Ex16 白富東高校野球部・裏の奇跡6 最後の応援3

 第三部133話終了後のお話です。


×××


 準決勝が終わり、真紅の大優勝旗を賭けて戦う相手が決定した。

 その瞬間の白富東の選手たちが、珍しくも厳しい顔をしていたのを、恵美理ははっきりと見ていた。


 決勝前日、最後の調整日。

 明日の最後の試合は、先発は佐藤直史と決まっている。

 去年の夏の準決勝、大阪光陰相手に達成した参考パーフェクト。

 だがその試合で指を怪我し、決勝には投げられなかった。

 しかしもし投げられたとしても、あの試合展開ではやはり勝てなかったのではないかとも言われている。


 最後の夏の甲子園の決勝。

 その先発マウンドに立つのは、それぞれのチームでたった一人。

 ミーティングを部屋の片隅で見学させてもらった恵美理は、その空気があまりにも自然体で驚く。


 秦野は語る。

「後悔は、普通のことを普通に出来なかった時、そして自分の力を限界まで出し切れなかった時に生まれる」

 選手時代、そして監督時代、ただ長く生きてきただけでも、教えられることはいくらでもある。

 挫折を多くした者ほど、指導者には相応しい。もちろん強烈な成功体験を経験させるのも必要だ。

「当たり前のことを当たり前にな。一つ一つのプレーを大切に。ただいつもより注意深くではなく、いつも通りに行うんだ。お前たちは普通にやって勝てるだけの実力を、もうつけている」

 まるで教育者だな、と秦野は自分を俯瞰して見ている。

「今日の練習は午前中で終了。午後はミーティングしてその後は各自で何をしてもいいが、コーチ陣のことはしっかり聞いて、絶対に無理だけはしないように」




 その最後の練習日の朝、明日美と一緒にトイレに来ていた恵美理であるが、顔色の悪いシーナがやって来た。

 いつも決然として、男の中に混じっても弱音を吐かない、二人にとってはまた違った憧れの人。

 それが二人から逃げるように、個室へ入る。

 思わず顔を見合す二人。見てはいけないものを見てしまった気がする。

「……どうしたのかしら……」

 恵美理の小さな問いに、明日美は目を閉じて、空気の匂いを嗅ぐ。

「シーナさん、あの日だ」

「あ……」


 恵美理もすぐに分かった。

 女性のスポーツ選手だけでなく、ありとあらゆる場面で女性には不利に働く問題。

 頭脳戦においても、軽い人間でも月に数日は明らかな不利があれば、積み重なってとんでもない不利となる。

 明日美はその個室の前に歩み寄ると、コンコンとドアを叩いた。

「シーナさん、大丈夫ですか? 薬とかありますか?」

「……だい……じょぶ……」

 それは嗚咽をこらえる声であった。

「珠美ちゃん、探してきてくれる?」

「分かりました」


 二人はトイレを出ると、普通に部員たちの補給食を作っている珠美をマネージャーの中から見つけた。

「珠美ちゃん、ちょっと来て」

「緊急ですか?」

「かなり」

 何事かと珠美はすぐにその場を離れるのだが、他のマネージャーは文歌がまとめて作業に戻らせる。


 二人に連れられた珠美は、個室の中に入っていった。

 そして二人はとりあえず外で待つ。

 やがて顔を洗ったシーナが珠美と共に出てきた。向かう先はどこだろうか。

「付いて行った方がいいかな?」

「そうね。一応事態は把握しておきたいし」

 気付かれないようにひっそりと歩いていった二人は、シーナたちが秦野の部屋に入るところまでを見た。

「しばらくしてから二人は出てきたが、シーナの表情にはさっぱりとしたものが戻っている」

「シーナさん……」

 明日美が声をかけるが、シーナはふうと溜め息をついた

「外に出よっか」




 シーナは監督にスタメンからは外してもらうように言った。

 そしてそれを秦野も了解した。

 明日美も恵美理も生理は軽い方ではあるが、重い人間は本当に重い。

 それにわずかな体調の悪さも、勝つためには避けなくてはいけない。避けるべきだと判断したのだ、シーナは。

「出場は、昨日が最後になっちゃったな……」

 宿舎の庭には手ごろなベンチがあり、そこにどっかりとシーナは座る。

「だけどベンチメンバーは替えられないからね。あとは応援して、チームを勝たせる」

 選手たちがプレイする上で、一番大きな動機はなんだろう。

 もちろん甲子園の大応援団もあるだろうが、ベンチに入った競い合う仲間が、一番重要ではないだろうか。


 元々ベンチから応援するのには慣れていたのだ。

 最後の試合には出なくても、何も貢献できないわけではない。

「あ、でも当然だけど、あいつらには黙ってておいてね」

「それはもちろん」

「誓います」

 女子として当然のことである。


 それでもまだ、シーナは空を見つめていた。

「甲子園、来れて良かった……」

 この先も長く、甲子園の歴史は続いていくのだろう。

 それでも記録されるのだ。女子の最初の選手、椎名美雪の名前は。


 優勝の18人のメンバーの中に、シーナの名前は刻まれるべきだ。

 改めて精一杯の応援を誓う二人であった。




 午前中の練習には、シーナも無理をして参加をしている。

 普段と同じようなことをしなければいけない。

 明日のピッチャーには似たところはないため、明日美も恵美理も、今日はスタンドでの見学だ。

 その見学の中に、瑞希もいる。


 白富東高校の物語を、客観的な事実と選手たちの主観を集めて記録している少女。

 直史の恋人だとは聞いているが、どうしてこういったことをするのか。

 ふと明日美はそれを聞いてみたが、瑞希は言ったものだ。

 聞いた全ての事実が書けるわけではないのだと。


 プライバシーの問題もあるので、すぐに公開出来そうなものと、数十年後にやっと公開出来るであろうことなどを、彼女はしっかりと分けている。

 シーナの話も彼女は知っていた。

 数十年後に公開すべきことかどうかは、今はまだ分からない。

 ただすぐに公開する情報ではないだろう。

「せっかくだから、貴方たちのことも聞かせてくれる?」

 そして話し合う三人の美少女たち。

 はっきり言ってしまうと目の保養である。


 そして恵美理もはっきりと感じた。

 明日美は恵美理にとってびっくり箱だが、瑞希とはものすごく話しやすい。

 趣味の傾向は違う。なんだかんだ言って恵美理はアウトドアも得意である。対して瑞希は明確にインドア派だ。

 そして明日美は基本的に、誰とでも仲良くなれる。

 友達100人出来るかなを地で行くような少女なのだ。

 それでも瑞希と話しやすいのは、気が会うとでも言えばいいのか。


 ふと恵美理は、いるべき人物がいないのに気がついた。

「そういえばイリヤは?」

 イリヤも一緒の部屋に泊まっているのだ。

「彼女は明日の決勝に備えて、体力を回復してるの」

「暑さに弱いの?」

 明日美は呑気に質問するが、恵美理はその理由を知っている。

「明日美さん、イリヤはね、病気で肺の片方を半分ほど切ってしまったの。その影響で楽器のいくつかを吹けなくなったし、歌もあまり歌えなくなってしまった」

「可哀想……」

「でも彼女は、自分の悲劇さえも音楽にしてしまう人だから」

 瑞希は正しくイリヤを理解している。


 イリヤは一般的な人間の範疇からは外れてしまった人間だ。

 その才能と能力だけの影響力を語るなら、この年齢にして既にレジェンドと言える。

 自らの悲劇さえもが、音楽という芸術の糧。

 歌といくつかの楽器の演奏を奪われても、まだ両手の指は動くし、脳は思考して曲を考える。

 音楽が生活から失われない限り、イリヤは生きていける。

 逆説的に音楽を失えば、イリヤは死んでいるのと変わらない。




 午前中で練習は終わり、選手たちは宿舎に戻る。

 午後は自由行動ということになっているが、注目度の高い人間が外に出るのはかなり難しい。

 まあ直史などは、ちょっと変装したらなかなか気付かれないこともある。あまり見た目はスポーツマンらしくないので。

 それでも今日の彼は瑞希に付き合って、宿舎で色々と記事の整理をしたりしている。


 明日美と恵美理は秦野たちとの、決勝の相手の分析に混じっていたりする。

 そして主に秦野とジンの間でやり取りされる、相手打者の分析に引く。

 男子たちでさえけっこう引いている。

 正直なところ、そこまで考えないと勝てないのか、とまで思う。


 他のスポーツもそうだが、野球も高度な計算と確率、そして駆け引きのスポーツだ。

 その中で天才の中の天才は、力づくで勝負を決めてしまう。

 上杉勝也は、甲子園での最終戦は、球数制限によって敗北した。

 あの天才ともう一度戦うために、大介は己の人生を決めた。


「ということで、明日の試合は完封して、一点取れば勝てる」

 これは普通ならば机上の空論と言うべきだ。

 だがこの理屈を、体現してしまえる存在が白富東にはいる。

「それじゃあ、ナオと白石がいなかった場合、どう戦うかも考えるか」

 秦野の持ち出した条件は無茶であった。




 夕方、酷暑の中でもまだしも涼しい、太陽の沈む時間。

 分析が終わってのぼせそうな頭で、恵美理は冷房の利かせた部屋で涼んでいた。

 明日美は双子とコンビニに出かけ、たまたま一人となって窓から見れば、追っかけというかファンというか、何十人もの人間が宿を囲んでいる。

 高校野球のスターというのはこういうものかと、まるでアイドル扱いだなとも思った。

 アイドルとは違うのは、これだけの人気があっても金銭が発生していないことである。


 コンコンと叩く音がしたので、どうぞと声をかければ、武史が入ってきた。

「あれ、ツインズは?」

「明日美さんと一緒にコンビニへ」

「一緒に行かなかったの?」

「あの二人といると追っかけまわされることがあるらしいので」

 明日美ぐらい足が速いとそれも撒けるのだが、恵美理にはそこまでの体力はない。

「そっか。俺のマンガ持っていったみたいなんだけど……」

 女性陣の荷物はしまってあり、武史も双子の荷物を改めるのには躊躇する。

 逆の立場なら全く躊躇得せず、双子は武史のプライバシーに踏み込んでくるだろう。


 恵美理は不思議に感じるが、一応兄ではあるが同学年というのは、こういうものなのだろうか。

「連絡してみたらどうですか?」

「あいつら俺の連絡無視するから……」

 しょぼんとする武史は、まさに弱者の立場であるらしい。

 恵美理は不思議である、武史の才能は間違いなく、高校野球界でもトップレベルであろう。

 それなのに妹たちに翻弄されるところは、なんだか可愛くもある。

「私から連絡してみましょうか?」

「いや、そこまで探してるもんでもないし。てか神崎さん、言葉遣い丁寧だけど、もっと気楽に……って、そういえば誰にでもそうだっけ?」

「う……時々言われます」

「お嬢様なんだ?」

「う……世間一般で見ればそうらしいです」


 恵美理としてはそこそこ大きな家ではあるが、別に金持ちだとかお嬢様だとかは思っていなかったが、中学時代に指摘された。

 聖ミカエルに通っていて、23区に家があって、東京郊外にも家があって、そこにはプールがあり、お手伝いさんがいる家は、どうやらお嬢様らしい。

 自分で掃除や洗濯もしっかりしているので、指摘された時はちょっとショックだったが、明日美がお姫様みたいと言ってくれるので、今ではそれなりに気に入っている。

 そもそも恵美理は、外見が美人なのだ。明日美のような可愛らしさではなく、どことなく高貴さを感じさせるような。

「そういえば、今更ですがありがとうございました」

 恵美理に礼を言われるが、果たしてなんのことやら。

「ストレートを投げてもらって」

「ああ、あれね。てか女の子で俺の球捕れるってのが信じらんなかったけど。神崎さん細いし」

 明日美は細いのだが、うっすらと筋肉が見える、全身細マッチョだ。

 それに比べると恵美理はまだ、ぷにぷにと柔らかそうに見える。

 実際は恵美理もちゃんと鍛えているのだが。明日美の体脂肪率の低さには負ける。


 ここで話をさりげなく展開出来るなら、武史ももっと分かりやすくモテるのだ。

「そういや俺ら、決勝後に一日宿泊して、USJで遊んでから帰るんだけど、神崎さんたちはどうすんの?」

「あ……応援に行こうって言われて、その後のことは何も……でも、明日美さん、そういうの好きそう」

「だったら一緒に回らない?」

「武史さんも?」

「まあ、俺以外にも色々といるけど、あ、淳とトニーもいるかあ……」

 その言葉に、珍しく恵美理の顔が歪む。

 まああの二人の明日美への好意を見ていれば、友人としては心配にもなるだろう。

「武史さんが明日美さんを守ってくれるなら、安心して同行出来ますけど」

「う~ん、たぶんツインズかそのへんはしっかりするんじゃないかなあ」


 佐藤家の双子は、瞬く間に明日美と仲良くなった。

 恵美理としては少し嫉妬しないでもないが、明日美はそういう人間なのだ。

「じゃあ、私も行こうかしら」

「歓迎するよ」

 そして武史は無自覚のうちに、女の子を集団デートに誘うことに成功するのであった。

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