Ex10 白富東高校野球部・裏の軌跡3 新戦力の前日譚
時系列としては二度目のセンバツ前後、七章か八章読了後に読むことをオススメします。
×××
ごく当然のように、淳は白富東の合格を報告した。
これから世話になる佐藤家と、センバツで甲子園に向かった野球部と、そして今までずっと暮らしてきた実家に。
「お前はほんと、言い出したら聞かないからなあ……」
父は溜め息をつくばかりである。
淳は姉が一人いる。
この姉が割と自己主張の激しい人なので、おとなしく見えた淳が甘やかされたというのはある。
実際のところ淳は、どうでもいいことはいくらでも譲れるが、譲れないところでは姉よりもよほど頑固な性格であったのだ。
本家の長男として、お家大事に育てられた直史よりも、このあたりはよほど面倒な性格をしている。
自分の人生は、自分のものである。
誰かのためになど生きて、それで自分が後悔したり、不快な思いをするのは本意ではない。
自分のためだけに生きるのだ。それが結果的に誰かのためになるのなら、それはそれでいい。
そんなわけで合格発表後、シニアのメンバーなどにも話した淳である。
監督は烈火のごとく怒ったが、そんなものは知ったことではない。
こいつは選手のためとか言いながらも、無難な選択肢や、シニアの利益を拡大するところがある。
高校から裏金を貰っているのは、その派手な生活からも明らかだ。
それはいい。それはそれとして、ちゃんとした指導で能力や技術を伸ばしてくれたのだから。
だが自分の人生まで左右させるのは許容しない。
「そもそも引っ越すんで、嫌がらせも圧力もかけようがないですよ。ちなみに進学先は特待生もない他県の公立なので、問題にしようがないですし」
ここまで冷静な淳に対して、監督はがっくりと椅子に崩れ落ちるだけである。
「いやお前……本気で他に行きたいなら、普通に話してくれても良かっただろうに……」
「言ったと思いますけど? 帝都一か早大付属、あと東名大相模原あたりからの勧誘なら行ってたかもしれませんね」
「いや……ん? お前、上に大学があるところに行きたかったのか?」
「いや、別に大学は普通に勉強して行けるんで」
「そうだよな? 何が不満だったんだ?」
何が不満か? いや、実のところは不満ではなかったのかもしれない。
「強いて言えば、上でやるためにも関東圏に行きたかったというぐらいですね」
淳は自分の意思を貫き通す。
それを曲げるのは、チームにとって自分の選択がマイナスになると分かった時だけだ。
「あと、伝統校ではあまりしたくなかったってとこですね。変な上下関係とかもうざいし。白富東は新しい」
「お前、上のウケ悪いからな……。まあ確かにあそこは今めちゃくちゃ強いが、SS世代が抜けたら……いや、弟と中村と金髪がいるのか」
「あとキャッチャーもけっこういいんですよ。俺とは相性が良さそうで」
あれだけ怒っていたにもかかわらず、監督は野球の話をすると普通に会話が続いていく。
自分の利益の最大化を図りながらも、こうやって野球が大好きなこのクソ監督を、実は淳は嫌いではない。
チームメイトの方がむしろ、怒りは激しかったかもしれない。
淳と同じ学校への推薦が決まっていた者、同じチームでまたプレイすると信じていた者は、それが顕著であった。
「だって早めに言ってそれが広まれば、お前らの推薦もなかったことになっただろ?」
そのあたり、最低限の義理は果たしていた淳である。
今更推薦取り消しはないだろうが、肩身が狭い思いをするのは間違いない。
来年からシニアに推薦で行ける者も少なくなるだろう。
だが、それなら他の学校から求められるほど上手くなればいいだけだ。
「それはいいけど、お前ともうバッテリー組めないのか……」
キャッチャーの浜口は、淳とセットのバッテリーとして進学が決定していたので、その落胆は大きい。
女房役の彼にさえ、淳は進路を話さなかったのだ。
「大学かプロで組めるかもしれない」
「大学はともかくプロは……」
キャッチャーでプロに行くのは、本当に難しい。
「大丈夫だって。お前のバッターをおちょくるリード、俺は好きだったし」
本音である。
浜口は大きく溜め息をついた。
「甲子園で会おう! その時はぎたぎたにしてやるからな!」
「望むところだ」
こうして淳はある程度の軋轢を残しながらも、当初の予想よりはよほど穏便に、仙台から千葉へとやってきたのである。
それよりも、ずっと前のことである。
「えーっ!?」
これからどんどん暑くなる11月。南半球のとある場所にて、父と娘の話し合いが行われていた。
「なんだ、不満なのか? お母さんとも一緒に暮らせるんだぞ?」
「それは嬉しいけど、なんで日本に?」
「元からいつかは帰るつもりだったんだ。だからお前も日本人学校に通わせていたわけだし」
「でもお父さん、仕事は何するの?」
この父に出来る仕事は、さほど多くないとも言える。
いや、色々と出来ることはあるのだが、胡散臭い仕事が多く、まともにやっていて人に言えるのはベースボールのコーチだけだ。
「ハイスクールのベースボールのマネージャー」
「ベースボールはいいとして、コーチじゃなくてマネージャーなの?」
「サッカーと違ってベースボールのマネージャーはヘッドコーチって意味だな」
「へえ! じゃあ偉いんだ!?」
「まあ、ブラジルのベースボールと日本の野球は色々と違うんだが……」
秦野博光。彼はかつて、日本でも高校野球の監督をしていたことがある。
そしてずっと長く、この南米ブラジルにおける、アマチュアのベースボールスクールのコーチをしていた。
「日本のハイスクールのベースボール、つまり高校野球は、間違いなく世界一のレベルだ」
「知ってる! 去年のワールドカップ凄かったよね! あんな小さい子がぽんぽんホームラン打って!」
「おう! あいつのいるチームのマネージャー! つまりは監督をやるんだ!」
「いい! すごくいいよ! 麻薬の売人なんかと仲良くするよりよっぽど健全だよね!」
「いや、あいつらはあいつらで、ちゃんと理由があるんだけどね……」
嫁さんに似ている娘に対し、あまり裏社会のことは伝えたくない博光であった。
「そっかあ。あの子と同じ学校かあ。あ、日本の野球って女子も出れるの?」
「残念だが男子だな。女子は女子であるけれど」
「女子野球部はないの?」
「ないんだよ」
女子選手解禁を、まだ知らない博光である。
娘は数度、母の実家に行くため日本旅行に行っただけで、幼少期を除いては日本に住んだことはない。
ただサンパウロになどに比べると、圧倒的に安全な国だったというイメージはある。
ブラジルでは都市部で未成年の女子が夜に歩いていると、相当の確率で事件に巻き込まれる。(マジである。というか普通は歩かせない
「そっかあ。あ、でも日本の学校って、そのままテスト受けなくても入れるの?」
「帰国子女や留学生の枠があってな。そこにお前を入れてくれることになってる」
「そっかあ」
なお彼女は日本において、国語と数学で死ぬほど大変な目にあう運命である。
「珠美、実はお前の名前の珠というのはな、野球に使うボールという意味で付けたかったんだ、母さんの反対で違う漢字になったけど」
「お父さんベースボール好きだもんねえ」
「ベースボールと野球は、ルールはほとんど同じでも、全然違うスポーツだけどな」
「なんで? ルールが同じなら、何が違うの?」
「そうだなあ……」
かつては高校球児であり、さらには大学野球も経験し、あるいはプロもと言われていた博光にとっては、日本の野球とベースボールの違いは明確なものである。
だが説明するのは、細かい違いがありすぎて難しい。
「野球の方が、戦争に近い、かな」
「物騒じゃん」
そうかもしれない。
しかし日本。
珠美には日本の生活に対する憧れがある。
「あの小さいホームランバッターにも会えるんだよね? ちょっと楽しみ」
「え、お前ああいう男がタイプだったの?」
「だってスーパースターでしょ? 将来お金に困らないじゃん!」
現金なようではあるが、甲斐性なしの博光が悪い。
「そういえばお父さんのお給料はどうなるの?」
家庭の財布を握られているので強いことは言えない。
日本の嫁から時々援助してもらっているのは内緒である。
「かなりもらえる。三年契約で、一年あたりブラジルのレアルで言うと3万ちょっと」
「……それ、騙されてない? いくらなんでも高すぎるでしょ」
「まあ裏に日本のプロとかメジャーとかの動きがあるんでな。それに四年目以降は契約してもらえるかどうか分からないし。ただしチームの成績によってはさらにボーナスもある!」
ちなみにブラジルのレアルはこの時点で、おおよそ30円ちょっと。つまり1000万円ぐらいとなる。プロでもそうそうない高給であるが、私立の雇われ監督であると、これぐらいは普通だったりする。
「この間来てた金髪の女の人とかも関係あるの?」
「おう。あと、アレックスが向こうにはいる」
「アレックス! そっかあ、アレックスも同じ学校かあ。すると今年も誰か、向こうに連れて行くの?」
「いや、今回はアメリカから一人行くらしい」
候補はいたのだが、あちらはあちらで売込みがあったのだ。
「でもアレックスがいるのかあ、楽しみだね!」
日本の誰もが知らないところで、また色々と騒動の種は咲き始めているようである。
「良かった……」
「一安心だな……」
そしてまた時間は戻り、三月の千葉。
公立校の合格発表を受け取り、安堵している少年が二人いた。
千葉県において去年の夏を制した白富東は、甲子園でも準優勝。
さらに秋の県大会、関東大会、神宮大会と勝って、現役最強世代であることを示してしまった。
そして今年の夏には、その黄金世代の最後の夏が待っている。
白富東の野球部は、スーパースターはいるが決して層が厚いわけではない。
マンガに代表されるフィクションのように、ごく一部のスタメンが極端に優れているのだ。
だからある程度中学時代に鳴らした者なら、一年の夏でもベンチに入れる可能性があるかもしれない。
そう考えた球児たちが白富東を目指すことになり、公立としての受験倍率を上げてしまった。
本来ならば普通に頑張れば良かったはずの二人。
全日本にまで出た三井シニアの赤尾孝司と青木哲平は、かなり必死で頑張ることになったのだった。
幸いにも努力は報われた。
野球以外でここまで頑張ったのは初めてのことである。
状況は次の段階に推移した。
「とりあえず明日からは本格的に、鈍った体を鍛えなおさないとな」
「高校の野球部への参加はいつからだった?」
「どのみちセンバツが終わってからだな」
「シニアの手伝いついでに鍛えるか」
中学の校庭の片隅で、二人はキャッチボールを始める。
「セカンドはそれほど飛び抜けた上手さじゃない。テツなら夏までに控えには入れるだろ。そのままレギュラー奪っちまえ」
「それを言うならタカだって、三人目のキャッチャーとしてはベンチ入りできるだろ。打撃を考えると使われる可能性高いぞ」
二人とも己の才能と実力を、カケラも疑っていない。
それは実績が証明しているからだ。
「他に何人ぐらい使えるやついると思う? とりあえずピッチャー」
「コントロールさえ良ければ、あとはお前の仕事じゃん」
「30人ぐらいは入るかな? まあ夏までに10人ぐらい潰れてくれればいいけど」
二人は白富東の練習も見て、勘違いをしている。
確かにそれぞれの選手が厳しい、それこそ体力の限界に近いメニューをこなしていただろうが、それはその本人にとってのぎりぎりを、全てそれぞれ別に作ったメニューだからだ。
もっとも新入生の中には、研究班に入る者もいるだろうから、ある程度その期待は間違っていない。
「崩さない程度に中盤まで作ってくれれば、最悪テツがリリーフすればいいだろ」
「さすがに甲子園レベルで通用しねえんじゃねえか?」
「俺がリードすんだぞ?」
それぞれのポジションへの自負。
そしてもう一つは、打力への強烈な自信。
最悪でも代打で出て、そして走ることは出来る。
「まあ今の新二年がいる間には、最低でも甲子園行けるだろ」
「県内はそんなに強いチームないしな」
「ショートは佐伯が受験してたよな。白石さん卒業後はあいつが使えるだろ」
ジンたちが所属していた強豪鷺北シニア。
その鷺北を負かしたのは、この二人が打線の中軸を務めるようになってからだ。
良い選手が集まるのは、もちろんいいことである。
しかし白富東に集まるのは、どいつもこいつも生意気ばかりであるらしい。
そして佐藤家の人間の洗礼を受けるまでが1セットである。
そしてまた、アメリカの家族でも一つ、別れを惜しむ光景があった。
「トニー、体には気をつけて」
「お前なら大丈夫だ。だが病気にだけは気をつけろ」
「大丈夫だよ、マミィ、ダディ。千葉は聖地にも近い。僕にパワーを与えてくれるさ」
空港で抱き合う両親と息子。
でかい父と小さな母を抱く息子は、それ以上にでかい。
にこにこと微笑ましそうに見ているセイバーであるが、早乙女は少しだけ嫌な予感がしている。
「なんたって日本だよ! 夢が叶ったんだ!」
トニーの大きなバッグの中には、飛行機の中で読むマンガやラノベが大量に入っている。
着ているシャツには大きく、アーサー王を女体化した某作品のメインキャラがプリントされている。
そう、今年の白富東への入学を希望した、日米黒人ハーフの少年、トニー・健太郎・マローン。
彼の魂の目的は、聖地巡礼と、コミケへの参加である!
たとえ手塚が卒業しても、白富東のオタクの血脈は延々と受け継がれるのだ!
……普通に研究班の中には、たくさんのオタクがいるのではあるが。
頑固者、生意気、イロモノ。
なんだか年を経るごとに、厄介な新戦力が増えている気がする。
数字でしか判断しないセイバーと違って、早乙女は今から、フォローのために胃が痛くなりそうであった。
×××
「そっかあ」が口癖可愛い珠美ちゃんの登場です。
監督の娘ってのはあだち的ですな。誰かとくっつける予定は今のところない。
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