1509 埼玉三強

 埼玉県は現在、甲子園出場をほぼ私立の三校で独占している。

 花咲徳政、浦和秀学、春日部光栄の三校で、ごくまれに他校が勝つことはあっても、それも私立である。

 実際のところ埼玉から公立校が甲子園に出たのはもう30年以上も前であり、そのくせ全国制覇の経験はほとんどなく、たとえば愛媛県などとはほとんど逆の特徴を持っている。

 おそらくこれは東京に近い南部に私立が多く、人口が多いだけに選手も集めやすいという理由も一つにはあるのだろう。

 そしてこの年の代表も、花咲徳政と浦和秀学であり、両校共に甲子園出場は春夏合わせて10回を超すという名門中の名門である。

 白富東の初戦の相手浦和秀学はウラシューと呼ばれていて、はっきり言ってものすごく強い。

 純粋に戦力を分析すれば、トーチバよりも上であろう。


 エースの新田は140km台後半のストレートと二種類のスライダー、そしてチェンジアップを使う本格派であり、中軸打線もホームランを打てる高打率打者をそろえている。

 ならばこれに勝った花咲徳政はさらに強いのかと言うと、ほぼ互角の戦力である。

 ただウラシューは準決勝で春日部光栄相手に延長まで戦って、エースの疲労が抜けていなかったのだ。

 当然関東大会の一回戦までには回復し、あとは調整がどれぐらい上手くいっているかが、本来であれば問題だったはずだ。




「先攻を取れたのはいいことでしたね」

 本日もベンチから一歩も出ずに、セイバーはひたすらデータを見る。

 ウラシューは強打のチームである。県大会も決勝と準決勝こそ接戦であったものの、他は全て七回までにコールド勝ちしている。

 だが逆に言えば超強豪を相手にすれば、ロースコアのゲームになっている。

 白富東は投手力が強い、守備力の高いチームだ。

 そしてさらにもう一つ、白富東に有利なことがある。


 ウラシューの先発は、エースの新田ではない。

 背番号10を付けたピッチャーで、名前は浦部。完全に二番手のピッチャーだ。

 経験を積ませるために一年生を使うとかではなく、純粋にエースを温存しておきたいということなのだろう。

 ウラシューからすれば今日だけでなく、明日の試合も勝ってベスト4に進出しなければ、センバツ確定とは言えない。

 ならば二回戦で当たりそうな刷新学園に全力をかけるべく、今年の夏にぽっと出てきた、一部の選手だけが優れた公立相手には、二番手ピッチャーで充分ということなのだろう。

「というわけで今日も、初回で何点取れるかが勝負ですね」

 白富東は県大会の準決勝も決勝も、初回の先制点が決勝点になった。

 そのスコアを強豪私立のウラシューであれば入手はしているだろうが、ちゃんとその意味を考えているのか。


 先攻、先頭の手塚の役目は、当然ながら相手のピッチャーの本日の調子を確認することである。

 ストレートの伸びに、出来るだけ変化球も投げさせる。

 そのためには選球眼である。


 セイバーの使うセイバー・メトリクスは野手の評価を六つの基準で判断すると言われている。

 所謂攻走守の中でも、攻撃については打率と長打率に加え、出塁率が重要になる。

 そして走塁と守備に加えて、あとは肩の強さだ。


 手塚がこの中で満たしていたのは、出塁率、走塁、そして守備だ。

 打率もそこそこいいが、肩の強さは外野としては平均的で、長打力ははっきり言ってない。

 これで長打力まであれば最高なのだが、とにかく出塁して大介に回すのが一番なのだ。

 そのために手塚はヒットを打つのではなく、塁に出ることを集中して練習してきた。




 関東大会の初戦ということで、向こうのピッチャーも固くなっているようだった。

 手塚が選んでフォアボールで出て、二番のジンは一二塁間に最低限の進塁打を打った。

 ワンナウト二塁で大介という、初回の得点パターンに入っている。

「ここは外していく場面ですよね?」

「まあ普通ならそう思うんでしょうけど、なにしろウラシューが大介と直接対決するのは、今日が初めてですからね」

 セイバーの予想に対して、ジンは相手側のチーム事情も考える。


 大介の特徴としては、初対決のチームの初打席で、長打を打つ確率が高い。

 それもホームランだ。あの体格を見て、どうしても最初は甘いところで様子を見てしまうのだ。

 今日の場合は一塁が空いているのだから、別に歩かせてしまってもいいのだ。

 しかしすると四番の、県大会でホームランも打っている岩崎と対決することになる。


 岩崎の体格は、白富東の選手の中で一番である。

 高校生までのピッチャーというのは、運動能力が一番チームで高く、四番も兼ねている場合がある。

 それを考えて大介と勝負したというのは、ある程度は理解出来る。

「ちゃんと数字で出ているのに、どうして勝負するんでしょうね~」

 のんびりしたセイバーの声と共に、大介の打った打球がライトスタンドへと突き刺さった。




 ウラシューもスコアを見ていないはずはないのだ。

 だがそれを圧倒するのが、大介の体格の印象だ。


 170cmもないスラッガーなど、冗談にしか聞こえない。

 もちろん世界を見渡せば、それぐらいの体格のMLB選手だっているのだが、大介は小さいけれどムキムキというタイプでもないので、どうしても侮る気持ちが出てしまう。

 むしろ守備の面において、普通なら抜ける打球に軽々と追いついて、不充分な体勢から一塁へ送球する、そういったテクニックの方が目立つ。


 大介はスタミナもある。

 動きの激しいショートを全力で守りながらも、バッティングに全力を注ぐことが出来る。

 本日の先発は岩崎であるが、最初から二点のリードというのは、かなりありがたい。

 一点のリードであると、逆にプレッシャーになる場合がある。五点以上だと気が緩んでしまう。

 ピッチャーによって最適のリードは違うのだろうが、岩崎の場合は二点か三点ぐらいがちょうどいい。


 初回の攻防が重要だと、ジンは考えている。

 ウラシューの強力なクリーンナップ相手には、かなりの球数を使って丁寧に攻める。

 白富東はエースクラスが二枚もいるのだ。継投して勝てばいい。

 ショートリリーフを大介に任せるのは怖いし、二年の田中もこのレベルでは厳しい。ロースコアゲームで勝つには、ピッチャーは取れるところでは三振を取って、ゴロやフライを上手く打たせるしかない。

 そして初回は三者凡退に抑えたが、18球を投げさせられた。


 岩崎の体格は白富東の選手では一番ではあるが、それでもまだ成長の余地はある。

 一年の秋でMAXが145kmまで上がっているのだから、成長曲線はかなりのものなのだ。

 秋の県大会も勝てたから、本気で勝ちに行くのは来年の夏。

 センバツもほぼ出場は決まっているが、実力で行くのは来年の夏だ。

 そこまでに直史もスタミナをつけて、夏の甲子園を戦える体制にしたい。

(来年はどれぐらいいい選手が入ってくれるかだな)

 夏休みにジンは、出身の鷺北シニアにも行ってきた。

 ぶっちゃけ野球で入れる学校ではない白富東は、かなりその選手集めの時点で不利がある。

 最悪というか、普通に考えて今の一年を鍛え上げて、来年か再来年の甲子園を目指すしかないかもしれない。

 セイバーにはまた何か考えがあるらしいが、白富東に野球エリートは来ないのだ。




 試合の流れは揺らいでいる。

 ジンはゆったりとしたペースを保ちながら、岩崎に丁寧な投球をさせている。

 そのため球数はかなり多くなっているのだが、おかげで六回までを五安打されながら無失点で切り抜けた。

 球数は120球を超えていて、ここでセイバーは次の回から直史との交代を告げる。


 一方白富東の方も、またも初回以外は点を取れない展開が続いている。

 こちらが直史を投球練習をさせるのを見て、あちらもエースの投球練習を開始した。

 温存と言っておいて、一回戦で負ければ意味がない。

 ここから三イニング投げても、明日の二回戦への影響はないだろうという考えだ。


 七回の表、白富東の下位打線は、ウラシューのエース新田に完全に封じられた。

 さすがプロ注の選手は違うなとのんびり思いつつ、直史はマウンドに登った。

 当然ながら選手層の薄い白富東としては、岩崎をベンチに下げるわけにはいかない。

 残り三イニングで、点差は二点。

 ここのところこの展開ばかりであるが、それでも抑えるしかないだろう。


 七回の裏は五番打者からである。

 夏の埼玉大会では七番を打っていて、三本のホームランを打っている。

 油断していいバッターではないが、攻略法はジンが考えている。


 岩崎のような球速があるピッチャーの場合は、強豪校相手には内角攻めが意外と効果的なのだ。

 昨今の野球は、特に強豪校のクリーンナップを打つような打者は、強く踏み込んで球を上げることが良いとされている。

 まあ大介のようなライナー性の打球が一番良いとも言われているが、岩崎ほどの球速があれば、その踏み込みに対して詰まらせることが出来るのだ。


 直史は違う。

 130km前後ながら伸びのあるストレートを四隅に、あるいは低めなどのぎりぎりに投げて、長打を避けて凡退を狙う。

 カーブなども使って様々な球種で、相手の狙い球を絞らせない。

 ストレートを使うのは釣り球か、よほど緩急をつけた時だけである。


 五番バッターを審判のゾーンのクセからフォアボールで歩かせたものの、その次を内野ゴロで併殺に取る。

 そして続くバッターも内野ゴロで打ち取り、フォアボールを出したのに10球でこの回を終えた。




 残り二イニング。

 ウラシューとしてもさすがに、夏のスコアなどを見て、直史の防御率や被安打率は承知している。

 技巧派投手であり、組み立ての中で三振も奪ってくるタイプだ。

 最終回には上位打線に回ってくるが、そこで二点差というのは微妙な点差だ。


 そして八回には、大介の四打席目が回ってくる。

 ここで一本打てればほぼ決まりという勢いであったが、打った打球はフェンス直撃ながらもわずかに弾道が低く、ツーベースまでであった。

 後続が続かず追加点はなかったが、エースが三者凡退に抑えて攻撃に勢いを付けることを防いだ。


 ウラシューは岩崎の速球に慣れた打者に代えて、変化球打ちの得意な代打を打席に送る。

 直史はこの左打者に対して、落差のある遅いシンカーと、スプリット系の落ちる球を使って内野ゴロでしとめた。

 結局八回は七球でスリーアウト。

 省エネピッチングというわけでもないのだが、明日の先発が自分であることを考えると、当然ながら消耗したくない直史である。

 九回の表の攻撃はあっさりと終わって、さてラストイニングである。


 ここでやっとスルーを解禁である。

 沈みながら伸びるこの球を、一球見せられただけで二番は早打ちしてセカンドフライ。

 続く三番も早打ちしてきたが、スローカーブを上手くカット出来ず、二球目をレフトのファールフライでツーアウト。

 強打の四番打者が、最後になるであろう打席に入る。


 直史はこの試合、自分の球種の全てを見せたわけではない。

 だがむしろたいがいのチームは、直史の球種の多さと、その緩急、コントロールに幻惑されて、狙い球を絞れない。

 他校のスコアラーがカメラを回しているが、基本的に直史には、配球のパターンがない。

 なので下手に研究しようとすると、むしろドツボにはまるのであるが、この時点でそれに気付いている者はまだ少ない。


 強打者であるがそれ以上に好打者である四番に、勝負球として投げたのはカットボール。

 サードへの速いゴロを諸角がキャッチして一塁へ送球。

 全力で走っていたバッターも間に合わず、ノーヒットでのリリーフに成功したのであった。


 関東大会ベスト8。

 これで21世紀枠だけではなく、実力で選ばれる可能性も出てきた。

 どちらにしろ明日負けても、21世紀枠では決定であろう。


 甲子園。

 夏にはあと一歩のところで届かなかった、高校球児にとっての最高の舞台。

 勝って決めるというわけではないが、これでほぼ決まりである。

「色々と問題が出てきましたね」

 セイバーは全く油断なく、選手たちの様子を確認するのであった。

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