1.502 課題
2-0とスコアは変化し、六回の裏。
ここからマウンドに登るのは直史である。
夏の県大会の決勝で、右肘を痛めたが、わずかな炎症であったため、既に投球練習は再開している。
だが今日はまだ、スルーは投げない。
ストレートとツーシームやカットを中心に、打たせて取るのが基本である。
トーチバという全国レベルのチームを相手に、一般的な変化球と、140kmには満たないストレートでどう勝負するか。
一応事前に考えてはいた。プレートの幅を使った、コンビネーションである。
それともう一つは、ボール球をどう振らせるか。
直史の球速ではトーチバレベルの素材の持ち主には、ストレートでぴしりと決めるのは難しい。
だが球速ではなく、球質の変化に絞ればどうだろうか。
あとは同じピッチトンネルから、チェンジアップを低めに決めることも重視する。
結果は出た。
トーチバ相手に四回を投げて、二安打一四球無失点。
スコアは2-0のまま、白富東の勝利であった。
現在の白富東の課題は、何よりもまず得点力である。
そしてそれにもつながるが、打力である。
ランナーがどうにか出た場合は、そこから犠打や揺さぶりをかけて、なんとか得点する手段が必要だ。
それにしてもヒットをきちんと打てる人間が少ない。
まあそれはそれとして、夏休み期間中に白富東は、選抜されたメンバーで甲子園の見学にも行ったりした。
全てはセイバーのポケットマネーである。
そしてわずかなお盆休みを終えると、秋季県大会の地区大会が始まる。
千葉県の地区大会は県内を八つの地区で分けて、そこでトーナメントを行う。
上位チームを64チームまで選んで、そこから県大会本戦を行うのだ。
当然ながら甲子園に出場した勇名館は、地区大会免除でいきなり県大会本戦からの出場である。
この地区大会は野球部の試合用グラウンドがある学校が、持ち回りで行われる。
幸いと言うべきかどうか、白富東は担当の学校ではない。
一応公式戦が出来るグラウンド面積ではあるのだが、それでも私立に比べるとグラウンド以外も設備は劣っているのだ。
それでもセイバーが色々と金を出して、マシンやブルペンは整備している。
あとは食事である。これもまたセイバーがバックアップして、朝練後に一食、夕方に一食と、カロリーと栄養素をしっかり摂取出来るようにしてある。
高校生に激しい運動をさせすぎると、そのためのエネルギーを筋肉や骨から出してきて、体が作られないのだ。
身も蓋もないことを言ってしまえば、多少の技術の差などというものは、圧倒的なフィジカルの差で逆転出来るものなのだ。
あるいは技術だけではなく、体も作っていくのが、本当のトレーニングとも言える。
だが白富東の選手の中でも、無理に筋量を増やそうとはしない者もいる。
直史である。
直史は筋肉よりも、体の柔軟性を重視する。
あとは指先にまでしっかりと、コントロールを利かせること。
パワーを急激に付けても、それをコントロールする脳が、筋肉を認識しないことを、彼は理解している。
野球のピッチャーに多い失点は、もちろん単純にヒットやホームランによる得点が多い。
だがセイバー・メトリクスで重視されるのは、打率よりも出塁率だ。
出塁率は打率と四死球、そして失策によって算出される。
失策までピッチャーの責任とするのは間違っているが、逆に野手の堅守によって、ヒット性の当たりがアウトになることもある。
なのでピッチャーにとって大事なことは野手の守備の影響のない、奪三振と四死球である。
直史の場合は追い込むまでは内野ゴロを打たせることを目的としている。
フライであると外野まで飛んだ時、長打になることが多いからだ。
またスルーという球の性質と、一番多投するカーブが、ゴロを打たせるのに都合がいい。
だがゴロというのは、フライよりもエラーや、安打になる可能性が高い。
なぜならばフライは捕球すればそれでアウトであるが、ゴロは捕球した後に、ランナーよりも早く一塁にボールを送らなければいけないからだ。
手間と精度が、フライよりも難しいのである。
高校野球レベルまででは、ゴロの処理ミスは内野には多い。肩の強さもあって、比較的内野安打が多いのだ。
だから一般的にバッターはゴロを打つことがいいとされているが、実際のところは確かに、ピッチャーは球威で押してフライにする方が、安全性は高いのである。
高校までだとダウンスイング信仰の指導者が多いのも、このあたりに理由がある。
だがそれでも直史がフライよりはゴロを打たせたがるのは、一つには白富東の守備陣が上手いことにある。
特に大介などは反射神経とバネの塊と言うべきか、抜かれるような球をキャッチして上半身だけで一塁に送ってアウトにすることが多い。
そしてもう一つは、長打の可能性である。
当たり前のことだが、ゴロはホームランにはならない。
フライは風の影響などもあるが、基本的にフライを打たないとホームランにならないのだ。大介の一直線に飛ぶライナーホームランは例外である。
ヒットを連続で打たれて点を取られる可能性に対して、ホームランは一発で確実に点数になる。
これを計算すると完封するためのピッチングは、球威でフライを打つよりも、ゴロを引っ掛けさせる方がいいという考えにもなる。
もっとも実際はピッチャーの球種やバッターのフォームによって色々と違う。
ただフライボール革命などにも言われる通り、全国レベルのスラッガーや、プロの強打者にとっては、やはりフライを打つことを考えるべきなのだろう。
もっともこのフライボール革命の影響か、三振の数も全般的に増えているようではある。
甲子園期間中ではあるが敗退したチームは関係ない。
いや、新チーム起動のためには、本来はここが重要な期間であるのだが。
しかし白富東はとりあえずほとんどメンバーが代わっていないので、普通にお盆もお休みをした。
セイバーも義理の実家に帰ったそうな。
そしてお盆明けからは、いよいよ千葉県秋季大会の地区大会が始まった。
白富東は当然ながら注目されている。
夏の大会の準優勝校なので当然であるが、単にそれだけではない。
レギュラーから外れたのが一人だけで、決勝で投げたバッテリーや、ホームランを量産した一年生がそのまま残っている。
それにトーチバとの練習試合の結果も、当然ながら知れ渡っている。
それとつい先日に行われた夏の甲子園において、千葉県代表の勇名館はベスト4まで勝ち残った。
最後には準決勝で、優勝した大阪光陰相手に吉村のガス欠と相手の打力の前に敗退したが、その勇名館に実質は勝っていたとまで言われる白富東を、マークしない理由はない。
県大会本戦に出るには三度勝てばいいのだが、ごく普通に白富東は地区大会を制した。
九月の下旬から週末を使って行われる県大会本戦。
ここで決勝にまで残れば関東大会へ進出出来る。
多少は例外があるが、ここでベスト4までに入れば、まず春のセンバツへの出場は決まると言っていい。
なお創立100年以上、甲子園出場経験なし、スポーツ推薦なし、県下有数の公立進学校である白富東は、甲子園の21世紀枠でも出られる可能性は高い。
21世紀枠というのは、まあアレである。
単純に実力だけでセンバツの出場を決めたらつまらないということで設けられた、特別枠と言っていい。
もちろん地方大会で一回戦負けの弱小が選ばれれば、甲子園の強豪と当たって虐殺される可能性もあるので、ある程度の成績は考慮される。
千葉県であれば県ベスト16以上というのが一つの基準と言われているが、それと同時に守備力が高いチームが選ばれる傾向もある。
あとは掃除をしっかりしているとか、人数が少ないとかの理由はあるが、実力に少し上げ底をされての出場というもので、なかなか一回戦突破をするのも難しい。
以前にも明言した通り、セイバーはこの枠での出場は狙わない。
なぜなら選抜の過程において、実力以外のものが考慮されてしまうからだ。
県大会を勝ち進み、秋季関東大会でベスト4以上。誰にも文句を言われない実績を残し、甲子園に行く。
そんな白富東相手には、県の内外から練習試合の申し込みがたくさんあった。
県内の本当の強豪、秋の大会で勝ち残って、甲子園を目指すようなチームは、そろそろ県内の強豪とは戦わなくなる。
相手になるのは県外の、しかも関東ではない地区の強豪か、県内の弱小とは言わないまでもせいぜいベスト8ぐらいを目標にするチームとなる。
つまり本格的にセンバツを狙う上では、当たらないであろうというチームだ。
もっとも関東でも東京だけは違う。
東京は東京で、優勝校は間違いなく、準優勝校も場合によってはセンバツに選ばれるので、関東の強豪と平気で試合を組む。
平日にでも平気で練習試合を組む私立と違い、午後もしっかりと授業のある白富東は、週末にしか練習試合は組めない。
またまだ日が長いとは言え、平日は平日でルーティンのサーキットもしっかりとする。
セイバーはアメリカから専門のスタッフを連れて来ているが、これらは確かに高度な連繋なども教えられるが、基本的に大事なのは、普通のボールを普通に処理することだ。
野球の基本はキャッチボール。
ボールを受けることと、ボールを投げること。
基本は相手の胸元にであるが、キャッチボールの往復の速度を上げていって、足を前後や左右に広く開いた体勢からボールを投げる。
長く続けると送球が乱れてくるが、それをある程度体ごと移動してキャッチする。
送球ミスに罰則などはない。ただすぐに再開していく。
大切なのは、何も考えずに反射で送球が出来るようになること。
この基本の上に、複雑な技術を重ねていく。
ファインプレイは確かに素晴らしいものであるが、ファインプレイをファインプレイと思わせないほどに、当たり前に打球を処理したい。
キャッチボール一つからでも、意識の持ち方が違うのだ。
守備の練習の前には、走塁の練習も兼ねたフットワークのダッシュがある。
それほどきつくはない白富東の練習の中で、おそらくこれが一番きつい。
5mから15mほどの地点にそれぞれラインを引いて、笛の数でどこかで反転する短距離のダッシュ。
野球にロードワークは必要ないというのがセイバーの常識であり、コーチ陣も基本的に長い距離は走らせない。
もちろん本物の初心者の、心肺機能が一定に達していない者に関しては別だが、幸い今の白富東にはいない。
野球の内野が全力で追いかけるのは、せいぜいが15m程度。
それを考えるとこの、反転する動作を含むダッシュは確かに意味がある。
ただしこれを充分なアップもなしに行うと故障する。
それにポジションによってもメニューは違う。
一番短距離ダッシュを必要とされるのはピッチャーだ。
極端な話、垂直飛びや幅跳びの能力が、球速に比例する。
ボールを投げるのは手であるが、基本的には蹴り足も含めて全身の筋肉の力を指先に伝えるのだ。
「これ、飛距離伸ばすのにはいいっすね」
大介はそう言うが、どうやら大介のホームランの秘密は、足腰にもありそうである。
単純に体重だけから考えれば、大介の体格ではホームランをポンポンとは打てないはずなのだ。
そしてピッチャーにもまた別メニューがある。
基本的には投げ込みであるが、ウエイトはあまりしない。
するとしてもそこそこの重さの器具を、瞬発的に10回とかの少ない数を、一日に行う程度だ。
そして投げ込みも、八分の力でキャッチャーに投げることを九割。
全力投球はせいぜい一割だけである。
一日に300球の球を投げる。
だがその九割は、少し力をこめた程度の球であり、全力では30球ほどしか投げないのだ。
これも先に軽く投げて、真ん中で全力で投げて、その後も軽く投げる。
直史の場合はこれに加えて、左でも投げる。
右ほどには投げないが、左で投げることによって自分の体が、中心でぐるんと回転する感覚がつかめるのだ。
もっともこれは岩崎にはさせようとは思わないし、コーチも勧めたりはしない。
ただシャドーピッチングや軽負荷の運動を左手にもさせたりはする。
とまあ、それほどきつくはないと言われる白富東の練習であったが、セイバーの着任以来かなり負荷は強くなってきた。
だがこれは全て段階的に増えている練習量であり、また身長や体重や体脂肪率を量って、一人一人に合わせたメニューを作るのである。
(う~ん……見ただけで全てが分かる練習はしていませんが、ピッチャーの球種ぐらいは隠す必要がありますね)
ブルペンの周囲だけは、カーテンか何かで覆いたい。
こんな練習をしながら、週末には練習試合なのである。
もっとも週に一度は完全休養日があるし、土日もどちらかは半日練習となる。基本は日曜が午前中の練習試合だけの場合が多い。
あとは座学もあるが、これはあまりセイバーの心配はいらなかった。
基本的に白富東は、地頭はいい生徒しかいないのだ。
よって戦術やデータの活用などは、すぐに理解される。
もっともちゃんと実践するために、練習試合を組むわけだが。
そしてその練習試合は、県外の強豪相手でもかなりの勝率を叩き出せたわけだが、同時に問題点も明らかになった。
やはり得点力が弱い。
「北村君の穴は大きいですね」
ミーティングで反省するのは、本日も1-0で勝った練習試合である。
強豪やちょっといいピッチャーがいるチームと対戦した場合、極端なロースコアゲームになる。
どうにかこうにかランナーが出て大介に帰してもらうか、塁に出た大介をどうにかして帰すか、大介に一発打ってもらうというパターンが極端に多くなる。
これが普通の二回戦ぐらいでくすぶっている公立相手だと、一気にコールドのスコアまで持っていけるのだが、打線には打てるバッターが最低二人は必要らしい。
北村が一人抜けると得点力の平均は、どうやら三人分ほど減るようだ。
一応出塁率は上がってきている。
バッピ代わりに直史に投げてもらうと、ストライクとボールの見分けがかなり必要になる。
直史にとっても、変化球でストライクを取る練習にはなる。
「もっとも高校野球の審判って、ストレート以外はかなり判定がいい加減ですよね」
「セイバーさん! それはまずい!」
「そのくせストレートだと少し外に外れてても、ストライクになるんですよね」
「いやほんとまずいから!」
そんな練習や試合を見物する、周辺住民の人々もいる。
なにせ古くからある学校であるし、変な生徒はいても悪い意味での問題児は少ないので、素直に応援する気分になるのである。
「それと山手さん、県大会の日ですが、実は問題がありまして」
「え? 野球部の予定は把握していたと思いますが」
部長の高峰の言葉に、何か失念していたかと記憶を検索する。
「いや、県大会の土日に、学校説明会があるんですよ。去年までは普通に地区大会で敗退してたので、問題はなかったんですけど」
「……そうですか」
強くなれば強くなっただけ、それなりに問題もあるようである。
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