1505 投手力
白富東は客観的に見ると、千葉県のチームでは投手力で一番恵まれたチームかもしれない。
大袈裟な話ではない。夏の甲子園ベスト4まで勇名館を勝ち進ませた吉村と、互角以上に投げあったピッチャーがいるからだ。
それに加えて上総総合を完封した岩崎の評価も上がってきている。
加えてショートリリーフには大介も出て、フォアボールこそ多いものの145kmぐらいを出したりしているのだ。
トーチバは伝統的に、三枚の投手を使って勝つ戦略を立てている。
調子のいい時には一人に一試合を投げさせることがあるが、一人のエースにおんぶに抱っこというチームではない。
そのトーチバと長年双璧と言われていた東雲は、今年のエースはサウスポーである。
サウスポーと言うと上総総合の細田が思い浮かぶが、あれほど特徴的な投手ではない。
ただ左のスリークォーター気味の投げ方から四隅にストレートを投げ込み、決め球としては落ちるシンカーを持っているのが大きい。
事実手塚とジンは見るだけであっさりと三振し、三番の大介に回ってきた。
ネクストバッターサークルから、大介はしっかりとボールを見ていた。
実際に対戦しないと分からないが、ストレートは綺麗にコーナーをついているし、右打者に対して左のシンカーは確かに有効そうである。
ただ左の手塚相手に使ったスライダーの方が、同じ左打者である大介には効果的だろう。
(シンカーなら根元でしっかり合わせればいいし、スピードはないしな)
切り込んでくる落差と横の変化のあるボールだが、打てなくはないだろう。
だが決め球を打ってしまえば、ピッチャーもキャッチャーも、他の打者に対してシンカーを投げにくくなるかもしれない。
いいピッチャーというのは、打たれないピッチャーではない。打たれても立ち直るピッチャーだ。
どんなピッチャーだって、一試合にクリーンヒットは数本打たれるのが普通なのだ。上杉のような規格外は別であるが。
たとえば直史も岩崎も、ちゃんとショックを引きずらずに投げる。
キャッチャーとの信頼関係も重要なのだろうが、ジンが上手くリードしていると思う。
(さて、このバッテリーはどうかいな、と)
左バッターの大介に対しては、決め球とはならないシンカー。
だがカウントを整えるために使ってきた。真ん中から少し内角に外れるぐらいに。
大介はコマのように腰を回転させる。
バットに上手く乗せるように、そして筋肉を爆発させる。
打球はライトスタンドの外にまで飛んでいった。
ピッチャーにとってホームランを打たれるというのは、やはりショックが大きいことらしい。
しかも大介のこれは、場外ホームランである。
外野スタンドが狭い球場ではあるが、普通はそこまで飛ばさない。
伝令が出たが、それで落ち着くほど高校生のバッテリーは成熟していない。
この日は先発ピッチャーだった四番の岩崎が、さらに外野の奥へ長打を放つ。
五番に入っていた直史のタイムリーヒットでさらにもう一点。
この回はここまでの得点であったが、確実にバッテリーの動揺は激しい。
そして白富東に先制点を取られるということは、全国レベルのピッチャー二人を相手にするということである。
春の県大会優勝の、上総総合の好投手細田と投げ合って勝ったのが、岩崎の自信となり成長の源となっている。
実際に140km台半ばのストレートとチェンジアップ、それにスライダーを投げられる投手は、かなりの実力と言っていいのだ。
直史のような極めて技巧に優れた軟投派は、おそらく全国でも珍しいタイプなのだから。
時折ヒットは打たれながらも、要所を締めて得点を許さない岩崎。
土日であるのでそれなりに応援は多く、女子からの声援が多い。
岩崎は身長も高いし顔も男らしいイケメンなので、かなり人気がある。
だがスタンドで試合を見つめる瑞希としては、今日はスタメンではライトに入っている直史の動きを追ってしまう。
先ほどもバッティングで一点を取ったし、今日も後半は投げると聞いている。
不思議な人だな、と瑞希は思う。
全体的に大人びているように見えて、どこか子供特有の頑固さを持っているようだ。
女子に対する視線が、男子に対する視線と変わらない。ただ瑞希に向けてくる視線は、少し違う。
好意を抱かれていると考えるのは、自信過剰であろうか。
生来、それほどモテたことはない。だいたいにおいて男子との接触がなかった。
なんとなくではあるが、両親か親戚が見合い相手を見つけてきて結婚するような。
恋愛に対して、瑞希は全く幻想を持っていない。
けれど佐藤直史はかっこいい。
慇懃無礼な態度が基本で、マスコミに注目されると逆にそれから逃れようとする。
不思議な人だな、と何度も瑞希は思う。
自己主張を自分からはしないのに、問われればはっきりと自分の考えを言い切る。
瑞希は本来、ああいった人間は苦手なはずなのに。
六回までを岩崎はわずか二安打に抑えたが、東雲は強豪校らしい犠打のやりくりで一点を取った。
対する白富東は、大介が徹底的にマークされて、バットの届くところには投げられない。
それでも外角にボール三つ外した球を無理矢理にヒットにはしたのだが、後で怒られた。
ボール球でも打てることは、本当に打たないといけない時以外には秘密にすべきだと。
言われたとおり、四球で塁に出るのと、ボール球を打って塁に出るのは、ランナーがいないのなら変わりはない。
反省した大介である。
そして七回からは直史が投げる。
夏の大会でほんの少し肘に炎症があったとは聞いたが、それでも三日ほど腕を吊っていただけであった。
この県大会も一試合丸々ではないがそれなりにイニング数を投げていて、まだ無失点である。
だがスルーは投げない。
四隅に決まるコントロールという点では、直史の方が完璧である。
インハイで体を起こして、アウトローに決める。
完全にアウトローに決めた後、少しだけ浮いた球を投げたかと思えば、ほんの少し外にゾーンから外れていたりする。
コントロールの良さでボール球を振らせることで、三振か内野ゴロ、ファールフライに打ち取っている。
直史が今年の夏の大会で感じたのは、体力不足だ。
投球内容などを見れば岩崎よりも上なのだが、一試合投げ終わった後の消耗は、直史の方が激しい。
それも考慮して出来るだけ打たせて取るピッチングをしているのだが、場合によっては力で完全に抑え込んでいく必要もあるだろう。
持久力と言うよりは、回復力に暑さへの耐性だ。
夏休み期間の練習で暑さへの慣れは出来てきたが、そもそも直史は中学時代、夏場に強度の高い練習をしたことがない。
公式戦も早くに負けてしまうので、暑さ慣れしていないのだ。
あとは完投能力だ。
県大会の決勝は一人で投げきったが、甲子園に行けばあれを、決勝まで続けないといけないのだ。
岩崎がいるから自分一人でということはないだろうが、それでも自分一人でも投げきるだけの力は身につけたい。
関東大会に出たい。
そこで打線に隙のない強豪と戦って、自分の能力の今の限界を見定めたい。
そのためにはこの試合に勝って、決勝に進む必要がある。
セイバーは関東大会ベスト4まで勝ち進んで、確実な実力でのセンバツ出場を狙っている。
だが直史にはそれは、まだ白富東では選手層が薄すぎると考えているのだ。
決勝にまで進めば関東大会には確実に出られるし、一回戦から神奈川湘南あたりと戦えるかもしれない。
一年から神奈川湘南の四番を打つ実城のいるあのチームは、一番から六番まではホームランを打てるバッターで打順が組まれている。
そんなところと戦えたら、確実に自分のレベルアップにつながる。
そうだ。神奈川湘南と当たるまで勝ち進むことを目標としよう。
考えながら投げていた直史であるが、三イニングを無失点で抑えて、白富東は準決勝進出を決めた。
準決勝に進出してきた対戦相手は、事前の予想通りに勇名館であった。
夏の大会ベスト4の実績を持つ左腕吉村を擁するこのチームは、秋季大会でも本命視されていた。
だがここまでのスコアを見ると、それなりに点を取られて苦戦している。
吉村が夏の疲労からまだ回復していないとか、夏の激戦で燃え尽きてしまったとか、そういうことではない。
単純に戦力が薄くなったのだ。特に四番とキャッチャーが抜けたのが痛い。
甲子園で三本のホームランを放り込み、ドラフト指名も確実視されている黒田。
そして首都圏の大学に野球推薦で進学するらしい東郷。
この二人の穴を埋めることが出来ていない。
得点力が下がっていて、キャッチャーの能力も落ちている。
それでも勝ち進んでこれたのは、元々優れた選手を手に入れている私立ならではである。
ただ戦力の落ちようは、おそらく白富東以上である。
夏の決勝戦、白富東は勝っていたと言っていい。
審判の明らかな誤審から、ペースが乱れたのは確かなのだ。
それにまさか、サヨナラの場面でジンが後逸するとは。
いまだに時々それでイジられているジンであるが、全く触れられないよりはありがたいのだろう。
直史としては勇名館に負けたという意識はない。
だから雪辱を果たすという気分でもないのだが、ジンはかなり入れ込んでいるように見える。
直史は一応フォローしたが、あの不器用なフォローでは、ジンが納得するはずもない。
「勇名館は序盤で得点を取り、それを最後まで守るという展開が多いですね」
それは白富東も同じである。
「吉村君以外のピッチャーも伸びてはきていますが、まあ関東大会行きを賭けたこの試合に、吉村君が投げないということはないでしょう」
準決勝は絶対に勝たなければいけないのは、白富東も同じである。
決勝に進んでしまえば、関東大会に出場出来る。
そして関東大会にまで勝ち残れば、よほどそこでみっともない試合をしない限りは、21世紀枠で白富東のセンバツ出場は決まるだろう。
(その意味もあって、入れ込んでるやつは多いのかな)
そう思って他のメンバーを伺っていると、大介と視線が合った。
向こうはにやりと笑って、勝つ気満々のようである。
大介はプレッシャーとは無縁の人間だ。
少なくともここまでに、メンタルで自滅したことはない。
そしてその大介に対して、吉村は必ず一度は真っ向勝負してくるだろう。
甲子園ベスト4のピッチャーを、まさか全打席敬遠させるわけにもいくまい。
大介に一本打ってもらって、その一点を守りきる。
審判のミスジャッジ、極端な悪天候、何故か重なる味方のエラーなどがなければ、完封することは可能だろう。
「先発は佐藤君で、継投するかどうかは状況で判断します」
吉村相手に確実に打てそうな選手は、本当に大介しかいない。
その大介も、夏の決勝では吉村から打点を得ることは出来なかったのだ。
センバツに出られたとしても、その次の夏。
つまりは来年の春に、どれだけの新入部員が入ってくるか。
夏の成績を見て、野球部を志望してくる人間は多いかもしれないが、白富東は基本的に、スポーツ推薦など取っていない、完全に試験の結果がものをいう公立校である。
それに入学出来る地域の範囲も狭く、ここからそうそういい人材が入ってくるとは思えない。
それでも一人ぐらい、中軸を打てる選手が入ってくれば。
甲子園には行ける。
野球少年を勧誘するためには、この秋の大会の結果も重要だ。
県ベスト4もそれなりにすごいことではあるが、やはり関東大会出場の方がインパクトは強いだろう。
「それでは土曜日まで、怪我をしないように調整していきましょう」
相変わらずのんびりとした口調で、セイバーはミーティングを締めた。
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