第7話 風の中の二人

 闘技場に吹く風は、早朝であるからか、程よく冷えている。

 それにも関わらず、闘技場はキャパシティの半分を越える観客を抱え、盛り上がりには十分な熱気を帯びていた。

(おーおー、お早いことで…よく朝起きてこれるなー、ケッ。

 まぁ、とは言いつつ俺も映画とかぁ朝一の上映回が好きだから、人のことは言えないか。

 …ふえーん、ちくしょー、こちとらそれどころじゃないよ~わ~ん)

 昨日の緊張とは違う、苛立ちと悲嘆が交互に渦巻く思考が少女の体を程よく弛緩させてくれるからか、全身に固さはなく、心身がバランスよく連動しているのを感じられる。ありがたいことだ。

 髪型も忘れずツインテールにし、戦闘体制も問題ない。

(つか、俺なんでまた首都の闘技場が対戦会場なん?

 こんな観客多い場所じゃなくて、地方会場がいいよ~。

 あ、昨日説明し忘れてたけど、水晶盤闘技式って、この会場だけで全試合やるわけじゃないんです。ここはいわゆるメイン会場。

 実は、クワルツ王国の各地に会場があって、『対戦』に参加する二学年以上の生徒は、成績によって会場が分けられていて、そこまでは学園から高速飛空挺で移動。同会場内にいる人同士でくじ引き、勝敗の結果で次の日の対戦会場が変わったり変わらなかったりする…という。

 もち、この首都は猛者の中の猛者が参加する、超ハイレベル会場です。メイン会場だからね、仕方ないね。

 で、初めて参加する新入生エントリー組は、全員問答無用で首都のメイン会場に放り込まれるだけど…そもそもエントリーで参加する新入生って、エントリーが認められる実力者なんです。

 だから、お前らここでええやろ?的な、雑な考えでここで闘うことになるんですわ。ほんと扱いが雑。

 でも、まぁ、一回戦で負けたら地方会場らしいけどね。俺は勝っちゃったから、メイン会場残留…良いのか悪いのか…。

 あ、ちなみにフロールちゃんも昨日はバッチリ勝利して、今日もこの会場だそうです。というか、ついさっきフロールちゃんは試合を終えて、今日も勝ってるみたいです。結果は掲示されるから確認したんだよね。さすが俺の女神!強くて可愛い!

 あ~、俺の試合が先だったら、終わった後にゆっくり応援と観戦に行きたかった~)

 苛立ちと悔しさを無表情な口の端に滲ませて、イグジスタは腕を組み、昨日のユーゴからの言葉をまた高速で思い返していた。

(ユーゴの経験から言うと、悪い『予言』でも、今回みたいに回避方法が明示的なものは、ほっといてもなんとかなるという小規模なものが多いから、そんなに構えなくても大丈夫ということらしい。

  もっとヤバイタイプの『予言』もあるらしいんだが…彼はそういうものについて話さなかった。

 …あんまり深入りして、藪から蛇を出したくないから俺も深く聞かなかった。突っ込んでも絶望しか見えなさそうだしね。

 なんで俺もガチボコビビり倒してたけど、『もう、何も恐くない!』ってな気分ですわ!

 お陰で今は恐怖より神の予言爆撃によりビビらされたという事実にくそ怒りを感じております。何してくれんだよ!

 神マジえーかげんにせーよ。

 『予言』みたいなふわっとした要件与えられても、こちとらいい加減な現実しか実装できんわ。

 まず、しっかりとユーザーの意見を反映した要望を固めて要件定義を明確にしてくれ。その後でインプットとアウトプットを分析してデータフローダイアグラムを書くところから始めるんだから。

 イベントドリブン型の設計方法ならシーケンス図を書くから!

 仕様を決定してから開発に指示を頼む。

 はい!八つ当たり!!俺!小心者!オーイェー!!

 っと…ん?)

 対戦相手になる少年がややゆっくりとした足取りで現れる。少し覚束無い歩みは、闘い慣れた様子とは程遠く、舞台に上がってからもふらふらとして、位置につくのもやっとという様子だ。彼が少し所定よりズレた場所で立ったので、イグジスタも自分の立ち位置から移動し、少年の前に移った。

 風が、イグジスタの正面から注いで肩の後ろを抜けて走り、少女の髪の幾筋かを払って流れていく。

《それでは!!これより「水晶盤闘技式」、「闘技」の式を行います!!》

 前日と変わらないハイテンションな実況を背に、イグジスタは目の前に立った少年をしげしげと『観察』することにした。

 イグジスタより幾分か身長は高いものの、クワルツ王国の平均身長を考えたら随分と小柄な部類だろう。上着は通常の制服で下はこれまた学園指定のローブ。ゆったりと余裕のある服の余り方からして、筋力はそれほど無さそうだ。先程の覚束無い足取りからみても、運動もそ、れほど得意そうには見えない。

 白く短い髪に、褐色の肌、左目には白い布製の眼帯をつけている。片方だけ解放された右目の金色を覗き込みながら、イグジスタは、

(誰かに似ているな…誰だっけ?駄目だ…人の名前覚えられないから、全然さっぱりんこ思い出せねぇ…自分の記憶力のなさ、容量1ビットのメモリって感じで、しょんぼり)

 とだけ考えていた。

《右は雷撃を閃光で撃ち破った、秘境の水晶姫!

 イグジスタ・パンデュール様!

 昨日は光の速さで雷撃を操るモーティマー様を下した彼女が、本日はどのような技を見せてくれるのでしょうか?!》

 会場内に響く歓声が鼓膜を震わせ、風が戦慄く。

《左は片眼を覆い凛然と闘う、眩惑の水晶御子!

 ルネ・アマ・デトワール様!

 新入生で平民出身ながら、エントリーを認められた天恵の水晶御子の実力をとくと御覧下さい!》

(って、この子も『水晶御子』なんかい。意外にいるんだね。もっと遭遇率低いかと思ってた。

 ん~、身体能力に優れたタイプじゃなさそうだが、逆に厄介だな。搦め手で来るのかも知れない…そういうタイプって初見殺し的なんだよね…きついな。しかも、この会場に居るっちゅうことは、ちゃんと一回戦に勝ってるみたいだし…。

 対策を練ってないとやりにくいかも…こっちの得意分野が封じられてなきゃなんとか出来るかも知れないが…

 どのみち、得意分野で相手のペースを乱して、こっちのペースに引摺り込めた方が勝ちかな。

 そう勝利に執着あるタイプじゃないけど、やる以上は勝ちたい。

 じゃないと、推しのフロールを守ることなんて出来ないじゃねぇか…)

 イグジスタがそんな、意味があるのかないのかわからないことをひたすら考え尽くしていると、目線をふわふわと彷徨せていた少年と、遂に視線が直線で結ばれた。

 爽やかな朝焼けに照らされた稲穂のような、淡い黄金に光る優しげな瞳を探るようにしげしげと見詰めていると、彼はふと、頬を赤らめて目線を反らし、それでいてチラチラと、恥ずかしそうにイグジスタの方に視線を寄越してくる。

(お?なんだなんだ?)

 奇妙な行動を取る少年を訝しげに思い、微かに首を傾げてしまうイグジスタであった。

 そうこうしていると、少年がほんのすこし居ずまいを正し、意を決した様子で、口を開いて声を上げる。

「あの、僕な、何っ、か、可笑しいですか?ど、どうして、僕のことそんなに見てくるのですか?」

「?可笑しくはありませんが、貴方がどのようなことをする敵なのかヒントを探しています」

「え、…あっ、そっ、そうか…ごめんなさい」

 そう言って彼は少々シュンとした表情になり、赤褐色の肌をより一層赤くしてしまう。分かりやすく言うと湯気でも出ていそうなほどだ。

(おんおん?どうした、そのモテない男子校出身の学生みたいなおどおどした態度は・・・?

 あ、そっか、君まだ学生か。若いね~。

 あれ、何か?ひょっとして俺に気があるのかな?とか思った?

 中身は腐れオジサンがインストールされとるが、形態は一応『女の子』だから、彼は女子にガン見されて『えっ?ひょっとして僕のこと…』みたいな甘い妄想を抱いてた?

 あ~、俺もモテない男だったし、周りにモテない勘違い男も友人にいたけど、残念だが、大体の女性が男性をガン見してる時は、『鼻毛がでてる』、『靴が左右で違う』、『魚市場に似た臭気を醸してる犯人を探している』、『ソーシャルウィンドウがフルオープンなのを指摘すべきか、そうでないか悩んでいる』等なので、国民的なアイドルでも無い限り『俺に気があるのか?』という幻想は即刻捨てろ。悲しくなるだけだ…悲しく…なる、だけ…だから…。

 つか俺、つい、ノータイムで斬捨て御免しちったけど、もしかして初々しい勘違いをした学生ボーイを一刀両断してしまったのか、あれ?

 …うわ~、なんかごめん!!マジでぇぇぇ?!俺の自意識過剰な思い違いであってくれ…

 …傷つけるつもりはなかった。言い訳にもならんがなんかすまぬすまぬ…

 なんかよー、モテるモテないが人の価値を決めるみたいな風潮好きくないんだけど、人間には理性があるといいつつも、異性を本能で分析して分類する人が大多数で、煩悩の獣なんやなって。

 ・・・まぁ、俺みてーなディスイズ・映す価値無しみてーな路傍の枯れ草が生存戦略の選択肢に入らないのは、ある意味生存競争を生きぬくという生物の原理にぴったんこだからね。

 そだねー仕方ないね。モテない同士頑張ろうね。

 いや~君には親近感を覚えるわぁ)

 何故か、対戦相手を勝手に『モテない』設定にした挙げ句、心の声が聞こえていたら月の無い夜道で後ろからバールのようなもので殴られていそうな程、失礼極まりないことを考えながらも、イグジスタは無表情を貫きながら、

(人の心の声が聞こえない仕様にした神、ナイスでーす)

 などという、無責任なことを考えていた。

 昨日と同じように、見つめていた時計から手を離して、審判員が対戦者に近づいてくる。

 遂に、その時が来るのだ。内心動揺していたイグジスタも、そわそわしたり落ち込んだりと、落ち着かなかったルネも表情を改めた。

「それでは、『水晶盤闘技式・対戦』レベル2、『ルネ・アマ・デトワール対イグジスタ・パンデュール』を開始します!

 私が腕を振り下ろして『始め!』という号令を発した時から、各々の技能を発揮してください。

 勝敗は、相手が負けを認めた時、相手を気絶させた時、以上の場合に決します。

 戦闘より一時間経過して勝敗がつかない場合は、審査員による判定で勝敗を決します。

 それでは…」

 イグジスタは通常通りのルーティンで腰に下げた『武器』と手首に装着した『道具』に触れた。

 軽く目線を少年に投げれば、彼は、先程の挙動不審ぶりは何だったのかと言いたくなるほど落ち着いた相貌で、胸に左手を当て、制服のポケットに手を差し入れている。

 その真剣な眼差しは確かに、『誰か』に似ていた。

(あっ、)

 イグジスタが疑念を晴らす何かに気がついた時、風が、少女の真正面から吹き付けてくる。

「始め!」

 闘いの火蓋か切られると共に、ルネがポケットに差し込んだ手を引き抜いた。その手に握られているのは、手の平に収まるサイズの青い小瓶だ。

 それを視覚情報として理解した瞬間、イグジスタは、前進する意志を止め、思いきり後ろに飛ぶ。

(まずい!)

 焦りが滲む本能を理性で抑えつけ、武器ではなく腕の道具に手を添えて魔力を込めた。

(…こっちは、『風下』だ!)

 少年が引き抜いた青い小瓶の栓を…親指で弾く。音もなく瓶の口から零れ落ちるのは、さらさらとした砂のような粉だった。

『レン・ハシュウカ・ヴァンドラゴン!』

(守護を与えたまえ、真竜ヴァンドラゴンよ!)

 風を操る真竜に祈る、全く同じ呪文が、盤上の二人の唇をついて躍り出る。

 刹那、二つの空気が渦巻き、小瓶の中から散布された虹色の粉末が、風の咆哮にのってキラキラと日光を乱反射して辺りを包み込んだ。勢いよく衝突した二つの風が、金切り声を上げて空気を貪る。

(げぇっ!やばい!)

 イグジスタは内心で悲鳴を上げた。全く同じ呪文を行使しているのにもかかわらず、イグジスタの放った風が、ルネの風に押し返されているのだ。

(純粋に『出力』で押し負けてる!!ウッソダロオオオ!!

 俺の『魔力量』は平均レベル!でも先生曰く、俺より上の人はそう多くないって!)

 しかし、自分を取り巻く風のうねりは、明らかに少女の不利を告げている。イグジスタは押し寄せるエネルギーをどうやり過ごそうかと逡巡するものの、圧倒的な爆風に、ただただ魔力を水晶に注いでひたすら堪えることしかできない。

(こいつが!こいつがその、『そう多くない一握り』だっていうのかよ!

 ちくしょう、一瞬でも気を抜いたら場外まで飛ばされそうだ!)

 風が更に烈しく轟音を巻き起こし、地面を削りとって土煙が視界を防ぐ。慌てて自身を庇うように両腕を交差させて、口元に左腕で押さえ、目元を匿うように右腕で掲げた。

(ぁ…れ?)

 限界まで力を入れて耐えた足下が不意に崩れ、少女の視界がシュールレアリスムの絵画のように不可思議に歪む。

 カタカタと噛み合わない歯茎を震わせ、なんとか踏み止まろうと筋肉を使おうとしても、柔らかく崩れる砂浜の上に立っているかのように、身体が沈んでいく。

「な、に?」

 重力に逆らおうにも、神経という神経、筋肉という筋肉が混乱し、逸る気持ちを奮い立たせても、肉体は頑として言うことを聞かなかった。ついには膝が地面に落ち、わずかに残った意識を総動員して両手を地面につく。顔面が盤上に衝突しなかっただけ幸運だと言えるだろう。

(うそ…どうして)

 陸に上げられた魚のように覚束ない呼吸を繰り返し、自分の形を失ってなるものかと、躯の倦怠感と戦うイグジスタを嘲笑う者が居た。

「ねぇ、どうして君なんかがこんなところにいるの?」

「うっ…うう」

 その少年は、イグジスタと同じ白い髪をして、イグジスタと異なる金色の瞳をしている。試合の前は柔らかな光を湛えていた黄金の眼も、今は翳り、暗雲が垂れ込めた嵐の前の不快な微温さで不気味に輝き、地に伏す少女を睥睨している。

「君に、君みたいな『貧弱なチビ』に、『水晶戦士』になる資格なんてないよ」

 静かに、微風のように語られたその言葉は、甘やかな声色と相反して灼熱の毒を含んでいた。

「貧弱で、チビ…わ、たしは…うっ、うぅ」

 その言葉に、イグジスタは俯く。なんとか顔を上げようとしていた気持ちが萎み、霞んだ視界に映るのは、白く細い、頼りない指が盤上の土を弱々しく掘っている姿だった。

(…そうだ、よな。こんな、こんな)

 小さな指、頼りない体、しっかりとしない精神、明晰でない頭。これで、一体何が成せると?

 瞼の裏が熱くなる。情けなさに、苦しさに、悔しさに、口惜しさに涙が零れる。脳内が猛火に炙られた石を押し付けられたようにかき混ぜられ、気が狂いそうだった。

「だから、早く『負け』を認めてよ」

 悪夢の声が響いている。ルネのひときわ優しげな声が、暗黒の渦を巻くイグジスタの思考を慰撫するように語りかけてくるが、その真意は火を見るより明らかだ。

 イグジスタの体がさらに沈む。震える手では上体を保つことが出来ず、四つん這いから肘を盤上に落としてなんとか倒れこむのを避けるので精一杯だった。

(ああ、もう…)

 諦めてしまおうか。倒れてしまえば、楽になるのに。

 そう、弱気に砕けた意識が、楽で救いのない結論を出そうとし、少女が悲しく、はぁ、と最後の息を吐き出した時。

 …イグジィ、イグジィ…

(…だれ)

 誰が自分を呼んでいるのだろう。意識の底から揺らされるように、強く愛しい声は…。

「イグジィ!」

「ふ、ろーる…」

(みにきて…たの?)

 その声に意識がすくい上げられた。地面にぽとぽとと落ちてきた涙の滴が、手の甲にあたる。その熱も冷たさも感じる。

(…そうだ、彼女が呼んでる)

 顔を上げた時、正面に立つルネを越えて、その先。そびえ立つ壁際の観客席に、愛しい紅い髪が微かに、確かに居る。焦点が定まらない視界なのに、存在を感じる。彼女は何かを叫んでいた。当然、声なんて聞こえる距離ではない。しかし、確かに聞こえたのだ。

(ああ、フロール。見に来てくれていたのか。…そうか、なら)

 暗雲を払って、千切れた雲のすき間から、光が道を指すように、思考が静寂に近づいていく。冷えた体が柔らかい温もりに縁取られ、イグジスタの形が姿を取り戻していく。深く吸い、深く吐き出して呼吸が整えば、心が奮い立つ。

(なおのこと、これ以上カッコ悪いとこ、見せられない、な!)

 イグジスタはそっと、腰に手を伸ばして生命線である武器を撫で、

「あなたは…」

 イグジスタは奥歯を食いしばって、まっすぐ顔を上げ、丹田に力を込めた。焦点が定まらない視界を、何度も瞬きして見定めようとする。

 愕然とした表情でイグジスタを見詰めたルネを、唇の端を持ち上げて笑ってやれば、彼は少女から眼を話さないまま、首を横に何度も揺らした。

「そんな…なんでまだ動けるの?薬が効いてないの?いや…そんな馬鹿な、調合は完璧なはず…いや、これは…」

(あぁ、そういうことか。やっぱりありゃアブナイお薬か。体が痺れてら。だけどな…)

 まだまだ完全にコントロールを取り戻さない身体を、ふらふらさせながらもイグジスタは立ち上がる。

(そりゃおめぇ、妹(推し)は必要なカロリーだからな!カロリーがあれば動けるってもんよ!)

 腰から銃を引き抜き、白い髪の少女は銃口を彼女の的に向けた。しかし、銃身は揺れ動き、狙いは一向に定まらない。そのまま引き金を引き搾るも、魔弾はあさっての方に飛散した。

「一体何かと思えば…なんだ、てんでダメじゃないか」

 わずかに安堵の混じる少年のせせら笑いを至極真面目に受け止めて、少女はもう一度トリガーを引くも、弾はまた目標を外れて地面に突き刺さる。

「…あなたは、誰かにそう言われたの?」

「何が?」

「『貧弱』だとか、『チビ』だとか…誰かにそう言われたの?」

(なんとなくだが…君と俺は『似てる』から)

 心底、虚を突かれたという顔をして冷笑を引っ込めた少年を見詰め、内心で冷や汗を流し、顔面はほくそ笑みながら、少女は渾身の力で空威張りをした。

(まだだ、…まだ、時間を稼げ。気づくなよ…)

「そう言われて、諦めたの?」

「…うるさい!黙れ!」

 鼻に皺を寄せ、怒りとも威嚇ともつかない声で少年が低く吠えた。強い苛立ちが彼を突き上げているのか、初めて見たときの気弱そうな風情は消し飛んでいる。

「いやよ、黙らない。あなたみたいな、人に、従うの…あなた、みたいな、卑屈で、弱虫で『私にそっくりな人』の、言うこと聞くのなんて…。

 もう、私は、そこに居たくない…。

 もっと、もっと、大好きな、大事なものを、選んで、いきたい」

(もう、訳がわからないまま、しにたくないんだ)

 銃口が震えるのを止めずに、少女はまた引き金を引く。狙いは的を逸れ、またしても定まらない地点に着弾した。

「うるさいうるさい!ロクに身体も動かないくせに!」

(それは、どうかな?)

 イグジスタの挑発は、よほど気にさわる言葉だったのだろう。ルネは冷静さを欠いた怒声を上げてまた服に手を差し込み、小さな小瓶を取り出した。親指でその瓶の蓋を弾き飛ばすと、忌々しい敵対者を排除せんがため、口を開く。

「レン・イヴィロート・ヴァンドラゴン!」(打ち砕き給え、真竜ヴァンドラゴン!)

 再び風が吹き上がる。初撃の強風を上回る爆風が、小瓶の中身を巻き取ってイグジスタに襲いかかろうとした時、少女は一度しゃがんで地面に銃口を押し当て打った。

「レン・オージュヤト・ヴァンドラゴン!」(作り上げ給え、真竜ヴァンドラゴン!)

 そして、彼女も叫び、盤の表面が細かく崩れ、砂煙が立ち上がる。それは盤上に大きく幕となって視界を塞ぎ、津波のようにルネに襲いかかった。二つの風の奔流がぶつかり、巨大な渦を巻いて嵐となる。

「いない…っ!どこっ?!」

 腕で顔を覆って吹き付けた嵐を凌いで目を開けた瞬間、ルネの開かれた唇から飛び出したのは、悲鳴に似た言葉だった。首を左右に忙しなくひねり目標を探すが、少年の人より幾分か狭い視野を懸命に動かしても、そこに確かに存在していたはずの少女の姿はかき消えている。

 風がおさまった会場の中、観客が口々に何か叫びながら上を指差している。

 平静さの消失を、不安げな顔で物語っていた少年が、はっとして虚空に目線を伸ばした。太陽は、それなりに高い位置にいる。

 そして、斜め上から降り注ぐ光線の中、黒点がゆっくり下降してくる様を捉えた。

「…あんな、ところに…」

 騒ぐ風の中、ポツリと呟く声は気流の唸り声に丸呑みにされ、溶かされていく。

(残念だが、ちょっと気づくのが遅かったな)

 自らが起こした風で全身を覆うように空気の膜を作り、相手に突風をぶつけるのと同時、起こした上昇気流に乗って高々と舞い上がった体は、今、地上に近づきつつあった。

 魔力を込め、トリガーを引き絞る。

 咄嗟に少年は腕を突きだし、上方に光を放った。それは分厚い障壁となって彼方の敵を遠ざける。はずだった。

(そうだな、君の結界は、俺の出力じゃ破れないだろうな…だが)

 彼女の銃口は、まったく彼から離れた場所に注ぎ、魔弾が落ちる。そこは地上に居た彼女が、最後に撃った『鋲』の場所だ。

(『下から』はどうかな、少年!)

 充填されて膨れ上がった魔力が変質し、光の礫になって地上の一点を穿つと、それが真の契機となる。

 それは弾丸は到達と同時に弾け、イグジスタが『わざと外して地面に当てた魔力弾』を誘い水にして、魔法陣を生み出すために雷撃が盤上を駆け巡った。解き放たれた稲妻が勢いに乗って地表を縦横無尽に駆け回り、少女の狙い通り、少年の体を絡めとる。

 彼の苦痛の呻き声は、全身に走った衝撃を雄弁に語るが、お構い無しとばかりに、天空から降り立った影がルネを突き飛ばした。悲鳴と共に尻もちをついた足に力の入らない彼の肩を掴み、押し倒して押さえつけるのは、体格に恵まれないイグジスタでも簡単だ。

 馬乗り態勢のまま、少年の額に銃口を突きつけ、逸る気持ちを抑えつけて宣告する。

「…降参していただけるなら、これ以上痛い目に遭わなくてすみますよ。

 いかがですか?」

「…降参、しなかったら、これより痛い、かな…?」

「そうなりますね。少なくとも気絶するくらいには痛い目にあっていただきます」

 イグジスタの恫喝にも、痛みに耐えながら攻撃的な目線を変えないルネと、イグジスタは暫しの間睨み合う。盤上の沈黙に、闘技場の観客がお互いの顔を合わせてざわめき始めるほどの時間が経つと、全身の筋肉にエネルギーを充たしたまま銃を構える少女の様子を理解した少年が、流石に観念したのか、身体から力を抜いて嘆息し、

「参りました。降参します」

 そう白旗を上げた。同時に沸き起こる歓声を背に受けながら、イグジスタが満足気に頬を緩ませると、

『ルネの敗北を確認しました。勝者イグジスタ・パンデュール!』

 審判員の宣言を確認し、イグジスタは銃を仕舞う。そして、のし掛かっていた体制から体を起こして立ちあがり、少年が起き上がるために手を貸した。

「やぁ、やられたなぁ…最初、どうしてわかったの?」

 何が、とは言わずにそう言ったルネに、イグジスタは柔らかく目を細める。

「君が、力で挑んできそうなタイプに見えなかったこと、弱々しく歩いて、ちょうど風上に立ったことと、手に持った小瓶を見たときに思い付いたの。

 …薬品を使うタイプかしらって。だから、風の呪文で防いだのよ。

 まぁ、まさか同じ呪文を使ってくるとは思わなかったけど…」

「う~ん、なるほど。もっとちゃんと隠すようにしないとだめだね。

 ありがとう、参考になったよ」

「ふふ。隠してなかったとしても、私、結局あの時、あなたに押し切られちゃったわよ?」

「あはは。でも、君がもっと薬を吸い込んでくれてたら、勝てたかもって思っちゃって…」

「あら?本当にそう?」

 悔しさがありありと浮かぶ少年の苦渋を、少女はわざと煽るように瞳を細め、唇に右手の人差指を当て一笑に付してみれば、少年は首を横に振り、

「…いや、ごめん。…悔しまぎれに『たられば』なんて、カッコ悪いこと言っちゃったね。

 『勝負は勝負』なんだ。結果が出た後に愚痴愚痴言うなんて…これだからダメなんだよ…僕は」

 視線を落として自嘲気味に呟き、少年は表情に陰を落とした。悔恨と言うには暗く湿った、憎悪にも似た言い草に、さしものイグジスタも動揺してしまう。

「えっと、まぁ。そう、言わないで。気持ちはわかるわ。私があなたに100%勝てたかというと、そんなことないし。

 …事実、あなたの『水晶錬金術の実行』は見事だったわ。私は単に、運がよかっただけ」

 彼女にしては珍しく、丁寧に言葉を選んだ慰めの言葉を聞くと、ルネは落ちた肩を少し上げ、ゆっくりと吸い込んで吐き出す一呼吸の間、無表情で黙り込んでしまった。

(ん、ん?俺なんか余計なこと言っちまったか?)

 沈黙の意味が分からずに戸惑い、おろおろと狼狽えるイグジスタが、さらに何か声をかけるべきか判じかねていると、

「ありがとう」

 ルネは顔を上げ、そう、しっかりと感謝を述べた。午後の太陽に似た金色の虹彩がしかと空色の瞳を掴まえ、柔らかに緩み、目尻には小さな笑い皺が浮かぶ。

「そう言ってくれて嬉しいよ。でも、君が勝ったのは君の実力だ。

 素晴らしい『水晶錬金術の成果と実行』を見せてもらったよ。

 …なんだか、不思議な気分だな。負けて悔しいけど、君にお礼を言いたいなんて」

 困ったように少し眉を下げて口角を上げたルネが、イグジスタに手を差し出した。

「僕、ルネ・アマ・デトワール。

 西にあるエクリプス領にあるちっちゃい街、ボーレ出身だよ。

 都会より自然が豊かで、ハーブや薬を作ってるんだ。

 …さっきは大分酷いこと言って、ごめんね」

「いいえ、気にしないで。私もかなり挑発したもの。試合が終わったんだからノーサイドよ。

 私はイグジスタ・パンデュール。辺境伯令嬢だなんて身分だけど、教会所属だから、実際はあなたと同じね。

 これからよろしくね。また、後でお話をしたいわ!」

(仲良くやろうぜ!少年!

 俺とダチコウになってくれや!)

 しっかりと手を握り返し、イグジスタは会心の笑顔で応える。気持ちは夕日に照らされた河川敷で殴り合ったヤンキーが「お前…つえぇな」「へへ、お前もな!」と健闘を称え合う、数世代前のイコンのような光景の出演者だ。

 しかし、ルネの方はというと、驚きの顔を作って固まっている。

(おや?赤くなってどうした?

 俺はなかなか無表情人間だが、別に笑顔は安売りするもんじゃないとか、「スマイルの場合はあちらの券売機でチケットをご購入してクダサイ」とか言うつもりはないよ?

 俺のスマイルは0円提供だからびっくりすることないぜ?

 顔の筋肉を動かすのがタルイだけだからね?

 それとも、俺のテンション高すぎて引いた?それか電撃攻撃の悪影響?!

 あれっ?!オッカシイナー!そんなに威力ないはずなんだが!)

「ルネ?」

「あっ!な、なにかな?」

「?大丈夫?

 一度戻りましょう?歩けるかしら、攻撃の悪影響とか残ってない?」

「…それは平気だよ。ちゃんと歩けるから心配しないで」

「うん、わかったわ」

 ようやく二人は動き出し、歓声が一際濃くなる。風は爽やかに吹き、熱気をない交ぜにして冷ましていく。

 こうして、イグジスタは今生初の友達をゲットして満足感を得ながら舞台を去ることになった。

 それでも、吹き上がる風の騒がしさは相変わらずであったが…。

 パチパチパチパチ、と、手を叩く軽い音が聞こえた。イグジスタの耳を捕らえたそれは、機嫌良く闘技場の内部に戻って、少年と別れの挨拶を済ませた後のことである。

(?)

 はて、と少女は首を回す。イグジスタが見たのは…

「誰?」

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