第5話 忌み嫌われる運び屋

 空が茜色に染まった頃、ようやく目的の街――アルガペドにたどり着いた。王都ほどではないものの大きな街だ。背の高い外壁の下にある門をくぐる。門番の悪魔に手の甲の刻印を見せるとすぐに通された。


「随分とすんなり通れるのね」


「アルガペドは人間の扱いがそこまで酷くない街だからね。その証拠に、ほら」


 アリスが指さした先に大通りがある。人間も悪魔もそこを歩いているが、道を境にして右側には人間しかおらず、左側には悪魔しかいない。両者の居住区が道で分けられているのだ。


 ほとんどの街は居住区を厳格に分けている。街の外壁と同じように壁で仕切ることが多い。人間は街の隅に追いやられて肩身の狭い生活を強いられる。ただ、それは人間のためでもあった。悪魔の気まぐれで人間が殺されたケースなど枚挙に暇がない。


 道行く者が悪魔かどうかは目を見れば判断できる。人間でいう白目が赤ければ悪魔。もっとも悪魔は人間の容姿とかけ離れていることが多いため、姿を見れば一目瞭然だ。


「随分と緩いのね。壁で仕切られている方が安全だと思うのだけれど」


「人間を管理し易くするためらしいよ。常に見られている意識を植えつけて、陰でコソコソできないようにするとかなんとか」


「人間は支配するもの……だったわね」


「うん。それが穏健派の立ち位置だよ」


 悪魔には穏健派と過激派がいる。人間と街にいる悪魔はみな穏健派で、最大勢力となる。そもそも魔王が穏健派なのだから当たり前だ。穏健派は人間を支配する対象として見ており、奴隷として扱う。


 過激派は人間を滅ぼす対象として見ており、この世から人間を根絶やしにすることを最大目標に掲げている。もしも魔王が過激派だったなら、今頃人間は滅んでいる。


 一見すると穏健派は人間に寛大であるように思えるが、そういうわけでもない。悪魔にとって人間とは家畜以下だ。その命に大した価値など見いださない。


 だから時として、この街の緩さが悲劇を招くこともある。


『どこ見て歩いてんだコラ!』


 怒号が響く。声の主は大量の石をかき集めて人型を作ったような姿の悪魔だ。その前に尻餅をついている小さな女の子がいる。どうやらぶつかってしまったらしい。


「ご、ごめ……ぐすっ……な……さ……」


『躾がなってねえようだな』


 嗚咽を漏らす女の子に対し、悪魔はゴツゴツした拳を叩き合わせた。


『喜べ、俺が教えてやる』


 石拳を振り上げる悪魔。あんなものを食らえばタダでは済まない。大石をぶつけられるようなものだ。当たり所が悪ければ死んでしまう。


 だが、アリスは動かなかった。


 女の子を助けるリスクは非常に高い。いくらこの街が人間に寛容といっても、逆らう姿勢を見せれば話は別だ。ましてやここは悪魔も通る場所。下手に因縁をつけられてシェーラを危険に晒すわけにはいかない。心苦しさはあるが、こちらも王都の人々の命を背負っている。安易に動くわけにはいかないのだ。


 宿を探すために進み出したところで、ようやく気がついた。馬車の荷台に誰も乗っていないことに。


「子供に手をあげるなんて、恥ずかしいと思わないの?」


 シェーラが泣きじゃくる女の子を抱き締め、悪魔を睨み上げていた。


『あ? なんだてめえは』


 悪魔が地面を踏みつける。それだけで石畳が砕け、土台の土が露わになった。悪魔の逆鱗に触れてしまったらしい。


 シェーラはそれを見て、びくりと身体を震わせる。さすがにまずいと思ったようだが、彼女は決して引き下がらなかった。


 反抗的な態度に悪魔が怒りを爆発させる。


『両方ぶっ殺す!』


 人間のチンピラに絡まれるのとはわけが違う。悪魔は本気で彼女たちを殺す気だ。


 アリスは苦虫を噛み潰したような表情でため息を吐くと、悪魔との間に割り込む。こんなところでシェーラに死なれるわけにはいかない。


 アリスは手の甲の刻印が見えるようにして悪魔に頭を下げた。


「連れが大変失礼をいたしました」


『今更謝ったところで――』


 アリスの胸ぐらを掴み上げたところで、悪魔はようやく刻印に気がついた。盛大な舌打ちをして機嫌悪そうにアリスを突き飛ばした。


『クソッタレガ!』


 凄みのある怒声を残し、悪魔は立ち去った。


 大事にならずに済んで一安心だ。


「シェーラ、どうして――」


「ナル!」


 女性が駆けてくる。女の子と似た雰囲気から母親であることはすぐにわかった。彼女は娘を抱き寄せ、安堵の表情を浮かべる。シェーラに何度も謝罪を述べるが、その手の刻印を見て表情を歪ませた。


「あなた、可哀想に……」


 シェーラに哀れみの目を向けていた母親は、次にアリスを睨んだ。


「この人でなし!」


「い、いえ。ナルちゃんを助けたのはアリスで――」


 アリスは母親の言葉もシェーラの擁護も無視して踵を返す。


「シェーラ、行くよ」


 シェーラは戸惑いを隠せない表情でアリスと母親を見比べて、女の子に手を振ってから駆けだした。


「アリス、待って!」


 彼女の呼びかけに、アリスは馬車へ乗るように促す。シェーラは不承不承に荷台へ乗り込んだ。


「どうして誤解を解かないの? ナルちゃんのお母様はなにか勘違いをしているのよ」


 切実な様子で言う彼女に向かって、アリスは首を振った。


「合ってるよ。運び屋っていうのはそういうものだから」


 わからないという表情でシェーラが御者席に出てくる。強引に隣に座ろうとするので仕方なく横にズレてやる。


「ちゃんと説明して。アリスは悪魔や危険から私を守る騎士でしょう? 人でなしなはずがないわ」


彼女の中で運び屋が相当に美化されている。理解できないのはそのせいだろう。いったい誰が吹き込んだのか。迷惑にもほどがある。

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