第4話 いざ、水晶盤闘技式へ

 二日後。

「仕方ないね」

(わからんもんはわからん。…大事なのはフロールだし、なるべく一緒にいて、フロールの気持ちを大事にしよう…

 悲しいが…俺はフロールが誰かを選ぶ時が来たら、全力で妹に相応しいか見極めに奔走するくらいしか出来ないもんな…ぐすっ)

 イグジスタは早々にフラグを折ることを諦め、妹をモンスターから守ることを重点課題としつつ、花嫁の父的な心境で、妹に接近する男子達からガードする…方にシフトチェンジしていた。

(切り替えの早さは俺の良いところだぜ!)

 考えなしともいう。しかし、突っ込みはいない。

「おはよう、姉様」

「ふふ、おはようフロール。…昔みたいにイグジィでいいわよ?」

「…いきなりは難しいわ。もう随分長い間、姉様って呼んでるもの…。気に入らないかしら?」

「いいえ、気に入らない訳じゃないわ。これから学園を卒業するまでは、昔のように一年中一緒だもの。

 …もう少し、仲良くしたいだけ」

 4年の月日が経つうちに、次第に遠ざかっていった呼び名は少し寂しいもがあった。姉妹の仲は充分に健康的であるが、年のほとんどを一緒に過ごせないためか、気がつけば少しの変化も大きなものに感じてしまう。

 あざといと分かりつつも、上目遣いで微笑みながら口を尖らせてみれば、感極まった表情でフロールが飛び付いてきた。

「っ!イグジィ!」

「ぐえっ!んんんっ!」

(ぐっふっふ、妹がシスコンに育ってくれて嬉しい…ぞっ!)

 彼女の体格相応の膂力で締め上げられつつ、謎の喜びを噛み締めるイグジスタは今日も幸福だ。

 さて、本日は雲一つない晴天。抜けるような青空と、柔らかな風が頬を撫でる好天である。

 そして、

「今日は『水晶盤闘技式』ね…」

「ええ…そうね。晴れてよかったわ」

 ぽつり、とフロールが呟くのに呼応すれば、眺めた南窓の外に小鳥は歌い、瑞々しい緑が生命を謳歌している。

「それにしてもイグジィ…」

「何かしら?」

「本当にその…服で行くの?」

「うん?」

(はて、何か問題があったかな?)

 やや落ち着かない仕草で、顔を触りながら問う妹には憂心が垣間見えるので、何か問題があるのかと姉が首を傾げれば、フロールはほんの少し言いにくげに脚の付け根、もっと言えば太股の方を指差した。

「少し刺激が強すぎない?」

「へむ?」

(現在位置、寮の自室。

 俺、どうやら妹者に服装のはしたなさを指摘されておるようでおじゃります…。

 いとしのフロールからダメ出しを食らった俺の服装ですが、簡単にいうと上着は通常の硬派な制服に、貴族用の紋章ブローチ(平民の人は名前が入った学校の紋章入りブローチになるよ)を着けた、至って普通だが、ズボンは所謂ショートパンツスタイルで、『時霆塔』に独自開発して貰った伸縮性抜群のオーバーニーソックス『ショートパンツとソックス辺りの絶対領域を添えて、パンツじゃないから恥ずかしくないもん!』です。

 元々、この学校、制服は男子も女子も上着のデザインは基本一緒で、下はスカートかズボン、ずるずるに長いローブスタイルものがあって好きな物を選ぶスタイルなのです。もち、費用は学園が持ち。

 この学園で数日間、水晶盤闘技式までは、通常の教養科目を受けながら過ごすんですが、ぱっと辺りを見回した印象だと、女の子は主にスカートかズボンのどっちか、男子もズボンかローブスタイルのどれかをチョイスしてるみたいです。

 まぁしかし、上着は学園指定のものであることを指示されている以外は、自費で下の衣装はいじっても良いらしく、貴族だったり金持ちだったりは、普通のものより凝ったデザインや質の良いものに替えたりしてます。

 …まぁ下を変えても上は変わんないので若干ちぐはぐになってる人もいるけど、好きにしたらいいし。

 なんで俺のショートパンツスタイルは確かに珍しいが、怒られるほどのもんでもないです。…よね?たぶん…。

 何故、数日経ったのに今さらこんな指摘がくるのかって言うと、実はこのショートパンツスタイル、今日初めて着るんですわ。教会にいる時はしょっちゅうこの格好だったけど、学園に来てからは初。

 今までは父上と母上の希望でロングスカートだったんですが、まー動きづらい。

 女の子達スッゲーよ。あんな布が足の邪魔する上、股間がすかすかするもん履いてよく動き回れるな。

 因みに、フロールちゃんは当初からズボンです。前述の通りの学園指定のズボンではなく、センスの良い仕立屋が作ったズボンで、動きやすくて質の良い、それでいて上着からは浮かない見映えの良いもんを着てます。

 …はぁ…。それにしても、なんというか、えもいわれぬ…せつねぇ気持ち…。

 昔から(それこそ生まれ変わる前から)服装に拘りが無さすぎて&ダサすぎてお洒落に気合いをいれてる友人からは顰蹙をかったものですが、個人的には最低限の清潔感を守ればいいよくらいで過ごしてきたので、この指摘には正直びっくりだよ。

 この『イグジスタちゃん』の、うるとらお子様体型with平たい顔の俺の何処に人様を刺激する要素が?できれば違和感なく人間社会に溶け込めたらいいなくらいの妖怪人間が刺激を?おお、ご冗談を。

 お洒落って、料理と一緒で、素材が良くないと「味付け」という工程で手間隙がかかる気がすんだよね…。

 素材がド三流な挙げ句、二流に上げる努力にリソースを割きたくない人間からしたら、「もう、ゴールしていいよね」ってなるんすわ。

 …あ~なんだが、嫌なことを思い出してきた。

 そもそもさぁ、どんだけ身綺麗に整えたって、デブで不細工の人間に人権なんてないんだぜ?どんなに洒落た格好だってうちの親に言わせれば『不細工にそんな服、不相応』だとよ。…そうだよなぁ、素敵な服に俺が相応しくないのは確かだよ…。

 でもさ…、いいじゃんよ、いいじゃんよ、服が似合ってなくても、服がボロボロでも、顔が整形でも、デブでもチビでも、誰も他人にそれを指差されて笑われるいわれはないじゃんよ。チクショウ、ルッキズムなんて大嫌いだ。

 もうさ、自分がそういう服やらなにやらが好きなら、誰でも好きにしたらいいじゃん…。

 だから…だからさ、『好きな服、着ていたい』んだよ…)

「えう…っと、誰も刺激を感じないと思うけど…他に動きやすい服ないし…。

 …その、これ、可愛くないかしら?」

(俺が可愛いっちゅうよりは、このショートパンツオーバーニーソックスというアイテムが!可愛くて俺は好きだ!

 男の時は誰得で絶対に出来なかったこの格好!女子となった今似合う似合わないという部分を超えて!やってみたいという欲求が羞恥心を上回った結果!

 予想以上の動きやすくてもうこれでいーやって感じ!個人的には休みの日に着るジャージ並み。

 ズボンの方が動きやすいやろ、と言われるかも知れないですが!仕方ないじゃないか、着てみたかったんだもん。

 とまあ、己の欲望に従った結果です。はい!解散!!)

 ぐだぐだと様々な言い訳を脳内でかましつつ、結局のところ煩悩の獣になって『オーバーニーソックス、げっへっへっへっ』という性癖のままに衣装をチョイスした結果がこれというだけのくだらない話なのだが、どうも妹君の不興を買うものだったらしい。

 しかし…

(…ああ、で、でも、でも。

 ダメなのかなぁ…どんなにこの服が可愛いくっても、好きでも、やっぱり似合わなかったらダメなのかなぁ?)

 勢いこんで思考を回転させていたものの、急にブレーキがかかった。次第に萎れていく気持ちで、イグジスタの顔が落ちる。目線を上げられず、足先をぼやけた視界にいれれば、ちっぽけな靴が映った。頼りない、子供用の靴。それが恐ろしくなり、つい目を閉じる。

(どうしよう、フロール…君に、『似合わない、ダメだ』って、言われたら俺は…どうしたら)

 呼吸を忘れそうな感情で、少女の胸は張り裂けそうに騒いだ。窓から降り注ぐ朝日ですら肌を突き刺す拷問のように感じられ、イグジスタは死刑執行を待つ囚人の面持ちで、項垂れたまま、こくりと喉を動かし、唾を飲み下す。

 永遠になるような一瞬の沈黙が訪れた後、淡い呼気が、ほど近くから解けるように溢れた。

「イグジィ!とっても可愛い!可愛いわ!!」

 歓声に似た嬌声が翔びはね、ついでに物理的に跳びはねた赤髪少女の、愛の抱擁がイグジスタに襲いかかる。可愛いは強いらしい。さっきの指摘など投げ出して何かに完敗しているらしい妹に、もはや通常運転に近い形で抱きつぶされているイグジスタであった。

「ぐぇっ!

 うう…フロール、本当に?」

 が、やぶさかでないので、毎度毎度潰れたヒキガエル声になっても気にしない。むしろ本人は幸せそうだ。

「ええ、本当よ!」

「この服、似合わなくって、変?

 …着るの、止めたほうがいい?」

 フロールがそっと身体を離し、イグジスタの顔に手を添えた。掌から伝わる熱が、じんわりと暖かい。

「こっちを向いて、イグジィ」

 下を向く姉に優しく声をかけ、妹はその顔を優しく上向かせると、海の碧と空の蒼に似た瞳同士がゆっくりとお互いを意識した。下から見上げる空の色は潤んで、ほんの少し霞、上から見下ろす海の色は明るく澄んでいる。

 にっこりと、花開くように、フロールが笑った。太陽に似たその微笑みは、高らかに鳴り響く天啓に似て輝き、ひまわりのようにきらきらしている。イグジスタがその眩しさを見つめていると、フロールが優しげな声で麗しく語りかけてくる。

「似合ってないなんてこと、ないわ。

 それにね、ルー師匠もいってたじゃない。『人からの評価が気にならない訳じゃないし、気にしないわけじゃない。けど、自分のしたいことなら、下を向いて諦めることないのよ』って。だから、師匠は好きな服を着て、好きな研究をするんだって」

 身振り手振りをつけながら師匠を真似る妹を眺めている内に甦ってくる記憶の中で、師匠も微笑んでいる。その言葉を贈ってくれたのは、イグジスタの馬鹿げたアイディアを形にしようと試行錯誤する中で、何度めかの失敗を他の研究員が嘲笑った時だった。

 あの研究も実験も、全部イグジスタの我儘だったのに、師匠は『自分のしたいことだから、好きなことだから』と言って微笑んでくれた。

(師匠、フロール…)

 そうして微笑まれた白い少女は、言葉にしづらい昂りで心が満たされたことを感じた。安堵のような、感謝のような、歓喜のような。

「だから、イグジィが着たいなら、好きな服を着ていいのよ」

「フロール…」

 胸の奥底から温かく、鼻の奥がぐずつく。少し鼻を啜って眦を細めるイグジスタを、フロールはより一層優しげな笑みで受けとめた。

「私はね、自分の好きな服を着ているイグジィが、いつだって大好きよ」

 夜闇に輝くポーラスターの誠実さと、青空に輝く太陽の曇りなさが、イグジスタのちっぽけで卑屈な思考を洗い流していく。

「だから、下を向かないで」

 その言葉を皮切りに、イグジスタは大きく息を吸い込んだ。

(フロール、君が、君がさ…いてくれたお陰で、さ。こんな俺に、こんな素敵なことがあるんだって、奇跡も魔法も、嬉しいこともあるんだって信じられるんだ。

 …本当は君に、逢えるはずのない、資格のない、人間なのに)

 吸い込んだ空気で肺を膨らませて、胸を張る。燦々と降り注ぐ日光も晴れ晴れとして黄金に輝き、天空の花園に昇るような覚醒感が涙を拭った。

(君のその言葉があればさ…)

「うん、わかったわ」

「そう、よかった!」

 力強く発せられる肯定を嬉しく、高揚する頬から何まで紅く染めて、照れるような面持ちでイグジスタははにかみ笑うイグジスタに、甘い蜜の笑顔で妹は答えた。

浮かんだ涙を誤魔化すように、目元を擦り気を取り直して、本日は「水晶戦士」になりたい人のクラス分けを行う「水晶盤闘技式」の日である。

(さて、この『水晶盤闘技式』、まず、午前中『水晶錬金術』の知識を問う『学科』、午後から3日かけて『対戦』が行われるんだよね。

 それも、入学した人だけじゃなくて、在学生も受けるらしい。つまり、新入学生にとっては単純に『クラス分け』イベントなんだけど、在学生にとっては『進級』イベントなんだよね。

 だから、この前殿下が『水晶盤闘技式』で会おう的な発言をしてたんです。

 まず、『学科』なんだけど、単純に『水晶錬金術』の知識が問われる。新入学生は『基礎的な知識』を、在学生は今まで受けてきた授業が頭に入っているかを。

 なんでこんなことをするかというと、人によって持っている知識のレベルが異なるからなんだよね。

 例えば、家が裕福で基礎的な部分は家庭教師から習ったという人は、基礎課程をとばして最初から応用の授業を受けれるっちゅうこと。

 もちろん、最終的に『水晶戦士』の資格を取得する際は、全員同じ卒業試験を受けることになるので、平民で勉強していないという人がいても全然OK。それぞれのレベルにあった授業を受けれるようにするのが主な目的なんですわ。

続いて『対戦』ですが、これは『水晶錬金術』を活用しつつ、どこまで戦えるか見るもの。つまり戦士として、戦闘での強さを見るんですわ。

 シンプルにペーパーテストを受けるだけの『学科』と違って、ルールがすごい複雑なんでちょっと付き合ってな!

 まず、勝負のルールですが、基本ルール。

「1.『水晶錬金術』の技能を使って戦うこと」

「2.相手を殺したり、治らないような重傷を負わせてはいけない」

「3.試合時間は最長1時間」

 ね、簡単でしょ?…と言いたいところですが…概要が簡単過ぎて実情が複雑怪奇になるお約束のパターンですわ。

 何しろ、このルールからはみ出さなきゃいいでしょ?という思考から、数々の裏道が産み出されるわけで…。

 さて細かい話をしていくわけですが、実はこの『対戦』…なんと新入生は基本『免除』されます!ヒューッ!(謎の煽り)

 訓練もなんもしてないのに『実戦』とかハードル高スギィ!ってなるからね!

 新入生は普通、一年間特訓受けて自分に合った戦闘スタイルを身に付けた後、二年生から『対戦』に出るのが『普通』。

 しかぁし!こちらでも特例があります!それは新入生でも入学前に実技と体力テストを受けて合格した人は『エントリー』という形で『対戦』に出られるというもの!やったね!俺もエントリーしたよ!フロールもエントリーしてるしね!

 そして、この『対戦』がややこしくなる原因というのが、実は『自分自身で武器持って戦う必要はない』ということなんですよ。

 勿論、魔法戦士なんで戦闘技能があるに越したことはないんですが、『水晶錬金術』を戦法に含むことが重視してるんで、例えばゴーレムやら、戦闘用マシンを使って戦うとかでもOK!身体が強くない人でも戦える親切設定!やったね!

 まぁ、聞いた話によると、『水晶錬金術』でオリジナルオプションがついた武器を作ったり、肉体強化して戦ったりする人が多いとのこと。

 ついでに自分で作らなくても人に作ってもらった道具を使ってもよし!え、ずるくない?!と思われるかも知れませんが、『ずるくない』です!

 なんでかっつーと、『水晶錬金術』の道具自体『水晶』に己の魔力を注ぎ込んで使うので、『魔力投入』が出来ること自体、重要な『水晶錬金術』の技能としてカウントされるから、だそうで。勿論、自作したほうが評価が高いことは火を見るより明らかなんですが…まぁ、それは各々好きにどーぞ!というスタンスですな。

 …こうして生まれるのがカオス闇鍋錬金術大戦だそう。 

 聞いた話で一番胸が熱くなったのは、『水晶錬金術』で作った『ドラゴン』同士が戦ったという『スーパードラゴン大戦』。2体の龍が空中でぶつかりあい、火やら氷やら雷が飛び交う手に汗握る、ド迫力の戦いだったらしい!!なにそれ実質4D!!聞いてるだけで熱い痺れるカッコいいし超見たい!!

 …こほん、失礼。

 とにかく、何が出てくるかマジで分からん。

 何しろ対戦相手は、年齢も実力も違う人がごちゃ混ぜにクジを引いて、それぞれ3人の対戦相手と戦う方式。

 相手をこてんぱんにして倒すのが目的じゃなく、『水晶戦士』としての素質を見せることだから、重要なのは勝ち負けではないのです。

 全敗しても、きちんと実力が発揮できたと判断されれば、全勝した人より評価されることもありうるんよ。

 クジで偶然素人同然の新入生と三回戦って、全勝するより、上級生と三連戦して全敗、でもしっかり食らいついた…とかだと、後者の方が評価が良いわけ。

 つまり、全体での相対的評価になるんです。

 まぁ、でも二回戦目、三回戦目は、通常、一回戦目より強い相手と戦うように組分けがされるらしいんですが…

 さて、鬼が出るやら、蛇が出るやら…)

《それでは!!これより「水晶盤闘技式」、「闘技」の式を行います!!》

 そのアナウンスと共に、一斉の歓声が闘技場にところ狭しと集まった客から上がった。途轍もなく広い円形の闘技場は、空の半分を覆う高さの壁が聳え立ち、中央の舞台に立つ人間から見ても、観客はゴマ粒ほどの大きさにしか見えない。しかし、観客席の側には見やすい位置に巨大な宙に浮く掲示板のようなものがあり、ギャラリーはそれを眺めているのだ。

(…は?なんぞこれ…)

《右は、東岸から来た男!モーティマー・ヴォロンテ様!

 大陸との貿易が盛んなヴォロンテ伯爵領のご長男!大陸から来た珍しい一品を操るというヴォロンテ一族は…》

 実況席から蕩々と流れる解説を呆然と聞き流しながら、イグジスタの目は、前に立つ長身の男を映していた。

 正確には、男と呼ぶより少年と呼ぶべき年齢だろう。なぜならイグジスタと同時に入学した同級生なのだから。

 黒い髪が若干ウェーブしている短髪の男で、顔立ちは悪くないのだが、少しやつれて目の下に隈が出来ているので、パッと見ると年齢より老けて見えた。制服の上は例にもれずイグジスタと同じデザインのものだが、ズボンは仰々しい豪奢な模様が金糸で縫い付けられているので悪目立ちしている。制服の胸には「貴族階級」であることを表す紋章ブローチが輝いていた。

(こんにちは皆さん。現場のイグジスタです。

 俺がズラズラ『水晶盤闘技式』について述べておったところでしたが…なんということでしょう。気がついたらガチの闘技場に立ってます…)

 午前中の「学科」については普段通り、特段なんの気概も緊張なく実力を発揮できた、…と、イグジスタは思っている。

 あの姿のピピではあるが、『時霆塔』筆頭研究者の実力は伊達ではない。時に厳しく、時に優しく、教えられたことはきちんと頭に入っていた。

 出来は上々、気分よく昼食をとって可愛い妹と談笑し、さて、午後の「闘技」へ…と参加し、クジを引いて、指導員の指示に従い、闘技場に案内されたのだが…

(聞いってねーーーぞおおおおっっ!?

 なンだよこの状況!なんでこんな客はいってんの?!はあっ??!!暇人かよおおお?!まだ平日だぞ?!!

 つか、ゲームでこんなイベントあったか!?嘘やろ覚えてねぇよ!つか知らねえよ!なんだこのイベント!!)

 まさか、大量の観客がいるとは思ってなかったイグジスタは、案内されるまま立った対戦の場の異様な光景に、今にも白目を向いてぶっ倒れそうになっていた。

 実は、この『水晶盤闘技式』は首都ラーヴでは有名なイベントで、多くの観客が詰めかける祭典になっている。入学したほとんどの生徒が知っていることだが、辺境生まれ、外の世界の情報が入ってこない教会と実家を往復する生活、世間のニュースを仕入れる気がない、『とりあえず戦えばええんやろ?体鍛えば大丈夫大丈夫』という脳筋思考…という四重苦のため、実際の『対戦』がどういうものかを全く理解していなかった。

 情報戦の敗北、試験対策の失敗とも言う。

《左は、秘境の御子姫!!イグジスタ・パンデュール様!

 『時霆塔』擁する名門パンデュール一族の『水晶御子』であらせられる彼女は、一体どんな新しい『水晶錬金術』の技を見せてくれるのか!》

 実況がイグジスタの名前を呼び、観客がひと際大きな歓声を上げるが、少女はそれどころではない。なにしろ基本的にあがり症で人前は好みでないのに、いきなり大観衆の真ん前に突き出されたのだ。体を動かすために軽い準備運動はしていたが、尋常ではないほど心臓が鳴動している。体の筋肉はあっという間に硬化し、指先が痺れて呼吸が浅くなったが、イグジスタはこの自分の緊張を理解していながら、対処が出来ずに狼狽えていた。

「やぁ、お嬢さん。お初にお目にかかります。偉大なるパンデュール辺境伯のレディにお会いできて光栄です」

 もともと白い顔から血の気が引き、顔面蒼白で硬直しているイグジスタにはお構いなく、対面に立つ男が嫌味な笑顔を浮かべて慇懃な礼をして見せる。ピクリとも動けない少女はただつっ立ったまま、能面顔で男の言葉を耳に入れているが、ただただ入れているだけの状態だ。

「我がヴォロンテ一族のことはご存知ですか?辺境伯よりは当然見劣りしますが、大陸との貿易で栄えた家柄でして、陛下の覚えも良く、このように優れた逸品を手に入れることができるのですよ。

 どうです、見てください!この剣を!大陸にあるグリモアキミア帝国から取り寄せた逸品で、珍しい魔力水晶に魔力を込めることで、雷撃を発生させることができるのです。その力は岩をも砕くほど!はっはっは!この力に姫はどのように立ち向かってくださるのでしょうか?!」

 男はなぜか、自身の家柄が優れていてること語り、腰に下げていた剣を引抜いたかと思うと、いきなり自分の手の内を話し始めた。

(は…はっぁぁぁぁぁあああああ??!!

 ちょっ!お前まてよゴラァ!何でべらべら自分の手札喋り始めるん?!ふっつう戦いって、情報戦も込みで戦うもんだろ?

 何これ高度な心理戦なの?!実は雷っていたけど、炎が出るとか?!しゃべって俺を油断させる作戦だとか??)

 男の言動に理解が追い付かず、極度の緊張から分けのわからない思考がぐるぐると渦巻く。審判役の教師がそわそわと時計を確認しながら、審査員のGOサインが出るのを待ってる。そんな中で、へらへらぺらぺら喋りたてる男が、如何にも、というように気障ったらしく髪を掻き上げた。

 払った髪から、小さな飛沫が舞い上がる。日光を浴びてか細く光を返したのは、

(あれ?…なんだ?)

 それは地面にポトリと落ちて形が崩れ、広がって染みになり、点となった。

(汗…)

 現在気温は春の陽気に、観衆のハイテンションが合わさってぐんぐん上昇中…しかし、闘技場に吹き込む風はまだ熱をはらんでおらず、時折、イグジスタのほどかれた髪や制服の隙間に差し込んで、フワリフワリと持ち上げ、遊んで流れ、涼やかに熱気を払っていく。

(…汗をかくような気温じゃ、ない)

『水晶錬金術にとって大事な技能ってなんでしょう?』

 唐突に、師匠の言葉がイグジスタの脳裏に甦った。

(『魔力のコントロール、水晶や錬金術対する知識、新しい道具を作るなら柔軟な発想、独創性…とかですか?』と、俺は返した。師匠は笑って…『いい答えね。それもあるわね。他には何があるかしら?』って言って、俺はごちゃごちゃ考えて、結局、師匠に聞いたんだ…それは)

『しっかり《対象》を《観察》することよ』

 途端、蜃気楼に歪んでいた景色がクリアになった。一挙に視界が拡張される。

 フルマラソンでもしたかのように激震していた心臓の脈動が、次第に静穏に帰っていく。凍えて痺れていた指を微かに動かせば、はっきり神経の通る感触と共に走る風の爽涼さを、拳を握りしめれば掌の温もりを認識できる。

(『水晶に魔力を注ぎ、《対象》に起こる変化や、どのような現象が発現しているかを《観察》し、理解を深める…これが大事』)

 師匠の言葉を反芻し、深呼吸。見開いていても見えていなかった目が、彼を捕らえた。拳を解く。

(あぁ…なんだぁ…)

 彼をよくよく見れば、この過ごしやすい天気の中にしては異様に汗ばんでいるし、やたら腕を擦ったり、足を小刻みに動かしたり、髪を触ったりと忙しない。

 少女は硬く結んだ唇を弛め、すっと息を吸い込んだ。

(感謝します、師匠)

「よかった」

「…なんだと?」

 緊張のあまり、無言を貫き通していたイグジスタの唇からこぼれた一言に、さっきまで家柄がどうとか、親戚はどうとか、どこと繋がりがあるだのなんだの…しょうもないことを話続けていた少年の口が止まる。

 イグジスタは、と言うと、落ち着いた仕草で無造作に服のポケットに詰め込まれたリボンを一本取り出すと、それを持ったまま、結ばずに流していた髪を半分手に取り、根本から結う。朝、なんのかんのしているうちに、結ぶのを忘れてポケットにいれたままだったことを思い出したのだ。

 指先を器用に動かし、滑らかにサイドテールの形にする。もう一本、リボンを取りだし、今度は反対側。鏡がないのでバランスは悪いが、大体ツインテールの形になった。

 手を握り、離す動作を一、二度繰り返し、指に痺れや、力が入らないということがないと確認し、ホッとする。

「緊張しているのは、私だけではないのですね」

「なっ!」

 男の顔が一気に赤らんだ。

(ふふん、図星か)

 思わず頬が緩んでしまいそうなのを堪えて、唇を引き結ぶ。戦いが始まるのだ。気持ちを高めないといけない。

 モーティマーの長話を聞きながら、そわそわとしていた審判が小さく頷く。Goサインが出たのだろう、落ち着いた表情で片腕を上げ、高らかに宣言した。

「それでは、『水晶盤闘技式・対戦』レベル1、『モーティマー・ヴォロンテ対イグジスタ・パンデュール』を開始します!」

 歓声が一際強く弾け、熱を帯びる。最高潮に達する狂乱に対して、中央の舞台には冷ややかな空気が満ちていた。

「私が腕を振り下ろして『始め!』という号令を発した時から、各々の技能を発揮してください。

 勝敗は、相手が負けを認めた時、相手を気絶させた時、以上の場合に決します。

 戦闘より一時間経過して勝敗がつかない場合は、審査員による判定で勝敗を決します。

 それでは…」

 説明を聞きながら、焦りがありありと浮かぶモーティマーに対峙するイグジスタの顔にはなんの感慨も浮かばなかった。ただ、静かな緊張と、集中がある。

(左腕の『道具』…よし。腰の『武器』よし。問題なし)

 長めの袖と上着の裾の下に隠れている自身の生命線に触れ、順番に確認を取ると、吸い込んだ息をフーッと吐いた。

 男は無駄口を閉じて、抜き身剣を構える。見れば、芸術的な装飾が施された美しい剣だ。

(美術館の展示品に良さそうですね)

 と軽口の一つでも叩こうかな、イグジスタは考えたが、よくよく『観察』すれば、複雑に配置された『魔力水晶』が妖しく煌めいている。

 雷撃を操るという『真竜フードゥルドラゴン』の紋様だ。

(なるほど、雷撃を使いそうなのは本当だな)

 対戦者を見ながらタイミングを計っていた審判が巻き込まれないように、二人の側からわずかに距離を取る。

 観客がいよいよ…と言わんばかりに口を閉じた。

 不気味な緊張が、闘技場に落ちる。

 そして…

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