1508 秋の高校生活
高校球児が野球しかしない生き物だと思っている人はどれだけいるだろうか。
あながち間違っていない。朝から晩まで野球野球。そして授業中や食事中でさえ、野球のことしか考えない。そんな人間は確かにいる。
だが白富東では、あまりそれは主流ではない。
私立の学校では秋季大会で勝ち残って修学旅行にも行かないというチームもあるらしいが、少なくとも白富東は違う。
ちゃんと大会の時期とは外れて日程も組まれているので、手塚達は沖縄行きだ。
そしてその直前に文化祭がある。
高校生活において文化祭とは、やはり一大イベントと言えるのだろう。
クラスごとのイベントはもちろん存在し、部活によって色々やったりもする。
もっとも野球部は大会期間中ということもあって、何も考えていなかった。
しかし野球部の代わりに考えてくれている者たちはいた。
応援団に、瑞希を合わせた文芸部が悪ノリして、演目を決めてしまった。
白富東は伝統的に、一年生は演劇をするのである。
演目はシンデレラ。そんなものしなくてもいいじゃないかというぐらいに、誰でも知っているお話である。
ただ他と違うところは、男女が配役を逆で行われるということだろうか。
シンデレラ:佐藤直史
継母:岩崎秀臣
悪意を感じるキャスティングと言えようか。
ただ応援団にしろ文芸部にしろ、普段からお世話になっているだけに、なかなか拒絶はしがたいものがある。
なお王子役はシーナではなく、応援団のチアから選ばれた。
今どきの女子高生は、普通に化粧をしている。
むしろ中学生や小学生から、初歩的な化粧をしていて、化けていると言っては失礼だろうか。
男さえも化粧する時代であるが、それだけに化粧が一般的でない男は、スッピンの顔のイケメン度合いが分かる。
直史は美人と言うよりは、純粋に女顔なのだ。
若い頃は誰もが振り返って見つめたと言われる、祖母に多少は似ている。
それが化粧をすると元の平均的な女顔がぴっちりと際立ち、相当の美人になってしまった。
「う、美しい……」
化粧を担当したダンス部の女子に加えて、見物に来ていた瑞希も絶句している。
鏡を出されて確認した直史であるが、ぶっちゃけ祖母の若い頃に似ていた。
「と言うか、佐藤君、女装に抵抗ないの?」
瑞希が今更ながらに聞いてくるが、多少はないわけではない。
ただ佐藤家にはちょっとした奇妙な風習がある。
長男は三歳になるまで、男か女か分からない格好をさせたり、祭りに際しては女の格好をさせるのだ。
なんでも男が早死にする時代にあった習慣を現代まで続けているらしいが。
なるほど、と頷く瑞希である。
「佐倉さんはさ、ほとんど化粧してないよね。いい機会だからしてあげよっか?」
「え、でも私はお肌の手入れはちゃんとしてるし」
「ナチュラルかよ……。素材はいいのに。よし、ついでに男装させよう!」
「私は裏方なのに!」
女の化粧というのは、すさまじく手間がかかるものである。
さらに合わせて金もかかるものである。
瑞希の場合はスキンケアしかしていないと聞いて、慄然とする女性陣である。
(((この子、ちゃんと化粧したら無茶苦茶可愛くならない?)))
ナチュラルメイクだと思っていたら、本当にナチュラルであったでござる。
アイラインも描いていなければ、眉毛も元々細いらしい。
ファンデーションは塗っておらず、化粧水と乳液だけ。
だがそれでも清潔感があるのは、元の肌が白いからか。
スッピンでも可愛いという人間は、本当に少ないのだ。
瑞希の場合は目元をいじるだけで、かなり可愛さの破壊力が上がる。
コンタクトで虹彩をさらに大きくすればもっといいのだが、とりあえず出来るのはここまでだ。
瑞希は普段は清潔感を意識していて、派手な化粧をしていない。
だがここでファンデを使ってアイシャドウは赤、それに頬紅と口紅まで使うと完全に女の子になる。
お人形遊びをしている気分になる、チアの少女たち。
そして出来上がった瑞希には、逆にブカブカの学ランなどを着せてみる。
「「「可愛い!!!」」」
てれてれしている瑞希を、直史の前に持って来る。
直史はじっくりとそれを見て頷いた。
「やっぱり元がいいと違うな」
隠れメンクイの直史は、その台詞でさらに瑞希を赤面させるのであった。
なお瑞希は果てには鼻血を出してしまい、保健室に運ばれるというオチまでついた。
現在白富東の野球部グラウンドには、12人の選手しかいない。
二年生の部員が修学旅行に行っているからである。
そして一年生12人の中でも、野球研究班の三人がいるので、実質的に戦力としては本当に九人までしかいないのだ。
もっともこれだけ暇であれば、色々とこれまで出来なかったことも出来るわけだ。
研究班の人間もユニフォームを着て、練習に混ざる。
やはりバッティング練習が一番楽しいらしいが、隣では大介が異次元のバッティング行っている。
外角の逃げていくスライダーを引っ張って、ライトスタンドに叩き込む。
外角のストレートをそのまま弾いて、レフトスタンドに叩き込む。
もちろん白富東のグラウンドにはスタンドなどはなくネットであるのだが、どのコースのどの球種でも、基本的にはホームランに出来る。
金属バットの反発力もあるが、根本的にバットで確実にミートしているからこそ、ボールは軽くネットまで飛んで行く。
「白石君、木製バットを使ってみてくれますか?」
珍しくセイバーからそんな注文が入った。
高校野球まではバットは金属を使える。
金属バットは反発係数が高いため、高校まではバッター有利というのは、当然のことなのだ。
逆に言えば大学やプロで通用するためには、バッターは木製で打てなければいけないし、ピッチャーは高校レベルでは金属を封じられなければ上には行けないとも言える。
そしてマシン打撃に関して言えば、大介のバッティングは全く問題がなかった。
「あ~、やっぱダメっすね」
傍から見るとそうなのだが、本人としては満足出来ないらしい。
「これだとボール二つ外れたらスタンドまでは届かないっす」
次元の違う悩みであった。
セイバーとしては大介の進路は、プロにしかないと思う。
プロ注の投手からは平然と打てるし、だからと言って既にプロの一流レベルである上杉には及ばない。
ただ各種計測で分析しても、大介のバッターとしての能力は突出している。
ピッチャーをしたら野手投げで140kmを超える球を投げるほど肩が強く、足の速さ、特にダッシュ力は超一流で、守備でもその守備範囲は広い。
体格がないという見た目を別にすれば、全く弱点がないプレイヤーだ。
野球は基本的にはフィジカルコンタクトの少ないスポーツだ。
世界的なスポーツでは他にバスケとサッカーが有名だが、バスケなどは身長がなければ使ってもらえない。
サッカーには低身長の名選手もいるが、それでも体が大きいことは有利である。
大介が特別なのはあのパワーではなくて、あの体格でパワーがあることなのだ。
スイングスピードが絶対的に速い。
そして動体視力は、まさに人間離れしている。
日本の野球事情もそれなりに調べたセイバーであるが、確かに野球もまた、体格重視の傾向が見られる。
だが大介の場合は明らかにそれを超越したパフォーマンスを発揮しているし、直史もあの身長の割にはまだ体重が軽い。
しかし直史が直史ですごいところは、球種とコントロールだ。
ストレートのスピードが135kmまで上がって、しかもそれが完全にコントロールされている。
状況に合わせてボール一個のゾーンからの出し入れが簡単に出来る。
そして変化球も四隅に投げ込み、カーブだけでも何種類かの変化をする。
強いて言うならシュートと高速シンカーの区別がつかないとは思うのだが、あまり問題とはならないだろう。
直史の身長からすると、その適正な体重は70kg台後半。
現在の体重は70kgにわずかに届かない程度で、絶対的に体重が、つまり筋肉が軽すぎる。
スピードのあるボールを投げるには、ある程度の瞬発力を発揮する筋力が必ず必要になるのだが、直史の場合は全身の筋肉を上手く連動させて、130km台前半のスピードをコンスタントに出してくる。
試合において重要なのは、MAXスピードがどれぐらいであるかということもだが、それよりは一定のスピードを確実に投げ込めることだ。
変化球主体の直史が130kmのストレートを厳しく投げられれば、少なくとも地方大会レベルでは、千葉県のレベルでは、問題ないことは証明された。
あとは情報を仕入れて、関東大会で勝ち進むことを考えるのみ。
学校行事が終わり、神奈川で行われる関東大会の対戦相手も決定した。
県優勝であるので、他の県の一位とは一回戦では戦わないのだが、それでも雑魚など存在しないトーナメントだ。
「一回戦の相手は埼玉県二位の浦和秀学高校です」
複雑な表情が、各選手の顔に浮かぶ。
浦和秀学高校、通称ウラシューは、埼玉県の強豪私立である。
埼玉はほぼ私立三強が突出していて、この10年ほどはほとんどがその三校で甲子園出場を争っていると言ってもいい。
組み合わせ次第で優勝校はいくらでも変わる。はっきり言って優勝チームとの差はほとんどないと言っていい。
言い方を変えてしまえば、このくじ運はハズレだ。
セイバーとしても不本意であるが、神奈川代表でも同じことは言える。
比較的弱いところは山梨、茨城、栃木、群馬なのである。単に甲子園での勝率や優勝回数を言うなら、山梨県が一番弱い。
だが現在の白富東の戦力で、相手の強弱を論ずるのは不遜であろう。
平均的な戦力で白富東より弱いところなど、一つもないであろうから。
「二回戦はおそらく栃木の刷新学院。準決勝はもう分かりませんが、神奈川湘南と当たるには決勝まで勝ち進む必要があるというのは幸いですね」
何が幸いなのだろうか。
まあ最有力校と言われる神奈川湘南と決勝まで当たらないのは、確かにありがたいことなのかもしれないが。
あそこはプロ注目のスラッガーで二番手投手の実城と、絶対的エースの玉縄がいる。
今年の夏もベスト4まで勝ち残った、間違いなく帝都一と並んで、関東最強と言えるチームである。
二年の夏にエースだった選手と、四番であった選手が残っている。
そして他にも夏のベンチ入りメンバーがそのまま今年のスタメンに入っていて、ほとんど戦力の低下はないのではないかと言われている。
「まあ決勝はどうせ負けてもいいので、しっかりと全国レベルの力を実感しておきましょう」
セイバーは全てを勝って甲子園に行くつもりだと思っていたのだが、決勝で負けるのはいいらしい。
確かに前に、神宮に合わせて調整するよりも、練習試合をたくさん組んでいきたいとは言っていたのだが。
一回戦の対戦相手は、強豪ブロック埼玉の優勝校レベル。
そしておそらく二回戦で戦うのが、ここ10年近く栃木ではほとんど負け無しの刷新学院。
準決勝まで残れば、どのチームであろうと弱いところが残っているはずはない。
(まあボロ負けでもしない限りは21世紀枠でセンバツには出られるんだけど)
ジンはそう考えながらも、自軍の投打の主力の表情を見る。
直史も大介も、臆したところなどは見せていない。
二年生たちが変に緊張していないところもありがたいし、一年のシニア組はそもそも、強いところと当たるのには慣れている。
「それでは今日からは、対戦相手を想定した練習を開始していきましょう」
春までには時間がたっぷりとある。
その時間を使えば、まだ眠っている選手たちの能力を、引き上げることは可能だろう。
(決勝で負けて、練習試合禁止期間に入るまでに、たくさん試合を組みましょう)
全て勝つつもりではあるが、負けたときのこともちゃんと考えているセイバーであった。
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