Ex15 白富東高校野球部・裏の軌跡5 最後の応援2
第三部128話を読んでからお読みください。
×××
17日の深夜バスに乗って、恵美理は明日美と共に、甲子園を目指す。
持ち物は身の回りの品々に、これだけは必要なトランペット。
恵美理はピアノ、ヴァイオリン、トランペットがそれなりに演奏出来るが、トランペットが一番下手くそである。
ただ甲子園にピアノとヴァイオリンはありえないので、これを選ぶしかなかった。
なお明日美は楽器演奏をしない。
佐藤家のツインズと一緒に、チアガールをするのだ。
他の多くの野球部員と同じように、明日美もまた野球部以外にもう一つの部活動に入っている。
チア部ではない。応援団だ。
いろんな友達の応援をしたいというのが理由だが、いかにも明日美らしいと言えば明日美らしい。
チアが出来るのは、そもそもの身体能力の高さゆえだ。二時間ぶっ続けで踊っていたのを見て、その見ているほうが心配になったほどだ。
白富東高校の試合は第一試合なので、午前八時から始まる。
相手は昨年の優勝校春日山高校。ピッチャーの上杉とキャッチャーの樋口は、二人で日本最強のバッテリーとも言われている。
日が昇る前から既に暑いこの夏、恵美理は吹き続け、明日美は踊り続けるわけだ。
明日美はともかく自分は出来るだろうかと不安になる恵美理である。
「アスミン!」
「サキちゃん!」
全く見分けがつかない佐藤家の双子と、明日美はハグをする。
この暑さの中でもくっつけるのはタフだが、慌てて明日美は離れた。彼女はけっこう汗っかきなのを気にしているのだ。
「それじゃ二人、このTシャツ着てね」
「うちの応援団の証だからね」
白無地にただ黒く「白」とだけ書いてある。どっちやねん。
吸湿性には優れていながら空気もちゃんと通りやすい、それなりにお高そうなものだ。
通路の先のアルプススタンド。
「すごい……」
きゃほーと明日美は駆け出していくが、これが五万人も入る野球場。
これが、高校野球の聖地。
アルプススタンドまで、まだ試合前なのにほぼ満席だ。
「来たわね」
声をかけてきたのは、この太陽の下ではいささか不似合いな、不健康そうな顔色の少女。
イリヤ。自分の音楽への自信を叩き潰した少女。
だが今日の彼女は、恵美理にとっては味方である。
「これ、帽子とタオル二枚。それに水」
「……ありがとう」
「どうせ貴女のことだから、高い楽器を持ってきたんでしょう? 金属が歪まないように、吹かない時はそれで熱から守って。それと水分補給は小まめにね」
イリヤはもう、トランペットもサックスも吹けない。
他の楽器の演奏だって、長時間は無理な体になっている。そして歌うことさえも。
あの才能が音楽の世界から失われたと聞いた時は、その道から離れたはずの恵美理でさえ、衝撃で身が震えた。
「楽譜はこれ。貴女ならすぐ暗譜出来るでしょ?」
「やるわ」
楽譜を眺める合間に応援団の様子を見て、恵美理は思わず、何も口の中にないのに噴出しそうになった。
「なんでジム・モートンがいるの!?」
「だって応援したいって言ったから」
世界的なトランペット奏者を、応援団に入れるのか。
まあ練習の段階で他にも何人か、やたらめったら上手い人間はいるが。
イリヤの作った曲を演奏したい人間は多い。歌いたい人間はもっと多い。
クラシックからジャズに行ったはずのイリヤはロックやテクノなども取り入れてポップとなり、既に「イリヤ」としか言えない存在になっている。
そんなイリヤが、この二人を選んだ。
明日美と一緒に、踊る二人。甲子園というこの、高校野球の大舞台。
間もなく開始される第一試合のスターティングメンバー。
佐藤武史がピッチャーである。
多くの曲を白富東のブラバンは演奏していく。
なんでも白富東の選曲は、何十年も続いている定番の曲にプラスして、恵美理たちが生まれる前のアニメやドラマなどの主題歌などを使っているのだとか。
そしてイリヤが作った、専用曲が二つ。
『夏の嵐』と『白い軌跡』。
そしてこちらの守備の時には、声を嗄らしてピッチャーを応援する。
武史が三振を奪っていく。
一回から三回までは全員。その後も確実に一イニングには最低一人ずつのペースで。
(すごい)
すごい。
守備の間はKの旗を振って、声を張り上げる。
回を重ねるごとに、ストレートの軌道が変わっているのだろう。
ここからでははっきりとしないが、おそらくあの浮き上がるようなストレートを投げているのだ。
恵美理は高校から野球を始めたので、当然ながら上杉勝也の試合を、生で観戦したことはない。
だがおそらくあの超天才の時も、こういった歓声が上がっていたのだろう。
腹から振り絞るような声が、アルプススタンドを揺らす。
三振を奪うごとに、大歓声が球場を振るわせる。
それは武史だけではなく、上杉の時も同じだ。
しかし武史に比べると上杉は、後に控えるピッチャーがいないので、どうしても打ち取るピッチングになってしまう。
だからと言って、武史が凄くないわけではない。
最速155kmのストレートは、終盤に入ってMAXまでは出なくなるが、それでも三振を奪っていく。
むしろ後半の方が、打ち上げるボールは多いかもしれない。
(きっとあの軌道)
浮き上がるような。明日美が一番綺麗なフォームで投げた時の、ミットを上に弾くような。
八回の先頭にヒットを打たれるまで、21人に対して15個の三振。
明日美も三振を奪うピッチャーだが、ここまで圧倒的ではない。
試合は最後を交代した兄の佐藤直史が〆て、白富東の勝利。
準決勝への切符を手にした。
学校の応援団は次の試合のチームに場所を譲るため、座席を空けなければいけない。
バックネット裏ならともかく、単に観戦するだけなら、テレビ画面の方が分かりやすい。
「そういえば明日美さん、私たちはどこに泊まるの?」
ぞろぞろと球場内から流れ出す人の群れ。
「言ってなかったっけ」
と振り向いた明日美が、どんとぶつかる。
平衡感覚に優れた明日美であるが、こういう状況ではさすがに転ぶ。
しかしその腰に手を回した、屈強な腕がそれを防いだ。
「すまん。大丈夫か」
「はい」
見た目より重い明日美を、片手で軽々とひょいと立たせた男。
「あ――」
サングラスをかけたその巨漢、正体に気付いたのは恵美理の方が先であった。
「上――」
だが男は唇近くに人差し指を立てて、沈黙を促す。
なるほど、お忍びか。
だが周囲の人間は、分かっていて知らないフリをしてくれているような気もする。
「びっくりした。すごい力だったよね」
あれだけ大きな体で、ムキムキの筋肉。明日美も驚いて心臓がドキドキいっている。
「あの人、上杉勝也さんよ。たぶん弟さんの試合を見に来たんでしょうね」
「え、うわ、あの人が。でも納得」
片手で軽々と明日美を支えたのだから、並の力ではない。
明日美は女上杉と呼ばれることはあるが、本人としてはあまり上杉勝也を意識したことはないのだ。
本物の方はコントロールも抜群で、変化球もそれなりに使えるので。
「あたしってけっこう重いのに」
否定出来ない恵美理である。
一方の上杉も、実は驚いていた。
可愛らしい顔をしていたが、腹回りの肉は、硬く締まっていた。
(随分と頑丈そうな女子だったな)
どうでもいい出会いの仕方をした二人であった。
白富東の応援団が、全員宿に泊まれるはずもない。
深夜バスを使っては甲子園まで来て、そしてまたバスで戻る。
戻った日の夜にまた甲子園へ向かうという、応援側もハードなスケジュールなのである。
それに対して、招待して応援に来てもらった明日美と恵美理は、白富東の選手と同じ宿、女性陣の部屋に泊まることになっていた。
「ここで一緒に寝るのって、中学校時代を思い出さない?」
明日美が思い出すのは中学時代に、クラスメイトと共に武道場へ布団を持ち込んで泊まったことだ。
普段は寮生が多いので、そんなことをすることは滅多にない。
「ああ、そういえば……」
あれから外の学校へ進学したり、高校から友人になったりした人間もいるが、今の明日美に付き合って野球をしているのは、ほとんどが中学時代からの付き合いがある者だ。
そしてこの宿に泊まるということは、白富東の男共も同じ屋根の下に泊まるということでもある。
つまり明日美のことが大大大好きな淳とトニーもいるということで。
明日美の隣を片方は恵美理がガードするにしても、もう片方をどうするべきか。
「タケ、そこにね」
「へいへい」
そう言われて武史が明日美のもう片方の隣に座った。
明日美は直史のファンと知っている恵美理であるが、その直史はマネージャー風のメガネ少女と隣合っている。
あれが噂に聞いた婚約者だろうか。
「いや~、それにしてもありがとね、応援に来てくれて」
秦野が如才なく言葉をかけてきて、明日美はえへへと照れたように笑うが、恵美理としては明日美の分もしっかりしなければと思う次第である。
「こちらこそ特別な機会をいただき、ありがとうございます」
「権藤さんのピッチングは、正直男子に混じっても、試合数の少ない県なら甲子園に出場出来るレベルだからね」
「え、そんな~、あたしなんか~」
「いや、マジで、だってこいつらほとんど抑えちゃったでしょ」
「でもリードしてくれるのはいつも恵美理ちゃんだから」
明日美はこういう時控え目であるが、はっきり言って他のピッチャーでは、男子を抑えられそうな者はいない。
新栄の新谷と天王山のバッテリーでも、おそらくは無理だ。
恵美理としても、明日美の球がどうしてここまでバッターに打たれないのかは、かなり不思議である。
「てかさ、対大滝用のバッピ、権藤さんにやってもらったり出来ないかな」
武史が言う。意外といい案かもしれない。岩崎に直前にバッピをさせるわけにはいかないし、武史も調整程度ならともかく本格的に投げるのはまずい。
「やってもいいんだけど、スパイクないの~」
あ゛~とでも言いたげな顔で残念そうな顔をする明日美だが、そこはツインズがいる。
「あたしたちのスパイク合わないかな?」
靴のサイズは同じであった。
「でも恵美理ちゃんがキャッチャーしてくれないと、すぐ打たれちゃうよ? リードしてくれるの恵美理ちゃんだから」
そういえば、明日美が首を振ったことを見たことがない白富東の一同である。
うん? とジンが首をひねった。聞いた話では、恵美理も高校からキャッチャーをしているはずだが。
「神崎さんはどういう基準でリードしてるの?」
「どうって、普通だと思います。バッターの得意な球種を聞いて、スイングを見て、あとは待ってないボールを投げてもらうぐらいで」
「へえ、その待ってないボールはどう判断してるの?」
「え……だって傍にいたら分かりますよね?」
その瞬間、キャッチャー体験者たちの表情が凍った。
「……なるほど、こちらも天才だったのか」
直史の呟きに「私、何か変なこと言いました?(きょとん)」とする恵美理であった。
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