1520 白富東高校野球部の理念

 センバツベスト8というのは、試合に敗北した選手にとっては不本意であっても、応援した側からすれば充分な結果のようだった。

 去年の夏に準優勝で惜しくも逃し、秋の関東大会も準優勝で、それなりに期待はされていて、そして結果も出した。

 直史がノーヒットノーラン、岩崎が完封、大介が5ホームランで、見事に記憶に残る大会となった。

 この大会は決勝まで大阪光陰は、7-0、5-1と隙なく勝ち上がり、神奈川湘南を破って優勝を果たした。

 大阪光陰に敗北したチームの中では、最も点差の少ないチームであり、大介の五本はわずか三試合でこの大会のホームラン王でもあった。


「公立進学校の大健闘という具合に新聞などでは書かれていましたが、勝算はあった試合でしたね。それこそ雨さえ降ってなければ」

 甲子園から帰還後、一日だけ休みを置いて、セイバーはミーティングを行う。

 別に悔しさを見せるでもなく、だがどこか不機嫌にも思える。

「雨のような要因で負けるというのは、かなり釈然としません」

「まあ、雨の中でもプレイした、大阪光陰が上手だったんでしょうけどね」

 ジンはそう言うが、あの五回のプレイは、バントヒット、エラー、失投のどれか一つでもなければ、点につながってはいなかった。

 実力差は感じたが、実力で負けたとは思えない。そんな気分が部員の中にはある。


 大介で点を取り、直史が抑える。

 そのシンプルな手段が、機能しなかったのが敗因だ。

 だがそれは誰かの怠慢というわけではなく、純粋に運が悪かったとも言える。

「運が悪かったのは確かだけど、運だけでもないよな」

 そう言ったのはキャプテン手塚で、九回になんとかランナーとして出たのだから、大介以外では唯一のヒットなのだ。


 大介が点を取るためには、前にランナーがいるか、後ろに打てるバッターがいる必要がある。

 そして直史が抑える中でも、アンラッキーな出塁はあるわけで、それを無失点に抑えるだけの力は必要なのだ。

 今回の場合は雨というかなり限定的な要因が問題であったが、それでも負ければそこでトーナメントは敗退だ。


 実力がなかったわけではない。

 だが、満足な実力でもなかった。

 わずかな運の悪さを跳ね返すほどの実力があったなら、今頃紫紺の大優勝旗は、校長室に飾られていてもおかしくはない。

 そもそも春夏春の三連覇を果たした大阪光陰が、強すぎたという見方もないではないが。




 反省はしなければいけないが、何をどう反省するのか。

 秋の大会から冬にかけて、実力のアップは果たした。

 それでも足りなかったのだから、夏に向けて何をするべきか。

「秋の時点で一度、新しいチーム作りはしましたが、新入生も入ってくる以上、チームをまた新たに作り直す必要はありますね」

 セイバーは甲子園で他のチームも見ていたので、何が足りないか分かってきている。


 秋の新チームの体制はなんとか作ったし、そこからトレーニングで実力の底上げはしてきた。

 だがそのさらに基盤となる部分を考えていなかった。

「まずは野球部の理念からもう一度考えましょうか」

「理念、ですか?」

 経営者としての側面を持つセイバーと違い、高校生の選手たちには、微妙に響かなかったようである。

「それはあれですか、クリーン・ベースボールとかそういう類の?」

「標語じゃありませんよ。まず簡単に、この野球部の目的はなんですか?」

 ここで勝利、とすぐに言えないところが、白富東の野球部員のメンタリティである。


 甲子園でもない。甲子園はつい先日まで戦っていたメンバーにとって、あまりにも身近すぎる。

 楽しむ。これはセイバーが普段から言っていることで、コーチもまずはエンジョイと言う。

 MLB的に考えれば、アマチュアの野球でそこまで追い込むのは、ナンセンスの極みなのだろう。

「楽しんだ上で勝つ」

「そもそも勝つことを楽しむ?」

「勝たないと楽しくないよな」

「でも練習すればするほど、悔しくならないか?」

「だけど勝利を目指さないってのも、それはそれで違うだろ」


 なんで今更こんな基本的なことをとも思うが、白富東の生徒たちの特徴は、形而上の問題を議論することに嫌悪感がないことだろう。

 はっきり言ってしまえば、理屈に合わないことはやらない。

 理屈っぽくて、無駄な議論でも楽しんでしまえる。まるで高等遊民だ。


 とりあえず、絶対に確実に言える前提は一つ。

 無理はしないということだ。

 スポーツ全体の目的は、楽しむことだ。楽しみの中に勝利があるのはおかしくない。

 必要になったのはホワイトボードで、そこに様々なことを書いていく。


・楽しめない野球はしてはいけない

・やらなかった後悔は許されないが、やってしまった後悔は称賛すべし

・ミスはすればするほど上達する

・意味のない練習は罪

・やりたいことしかやらない野球は楽しい野球ではない

・勝利だけが野球ではないが勝利を目指さない野球を楽しんではいけない

・フェアプレイはしなくてもいいが、フェアな精神は守るべし

・無策に正々堂々と敗北するよりも謀略を巡らして勝利すべし

・技術と知識と作戦を高めよ、精神論は最後の砦である

・グランドの外に野球を持ち出さず、グランドの中に私情を持ち込むな

・きつくても苦しくてもしんどくてもいいが、辛い練習はしてはいけない


 普段はそんなに言わないが、色々と考えてはいるものである。

「技術的なものは出てきませんね」

 手塚がふと言ったが、セイバーは頷く。

「技術的なことはこれらの理念を考えた上で、実際にどうやっていくかですからね」

 企業理念が明確になってこそ、事業計画が立てられるのである。


 しかしあれだ。

 少なくとも研究班以外は、練習は適度にして、そこそこ勝てればいいという精神の持ち主がいなくなっている。

 やはり勝利の味を知ってしまうと、他の快楽では満足できなくなってしまうのだろう。

「ただ私がいる間は、故障者ゼロを具体的な目標で考えていきますよ」

 実際のところ野球強豪校では、選手をぎりぎりまで追い詰めて、その限界を突破させるということがある。

 セイバーはそれを聞いても、限界を突破させる手段がそれしかないのかと、不思議に思うだけである。


 楽しむことが上達への最良の近道である。

 だがやりたいことばかりをやっていて、基礎がおろそかになってしまうのもよくない。

 それに自分に足りてないことが出来るようになることこそ、楽しい練習と言えるのではないか。

「じゃあまず自分に一番足りていないことを考えてください。絞りきれなかったら二つでもいいですが」

 そして各自の課題を出してもらったわけであるが、やはり得点力、特に打撃力というのが多い。

 大介は駆け引き、直史は確実性と書いていたが、大介の駆け引きはともかく、直史はこれ以上どう確実性を上げるというのか。




 ジンは自身の課題以外に、全体のチームとしての課題を出した。

 それは強豪校との実戦経験である。

 関東の強豪私立などは、近畿への遠征をすることがある。

 甲子園で勝つチームは、近畿や中国、四国のチームが多いのは確かだ。

 地元有利ということもあるが、アウェイ感のある舞台で戦うことは、甲子園で戦うことに似ている。

 センバツ最初の試合は、相手の天凛が奈良県代表ということもあって、応援ではあちらが圧倒的に上回っていた。

 これが春で良かった。夏の応援であれば、白富東は萎縮して負けていたかもしれない。


 関西遠征となれば伝手と、あと資金が必要になる。

 他には時間だ。練習試合で休むなど、公立校には許されていない。

 金に関してはセイバー資金がいくらでもある。

 だが伝手が問題だ。白富東の卒業生で、スポーツ関連の伝手がある人間は少ないし、スタッフもアメリカ由来で揃えてしまっているからだ。

 何より週末だけを関西に行くというのが無駄すぎる。

 ゴールデンウィークが使えればいいのだが、それは公式戦がばっちり入っている。

 県内であれば公立を中心に、いくらでも申し込みは来ているのだが。

 これは関東か、他の強豪チームの練習試合に混ぜてもらうしかない。

 甲子園でノーノーを達成したピッチャーの球など、どこのチームでも打ちたいだろう。


 練習試合を行うことは、こちらの情報もあちらに与えるということである。

 だが直史のような変化球投手は、球種を限定して情報の出力を減らすことが出来る。

「やれる範囲で無理なく、勝利を目指して練習するということで」

 セイバーはまとめたが、手塚が追加した。

「甲子園禁止な」

 高校球児に向かって言うことではない。

「打倒大阪光陰。それ以外はどうでもいいということで」

「甲子園行かないと当たらないじゃん」

「じゃあ甲子園に行くしかないな」

「相手の方が負けたら?」

「負けないことを祈ろう」

「当たるのが決勝になるとしたら?」

「こっちも決勝まで勝つしかないな」


 手塚の言っていることは分かった。目的の明確化だ。

 甲子園に行くとしたら、どうすればいいのか。秋季大会であれだけ勝ち進んだ経験から、とりあえず県内で勝つことは経験した。

 夏の甲子園を目指すとして、どう戦えばいいのか。

 単に甲子園だけなら、出場するだけならいい。だがその先はどこまでを目指すのか。

 分かりやすいものなら全国制覇だろうが、夏の甲子園の戦い方を知らない自分たちは、どうするべきなのか。

 その中で打倒大阪光陰というのは、分かりやすい目標である。


 春夏春と三連覇し、基本的にセンバツの戦力がそのまま残っている大阪光陰は、新入生に新戦力がいたとしても、ここから戦力が落ちることはないだろう。

 史上最強のチームであるかもしれないあそこを目標するのは、理に適っている。

 直史は点を取られて、大介はホームランを打てなかった。

 それが普通だと言われたとしても、二人にとっては屈辱なのである。


 完全な敬遠ならともかく、外に外したボールを無理矢理ホームランに持っていくのが、一試合に一打席ぐらいはあってもいい。

 ランナーが出たら絶対に次の打者に何もさせないのが、失点を防ぐ最良の手段だろう。


 選手たちの意思は統一された。

 これは団体スポーツをしたことのないセイバーにとっては自分では成しえないことで、キャプテンの手塚とジンとシーナが中心となって、チーム力を高めようとしている。

 ならばセイバーがすべきは補強だ。幸いにも条件に合う新入生は確保出来た。

 打って走れて守れて、しかも左で投げられるピッチャー。

 しかも日本に行きたいと考えている者などいるのかと思ったが、アメリカでは見つからなかったものの、他の場所にはいた。


 選手たちはともかく、セイバーの考えているチーム作りとは、勝つべきところで勝つチームだ。

 トーナメントという、一度でも負けたらそれで終わりというこのシステム自体が、メンタルを鍛える仕組みとなっている。

 少なくともプロにおいては、この試合に負けたら全て終わりということはない。シーズン中は勝率を高めるのが大事だし、ワールドシリーズの最終戦で負けても、引退しない限りは来年がある。

 だが高校野球は春と秋はともかく、最後の夏は負けたらそれで終わり。

 こんなシビアな勝敗を求められる試合が、他にあるだろうか。

 高校野球は甲子園が圧倒的に高いブランド価値を持ち、全てが夏で勝つために存在すると言ってもいい。

 甲子園で潰れたら本望。そう言う選手だっている。


 実際に直史は高校で野球を辞めるつもりらしい。正確に言うとここまで真剣にやる野球は。

 だが大介や岩崎は、上でやっていく目標が出てきたのではないか。

 最初から大学でやるためのステップとして、この学校を選んだジンもいる。




 打倒大阪光陰という大目標は立てた。

 次に必要なのは、具体的な課題である。

 だがこれははっきりしている。

 得点力。中でも打撃力だ。


 センバツ以前、県大会でも後半になってくると、明らかに得点力が落ちていた。

 北村一人が抜けただけでとも言えるが、ある程度打てるバッターがもう一人いるというのは、絶対に必要なことなのだろう。

 塁に出るバッティングと、ランナーを帰すバッティング。

 その両方を頭に置いた上で、ボールをミートしていきたい。


 大切なのはスイングスピードとバットコントロール。

 大介が無意識に行っていることを、解析してそれぞれの選手に合ったやり方で伝えていく。

 そして生きた投手の球を打つなら、白富東には全国レベルのピッチャーが二人いる。

「というわけで佐藤君と岩崎君は、バッティングピッチャーを毎日行うことを前提に、ブルペンで投げ込む球数は減らしてくださいね」

 マシーンだけではどうしても、フォームを固めるのが精一杯となってしまう。

 バッターに必要な能力は、速い球を打つことではない。それならチェンジアップが無駄なものになってしまう。


 150kmとは言わなくても、140km台半ばのストレートを、しぶとくファールにしていく技術。

 狙ってヒットは打てなくても、強くミートして単打は狙える技術。

 もっともこのレベルになってくると、才能の限界を感じさせる。

 大介の持っている才能の一つは、空間を把握してイメージする能力である。

 自分の体をイメージ通りに動かしてスイングし、空間を移動してきたボールにイメージ通りに当てる。

 このために必要なのは、動体視力と反射神経と瞬発力。

 あとはボディバランスだ。


 スイングにしても、ただ筋力をつければいいというわけではない。

 スピードを出すための筋肉が必要なのだ。そして余計な力みを消してのスイングというものは難しい。

 新入生の中にどれだけ、野球部を志望して、そして力を持つ人間がいるか。

 指導者としての育成は完全にコーチ陣に任せて、補強を考えるセイバーであった。




  了   第二部に続く

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