第6話 無力な正義感

「運び屋は人々から疎まれる存在だよ。特に娘を持つ母親からは目の敵にされてる。いつか我が娘を連れて行くかもしれない奴を快く思うはずがないでしょ?」


「それはそうかもしれないけれど……。でも、誰かが献上品を届けないと街が消されちゃう。運び屋だって命をかけて人々を守っているのに、こんなのおかしいわよ」


 非難されたのはアリスだ。それなのにシェーラは自分のことのように怒り、悲しみ、苦しんでくれている。心優しい少女だ。昔なら――魔王に支配される前の世界だったなら、彼女の性格は褒められたものだろう。


「そう簡単に割り切れるものじゃないんだ。僕は慣れてるから平気だよ。そんなことより――」


 だが、今は違う。その優しさが身を滅ぼすのだ。


「どうやらシェーラは自分の立場を理解してないらしい」


「それ、どういう意味?」


 怪訝そうに眉を顰める彼女。思わず漏れてしまいそうなため息を堪え、アリスは表情を険しくした。


「あの女の子を助けるべきじゃなかった。もしもシェーラになにかあったら、王都が消滅するんだよ。シェーラの身体は、今やシェーラだけのものじゃない。何千という人々の生死がシェーラの行動一つで決まるんだ」


 シェーラはなにか言おうとして口ごもった。不服そうな顔をしているのでトドメを刺す。


「最初に言ったはずだよ。僕の指示に従うようにって」


「……でも、私の願いを叶えてくれるとも言ったわ」


「可能な範囲でとも言った」


「今のは可能な範囲よ! 実際、アリスが助けてくれたから私は生きている」


「たまたま、なんとかなっただけだよ」


 街の中では運び屋と献上品の安全は保証されている。だが、それはあくまでもルールであって絶対ではない。相手が気の触れた悪魔だったら問答無用でこちらを殺しに来る可能性だってあるのだ。どこに火種が潜んでいるかわからない以上、必要以上に近づくべきではない。


「とにかく勝手な行動は慎んで」


「……それでも私はナルちゃんを見捨てたくなかったの。いえ、ナルちゃんだけじゃないわ。困っている人がいたら、理不尽に押し潰されそうになっている人がいたら、みんな助けたい。その方が絶対に正しいもの」


 シェーラは真っ直ぐにこちらを見つめてくる。だからアリスは目を逸らした。逸らさざるを得なかった。彼女の瞳にはそれだけの力があった。


 アリスだってわかっている。シェーラの方が正しい。なにしろそれはアリス自身が一度は通った道なのだから。勇者とともに悪魔の軍勢と戦った日々が思い出される。まるであの頃の自分を見ているようだった。


 だからこそ知っている。


 無力な者に誰かを助けることなどできないのだと。


 理想だけを掲げて突き進むことは、自殺行為に他ならない。


「譲る気はない」


「私もよ!」


 アリスは会話を打ち切った。説得するにはシェーラは頑固すぎた。何を言っても意志を曲げるつもりはないようだ。ならば力でねじ伏せるしかない。これからは街中で常に目を光らせておく必要がある。


 アルガペドには人間が宿泊できる宿は一つしかない。この時期には多くの運び屋が訪れるために混雑するが、幸い一部屋だけ空いていた。


 荷を部屋に下ろし、中を一通り見て回る。念のため安全確認を毎回するようにしている。問題ないことをシェーラに告げると、彼女は身体をビクリと震わせた。


「どうかした?」


「い、いえ、その……」


 モジモジして落ち着かない様子のシェーラ。頬がほのかに紅潮していて、視線をぐるぐると彷徨わせている。


「具合が悪いなら医者に連れて行こうか?」


「そ、そうじゃないわ。ただ、その……」


 煮えきれない様子の彼女だが、意を決したのか顔を背けながら言った。


「だ、男性と床をともにするのは……は、初めてで、その…………わ、私、やっぱりまだ心の準備が――」


「シェーラはベッドだよ? 僕が床に寝るから。粗末なベッドだけど床よりはマシだと思うよ」


「……へ? あ、そういう…………っ」


 耳まで真っ赤にしてシェーラはこちらに背を向けた。


「具合が悪いなら本当に無理しないで――」


「大丈夫よ!」


 威勢良く振り返った彼女は唇を噛み締め、わなわなと震えていた。その瞳は潤んできらめいている。


「アリスがベッドで寝るべきだわ。私が床に寝る」


「僕は床で寝るのに慣れてるからいいんだよ。ベッドだと深く眠っちゃうから」


「戦うのはアリスだもの。ぐっすり眠って疲れを取らないと」


「寝込みを襲われるかもしれない」


「お、襲わないわよ!」


「どうしてそう言い切れるのかな?」


「だ、だって、それは、その……わ、私は淑女だもの! そんなはしたない真似はしないわ!」


 恥じらいを隠しきれない様子で叫ぶシェーラ。そんな彼女にアリスは首を傾げる。


「話が噛み合ってない気がする」


「ふぇ?」


 停止したシェーラの表情に、見る見るうちに赤みが取り戻されていく。ついに叫び声を上げた彼女はベッドに泣きついた。


「私もうお嫁に行けないわ!」


「うん、そうだけど」


 魔王への献上品なのだから嫁ぐことなんてできやしない。万が一、旅の途中で純潔を失ったなら魔王の怒りを買って王都が滅ぶかもしれない。


「いっそ殺して!」


「いや、これから死にに行くようなものだから」


「今すぐに!」


「できるわけないだろ。さっきも言ったはずだよ。君の命は――」


「アリスのバカ! バーカバーカ! そもそもアリスが紛らわしい言い方をしなければ私が死ぬほど恥ずかしい思いをしなくてすんだのよ!」


「ごめんごめん。僕が悪かったよ。許して」


「嘘よ! そう言って心の内では私を嘲笑ってるに違いないわ!」


 負のスパイラルに陥ったシェーラには何を言っても無意味なようだ。アリスは壁際に腰掛けて刀の手入れを始める。


 シェーラが睨みつけてくるので無反応を決め込んでいると、拗ねるように鼻を鳴らしてベッドに突っ伏した。


 しばらくの間、彼女の嗚咽は続いた。

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