第2話 Q&Aを越えて

 それからどうしたか。簡単に言うと4年の月日が流れた。ここ、首都ラーヴでは満開に咲き誇る華々のもと、良家の子女が通うクリスタ学園の入学式が迫っている。

(色々あって、俺はこの因縁の学園に無事入学することになったんですが…今、ピンチっす)

 イグジスタは首がもげそう…などと思いながら、上を努めて作り上げた無表情で見上げている。首の後ろに伝っていく汗が不快だ。呼吸が浅くなる。

(何故なら、身長144cmの俺の目の前に、黒い三連星が立ちはだかっているからです)

 その言葉の通り、イグジスタの目の前には三人の青年が立っていた。全員175cmを越えている上に、太陽を背にして並んで立つ姿は、30cmほど地面に近い位置にいるイグジスタからすると黒い山脈に見下ろされている気分がするのである。

「貴女がパンデュール辺境伯のご令嬢、イグジスタ様ですか?」

「ええ、その通りでございますが…何かご用でしょうか」

 そのうちの一人、先頭に立ってその顔にありありと好奇の色を浮かべた青年がイグジスタに尋ねてきた。世界は爽やかな風に包まれた穏やかなものであったが、イグジスタの心象風景は今まさに暴風雨だ。野外ロックフェスで嵐の中ギターをかき鳴らしているロックギタリストのテンションである。

(「貴様ぁ!名を尋ねるなら先に名をなのれぇ!!」…などと言って差し上げたいところだが…残念なことに俺はこいつら知ってんだよなぁ…)

 イグジスタが首を精一杯上に伸ばすのと対称的に、屈んで覗き込むような姿勢の少年の制服の肩には、彼の家系を示す紋章が刻まれたブローチがついていた。王族と貴族のみが着用を許可されているその紋章ブローチは、言わば有名貴族の名札である。これを偽っての使用は極刑に値するのだ。

 もちろんイグジスタもパンデュール家の紋章ブローチを身に付けている。

『銀の台座、時計の文字盤、雷で崩れた塔、天秤と桜の紋様。文字盤の12時に1つ小さな水晶が嵌め込まれている』…これがパンデュール家の紋章だ。

 少年らがこの紋章を見て、イグジスタをパンデュール家の人間だと見てとったのも不思議ではない。

 対してイグジスタの目の前に立ちはだかる黒髪少年のブローチは『金の台座、モンクリスタを模した紋様と王冠、比翼の羽根、二本の交差した剣、そしてそれらを覆うように、大きな半球の水晶が嵌め込まれている』…このクワルツ王国で「金の台座」と「大きな水晶」を使って紋章を作れる一族は1つしかない。

「…お初におめもじいたします、エリタージュ第一王子殿下」

 イグジスタは首の位置を元に戻して、謹み深く淑女の礼をとった。マナーな問題ない…はずだ。表情にも声色にも嬉しそうな感情がないため、柔和さや慇懃さの欠片もないが。

(そう、この14歳にして身長が俺の頭一つ分より大きいにーちゃん…肉体は同い年だけど転生前の年数と合わせると俺のが三倍年上だ…ややこしや…が、この国の第一王子だ。そして…)

 イグジスタは努めて無表情で顔を上げる。その人形のような表情に、王子はちょっと驚いたようなたじろぎの表情で応えた。イグジスタはそれに構わず、後ろに金魚の糞よろしく控えている二人にもなるべく表情無く、睨み付けないようにすっすっと視線を走らせて口を開く。

「…そして、エクリプス家のレオ様、パラディ家のユーゴ様」

 王子のから見て右側、イグジスタから見ると向かって左に立って、苦虫を潰したように激渋の表情をしている銀髪少年と、王子を挟んで反対側に面白そうなものを見る表情で立っている金髪少年の名を呼んだ。

(悪いなにーちゃん達…いや王子とその護衛兼側近の次期公爵達。あんたらが悪いわけじゃないが…こちとら一身上の都合であんたらから妹を…フロールを守らなきゃならんのだ!そう、お前らはライバル!つまり!)

 イグジスタはばれないように靴の中で、右足の指だけぎゅっと力を込める。窮屈な靴の足先がぎゅうと動いたが、イグジスタの顔に視線が集中している今なら気づかれないだろう。少女は会社のいけすかないお偉いさんと話さなきゃいけない時のモードに入るために、すっと小さく息を吸った。『とりま、落ち着け。相手は上司だ、丁寧に対応しようぜ!』と脳内のおっさんがいい笑顔で親指をかっこよく立てている姿をイメージして呼吸を整える。

(つまり!ゲームの攻略対象!最・大・警戒対象だ!)

「…このような良き式日に、御目にかかれるとは光栄です」

(妹は俺が守る!オメーらには妹は渡さんぞこの『アカン三連星』め!)

「どうぞ、今後とも学友としてよろしくお願いいたしますわ」

 警戒心ばりばりの態度を崩さず、再度優雅に礼をしてみせた。すると、彼らも微かな動揺を現すことなく洗練された略式の礼をとった。それは、ほとんどの少女なら思わずうっとりしそうなほど優美な光景だが、イグジスタの中の人は優美とはほど遠い思考でもって、この場にとどまっている。

(『アカン三連星その1』!レオ・エクリプス!銀髪金眼褐色肌のエキゾチック学園ハンサム野郎!王家の右腕で親衛隊を束ねる通称『右の公爵』『東の大公爵』というエクリプス家の後継者だ!ガチムチ兄貴だが脳筋ではないデキルムキムキだ!苦労性の心配性!割りといつも胃が痛そうな役回りのにーちゃん!割りと小姑みたいなネチネチの小言が多いぞ!

 俺のなかでは通称『陰険』!顔が怖い!)

 レオ・エクリプスと言えば、短い銀髪と金の瞳が雪原と照らす月光のよう、鋭い目元と整った顔立ちは王国一の凛々しさ、神秘的な褐色の肌に雄々しい体つきが素敵…と男らしさがお嬢様方をうっとりされる美男子だが、イグジスタから言わせればただの『陰険ガチムチ』である。

(『アカン三連星その2』!ユーゴ・パラディ!金髪ロンゲ碧眼色白リア充イケメン爆発しろ!王家の懐刀、代々宰相を勤める通称『左の公爵』『西の大公爵』というパラディ家の後継者だ!柔和で包容力があり人当たりのいい、商才と政治のバランス感覚が抜群の清濁併せ持つおっかないにーちゃんだ!ただし女狂いで、取っ替えして一ヶ月以上付き合いがもったことのない股間に従いがちのファッキンイケメンだ!爆発しろ!マ○ンスイーパーとかで一発目で爆発しろ!○ひげ危機一髪とかで剣挿した瞬間に爆発しろ!

 俺の中では通称『女タラシ』!爆発しろ!)

 イグジスタはさっきから『爆発しろ』しか言っていないが、ユーゴ・パラディといえば、豊かな金の髪は暁の輝き、碧の瞳は萌える新緑、すっと通った鼻筋と美しい唇は王国一の優美さと讃えられる美男子だが、イグジスタから言わせればただの『だらしねぇ女タラシ』である。

「…そうですね、はじめまして。やっとお会いできて私も嬉しく思います」

 返答が聴こえた。落ち着いた、優しい声だ。王族らしい気品に満ちた姿は、まるで空想の中の存在でしかない…とイグジスタは思うのだが…。

(世の中にはいるのだなぁ…フィクションを越える現実…しかしだ)

 しっかりと視線を前に戻して、白髪少女が眼前の黒髪少年を見詰める。正確には首を少々後ろに倒してだが…気分は龍に牙剥く虎だ。

 見上げて目線を合わせた先にいるのは…黒く烏の濡れ羽色の光沢を放つ髪、研磨されたピジョン・ブラッドのルビーに似た光彩の瞳、隣に並ぶユーゴと遜色のない目鼻立ちに、ふっくらと艶やかなキューピッドボウを描く唇。モナリザを思わせる左右非対称の瞳は、神秘的に透徹として、朝焼けの太陽を見ているような…そんな美少年である。

(…けっ、美は暴力だぜ。しかしだ、貴様に妹は絶対渡さんぞ!

 『アカン三連星その3』!エリタージュ・クワルツ!この国の第一王子にして第一王位継承者!つまり未来の王様だ!こいつ落とせば間違いなく玉の輿だがどう考えてもめんどくさいゾ!周りの人には最高の人当たりの良さで対応するが本心は一切見せない挙げ句政敵を容赦なく蹴り落としていくえげつない金剛力士像スタイルのバトル派だ!獲物を仕留める前に見せる極悪の笑顔とか夢に出そう!獲物を仕留める瞬間の冷たくて鋭い目元とかまじ悪夢!

 俺の中では通称『腹黒』!怖い!純粋に敵に回すと怖い!)

 将来国の長になる相手も気に入らないとなれば『恐怖の腹黒』扱いである。しかし、イグジスタは怯むことなく後退りすることもない。 

(だがしかし!だがしかしだ!可愛い妹を守るためなら俺は一歩も退かぬ!媚びぬ!省みぬぅぅぅ!

 妹が欲しくば俺の屍を越えていけ!…死なないけどな!)

「…殿下直々にお声を掛けていただき、恐悦至極ですわ。けれど私、妹と両親と待ち合わせをしておりますの。なのでここで失礼させていただきますわ」

 前言撤回。イグジスタは、

(うわ~ん、とはいってもおっかないよ~。圧迫感半端ねぇんだよぉ。あんまり長々と話したくねぇよ~)

という泣き言を脳内で溢しながら、撤退方面に積極的な理由で踵を返そうとした。実際、両親と妹のフロールがパンデュール家の代表として、寮など手続きをしている間は暇をもて余しているイグジスタに、軽く学園内を散策してくるよう薦めたので、こうして庭をぶらついていたのだが…何故だか絡まれてしまったのである。

(…何故、ひとつ年上の長女である俺が妹と同時入学なのかとか、代表が俺でなく妹なのか…ちょっと話せば長いんだけど)

「…そう仰らないで下さいイグジスタ嬢。私達は同い年でも、我々の学年が上なので、お話する機会があまりないでしょう?

 貴女は『水晶御子』として社交界に出ることもありませんでしたし…同じ『三連峰』の子息として、是非友好を深めたいのです」

(ありがとう女タラシ。まだ説明してない固有名詞を出してくれて。

 説明しよう!『水晶御子』とは!!

 …このテンション、アラサー(アラフォー)にはしんどいので普通に説明します…。

 まず、『水晶御子』というのは俺みたいに「短期間で髪の毛の色が真っ白になった子供」のことだ。加齢による白髪とは違う。大体18歳になるまでの子供で髪が漂白された人間を意味している。なんでも、昔からこの国の人間はこういう風になることがあったそうだ。

 大体が凄まじいストレスにさらされたことが引き金であることが多いらしい。虐待を受けたとか、肉親が死んだとか…まぁ、俺は多分推しの過剰摂取による喜びのあまりにだけど。たぶん。もちろん同じ環境、状況でも髪は白くならないという人が大半だが、ごく希に俺…というかイグジスタのようになるらしい。おかげでめっちゃ家族が過保護にですね…。

 それはともかく、そういう子供はこの国の…宗教?になんのかな?『サンクシオン教』で信仰される『神の御子』として、『水晶御子』と呼ばれるんだ。

 なんでも、神である『真竜サンクシオン』と交信し、ご神体である『神域の水晶』に触れることができるとか…。あのゲームそんな設定あったけ?全然覚えてないんだわ、これが。

 まあ、それはさておき、『水晶御子』になった俺がどうなったか、どうなるかと言うと、自動&強制で『サンクシオン教会』に所属になり、財産とか家の継承権がなくなるんですわ。生まれつきの大金持ちという特権がなくなるという…しょぼん。別にいいんだけど。

 なので家を継ぐのは義理の妹、フロールになんの。だから、今両親とフロールが色んな手続きをしてくれてるの。俺の出番はないわけ。フロールが次期辺境伯で後継ぎだかんね。かといって俺が蔑ろにされてるわけでもないし。

 まぁ、貴族社会とか死ぬほど面倒くさそうだしぃ?実際ゲーム中のイグジスタはお亡くなりになられる訳だから、フロールが相続人になるわけだし。

 万事丸く収まるわけだが、じゃあ、そういう俺はどうしたのか?これからどうすんのか?という話で。先程言った通り一応教会所属になったので、普通の貴族教育にプラスして、御子の教育も受ける必要があるんですよ。んで、将来は教会でなにやら司祭の手伝いなんかしながら過ごす予定です。刺激は少ないが少なくともブラック職場でないことは明らかなんで、まぁ、それもいいかなぁと、思っている次第です。はい。

 普通の貴族の子弟は、家庭教師から勉強やらマナーをがっつり勉強、10歳から社交界にデビューして他のお貴族様と友好関係を築き、この学園に入る13歳頃には同じ年頃の貴族連中は大体顔見知りなんだけど、俺は10歳の社交界デビュー前に『水晶御子』となったことでサンクシオンの教会にどんぶらこっこと出家したもんで、教会で独り寂しく勉強とマナーと加えて『水晶御子』特有の『水晶儀式』とか言う『呪文』あるいは『祝詞』だったり、『儀式の方法』を学んだりしました!日常生活には役にたたないもんなんで、『水晶儀式』については割愛ね。

 後、実は他にも色々やってたんだけど、それはまた後で話をしよう。

 そんでま、教会所属…といってもイグジスタが可愛さに教会に両親とフロールがごねまくったので、家には帰らせてもらえることになったんで、一年の3分の2を教会で、残りは実家で過ごすという4年間だったんだけど…ついに、フロールがあの、因縁の学園に入学となるわけ。

 基本、この学園は王国の庇護のもと、身分に関係なく全国民の入学が許可されているんで、『水晶御子』になった俺も13歳時点で入学資格はあったんだが、俺は教会に行ってる影響で学園に入る学習が遅れたなどと言い訳して、入学を一年遅らせて、妹と同時入学に漕ぎ着けたわけです。まる。

 まぁ、それは建前で、妹可愛さに一緒に行きたかったんだが…。後、兄(姉)として妹と面倒な連中との恋愛フラグを折ることも目的の一つ。

 更に、それ以外にも別の目的もあるんだよね。妹をモンスターから守るっていう。もちろん、俺自身は教会にいた方が死なない可能性が高いし、妹のフロールは主人公だけあって結構強いし、これから戦闘ステータスも上がると思うんだけど…それはそれとして、お姉ちゃんとして妹を守りたいじゃん?

 そのために色々この4年間準備したしさ…。

 で、次に『三連峰』なんだけど、これは簡単。単純に『御三家』的な意味で、『東のエクリプス家』『西のパラディ家』そして『辺境のパンデュール家』は王家が出来たときから王に仕える貴族として、貴族の中でも地位が高い。

 まぁ、貴族の中でも重要貴族なんで仲良くしようや、とユーゴ様はお声がけしてくれてんのね。

 さあて…説明も終わったし)

 とっととこの場を去りたい…とっとこ○ム太郎くらいの軽やかさと「お断りします」のアスキーアートの遊び心でこの場を去りたい…イグジスタはげんなりしながら、顔の表情筋を努めて運動させず、すっと胸に右手を当ててに応答した。

(おうち帰りたい。パイセンめんどくさおっかないです)

「…お誘いいただき感激で胸が一杯ですわ。ですけどわたくし、そろそろ両親の所に戻りたいので、失礼いたします」

 と、完全に『面倒な会社の飲み会を断る言い訳』をしている状態だ。

(だってもうさぁ…さっきから周りがすんごいの。女の子達が集まっちゃって、スッゴク小さな声でざわざわキャーキャーしてんの。このイケモテリア充爆発しろ空間一秒たりとも長居したくねぇわ)

 周りからの「殿下だわぁ!」「ユーゴ様ぁ!」「レオ様もいらっしゃるわ!」「きゃあ素敵!」だのと黄色い声が飛び交っている。

(顔がメジュド様に似てる系女子として成長した俺の耳には痛いぜ…)

 そんな歓喜と羨望の嬌声が飛び交う空間は、前世でも今生でも女の子にキャーキャー言われたことがないイグジスタにとって、存在するだけでもかなりストレスであった。

「姉様!」

(はっ!この声は!まさしく天からの助け!)

「フロール!」

 ようやく感情の乗った声で振り返れば、心配した様子の妹フロールが紅髪を、揺蕩わせてイグジスタ他三名の所に駆け寄って来るではないか。

(会いたかったぁぁぁ!俺の天使よ!)

「ふごっ!」

「なかなかお戻りにならないから心配いたしましたわ…」

 脇目も振らずにイグジスタの元に突進してきたフロールに、少女が相好を崩した瞬間、彼女の体は地面から一気に重力に逆らった。その勢いにイグジスタは思わず奇声を上げたが、猫を抱き上げるが如く、なんなくイグジスタを両腕に納めているフロールはといえば、大人しく抱き上げられているイグジスタの体に頬をぴったりと寄せて、もう離さないとばかりにぎゅっぎゅっしている。

(ありがとう天使よ!柔らかくて良い匂いがする!

 だがしかし…この状況ちょっと恥ずかしい!

 姉としての威厳が!人前で抱っこされてスリスリされるのは恥ずかしいと叫んでいる!)

 そう、今のフロールとイグジスタの体格は、大人と子供程差があるのだ。

(今の俺は身長144センチ体重37Kgの若干ガリガリ寄りなのに対して、マイエンジェル・フロールは身長174センチ体重レディ故秘密!女らしい素敵な体格!胸もでかいし腹筋もバキバキシックスパック!これで13歳!しゅごい!強い!美しい!

 目の前のエリタージュ殿下の身長と比較しても、殿下の方が若干身長は上かな?くらい!

 驚くと思うけどこれでこの国では平均的で、20歳時の身長の平均は男性195センチ、女性180センチぐらいだそうです!

 え、俺ですか?!なんでそんなチビガリなん?って思われるかも知れないですけどね?!教会にいるとき粗食と積極的な運動でダイエット頑張ったんだよ!!

 でもそしたら身長が伸びなくなったの!!親とか妹とかに心配されまくったし!家の人たちほんと過保護!前に髪が長いと面倒くさいから、短く切ったら両親&妹にギャン泣きされたから、それ以来髪は白髪ロングです!お陰でイッパツ芸貞子ならぬメジュドが出来るからね!この世界じゃ誰にも理解されないけど!

 仕方ないんだよ!実家帰ると超満漢全席クラスの大量の料理を口に詰め込まれそうになったけど、お腹壊すからそんなに食べれなかったんだよ!

 でもこれでも筋肉はあるんだよ?!鍛えたからね!筋トレは相棒!筋肉は正義だってばっちゃが言ってた!(誰?)

 つかなんなんこの世界の人間の身長!筍にょっきにょきかよ!羨ましい!!)

 微妙に顔を引き攣らせながら、(そろそろ降ろして下さい…)とフロールの髪を撫でながらアピールをしようとしたところで、はて?という様子のフロールが周りの人々にようやく気がついたようだ。彼女は胡乱げな目付きで彼らを睥睨すると、

「これはこれは、殿下に両連峰まで…私の大切な姉様に何かご用で?

 姉様は華奢で可憐で繊細なので、殿下達のお話相手などしたら疲れてしまいますわ。

 少しはご配慮下さい」

 と宣った。依か威圧的な物言いに、少年たちは鼻白み、だっこされている娘の顔色も白くなる。

(おっ?おおん?いいの?フロールちゃん、大丈夫?俺みたいな奴等にかかわり合いゼロの下等なおっさん無頼はともかく、殿下達は一応将来上司と同僚だよ?

 というか、顔面偏差値がエジプト芸術的な平面極まりない上に、鼻と口が小さくて、目が細くて、髪の毛が白くてロングでメジュド様に似てる系女子となった俺を可憐とか言われると、身内びいきがチョモランマ級の高さだし、目に呪われたコンタクトレンズいれてないかお姉ちゃん心配だぞ?)

 突然の誉め言葉に思わず現実逃避を始めてしまうイグジスタだったが、現実は待ってくれない。

「ふん。そのようにか弱い小娘だというなら、なぜ『水晶戦士』の課程などに進もうというのだ。足手まといになるだけだ。とっとと家に帰ったらどうだ」

(ひえっ!ななな、なんだぁとゴラァ!こ、この陰険野郎!)

 今まで無言で不機嫌そうに眉根を寄せていた銀髪が、口を開いて険を放った。突然の悪意に反射で怯えながらも、脳内で即座にヤクザスラングで返し、鉄パイプを振り回すイグジスタだが、持ち前の鉄面皮で相手を静かに見つめる。無言のまま、まだ、口は開かない。開いてはいけない。

(脊椎反射でヤクザスラング!だめ!絶対!!ステイ!俺!ステイ!!)

 イグジスタの内心はともかく、周囲の人はそれぞれだ。

 黒髪の少年が、ああ、何てことを…と言わんばかりに空を仰ぎ、金髪の少年が目眩を起こしたかのように、眉間に人差し指と中指を置いて溜め息をつく。

「…レオ閣下、それはどういう意味でしょうか」

 中でも最大の反応を見せたのが妹である。先程の多少無愛想な態度とは明らかに違う…というか明らかに悪化した刺々しい発言だ。

「言葉の通りだ。か弱いというなら教会に居ればいいだろう。

 なぜわざわざ学園などに来て、それも映えある『水晶戦士』の称号を取ろうというのか。愚者の極みだ」

「お言葉ですがレオ様、この学園は誰でも学ぶ資格があったはず。それを行使しただけで、何故そのように言われなくてはならないので?」

「学園で学ぶ資格が有る無しの話をしてるんじゃない。相応しいか相応しくないかの話だ」

「相応しいか相応しくないか、貴公が決める権限などないでしょう」

「おい、止めるんだレオ。イグジスタ嬢にもフロール嬢にも失礼だろう」

 エリタージュが一瞬即発の空気に水を注した。しかし、右の公爵と辺境伯はお互い一歩も引かない。そのまま睨み合いが始まってしまい、場は膠着状態になってしまった。

(えっ!ちょっと?!何この空気!

えっと、いきなり『水晶戦士』とか知らない単語出てきたあげく、喧嘩始まったみたいでごめんな!

 『水晶戦士の称号』っていうのは、このクリスタ学園で本人が望めば貴族の子弟、平民分け隔てなく学習、取得できる『戦士の資格』だ。

 『水晶戦士』は唯の『戦士』じゃない…『水晶錬金術』を使って戦う、言わば『魔法戦士』なのだ。これを取得するには、学園で授業を受けて、称号取得の試験に合格する必要がある!

 『水晶戦士』は凄いぞぉ!『戦士』でありながら『錬金術師』であるため、学園出てからも引く手あまた!

 つまり、『水晶戦士』に合格して無事に卒業し、晴れて『水晶戦士』を名乗ることが出来るようになる…それはつまり学園からお墨付きの、就職に有利な資格をゲットできたちゅうことです!

 戦うのが得意なら、安定性抜群の王国騎士団の『水晶騎士団』へ!大人気の公務員だ!

 いやいや自分は研究職がいいというなら、水晶錬金術専門研究機関『時霆塔』へ!イカれた仲間がお出迎えしてくれるぜ!

 …とにかく身分の低い平民や、専門職に就きづらい女性にとっては高給取りの技術職につくことが出来る唯一の道と言っていい。故に、この『水晶戦士』の授業は最も難しく、そして、人気がある。

 ちなみに、貴族の子弟にとっては『水晶戦士』の称号は一種のステータスで、大多数の貴族達が取得している。なにしろ現王も『水晶戦士』なのだから、ないと始まらないという称号なのだ…とか)

 イグジスタが『水晶戦士』についての蘊蓄を滔々と流している間に、場の空気は一層悪化している。

 さっきまで黄色い声を上げていた女性徒達も、不穏な気配を察してか口をつぐみ、咲く花も歌う鳥達もみな一様に息を殺してしまったかのようだ。緩衝帯に入った殿下がいなければ、今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうである。

(もちついてくれ!当の本人無視で場外戦しちゃいやん!さて、どうするか…)

「フロール、降ろしてちょうだい」

「姉様…」

「良い子だから、ね」

『私の為に怒ってくれてありがとう。大丈夫よ』

 自分を抱き上げる妹の耳元に唇を寄せ、そっと囁く。不安げに見上げてくる妹の瞳に、心配いらないと微笑みを返して地面に戻してもらうと、首の後ろを恐怖と緊張からくる汗が、つるっと滑って背中に落ちた。

 気遣わしげな殿下の視線に、精一杯力強い眼力で応えると、イグジスタは自分の背を遥かに超える男の前に、堂々とした虚勢と共に歩みでた。

「レオ閣下…非力な人間は『水晶戦士』に相応しくないとお考えですか?」

「ああ、そうだ。『水晶戦士』は力と知恵を兼ね備えた誇り高き戦士だ。

 非力な上に、貧弱なチビ女の貴様に、どうして『水晶戦士』が務まるというのだ」

(ぐぐっ、このくそやろー。バカにしやがって!

 あ~…なんか思い出すなこの感覚。

 昔さ、職場にさ、モラハラおじさんがいてさ。新卒で入ってきた女性社員に『俺がいた職場は24時間稼働していて、隣で機械が大きな音を立ててたんだ。そこで仮眠して、何か問題があったらとんで行って直すんだヨ。そんなキツイ仕事につけるのか』とかなんとか、威圧的にご高説を並べ立ててくれたわけ。そんときゃ、周囲も聞いてて、笑いながら誤魔化したけど…何様だテメーは、っつー話で。

 普通に考えてそんなヤバい職場放置して、労働側苦しめてるの、まともな人間の思考じゃねぇよ。ケイエイシャ失格、いや、人間失格。仮に親切心で言ってくれたとしても、他に居た男達には言わずに女にだけアピールしてるのきっつかったし、言い方ってもんがあるじゃん?

 『そういうとこもあったから、いかないようにネ』とかならさぁ…まだ、親切だけど、脅すような言い方だったんだよ。あのおっさんの言い方。

 でも…チキンな俺は…心ん中だけグダグダ文句を言って、結局びびったまんま、おっさんには何一つ口答えも、彼女を守ることも出来なかったんだよ…くそ、チキン。俺は卑怯な小心者だ…。

 だって…結局、彼女はあの後会社辞めちゃたもんな。結局、俺、あの子になんもしてやれなかったなぁ…。

 今思い出しても、ホントに…自分が情けない…嫌味のひとつでも言ってやればよかったのに…。ああ、過ぎたことばっかり後悔して情けないったら…。

 はぁ、やられる側に回ると、やっぱりやだな…こういうの。これが報いってやつなんだろうか?

 でも、…でも!俺は決めたんだ!

 フロールを、妹を守るんだ!

 それやりたいことなら、もう、これ以上情けないままでいるな!俺!)

 想像通りのレオの回答だが、想像通り故に怒りを現すのも馬鹿馬鹿しい。心の中で全力で相手を罵った後、暗愚な記憶を蒸し返し、自身に落胆と叱咤をした後、いかにも落ち着いた淑女の装いでイグジスタは言葉を紡ぐ。

「私が相応しいか相応しくないか…今のままでは確かに確実に貴殿に示すことが出来るものを、私は持ちません。

 貴方のように恵まれた体格でもなければ、武術に優れている訳でもない。

 しかし、明後日には私が『水晶戦士』足りうると、理解していただけましょう」

「ふん…『水晶盤闘技式』か」

「ええ、そうです」

(『水晶盤闘技式?なんすか、それ?』という貴方!

 簡単に言うと、『水晶戦士』になりたい人全員が参加する『クラス分け』のイベントです。

 闘技、という名目ですが、『学科』と『対戦』があります!)

 イグジスタは己を奮い立たせ、舞台俳優の如く仰々しく、指先まで美しく見えるよう全身を使って優雅に、かつ不遜に礼の仕草をとった。

 相手に自分を大きくみせて、威嚇する小動物の姿勢だ。

 屈んでみせた膝が、怯えて微かに震えるのを、ファイアーウォールと化したスカートが上手く誤魔化してくれることを祈りつつ、顔だけは平静に保つ。

「…盤上でお会いできることを、楽しみにしておいてくださいませ」

 銀髪の少年はさらに不機嫌さを増した顔で、「…好きにしろ」とだけ呟き視線を背ける。

(へーへー、そうさせていただきやすよ)

 敵が背中をみせた途端、心の中でガラが悪いことこの上ない台詞を吐いて、唇の端に笑みを浮かべてみせる。これ以上、あちらも何か言ってくることはなさそうだ。

(あ~びびったぜ…冷や汗かいちまった)

 エリタージュとユーゴがほっとした様子で胸を撫で下ろしているし、この場はお開き…ということでいいだろう。

「行きましょう、フロール」

「はい、姉様」

「失礼させていただきますわ、皆様」

 板についた仕草で略式の礼を取る。イグジスタの言葉に三人ともこれ以上引き留める気はないのか、同じように礼を返してくれた。(レオ以外)

(やれやれ、やっと解放されたぜ…目立ちたかなかったんだがなぁ…)

 人間諦めが肝心…と脳内で溜め息をついて立ち去ろうとした、フロールとイグジスタは踵を返す…正確には返そうとした、時だった。

『キャーッ!』

 絹を割くような乙女の悲鳴が響き渡ったのは。

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