というほど学んだ。
シェーラの下へ行こうとして踏み出した膝がガクンと折れた。うまく力が入らず、そのまま地面に転ってしまう。
「アリス!?」
シェーラが血相を変えて駆け寄ってきた。
視界が揺れる。彼女の姿がブレて見えた。高速に脈打つ心臓がうるさくて彼女の声がうまく聞き取れない。全身を襲う虚脱と疲労のせいで立ち上がることさえ難しい。
「悪魔の攻撃を受けたのね?」
泣きそうになっている――泣き出してしまった彼女に首を振る。
「瞬劫を、使い、すぎた」
他の聖法と比べて瞬劫は消耗が激しい。連続で使用すればなおさらだ。しかも多人数を相手にするのは久しぶりだったから余計に疲れた。
「休めば、治るから」
それで少しは安心したようだ。表情から悲壮感が消え、代わりに焦燥が表れる。
「今襲われたら大変だわ。街まで頑張れる?」
自力で歩くのは難しかった。不甲斐ない自分が情けない。シェーラの言うとおり今襲われたら終わりだ。もう少しセーブすべきだった。
シェーラの肩を借りて街へ向かう。ナルが手伝ってくれようとするも、背が足りないことにしょぼくれた。だが、すぐにパッと目を輝かせたかと思えば応援を始めた。
「お兄ちゃん、頑張って! もうすぐだよ!」
二人のおかげで街の門をくぐることができた。ここまで来ればひとまず安心だ。門番が怪訝な顔をしていたが、やはり何も聞いてこない。応対する余裕はないのでありがたかった。
ナルを家まで送り届けようと歩いていたら、大通りを横断している女性が目に入った。ナルの母親だ。彼女は覚悟を決めた表情で人間区画とは反対側の悪魔区画へ足を踏み入れようとしていた。
人間が悪魔の区画に入れば命の保証はない。それでも踏み出したのは娘を思う気持ちが勝ったからだろう。
「ママ!」
「え? ――ナル!」
走ってきたナルを母親が抱きしめる。安堵に涙しながら、けれど怒りと悲しみの混じった表情で怒鳴る。
「どこへ行ってたの!」
「ご、ごめんなさい……」
すかさずシェーラが声をかけた。
「ナルちゃんを叱らないであげてください。昼間、ナルちゃんに暴力を振るおうとした悪魔に攫われたのです」
困惑する母親にシェーラは深く頭を下げた。
「ごめんなさい。私が首を挟まなければこんなことにはならなかったと思います。私のせいでナルちゃんが攫われたのです。本当に、ごめんなさい」
ポツポツと地面に水滴が落ちる。ナルが母親を離れ、シェーラの腰に抱きついた。
「お姉ちゃん、泣かないで?」
「ごめんね、私の、せいで、怖い思いを……」
「大丈夫だよ! お姉ちゃんとお兄ちゃんが助けてくれたもん」
無垢な笑みを浮かべて見せるナルは興奮した表情で母親を向いた。
「あのね、お母さん。お兄ちゃん、凄いんだよ! 悪いのをね、みんな倒しちゃったの!」
それを聞いて母親が不安げな表情でこちらを見てくる。仕方なくアリスは口を開いた。
「全員殺したので、危害が及ぶことはないでしょう」
「そう、ですか……」
彼女は娘を呼び、抱きかかえると頭を下げた。
「助けていただいたことは感謝します。ですが、どうかもう私たちに関わらないでください。私たちはただ平穏に暮らしたいだけなんです。ですから……」
「わかりました。シェーラ、行くよ」
一度も顔を上げなかったシェーラを無理矢理引っ張って、アリスは親子の前を去った。
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