第10話 ドラゴンの空

(うぎゃあぁぁぁあ!?ナンじゃこりぁぁぁあ!

 くじ運かぁ?!俺のくじ運が悪いんかぁぁあ!!)

 観客は王子という本命中の本命の登場に、これ以上ないほど大いに盛り上がっている。

 応援には野太い雄叫びと黄色い矯声が入り雑じり、混沌としたエネルギーの塊が辺り構わず飛び回った。

 しかし、対峙する少女の心境はいかばかりか。

(いやいやいやいや!ねえってこの展開は!)

 初戦とは別の意味で顔面が蒼白のカチンカチン状態になったイグジスタだが、王子は王子で、余裕のある顔ではなく、困り顔で眉を下げている。

「やぁ、おはようございます。昨日ぶりですね。気分はどうですか?」

「えぇ、おはようございます。気分は…悪くありませんわ。

 …正直に申しますと、少々緊張しております」

「そうですか。…正直に言うと、私もそうです」

 エリタージュはそう言って苦笑したその顔で、自分自身を慰めるように頬を掻いてみせた。昨日ぶりに見たその顔は、湖の上と同じで柔らかく心を許してくれていた少年のそのままだ。

 それを理解し、イグジスタもほんのりとだけ微笑む。思いかけず気分が良くなったが、さりとてこの状況が変わるわけでもない。

(いかんいかん。なんだかなごんでしまった…)

 ふるふると軽く頭を振って、気を引き締めると、昨日一昨日と変わらぬほど、少女はキリリと表情を引き締めて、相手の瞳を視線で射抜いた。

「しかし、『対戦』でありますので、相手がどなたであろうと、全力を尽くさせていただきますわ」

「…それはこちらも望むところです。なにしろ、貴女はあのルネに勝ってらっしゃるのだから」

 応える少年も一気に青年らしい、精悍な面になる。太陽に輝くその顔は神殿に掘られた彫刻もかくや、というほどだ。

(うむむ…男だろうが女だろうが良い顔はいいなぁ。羨ましいぜ。

 …仕方ない、君が望むならフロールを預けようではないか)

 などと、謎のお兄ちゃん思考でよくわからない理想を妄想としてして脳内に描くが、現実は『それは今考えることではないのでは?』と言わんばかりに、待つことなく時間が進んでいく。

(ってか、今スゲー、気になること言わなかった?え、何?ルネのこと知ってるの?なんで?ルネは庶民だろ?いや、あ、『水晶御子』として有名人だったりするの?)

 突然の情報にやや混乱して小首を傾げるイグジスタに相対するエリタージュは気付かない。自分自身に集中しているのか、瞼を伏し、僅かに空いた唇で呼吸を繰り返している。

 どうやら、こちらの疑問をぶつける時間はなさそうだと判断し、イグジスタが首を元の位置に戻した時、薄く目を開けたエリタージュが凛々しく上がった眉を下げずて、自嘲気味に口角を上げた。

「いかがなさったのですか?」

「いや、昨日、貴女の切り札を聞いておくべきでしたね」

「ふふ…私の判断は正しかったということですわね。教えなくてよかったですわ」

(そーいや、そんなこと話したなぁ。

 いやぁ~、まさか昨日はこうなるとは思ってなかったですけどね!)

 つかの間、ほんの小さな、何気ない会話のことを思い出す。静かに首肯を返した少年は、意を決したように居住まいを正して、腰から小さな短剣を引き抜いた。ダガ―と呼ばれる両刃短刀だ。彼は左手で剣を握りしめたまま、刃を下に向け、拳を胸に当て瞳を閉じる。ブレード表面は、刃を除いてびっしりと複雑な線と飾りに埋められており、一見しただけで、それが儀礼用の短刀であると分かった。

 イグジスタは、師からの教えを忠実に守り、それを注視する。

(小さな短剣。

 装飾は…綺麗な紋様。雷、雲、虹、羽…。あの模様なんだ?少し…珍しいな。何かの造形…召喚紋章か?でかい水晶がついていて…文字が彫られている?

『レン・ハシュウカ、レン・ネフィアド、レン・サンク…』)

 しげしげと情報を読み取ろうとしているイグジスタを他所に、二人の会話を邪魔しないように待機していた審判が小さく頷く。一昨日、昨日と変わらない表情で片腕を上げ、声を張り上げた。

「それでは、『水晶盤闘技式・対戦』レベル3、『エリタージュ・クワルツ対イグジスタ・パンデュール』を開始します!」

 歓声は、もはや歓喜なのか正気なのかわからないほどに膨張し、決壊して吹き出した。暴力的とすら言える音量が雪崩込んでくる。

 咄嗟に両手で耳を押さえてガードするが、目の前の天上人は、集中した涼やかな表情をくずさない。

(うぐ~耳が割れそうだ。よ~く平気だな兄貴。耳がキンキンするぜぇ~)

「私が腕を振り下ろして『始め!』という号令を発した時から、各々の技能を発揮してください。

 勝敗は、相手が負けを認めた時、相手を気絶させた時、以上の場合に決します。

 戦闘より一時間経過して勝敗がつかない場合は、審査員による判定で勝敗を決します。

 それでは…」

 イグジスタは息を吸い込んだ。静かに目を閉じていた少年が、眼を開ける。しんと、真冬の朝に射す日光のように、強く迷いのない少年の眼光に、イグジスタは怯むことなく、いつもと同じルーティンを行った。

(手、腰…よし。行くぞ)

 心の中で呟くと、同時。

「始め!」

 審判の声が開戦を叫び、空気が絶叫で弾け、そして…

(速攻イズ必勝!)

 脳内の掛け声を発火剤にして、イグジスタは素早く腰のホルスターから愛銃を抜きとり、構える。

 この銃が造られてから練習した動作ではない。この世界にきてから、この銃が完成するまでの間、何十もの試作品を試して試して…その間中、繰り返して体に叩き込んだ動作だ。

 寸分の狂いもなく、ぴたりと照準を合わせる。ブレはない。

 そのまま引き金を引いて、決着が…つかなかった。

(?!)

 トリガーを引き搾って生まれた弾丸が、砕け散る。少女が僅かに目を見張ると、ずん…と耳に聞こえない衝撃波が、皮膚を叩いた。

 目の前に居る少年は…無言で佇んでいるだけであるはずなのに、低く低く、繰り返す波のように、じりじりと体に襲いかかってくる重低音が、言いしれない恐怖感を伴って少女の全身を覆うのだ。

(なんだ!?…結界か?…いや!)

 無言だと思っていた少年の口が微かに動いている。動き続けている。

(呪文!)

 風の音とも、人の声とも言えないそれの正体は、長く続く詠唱だ。彼の瞳は開かれているのに、どこも見ていない。

「レン・ハシュウカ、レン・ネフィアド、レン・フラーシェ…」

(守護を、平和を、空を…くっそ!何しようとしてる?

 銃の弾が弾かれたから、軽いエネルギー弾を打ってもまず間違いなく無駄だ!)

 イグジスタは「風を纏う」呪文を口にしながら、相手の声を聞き取ろうと耳を澄ませる。ふっと、相手の口が動きを止めた。観客の歓声も聞こえない…風もなく、一瞬、無音になる。

 瞼を開いていながら、どこも見ていなかった目に一気に力が戻った、その時。観客の、祈るような息を飲む音が響いて…。

「レン・ハシュウカ・アバンフート・サンクシオン!」

「なっ!?」

 戦うために設けられた空間の、空気という空気が圧縮し、エリタージュの握るダガーの剣身から、目を背けたくなるほどの光が放たれる。

 イグジスタは光の奔流に負けないよう、咄嗟に腕を前にかざした。サンバイザーのようにして作った影の下から怯むことなく、つぶさに観察すれば、虹彩に繰り広げられる光景は、神秘に似ていた。

 溢れた光が収束していく。風が逆巻く中で、始めに目にしたのは、美しく輝く白く透明な鱗だ。そして、立ち上っていく巨体…神の気配を纏った青白銀の鱗片群が躍動し、まるで天使がベルを鳴らしているかのような音色が辺りに鳴り響く。

 優美にして偉大、そのドラゴンの名は。

(おぎゃぁぁっぁ!真竜サンクシオン?!

 まじか?!

 それじゃあ何か?!去年のスーパードラゴン対戦の内の一人はあんたかよぉぉぉ!?

 そんな話聞いてねぇぞ!)

 勿論、本物のドラゴンを召喚したというわけではないだろう。しかし、教会の御子として、聖書に描かれた竜の姿を何度も見てきたイグジスタには、目の前にある巨躯が、それと酷似しているとはっきり判る。

(詠唱時間長めとはいえ、この短時間でこの、サイズのドラゴンちゃん造っちゃうとか、兄貴の魔力量と技量どうなってんですかねぇっ!

 マジで!くそっ!信じられん!コズミィィィック!)

 愕然とした面持で瞳孔の奥まで開ききって見入るイグジスタの耳に、興奮が山頂を越えて宇宙に達しようかというほどの、絶叫に似た歓声が届く。

 驚愕に脳内でメガホン持って叫ぶ少女を尻目に、ドラゴンの創造者は、製作物の背に乗り、高々と舞い上がった。

(うわアアアアっ!空まで飛ぶぅ!?飛んじゃうノォぉん?!

 制空権を取られたぞ!

 地上を這う塵芥の人間である俺!

 まじ絶体絶命!兄貴、力加減も何もないな?!

 その姿勢!嫌いじゃないわ!)

 容赦なく実力の差を見せつける少年に、何故かおねぇ口調でパニックを起こしているイグジスタに向かって、竜が咆哮する。

 生まれたのは上空数十メートルから叩き込まれる滝だ。巨大な瀑布となって襲いかかるそれは、鉄製の巨大ハンマーが振り下ろされたのと等しい威力だ。

(は、は、は、ハイドロポンプ攻撃?!

 水タイプのポケ…これ以上は止めよう!じっさいあぶない!

 つうか当たったら絶対痛いよこんなの!)

 咄嗟に、纏った風の結界を変形させる。水に接触する先端を、傘のように尖らせ円錐形にすれば、ぶつかった瞬間から熔けた重金属のような重さが結界を押し潰そうとするのを、上手くいなすことが出来た。

(それでもキツイ!何回も受けられるもんじゃないぞ!

 結界を維持する魔力だってばかになんねぇ!

 つか、この水どうなんの!?)

 一撃に耐えたことで観客のテンションはさらにヒートアップしていく。歓声と熱唱、手足をうち鳴らす音が渾然一体なって会場を揺らす。

 打つ手が見当たらず焦りながらもイグジスタが目を周囲に走らせば、辺りに広がった水は瞬く間に気化し、地面から姿を消した。

(えええええっ?!き、消えたぁ!?

 てか水はどっから来たんだよ?!

 周囲の空気の水分を集めた?どっかから召喚した?!

 なに?わかんない!

 つかさ!全然関係ないけどハイドロポンプ攻撃って口から来るとゲロみたいでやなんだよね!

 おろろろろみたいな感じで!あははははは!)

 混乱した思考が脳内で飛び回り、訳のわからない笑いが駆け巡ったその時、イグジスタの耳に観客のヤジが飛び込んできた。

『がはははははは!オチビちゃん!戦わねぇならさっさと負けちまえ!』

 その、無遠慮で下品な言葉に、興奮した周囲からはどっと笑い声が起こる。

 イグジスタの膠着した思考を太鼓の撥で殴り付けるその言葉に、少女は思わず姿の見えない発言者の方を向いた。

 当然、大盛り上がりで笑いあっている客席には、そのようなことを言いそうな人々が犇めいており、『誰が』言ったかなど判然としない。当たり前だ。だが、この際そんなことはどうでもよかった。

(…おうおうおう。

 そうか…ここはアウェーの会場かい。皆々様揃って殿下の味方だ…そりゃしょうがねぇし、それでいいさ。…俺には大天使フロールちゃんがついてるんだ。気にしねぇよ。

 そりゃさ、兄貴はいい男だしぃ、この国を背負う男に肩入れすんのおかしくねぇ。味方の声援も声援で、多すぎりゃ負担だしよ。けっ。

 だが、しかしよ…なぁんなぁんだ、てメェはよぉ…何だって俺は、顔を知りもしない親父に、んなこと言われなきゃいけねぇんだよ)

「ふざけるな」

 目まぐるしいほどに色めきを変える轟音の中に、誰にも聞こえないような少女の小声はかき消された。

 イグジスタは息を吸いなおす。そうして打ち鳴らされる鼓動の速度を感じながら、ゆっくりと吐く。

(俺は…誰かの言う通りにしなきゃいけないなんざ、死ぬほど嫌いな天の邪鬼だが…)

 拳を固めた。同時に鼓動が静まっていき…思考が開けていく。

(知りもしないヤツにナメられんのは…大っ嫌いなんだよ!)

 少女は上を向く。朝の光を照り返す瞳に映るのは、上空に悠然と漂う白銀の竜の青い瞳と、遥か高みから見下ろす朝焼けに似た赤い瞳だ。

 イグジスタは自身を鼓舞するように小さく頷き、さらに深く息を吸い込んで、肺の隅から隅まで空気を送り込む。

 彼方上空では、少年の意思が少女を打ち倒そうと動いている。

 祈りの声は聞こえない。しかし、先程より長い詠唱は確実に、更なる一撃が訪れることを予期させた。

(さっきよりヤバそうだ…。どうあがいたってこの状態から、一撃ぶちこむのはきっつそうだし…。いまは…)

 少女の唇が祈りを始める。小さく、吐息を漏らしながら、左腕のにはめたブレスレットに触れ、魔力水晶に力を送り込み、集中を注ぎ込んだ。

「レン・シィドゥ・イエクスウィソート…」

(えっと、全然関係ない話するんだけど…足のスクワットって、単に脚を屈伸させればいいわけじゃないんだよね。

 脚の前側にある大腿四頭筋と、後ろ側にあるハムストリングスに負荷をかけなきゃいけないんだけど、膝の位置に注意しないといけないんだ。

 膝の位置は足の指先より前に出ないように、お尻をぐっと後ろに引かないといけないわけ。もちろん、背中は伸ばして丸まらないようにね。

 そうしないと、膝に負担がかかりすぎて傷める原因になっちゃうからね)

 イグジスタは口を閉じる。そして竜の支配する空を、太陽に逆らうように仰ぐ。

(とまぁ…なんでこんなことを考えていたかというと…)

 少女の些末な思考を遮る第二撃、それは水流と稲妻だった。雷鳴と轟音が降り注ぐ直前、イグジスタはしゃがんで手の平を地面に当てる。冷えた石の感触が広がり、腕の神経を伝って意識が泡立つのを感じて…

「レン・ハシュウカ!」

 掛け声と共に、少女の姿は滝の中に消えた。歓声に混じる悲鳴が、観客の目に映る惨劇を想像させてくれるがイグジスタには関係ない。

(ひぃ!!

 兄貴、この攻撃殺意高くないですか?!だって水流と雷だよっ!!?

 ちゃんと俺を生きて返す気ある?!殺しちゃだめなんだって分かってますぅ?!)

 次第に、水撃がその勢いを失っていく。薄れる水幕の中から現れたのは、水の重さを防ぐように立ち上がる、一体のストーンゴーレムだ。バーベルスクワットでもしていたかのように、中腰の姿勢から悠々と仁王立ちに変化したその姿は、勇者のように堂々たるものである。

 その石の庇護のもと、隠されていた少女が顔を上げた。

(うん。やっぱり石の筋肉(?)がガードしてくれると、結界を維持する労力が違うな。

 断然楽々。ありがとゴーレム)

 足元の舞台の石を材料に作り上げたゴーレムを盾にし、風の結界でそれを覆う。自分の体一つで落下のエネルギーを受けなくてすむので、一撃目より激しい攻撃にも関わらず、体力や魔力の摩耗は激しくない。

 ドオオオッと、歓声が湧く。そこには少なからず即席で作られたストーン・ゴーレムへの称賛もあった。しかし、少女の思考は苛立ちを与えた外界への扉を閉じている。

(そいやさぁ、プログラム開発の手法に『ウォーターフォール型開発』っていうのがあるんだがね。

 これ、なにをどう作るか考える『設計』ってフェーズ、実際に作る『開発』フェーズ、作られたものが思った通りに動くか確認する『テスト』フェーズがあるんだ。

 一見、上から順番に計画的にプログラム開発するというのは、効率がいいように見えるんだけど…問題があってね。

 なんでかって言うと、この一番最初の『設計』ってフェーズがくせ者で、プログラム作ってほしい人と、どうやって作るか考える人がまず別々であることが多いわけよ。しかも、実際どんなものができるか、物体のイメージがないことが多いから、『設計』できた~『開発』した~、作ってほしいと言った人、あるいは実際に使うユーザーにこんな感じですけど、どですか~と聞く~、ハイダメ、チガウコウジャナイ、ヤリナオシ~…

 みたいな!みたいなことがおきるの!分かる?!この遣る瀬無い感じ!徒労感!

 頑張って考えて作ったけどダメだったの!そいうパターン多いの!ほんと!

 で、それを防ぐために生まれたのが『プロトタイプ型開発』っていうの。『試作品(プロトタイプ)』を作って、ユーザに確認して、認識の差異を確認してもらって、そっからさらに修正するっていう。

 …まぁ、もちろんこのやり方、もろもろの事情で問題がないわけはないんだけど…)

「レン・エスガルズート…」

 イグジスタはほんの少し手を伸ばし、地面で僅かな時間だけ水の姿でいる液体に触れる。それは少女の白い指先でわずかな時間だけ姿を変え、すぐにさらさらと消えた。

 空に、全ての水が還っていく。

(うし。できそうかな…。試作品、大事大事)

 そうして、内心ガッツポーズを決める。勝利には程遠い、地べたに這う虫のような自身ではあったが、戦う算段がないわけではないのだと、そう確信する。

(後はできるかどうか…。

 …普通にやったら、魔力が足りなくなって、うまくいかねぇ。

 なら、こうするしかねぇな)

 イグジスタはまた空を仰いだ。空には風が渦巻いている。少女は腕につけた12個の魔力水晶の一つを口に含み、力が入りやすいように、奥の歯で軽く噛む。鋭く尖らせた視線で、高みを睨み上げれば、天空から睥睨する赤い瞳と、再びかちあった。

 米粒より小さな姿しか見えなくても、彼の瞳に宿る力が、剣気に満ちているのが解る。そして先ほどと同じように動く口元。恐らくさらに強い三撃目が来る。

(さぁさぁ、ドロポン攻撃こいこい…)

 神に祈るような気持ちで、少女は時を待った。膠着した舞台をよそに、観客の潜めた声の囁きが細波になって拡がっていく。上空で唸り声を上げていた風が凪いだ。

(昔さ、山に登るのが好きなダチがいたんだが、冬になるとバッチリ装備を決めて凍った滝に登るのが趣味だったんだよね。アイスクライミングっていうの?

 正直、狂気の沙汰だと思ってたんだけど…)

 身構える姿勢を崩さず、突き刺す視線を天空に向けたまま、少女は呼吸を繰り返す。きりきりと、歯の下で水晶が鳴っている。

 空が裂けた三撃目は、降り注ぐより先に急激に下降した気温が、顛末を予期させた。

 現れたのは雷瀑布と雹。それも、人の頭ほどある大きさの氷の塊が、それなりの速度で加速しながら落下してくるのだ。

 突然の寒さに悲鳴をあげる観客を無視し、

(こいつは都合がいい!)

 イグジスタは、思わず口角を上げ、歯の下の水晶を一気に噛み砕く。結晶の中に閉じ込め、押さえ込んだ魔力を暴力的なエネルギーとして解き放ったのだ。

 眩い光が舞台を包み込む。圧殺する水の力が、光の中に居るイグジスタを襲ったが、少女に仕えるゴーレムは、彼女を守らない。後ろ側に立ったまま静かに水の爆撃を待っていた。

 観客が息を呑む。しかし、その恐怖は興奮に取って代わられた。

 地上に近づいた水が、その先端から一気に凍結したのだ。それは、滝を遡って天に到達する竜のように立ち昇る。

 凍てついた風の中、天空の竜の上で悠然と腰を下ろしていた少年が、初めて驚きで目を見張った。口元に手を当てて思わずといった調子で好戦的に微笑み、すぐに笑みを消して腰の剣に手を伸ばして立ちあがり、下を注視する。

 すでに、地表に少女の姿はない。

 それどころか、見渡した世界のどこにもイグジスタは見えない。

「消えた…?」

 エリタージュが小さく呟くが、それで何かが分かるわけではない。すぐさま口を閉じ、瞼を下ろした。瞼の裏は薄ぼんやりとした明かりが宿っているが、それ以外の情報は勿論存在しない。

 しかし、耳に届く風の音色により集中すれば、氷を叩くような音が、猛烈な勢いで駆け上がってくるのが分かる。

(氷柱の中を…走ってこっちに来るのか!)

 それはすぐ側まで迫ってきている。パっと目を開けて少年は一歩下がって抜刀した。

 ガンッ!ガンガンッ!と、ひと際大きく、叩きつける音が聞えて、学園指定の制服が、猛然と少年の視界に飛び込んでくる!

 しかし、視界に飛び込んできたのは、学園指定「上着のみ」だった。それは、少年の目の前で盛大に飛び上がり、推進力を失うと、重力に逆らえずひらひらと落ちていく。

 一瞬、理解が遅れたが、意図は明らかだ。

(服を囮に!)

 少年は瞳を素早く巡らすより先に、耳を澄ませた。

 カンッと、エリタージュの後方で硬いものがぶつかる音が響く。気が付いた瞬間、剣を構え直し、剣を触媒に自身を護る結界を展開させた。

「レン・ハシュウカ!」

 一声と共に少年は振り返る。そして漸く、竜の体に足をかけて、片手で銃を構える少女を目にした。

 少女が、トリガーを引き絞る。弾道は正確に少年の体を捉えていたが、その体に突き刺さる前に、砕けて破片になった。

(ヒューッ!流石だぜ兄貴はよぉ!)

 今や11個となった魔力水晶の一つから、ワイヤーの様なものを伸ばし、氷に突き刺してワイヤーリールを巻くようにしながら、空洞になるように凍らせた氷柱の中をかけ上がるのは当初の予定どおり。しかし、イグジスタが、上着を脱いで囮にしようと思ったのは咄嗟のことだった。

 これで、勝負を決められる…か。少女は疑念と確信が半々だったが、天秤は疑念に傾き、一撃目の軍配はエリタージュに上がった。

(これで一発ぶちこめると思った俺が、激甘でしたぁっ!!)

 驚嘆と畏敬から脳内で敬礼するイグジスタに対し、エリタージュは一分の隙も見せず、剣を構えたまま竜の背を駆け抜けてくる。バランスが取りやすいとは言えない足場を、迷いのない足取りで走る姿に少女は驚くが、少し目を凝らせば、彼の履く靴と、ドラゴンの背の間がうすぼんやりと光っていた。

(なるほどね!魔力水晶のついた靴でドラゴンにぴったり張り付いてるのか!スパイディ的な?!

 その靴便利だな!俺にもくれ!)

 ワイヤーが伸びた魔力水晶から、別のワイヤーを伸ばし、ワイヤーアクションの要領で竜の背面を蹴って跳ぶ。

 宙に浮かぶ竜の胴体を旋回しつつ、彼から距離を取ろうと受けば、少年は迷うことなく距離を詰めてくる。

「はっ!」

 呼気を発して振り下ろされた剣先を、イグジスタは銃身の先をうまく使って弾いた。

(兄貴の持ってる剣…さっきのダガーとは違う!

 多分バスタードソード!ゲームとかでよく見るやつ!でも!)

 イグジスタは、『観察』をやめない。戦いの最中で、相手の動きを捉えて牽制に2、3発撃ちこみながら、ワイヤーの位置を変えながら、ブランコのように体をスイングさせ、竜の腹のほうに潜り込んだ。

(ブレードが薄くて、穴が開いてる!

 多分、包丁とかでたまにあるじゃん?切ったキュウリとかが張り付かないように空気抜きの穴がついたやつ。そんな感じです!

 きっと軽量化?の意味もあるかも!すんごい動作早いし!やばいって!

 普通、強度が必要な武器であの状態になってるやつ、あんまり見かけないだけど…)

 少年は剣を下げたまま、天地逆転の視界にも怯むことなく、少女を追ってくる。靴は依然としてドラゴンの皮膚に張り付いており、落下する様子はない。

 そんな中でも、少年の武器にさらに視線をやれば、剣の柄頭や鍔に凝った装飾の魔力水晶が取り付けられており、また、剣身の中にも規則的に並んだ小さな模様が、太陽の光を返していた。

(ブレード部分にもめっちゃ魔力水晶使っとるやないか!この金持ちぃぃぃ!

 つまりは魔力剣ってやつだ!さっき銃身で先を弾いた感じ、重量で叩き切る感じではなくてスパッと切れそうなかんじ!

 まともに受けんのはまずそうだぜ!)

 追撃をかけてくる少年の刃が光る。少女はワイヤーを駆使して移動しながら不安定な足場からまた1、2発撃ちこむが、軽くブレードで弾かれる。

(狙いが甘すぎであったりゃしねぇ!

 体力的にも、残ってる魔力量的にも!このまま持久戦に入ると超!ジリ貧!ジリ貧を超えて借金地獄だわ!

 遠距離攻撃のメリットを生かしたいけど、如何せん足場が悪ぃんだよ!

 向こうはうまい感じで機動力あるし!避けるし!こっちはワイヤー操作しながらだから分が悪いし!

 ワイヤーで兄貴引っかけて地面に引摺り落とすか!?

 いや、下手に抵抗されると誤って俺も落ちて死ぬぞ!俺は飛行系の技とか習得してないからね!!風で飛び上がることは出来ても、その後のコントロールが出来ないから!着地時は自然落下からの風でクッション作って落下の衝撃を和らげて降りるだけだから!

 ワイヤー操作しながらそれやんの難しいんだよ!しかも、飛行の専門兄貴相手にやっても、ワイヤーで振り回されて終わりそう!ムリ!

 飛行系の錬金術とかもやっときゃ良かった!生きて帰れたら勉強しよ!

 もっと上空に飛んで、デカい一撃でドラゴンごと仕留める?

 いや、さっき滝の攻撃をガードしたり、滝を凍らせたりして手持ちの魔力水晶も減らしちまったし、一発ぶち込んでドラゴンを仕留めれたとしても、兄貴本人は余裕で避けるだようし、ドラゴンぶっ壊したとしても先が見えないんだよ!

 いいか俺!無茶スンナ!実は結構消耗してんだぞ!

 普通に魔力切れして、地上に降りたことろで、ばててるとこをやられるわい!

『勝てる』見込みはあんまりない!

 なんとか省エネ&楽して得する方法を!)

 少女は竜の背中に戻り、重力に忠実に従って立った。追ってきた青年が、刃の届かない位置にも関わらず剣を振る。もちろん素振りなどではない。風を切る唸り声に似た衝撃波だ。

(だ!か!ら!

 殺意高いんだって!怖えーっよ!)

 内心の悲鳴を押し殺し、イグジスタは魔力を込めてトリガーを引く。散弾銃のように光弾を一定範囲に撒けば、衝突したそれらは互いに力をぶつけ合い火花を咲かせた。

 その眩むほどの熱源に、僅かにだけ少年の足が止まる。しかし、少女は熱に怯むことなく前進を決めた。

 何度目かの驚きに、ピクリとだけ瞼を震わせた少年の元に、何度も引き金を鳴らしながら飛び込んでいけば、両手で剣を構えて銃弾をはじき返す少年と目が合う。

(…嬉しそう?)

 目を合わせた瞬間、彼が目を緩く細めたような気がした。イグジスタは疑問を振り払い、至近距離まで到達すると、低く沈みこんで足払いをかける。軽く踊るようなステップでそれを避けたエリタージュが、鋭く剣撃の一閃を返し、イグジスタはワイヤーを使って加速しながら横に避けた。

 着地した片足を軸に体を回転し、ローリングソバットを放つイグジスタを、エリタージュは剣ではなく腕に纏った結界を使って受ける。

 イグジスタは弾かれても引くことなく、すぐそばで体をひねり、蹴りでフェイントをいれながら、トリガーを引絞り攻撃を繰り返すが、分厚く結界を張っているエリタージュに対しての効き目は薄かった。

(クウッソー!!

 ぜんっぜん!効いてねぇな?!

 向こうは防戦ぎみだけど、余裕綽々だから、追い込まれてんの実質コッチネ!焦って攻撃してんの見透かされてんよ!)

 一度、距離を取る。そして上がった息を整えようと、呼吸を深く、大きくして肺を広げた。半ば八つ当り気味に睨み付ければ、水晶をそのまま削り出したかのように、冷たく、熱のないピジョンブラッドの瞳がアンドロイドの虹彩を光らせている。

 動揺など微塵もないと言わんばかりの、凪いで落ち着いた少年の瞳の奥を覗き続ければ、不思議と、イグジスタの呼吸も落ち着きを取り戻した。

 奇妙な感覚だ。しかし、不快ではない。

(オッケー兄貴。

 落ち着いてやるべきだな…さて)

 いくつかの考えが頭を駆け廻るが、勝ち筋はあまり見えてこない。

(相手の行動が読めて…かつ、確実に一発入れれそうな方法…)

 相手から目を離すこと無く、少女の思考は続いた。

 少年は機を伺っているのだろうか?冷たく燃える瞳の輝きを消すことなく、少女の出方を見据えるように澄んだ朝露の色で眺めている。

(そうだ)

 ぱちんとシャボン玉が弾けるように、少女の肺から空気が抜けた。その色に、浮上した意識に気がついたのだろう。少年が息を吸い込んで、剣の柄を握り直す。イグジスタもそれにあわせて呼吸を深く吸い込んで、片足を一歩後ろに引いた。

(虎穴にいらずんば虎児を得ず…)

 沈黙が流れる。上空には闘技場の歓声は届かない。唸る風の音と、お互いが息を呑む吐息…そして無音だ。イグジスタがグッと、太ももに力を籠める。エリタージュの目が鋭くなり、全身の覇気が強くなった。

 少女の靴底が、硬い竜の皮膚を蹴ってけたたましく音を鳴らし、引いたトリガーに従って排出される魔力弾が、少年を襲う。迎え撃つ少年の顔には、微塵の動揺も浮かばない。ただ、巨大な山がそこに存在しているだけというほど、不動で、沈黙しながら、構えた剣の切っ先を迷いなく向けていた。

 弾丸の光線は、容易く結界に阻まれる。

(うん、知ってた!)

 少女は一切それに構わず飛び込んでいくが、体当たりせんばかりの苛烈なスピードで突っ込んでくる少女に、彼は僅かに眉根を顰め、それを避けた。

 そして、軽く剣を振り下ろす。致命傷を与える一撃を狙った速度ではない。恐らくイグジスタなら避けられるような一振りは、単純にフェイントに近いものだった。

 しかし、少女は避けなかった。イグジスタは銃を持っていない腕を盾のように振り上げ、そのまま鋼を受け止める。刃が肌を裂き、肉に食い込んだ。それは骨まで到達し、その硬さに刺さって勢いが止まる。

 初めて少年の顔に、見知った人間らしい表情が浮かんだ。確かにたじろぎ、見開かれた瞳。それを確認して思わずしてやったりと、イグジスタの口の端が浮かぶが、笑うことが目的ではない。

(肉を切らせて、骨を断つ!)

 真の狙いを気付かれる前に、少女が至近距離で相手の体に銃口を押し付けようと、銃を握る腕をエリタージュの死角になるように持ち上げた!

 が…彼の動作は早かった。動揺など一瞬で霧散させ、彼は咄嗟に片手を剣から離し、懐に仕舞われていたダガーを引き抜くと、刀身で銃口を防ぐ。

 イグジスタが引き金を引いた。弾丸が遮断され、砕け散って火花になり、消える。

(やあ、おみそれしました兄貴…。これ防げると思ってなかったですよ)

「…参りました」

 張り詰めた息を吐き出した後、自分でも思ったより、はっきり声が出た。溜息に近い呻き声を零し、イグジスタは自分の腕に突き刺さった刃から腕を外そうとする。

『イグジスタの敗北を確認しました。勝者エリタージュ・クワルツ!』

 審判が勝負結果の確定を宣言し、会場が勝者を祝福する空気に包まれた。それに応える前に、何とか必死に刃から腕を離せば、途端、激痛がイグジスタの脳を襲う。

(あ、あれ?)

 自分でやったこととはいえ、耐えがたい痛みに顔を顰める少女は、慌てて血が溢れないように傷口を抑えた。

「…すぐに応急手当をしよう。下で、医療班が控えてるから」

 勝ったというのに物憂げな表情を浮かべたエリタージュが、少女を支えようと腕を伸ばしてくる。

 だが、それよりも先に、全身の筋肉が弛緩し、足元から体が崩れ落ちるのを少女が知覚した時、

「イグジスタ!」

 彼が叫んだ。

 答えることができず、少女の体と意識は浮遊感に投げ出され…そして。

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