義妹に起こされる話

『月乃ッ……』


『……にいさんッ…………――』




「にいさんっ」


「んー……――あー痛い痛い痛いよぅ……!」


 頭に鋭い痛みが走って、俺は勢い良く身を起こす。

 きゅ、急に何事だっ……!?


「はぁ、にいさんやっと起きた。おはよう」


「お、おはよう月乃……ってこの状況はなにっ!どんなシチュエーションっ!?――ハッ、もしかして、お、お、お、俺っ、あのまま月乃と添い遂げてっ……!?」


「えっと……、なに言ってるのにいさん?」


 首をかしげる月乃に、困惑が脳内を支配していく。

 俺はなにかを掴むために、辺りをキョロキョロと見回して、けれどもなにも異変がないことに気づく。

 それどころか、ここは俺の部屋だと言う大前提にも。


「え、これどいうことぉ。俺、月乃とえ、えっちしたんじゃないのかよ――」


「……このサイテイヘンタイ」


「痛い痛い痛いからそれやめてぇ!」


 さっきと同じ痛みが走って、思わず身悶えてしまう。


 今こうなってようやく理解出来たのだが、どうやら俺の上に馬乗りになった月乃が髪をこれほどまでかと思うくらいググイと引っ張っていたのだ。


 皆さんがご存知かどうかは不明だけど、男って言う生き物は、髪の毛のある一点を集中的に引っ張られると、信じられないくらいの痛みが走る。……以上。今日の豆知識のコーナーでした。

 

「コラコラ月乃さんよぉう!そんなことしたら、頭皮が痛んで禿げちゃうだろ!」


「禿げればいいですよヘンタイにいさんなんて」


「……え、もしかしてさっきのめっちゃ根に持ってるっ……!?」


「持つって言うか、単純にセクハラなんだけど」


「ご、ごめん……」


「はぁ……。それよりにいさんさ、いつまで寝てるつもりなの」


 目の前に、ベッドの上の棚に置いてあるデジタル時計を差し出されて、それを見ると8:30の表示。……えッ!?8:30!?寝坊したっ!


 俺は反射的に上半身を飛び起こす。


「やべやべ、学校行かなかいとっ!そこどいてくれ月乃っ!」」


「……さっきからにいさんなに言ってるの?もしかして、まだ寝ぼけてる?」


 差し出されたデジタル時計を、これほどまでかと言うくらいにグイッと近づけてくる月乃さん。突然のこと過ぎて、思わず戸惑いの色を混ぜた顔をしてしまっていたのだろう、月乃は呆れたかのように溜息を溢す。


「良く見てにいさん。今日は土曜日。だから学校はない」


 いつもの通りに淡々とその事実を告げられて、俺はゆっくりと寝起きの頭で理解を進めて行く。


「今日は土曜日、今日は土曜日。……あ、そっか。なら今日は学校はないのか」


「だからそう言ってるんだけど?」


「ご、ごめん……」


 そう言ってから俺はもう一度、身をベッドへと投げうった。

 ボフンと柔らかい音を立てて、重みを受けたベッドが弾んだ。


「えっと、なにしてるのにいさん?」


 今度は月乃が戸惑いの色を混ぜた顔を浮かべた。……と言っても、俺がそう勝手に感じただけだけども。


 そんな月乃に一瞥をくれてから、目を閉じる。


「なにって、もうちょっと寝ようかなって。せっかくの休みなんだから、そんなに早く起きる必要もないんだしさ」


「……」


「じゃあおやすみ――って痛い痛い痛いってばぁ!」


 今度は両の手で、俺の両頬を引っ張り上げる我が義妹。

 この子、もしかして人の心を持ちいあわせていないんじゃ……?


「じゃあなんで私がにいさんのこと起こしに来たのか分からなくなるからやめて」


「わあったわあったはらそのへははひへっ!(分かった分かったからその手離してっ!)」


「はぁ……ちゃんと分かりましたかにいさん」


 手を離して、俺を開放してくれる義妹ちゃん。

 はぁ、マジで信じられないくらいの痛みだったわ……。


「お母さんに、にいさんの着てるパジャマと部屋に散らかってる服洗濯するから起こして来てって頼まれた」


「あ、あぁ。なんだそういうことか……」


 この子は知っての通り、口下手な所があったりする。

 だから今みたいに、意思の疎通がなかなか出来なかったりなんてことも、ちょいちょいと起こったり。


 ……そこも可愛いっちゃ可愛いのだけど、ちょっと困っているのも事実。

 もう少し、ちゃんと言葉にしてくれたらいいのになぁなんて思ったりもする。

 まぁでも本人としてはこれで伝わっているつもりなのだから、直すもなにも、まず気づいてないのだろうけどさ。


 ちゃんと言うべきかもだけど、気が引けちゃってなかなか実行に移せてずにずるずると今まで暮らしてきた。


「とりあえず、服脱いで。私が持ってってあげるから」


「お、おう。分かった」


「よいしょっと」だごだぼな服の袖を揺らして、俺の上、もといベッドの上から降りる月乃。……なんかいなくなったはずなのに、そんなに体感が変わらない。ど、どんなけ軽いんだよ俺の義妹はっ!?


「ここらへんにある服、もう全部一回洗うでいい?」


「あ、うんいいよ」


「……それにしてもにいさんの部屋、相変わらず散らかってる」


「そうでも――ない、ぞ……?」


 そうでもない、そう返事しようと際にぐるっと自室を見渡して、その自信を失ってしまった。上の服を脱いでから下の服を太ももの辺りまで持っていった状態で、体が固まった。


「うわぁー……、思ったより散らかってんな俺の部屋……」


 元々、俺は片付けをするのが下手くそだ。

 その結果、部屋中に色んなものが散らかって、ぐちゃぐちゃになるのだ。


 一応、半月に一回のペースで大掃除的なものをしているのだけど、根本的に「片付けべた」ってことが相当ネックで、片付けてもすぐに散らかってしまう、そもそも片付け方が分からないなんて悪循環が起こる。


「はぁ、そろそろ片付けしないとだな~~……」


「ん。私もそれがいいと思う。……あ、なんだったら、私が片付け手伝って――」


「……ど、どうしたんだよ月乃」


 今は変身前だから当然っちゃ当然なんだけど、月乃は大きな丸眼鏡をかけている。

 けれど、それの上からでも分かるくらいに。その丸眼鏡よりも大きく大きくその瞳を見開いて、俺のことを凝視していた。


 え、どうしたんだろ月乃……。俺、なんかまずいこと言っちゃったかな……?


 なんとも形容しがたい焦燥感に駆られる。

 だってその瞳は、何か怪しいものを見るような、俺はそんな感じに思えたから。


 月乃が理由もなく、そんな瞳を向けて来るわけがない。

 かと言って、正直俺はその理由が分からない。


 だからこそ、俺の脳内は大パニックに陥っていた。あぁ、誰かだれか助けてくれぇ~~……。義妹が何を考えているのかさっぱり分からないよぉ……。


「本当にどうしたんだよ月乃……?」


 心配になったので、下の服を脱ぎ捨てて、ベッドから降りて月乃に近寄る。と、シュっと立ち上がり、珍しくおどおどしながら一歩二歩ほど後退する月乃。……に、逃げられたっ!?


「どうして避けるんだよ月乃っ!……も、もしかしてなんか怪しいものとかあったかっ?」


 多分大丈夫だろうけど、こんなけ散らかっていたら、自分でも何があるか分からない。


 もしのもしかすると――その、月乃の目に留まっちゃうような。

 要するに、ちょっとえっちな本とかが落ちていてもおかしくない。


 俺の仲のいい友達はかなりの変態。

 その友からそんな本を貸されていて、それを忘れたままどこかに放っておいてそれを見られたなんて可能性も容易に考えられる。


 もしそうならば早く、早く謝らないとっ……!?!?

 早急に原因を突き止めなければっ……!?


「つ、月乃さんよっ。大丈夫だいじょうぶだって!決して、決して変な気起こしてないからさっ!」


「ひゃうぅ…………」


 さっきと同じように足を出して近づくと、それに合わせるように一歩後退をする月乃。何回も同じことが続く。


「だから離れないでくれよっ!こっちに来て、どうしたのかちゃんと教えてくれよっ!」


「お、おしえてっ………なんてっ………」


「頼む頼むからさっ!月乃のこと知りたいんだってっ!……悪いけどさ、月乃ちょっと口下手なところあるからさ、俺月乃のこと良く分かってないんだよっ。だからしっかり手取り足取り教えてくれってばぁ!」


「へっ………ふへぇ………?」


 そんなところで、バンッと、何かにぶつかる音がした。

 何かというと、月乃の背中と白い壁がごっつんこしたのだ。


 つまり、月乃はもう後退出来ないってわけで。

 俺はこれを好機と見て、壁に右手をドンと押し付けて、月乃の顔を覗き込む。


「な、なぁどうしてそんな態度を取るんだよ……。俺、分かんないよ……」


「そ、そうっ…………」


「だから、ちゃんと言葉にして言ってくれよ月乃っ!?!?」


「………………」


 鼻先と鼻先が触れ合うような、そんな距離。

 いつかの乱入事件の時か、それ以上も近くにある月乃の顔。


 必死だった。月乃に嫌われたくないから。

 もう我を忘れて、時も忘れて。俺は月乃に熱い視線をぶつけていた。


 それがダメだった。ちゃんと、状況を理解するべきだった。




「ねぇ月乃~~、まだ葵君のこと起こしてないの~~?そろそろ洗濯したいんだけど――」


 ドアがガチャリと開け放たれて、どこか間の抜けた声が俺の自室に響き渡る。

 そして俺たちの姿を見て、体を硬直させた。


 まぁそれも無理はないだろう。

 今の俺たちはヤバイ。それはもう、相当に。


 俺はパンツ一丁の、もう全裸と言っても過言ではない格好で頬を赤らめながら義妹を壁に突きつけ。

 対する月乃は顔を真っ赤に染めて、涙目でこちらを見上げていて。


 ――こんなの、誰が見たってそういうことを誘ってるとシチュエーションにしか見えないわけで。


 まさに、お義母さん乱入。

 ……やっぱこういう似たようなイベントを起こすあたり、ちゃんと血の繋がった親子なんだなぁ――って、そんなこと考えてる場合じゃねぇだろうよオイオイっ!


「いや、そのお義母さんっ。これはその、違くてッ……」


「あー邪魔しちゃったよね、せっかく二人でお楽しみ中だったのにねぇ。……本当にごめんね?」


「本当に違うから、変な空気を読まないでくださいっ!」


「じゃあごゆっくり~~」


「あぁ、お義母さーんっ……!」


 無慈悲に、バタンと音を立ててドアが閉じられる。


 取り残された若い二人は、お互いに視線をすぅっと逸らした。


 恥ずかしい。この黒歴史は多分、一生もんだ。


 ……ってか俺の義母さんどーなんってんだよっ。実の娘と、義理とは言え兄であり、自分の息子である俺とのこの状況を止めないのかよっ!?


「ねぇにいさん……?」


「は、はい……?」


「そろそろどいてくれる……?」


 そう言われて、俺は慌てて月乃の傍から離れる。

 理由を訊きたかったけれど、多分今の雰囲気じゃ無理だ。

 仕方ないっちゃ仕方ない。でもやっぱモヤモヤしちゃうなぁ……。


トントンと優しい音を立てて、散らばった服と脱ぎ捨てた服を拾い上げ、ドアの方へと向かう月乃。言葉は一つも発さずに。


それが重くて、思わず口が動いていた。


「ご、ごめんな月乃……。事故とは言え、あんなことしちゃってさ……」


「………」


「つ、月乃……?」


小柄なその体が、ドアノブに手を置いたままで止まって。

俺の方へと反転する。


そして――。




「ヘンタイ」




いつもの通りに冷たく鋭くそう吐き捨ててから、月乃は静かに自室を出て行った。


「あ、あはは……。ヘンタイ、ヘンタイ……」


心がガラガラと音を立てて崩れ去っていく。足ががくがくと震えて、体を支えきれずにとうとう膝から崩れ落ちてしまう。


――大好きな義妹の、そんな嫌悪感たっぷりましましな言葉を聞いてしまったら、全国の兄諸君は、誰だってこうなるに違いないだろう。


「ま、まぁでも、ちゃんと言葉にしてくれただけでも良しと思うことにするかぁ……」


今はそんな風にポジティブに考えることしか出来なかった。そうしないと、もう再起不能なほどまでズタボロになってしまう気がしたから。


嗚呼、それでも。それでも。


「義妹よ、俺はヘンタイではないぞー……!」


ある休日の早朝。

とある男子の悲痛な叫びが、静かに轟くのだった。


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