1514 雌伏の季節へ

 秋が深まり冬の気配が近付いてくる。

 関東大会決勝にて敗北した白富東は、土日を県内外の強豪との練習試合にあてて、現在のチームを総合的に評価していく。

 学校の方では前例から言って間違いなくセンバツ出場は決まったようなものなので、気の早い祝賀会が予定されたりしている。


 セイバーはそれへの対応は部長の高峰に任せて、チームの戦力を正しく評価していた。

 問題はやはり攻撃力。中でも得点力である。

 正しく言うなら攻撃力とは、得点力だけで評価するだけである。

 チーム打率だの出塁率だのはどうでもいい。盗塁の数もどうでもいい。

 一試合あたりにどれだけ得点するか。たとえヒットを10本打っても、得点につながらないならまるで試合の結果を左右しない。


 あとは投手力と守備力を合わせた、防御力。

 直史も岩崎も、それぞれ違うやり方でそれなりに三振を取れるピッチャーであるが、強打者から狙って確実に三振を取るのは難しい。

 それに特に直史が明らかになったのは、体力の問題だ。

 夏の炎天下でも、岩崎とマウンドを分け合っていたので気付かなかった。

 神奈川湘南レベルのチームであれば、直史のボールはスルー以外は平気でカットしてくるし、緩急をつけたストレートでも振り遅れない。

 結果的に無失点で岩崎にはつなげたが、甲子園も後半になってくれば、あのレベルのチームと連戦になるわけだ。


 センバツは決めた。だが夏はどうだろう。

 秋から春へ間が空くセンバツと違って、夏は県大会からそのまま甲子園だ。

 もちろん最低でも二週間ほどの間が空くので、そこでかなり回復は出来るだろうが、怪我などをしたら別だ。

(対戦相手にもよるけど、九回を投げきるには体力と、スルー以外に決め球になる球がほしいな)

 誰もまともに打てない魔球を既に持っていながら、直史は貪欲であった。


 あとは体力だ。

 実戦で150球を投げる。確かにそれなりに多い球数だ。

 しかし延長になれば珍しくないし、ブルペンではそれぐらいなら軽く投げられるのだ。

 やはりバントやゴロなどで、フィールティングが必要になるのが問題だ。


 投球は下半身だ。

 バッティングも下半身だ。

 球速ももちろん出したいが、決勝では失点自体はしていなかったのだ。

 変化球のすっぽ抜けることもなかった。肩や肘の痛みもなかった。

 だから問題だったのは、足腰の疲労によるコントロールの喪失である。


 延長15回までを投げるスタミナ。そして連戦を乗り切る回復力。

 夏の暑さの中でも投げぬく耐久力。これらが今の直史には必要だ。

 そして出来れば、スルー以外に確実に三振が取れる変化球が一つ。


 セイバーはその要望を聞いて、コーチと相談する。

 だがコーチ陣としては、珍しく首を傾げる。

 なぜならばアメリカの最新の理論を持つコーチたちにも、夏の過酷な環境で連投させるためのメソッドなど存在しなかったからだ。


 日本の野球はおかしい。

 プロになればちゃんとローテーションはあるし、六回ぐらいまでで交代することもあるのに、なぜアマチュアではここまでの無理をさせるのか。

 はっきりと「これは虐待だ」と言うアメリカの指導者も多いし、スポーツライターもその論調が多い。

 国内にだってそう言う人間はいるし、夏の甲子園が過酷な環境でなされるのは、興行的な問題だと当事者たちも分かっている。


 だが理論派の直史にも、これに対してはちゃんと反論が出来る。

 甲子園は野球というスポーツにおいて、能力だけでなく精神力や体力を競う、スポーツと言うよりは命の削りあいなのだ。

 これをスポーツと見るからおかしく思うのであって、真剣勝負と見るならおかしなことは全くない。

 そもそもルールがそうなっているのを、今更おかしいと言ったところで、すぐに変わるわけでもない。

 日本の皇室がずっと男系で続いているとか、ローマ法王は男しかなれないとか、そういったものと同じレベルの問題で、問答無用でそう決まっているのだ。

 それが嫌なら、別に普通に楽しむだけでもいい。もっとも甲子園経験がその後の選手の人生に与える影響は大きすぎるので、確かに問題ではある。

 最後の最後で必要になるのが精神力なら、理不尽で非効率な練習や精神的圧迫も正当化されかねないからだ。




 とりあえず今は高校野球の是非ではなく、現実において勝つための方法が知りたいわけだ。

 セイバーの知り合いのアメリカ球界には、そういったことに通じた者はいなかった。

 だがブラジルのベースボールアカデミーにいた、日本出身の指導者が、それへの解答を持っていた。

 長距離走である。


 野球というスポーツは、長い距離を走るスポーツではない。

 理論的に考えても、必要なのは瞬発力で、ダッシュを何度も繰り返し、筋肉の瞬発力を高めるのが、理論的には正しい。

 だが高校野球に関して言えば、ピッチャーは長距離走の力も必要とされる。

 絶え間なく体力を削っていく太陽の熱。連戦により回復力の強化は必須。


 毎日10kmをだらだらとではなく、はっきり速いと分かるスピードで走っていく。

 この長距離とは別にダッシュもしなければいけないのが、高校野球のピッチャーの鍛え方である。

 プロに進めば先発でもリリーフでも、長いイニングを連日投げていくことはなくなる。

 高校野球と、あとは大学野球のトーナメントはかなりの短期間で長いイニングを投げることになるが、大学は割りと高校よりもピッチャーが揃うこともあって、高校野球ほど過酷ではない。


 夏の甲子園の暑さ。

 あれに耐えられるピッチャーを作るメソッドだけは、セイバーもアメリカのコーチ陣も持っていなかった。

(やはり日本の高校野球を知っている人でないと、高校野球を勝ち抜くことは難しいですかね)

 自分の次の監督の人選に、評価基準の一つを加えたセイバーであった。




 練習試合禁止期間に入り、基礎体力を高める冬がやってきた。

 その中でも大切なのは、得点力の向上である。

 走塁をはっきり意識すると共に、選手のスイングを鍛えていく。


 ボールの変化やゾーンの内外をはっきり見極める。

 出塁率を上げるのと、ヒットなしでも確実にランナーをホームに帰す手段。

 あとは基礎的な技術を、神奈川湘南を基準に考える。

 鷺北シニア組は確かに守備は上手いが、それでも超強豪の高校の守備に比べると、反応やキャッチング、送球に無駄がある。


 特に重要なのは送球である。

 キャッチングに失敗したり、ファンブルしたりしてランナーが出ても、それはランナーが一塁にいるというだけに過ぎない。

 だが送球ミスをすれば、そのランナーは二塁まで進んでしまう。

 ランニングトスやダッシュをしてからの送球など、基礎的な部分を大切にする。

 大介のような、キャッチして地面に転がりながら、肩の力だけでアウトにする送球は、誰もが出来るわけではない。

 内野を含めて動きながらちゃんとボールをキャッチし、それを正確に送球する。

 そのスピードはもちろん速い方がいいのだが、大事なのは正確さだ。


 そしてやはり、打撃力はほしい。

 高校野球は監督の采配と作戦で勝てることが多いが、純粋な能力だけを高めるのが不要なわけではない。

 チーム力で勝っていても、それは個人の技量が上達するわけではない。

 個々の力が高まっていって、その結果チーム力が高まるというのが、本来のあるべき姿だとセイバーは考える。


 スイングの時に、バットのヘッドが下がらないようにする。

 打撃に関してはまずこの当たり前のことを、ちゃんと映像解析も加えて徹底した。

 ゴロを狙うかフライを狙うか、そして狙うとすればどういったスイングが適しているか。

 過去の試合の映像を見て、次に打者が取るべき選択なども考えていく。

 個人が確実に力を上げていく。

 その中で直史は下半身強化に重点を置いていたのだが、確かに長距離を走ると、心肺機能が上がってきている気がする。

 数字としては実際に、タイムは上がっている。

 ただ気をつけなければいけないのは、長距離走者の体型にならないことだ。


 ピッチャーはあくまでも、筋肉の瞬発力を使って、スピードのあるボールを投げるポジションだ。

 ただ15回まで投げられるだけでボールのキレが鈍ったりしたら、そもそもピッチャーとして役に立たなくなる。


 直史に刺激されてか、岩崎は体力よりも、球速の方を求めだした。

 春にはなんとか140km台後半が出せるようになりたい。

 球数少なく打者を抑える直史にリリーフをさせることが多いが、自分で完投するだけの能力はほしいのだ。




 そんなことを考えていたある日であるが、練習試合が組めなくなるこの季節、白富東は日曜日は完全にオフにしている。

 だが直史は家で調整をしているわけで、大介がそれを見たいと言ってきたのである。

「このへんはけっこう田舎なんだな」

「学校周りは割と店があるからな。東京に住んでた頃はどんなだったんだ?」

「別に都会じゃなかったな。ただ住宅地が多くて、それなりに人口もいたけど」

 大介のいた西東京では、日奥第三、早大付属、大洋大菅生の三つがおおよそ強豪と言われている。

 夏を制したのは大洋大菅生で、この秋も東京都大会では決勝まで残っていた。

 噂によると早大付属は、出場辞退になるほどではないが何か問題が起こり、それがチームの実力に影を落としているとも聞く。


 白富東は部員全体が仲がいい。

 少なくとも変な上下関係はないし、野球の実力が全てといった極端さもない。

 こうやって大介も直史の家を訪れることがあるし、鷺北シニア組がそれだけで結束しているといったこともない。

 チームが強くなるには部員全員が強くなり、それでポジション争いが起こることが大切だ。

 そこで変な上下関係や精神論を持ち出さないように、指導者は目を配らなければいけないのだが。


 白富東の場合は、北村が理想的なキャプテンであったし、手塚は全く下級生を威圧することはない。

 エロの帝王として全ての男子からは慕われている。そして一年はジンを中心にまとまっている。

 その中で東京から引っ越してきた大介と、一見すると文化系の直史は、実力的に少し浮いているかもしれない。


 確かに毎試合のようにホームランを打つ大介と、相手打線を完封し続ける直史は、その野球に対する徹底した集中力が、他の選手とは違う。

 だからこうやって、たまの休みに遊びにきたりするのだが、大介の家から直史の家までは、けっこう遠いのだ。

「あ、弟はちょっと受験でピリピリしてるから」

「ああ、あの応援に来てた。そういや妹も双子でいるんだよな?」

「あいつらは合格ライン余裕だから、色々とちょっかい出してくるかもな」

「へえ、どこのガッコ?」

「うちだ。弟も例年通りならまあ大丈夫なはずなんだけど、俺らが甲子園確定させちゃったから」


 公立校であろうと、野球部に人気がそれほどなかろうと、甲子園が決まってしまえば受験者が増す。それが甲子園というものである。

 近年はサッカー部人気もかなりのものがあるが、そもそもサッカーで将来飯を食っていくような人間は、ユースからクラブチームに入っているものだ。

 私立にしても学校の価値を上げるためには、スポーツや文化活動での活躍が手っ取り早い。


 何もしていないのに、白富東にはタレントが集まった。

 来年は野球強豪校に特待生で進学するほどの選手はともかく、今年の活躍を見て野球部に入部する者は多いだろう。

 その中で何人が有望かは、はっきり言ってそれほど期待は出来ないが、少しでも今のチームに打撃力が加われば、夏にはもっといい成績が残せるだろう。

 センバツがほぼ決まった現在は、とりあえず現在の戦力をどこまで活用するかだが、全国レベルの強豪である神奈川湘南には、かなり思い通りの試合展開でも敗北した。


 直史は別に、甲子園に行きたいわけでも、全国制覇がしたいわけでもない。

 ただ単純に、どんな試合でも負けたくないだけである。

 そして大介は、玉縄レベルのピッチャーと戦いたい。

 この時点では二人ともまだ、自分の将来に野球がかかわってくるとは考えていないのであった。

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