第34話 ピッチャーほどめんどくさい人種はいない(人による)
初回で点が取れないのは、随分久しぶりだな、とマウンド上の岩崎は考えた。
これは投手戦になるかもしれない。ならばこちらも、一点も与えない。
「おっす、力抜いていけよ」
そんな岩崎に、ライトに行く途中で直史が声をかける。彼なりに入れ込んでいる岩崎は心配だったのだ。
「俺の予想スコア、五対二でうちの勝ち。どーせ大介がホームラン打ってくれるって」
ベンチでの会話を知らない直史は、ごく当然のようにそう言った。
本心である。一試合に一度は使える、自動本塁打製造マシーン。これがあると思うと、投手はかなり楽に投げられる。
しかし岩崎はそんな軽口は無視して、一言問う。
「どっちがエースだと思う?」
「はあ?」
意図がつかめず直史は、岩崎と、上総総合のベンチを交互に眺めた。
「投手としてのタイプが全然違うし、実績も違いすぎるだろ。さすがに細田と思うけど、来年ならお前の方が上じゃね?」
「ちげーよ!」
どうしてこいつはこうなのか、どこかちぐはぐな直史の性格。
いや、そう感じているのは自分だけなのだろうか。
「そりゃ実力だけならお前がエースなんだろうけど、今の1番は鈴木さんだろ。別に学年でえこひいきされるチームでもないんだから、そんなこと気にするなよ」
やれやれ、と言った直史の言葉に、岩崎は激昂しかける。
「いいから! お前はさっさとライト行け!」
「分かったよ。ほんと、あんま力むなよ」
誰のせいだ、と完全に力んでいる岩崎に、入れ替わりでジンが近寄る。
「ナオのやつ、何か言ってたか?」
当然そのままを口にするのは憚られるため、岩崎は会話を変える。
「なあ、俺とナオ、どっちの方が才能あると思う?」
はあ? という顔をしたジンは、またピッチャーがめんどくさいことを言い出したぞ、と内心で困った顔をした。
「一長一短だろ。ナオにはお前のスピードはないし、お前にはナオの変化球はないし」
「そういうどっちもどっち論じゃなくて」
今は、一回の裏の、つまり初回の守備の直前である。
こんなタイミングで面倒なことを言うピッチャーという人種は、本当に救いがたいほどめんどくさい。
ジンは素数を数えるように目をきょろきょろと動かして、岩崎が納得する答えを探した。
「お前さ、今の状況分かってる? 準々決勝の楽な試合じゃなくて、こっちは大介で一点取れてないんだよ?」
ここはもう、状況の持つ説得力でごまかすしかない。
「前の楽な試合と違って、下位打線を八割の力で抑えるとか、あえて単打までに誘導するとか、俺の考えることすんげー多いの」
泣きたくなる、といった感じの演技をする。
「明日は連戦だからナオを使えないし、鈴木さんや田中さんに投げさせるわけにはいかないだろ?」
哀れ、鈴木と田中。
「だいたい参考記録と言っても、お前もノーノーしてるんだよ? お前に才能がないなんていうやつ、この球場内にいると思うか?」
ジン、屈指の名演である。
そう言われると岩崎も、なんだか自分が悪いような気分になってくる。いや、確かに自分が悪いのではあるが。
「今日はコールドなんてならないだろうから、ちゃんと計算して組み立てるからな。多少は打たれるかもしれないけど、それぐらいは我慢してくれよ?」
哀願なのか脅迫なのか、受け取り方が微妙な言い回しである。
「ああ、分かった」
「よし、頼むぜ、エース」
意図せずして、ジンは岩崎の求めていた言葉を口にしていた。
(そうだ、俺がエースだ)
鷺北シニアのエースでも、新潟の上杉でもなく、このチームでは俺がエースだ。
そもそも直史が投げた勇名館と光園学舎の試合は、バッテリーであるジンが怪我をしていたのだ。
そう、キャッチャーが認めるのが、エースなのだ。
ピッチャーはめんどくさい人種である。
しかし同時に、乗り回すのが面白い馬でもある。
よっこらしょとしゃがんだジンのミットに、岩崎の速球が吸い込まれた。
一回の裏の上総総合の攻撃は、三者三振で終わった。
不動の四番伏見の前で切る、最高のスタートだ。
(あっちの一年も、かなり厄介だな……)
防具を装備しつつ、伏見は試合の流れを考える。
(化物は三振してくれたが、三番のあいつ、打てるピッチャーか。そりゃこの試合で三番抜擢なら、それはありなんだろうが)
打席数が少なかったので、あまり注意していなかったのだ。しかし公立のピッチャーというのは、中学時代は四番でエースなどというのが多いものだ。
(細田を打ってくるのは、あの変化球投手で慣れていたからか。いや、あいつ自身がその投手なのに、自分の変化球を打てるわけがない)
間近でみた限りでは、綺麗なレベルスイングであった。おそらくセンスで打ったのだ。
高校野球において、カーブという変化球は、プロよりも効果が大きい。
それはプロと違って打撃がレベルスイングではなく、ダウンスイングが推奨される傾向があるからだ。
ゴロを打て。それは一時期は絶対的な言葉であったし、今でもその効果が高いことは言われる。
だが横に振るレベルスイングと、気持ち斜め下に振るダウンスイング。その角度を考えれば、たとえ横の変化が大きいタイプのカーブでも、接触する面積は小さい点となる。
だからダウンスイングにカーブは強いのだが、レベルスイングやアッパースイング相手になると、その軌道を線で捉えることが出来るため、少なくとも三振になる確率は少なくなる。打球のスピードも上がる。
「伏見よ~う、相手のピッチャーの攻略法は、ちゃんと考えておくからよ~う、今はリードをな~、しっかりな~」
ベンチの奥から上総総合の監督、千葉県の長老とも呼ばれる鶴橋が声をかけてくる。
この人が監督顧問として40台の年齢だった頃、上総総合は甲子園に行った。
異動でいなくなってから、上総総合は弱くなった。それがここ数年また成績を上げてきたのは、教師として定年を迎えた鶴橋が、古巣の上総総合の監督として復帰したからだ。
初戦で負けることが続いていた状態から、少しずつ成績を上げていった。そして今年、未完の大器、細田が投手として、ようやく使えるようになった。
「まあ伏見よう、今日も投手戦になりそうだから、気長にいこうやあ」
レガースを付けるのを手伝ってくれるのは、その細田である。
鶴橋の口調は、いつの間にか彼にも移っていた。
そして鶴橋と細田は、妙に仲がいい。
少しずつ上総総合が強くなってきていると聞き、中学軟式でそれなりに知られていた伏見は、高校を選択した。
上や同世代にもそこそこの投手がいて、かなりのところまで行けるのではないかと一年の頃から思っていたが、やっと県大会の優勝に届いたのは、細田が育ってからだった。
入学した時から、上にだけはサイズのあるやつだった。しかもまだ伸びていた。
成長痛などもあり、なかなかハードな練習は出来なかった。いや、未だにハードな練習をしてきたとは言いがたい。
だが高校三年の最後の夏、ようやくバランスが取れる程度にはなったのだ。
細田は今でも、身体能力が高いとは言えない。体格的に持久走はそこそこいけるが、投手に必要と言われるダッシュなどは、たいしたタイムを持たない。
県大会で優勝するような投手であるが、強豪校では絶対に育たなかったであろう人材だ。
彼の持ち味は、長い手足の遠心力から生まれるスピードとコントロール。そしてカーブだ。
今どきの流行の、スライダー系の変化球は使わない。正確に言えば、スライダーを意識しながら、今でもカーブを投げている。
このカーブとストレートの組み合わせで、上総総合は勝ってきた。
あとは堅実な守備と、硬軟組み合わせた、熟練の戦術によって点を取ってきたのだ。
千葉県は比較的強豪私立が絶対的な存在ではなく、体育科などの枠を持つ公立も、そこそこ甲子園に行くことが多い。
今年の夏などは、春の勢いをそのままに、甲子園に行けるのではないかと思っていた。
ぽっと出の学校が、甲子園に行ってしまう。まあそういう学校も、普段からベスト16程度の常連ではあるのだが。
今年ベスト4に残ったのも、二校は公立だ。上総総合と、白富東。
なんで県下公立最高の進学校が、急激に強くなったのか、理由は確かに分かるのだが、よりにもよってこの年に、という感想は否めない。
春もそうであったが、夏は特にシードにもかかわらず、上総総合は競った試合が多かった。
即席で作った投手を継投して、どうにか細田を温存してきた。
しかしそれも限界で、準々決勝は細田が一人で投げきった。
この試合もそうだ。向こうが打順をあちこちいじったので、ワンポイントで交代して休ませるのも難しい。
対する白富東は、ここまで全てコールド勝ちだ。
「さあ行こうさあ」
軽く伏見の背中を叩いて、細田はマウンドに向かう。
(カーブはあまり投げさせたくない)
細田はその細い腕を、無理にひねって回転を生み出している。
関節を支える筋肉が、充分でないのだ。だからと言って、ストレートのコントロールだけで抑えるのは難しい。
序盤にカーブで空振りの山を築き、カーブは打てないと思わせて、難しいコースのストレートを振らせる。
それが鶴橋と話し合って決めた、細田のリードだ。
相手もストレートが厳しいと分かっていても、カーブの空振りの記憶があるだけに、ストレートを狙っていくことになる。
あとは緩急で凡打を築くのだが、完封するにはこの組み立てでは足りない。
かと言ってコールドで連続して勝利するほど、上総総合の打線は充実していない。
実際に細田は、失点の平均値は低いが、完封する試合も多くない。
そんな状況で、やや甘く入ったカーブを、打たれてしまったのだ。
大介の言った、カーブを投げさせるというのは、実は正しいのだ。
(勝ったら明日の相手は勇名館。吉村も連投になるが……)
打線の援護は明らかに向こうが上だ。控えの投手で勝てる相手ではない。
だが白富東も得点力のあるチームだ。強打者を揃えているというわけではないが、ここまでの試合全てコールドという内容は、得点するための引き出しが多いのだ。
(流れを渡したら負ける)
それは分かっているのだ。
二回の表の攻撃、白富東の攻撃は、細田のカーブを相手にして、くるくると三者三振に倒れた。
その裏、上総総合の攻撃は、四番の伏見。キャプテンにしてキャッチャーにして四番という、まさに上総総合の大黒柱だ。
厳つい顔に巨体であるが、少なくともジンが認める程度にはリードも優れている。
もっともそれは、ベンチからサインが出ているのかもしれなかったが。
長打も打てるこの打者に対して、セイバーは簡単な攻略法を授けていた。
「彼の打率が一番高いのは内角高めです。しかしホームランは外角、特に低目でしか出ていません。そして内角高めは、打球のコースで偶然長打になったものを除けば、全て単打です」
つまり、ヒットで良しとするなら、内角高めに投げておけばいいのだ。
そして伏見には足がないので、併殺打を打たせることも難しくない。送りバントさえ失敗する場合が多い。
(つーわけでこちらが一点でもリードするまでは、我慢するんだぞ)
(分かってるけどむかつくな)
別にテレパシーを使っているわけではないが、バッテリーの呼吸はぴったりだった。
岩崎の投げた初球は、アウトローのボール球だった。
(おま、コースはかなり外れてたけど、すげえ抜けた球だったぞ)
(わり。怒るなって)
このボールのやり取りだけで行う阿吽の呼吸は、さすがにこの二人の間でしか通用しない。
第二球は、デッドボールぎりぎりの内角高め。
(まあいいけど、当てるなよ)
(分かってるって)
外、中とボールが先行した第三球。
内角きつめのストレートを、伏見はバットの根元で強打した。
伏見が内角を打った場合、長打になるのはライン際の打球。
そのシフト通りに守っていた、サード北村のミットに、鋭い打球が収まった。
サードライナーで、とりあえず最初の打席は打ち取ったのだった。
三回の表、白富東は既に二死。
そしてラスボス再登場である。
(つってもこの状況じゃ、あんまり効果的じゃないんだけどなあ)
打席に入った大介は、相手の守備位置を見る。内野も外野も深めに守っているのは、大介の打力を警戒しての当然の配置だ。
大介は小学校から中学時代、アホな監督に何度も送りバントの指示を出されたことがある。
見なかったふりをして打ってしまうこともあったが、基本的にアホな監督は、選手を己の所有物のように考えている。
チームのための自己犠牲と、己の駒のように動くことを同一視しているのだ。
試合に出されないよりは、まだマシと考えて、命令に従ったこともある。
だが打たなければ負けるという場面では、無視して打っていた。それで干されたこともあったが、チームが負けるよりはマシだったからだ。
そして打たなければ負けるか微妙、つまり送りバントをする場合、せめてもの反抗として行ったのが、自分も生き残るセーフティバントだ。
なかなか決まることはなかったが、それは相手も大介のバントを警戒していたからだ。
この場面で大介がバントで生き残るとは、誰も考えていないだろう。
間違いなくスラッガーの大介だが、彼の練習メニューのルーティンには、バッピの球をバントするというものがある。
毎日10球程度であるが、機会があれば必ずやる。そして球筋を確認し、狙った所に転がせるか試す。
確実に見て、確実に当て、確実に転がす。これが出来ない日は、長くバントの練習をする。
メジャーの選手もやっている者がいる練習であり、セイバーもそれを止めはしない。
打席の外で、体の開いたスイングをする。確かめるように、ゆっくりと。
これだけ煙幕を張れば、バントはほぼ確実に決まる。
(でもここで決めても、次のジンじゃ帰せないだろうしな。次の打席に回す……いや、考えてみれば、ナオの一本以外、誰も打ってないじゃん)
悩んだが、野球バカは最後に決める。
次の打席のことは、次に考える。
あのスイングを見ていて、なおバッテリーの初球はカーブ。
予想通り、外角へと逃げていく。
そっと出したバットに当てて、三塁線に転がす。サードの反応は遅い。
最初はあの体で打てるはずがないと思われ、今はあのバッターがバントなどするはずがないと思われた。
思考段階で、既に大介の勝利である。
内野ゆえに速度より瞬発力が目立つ大介だが、その50m走のタイムは野球部ナンバーワン。
一塁を駆け抜けて、余裕のセーフであった。
素直に感心する、上総総合のバッテリーである。
大介のスイングを見て、外に逃げていくカーブなら、確実に打ち取れると思っていた。だがそれは大介の誘いであり、外角の球をサードに見事に転がしたのだ。
監督の出したサインは、次で切れ。
幸い既に二死なので、サードまで盗塁されても、さすがにホームに戻ってくることは出来ない。
(まあそう思うだろうな。実際そうだし)
バッター勝負。それは間違っていない。
だが問題は、バッテリーが本当に、それを徹底する理解力を持っているかだ。
「リーリーリー リーリーリー」
左腕投手に見えるのは承知で、大きくリードを取る大介。
当然そこに牽制が投げられるわけだが、大介の戻りも早い。
細田は二つ目の牽制はしなかったが、何度かプレートを外す。
期待通りの反応に、大介がサインを出し、ベンチを見る。
セイバーの選択は、了解。ジンにもそれが伝えられる。
こちらを気にしながらも細田がジンに第一球を投げた瞬間、大介は二塁へ駆け出す。
細田の弱点。さすがに高校生なのでいくらでもあるが、一つにはクイックの投げ方が遅い。
体がでかいので、全体的に瞬発力に欠けるのだ。何より経験が足りない。
伏見が投げようとした時には、既に大介は二塁へと滑り込んでいた。
確かに、足は速い。それ以上に走塁が上手い。
伏見は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、細田は腰に手を当てて感心している。
(これは、次もやってくるな)
三塁への盗塁。サウスポーの細田からなら、二盗よりも簡単かもしれない。
ベンチに見ると、鶴橋は首を切るようなサインをした。
(お前よ~う、相手のランナーはな~あ、細田にストレートを投げさせたいんだよ~う)
伏見は気付かされる。盗塁を阻止することを、考える必要はない。
三塁までランナーが来ようと、細田のカーブは打たれない。
自分が後方に逸らしたりしない限り、得点になどはならないのだ。
細田の負担を減らす。マウンド経験の少ない細田を、自分が守る。
伏見はカーブを要求し、大介は三塁へ盗塁を成功させたが、結局ジンが三振し、ここでも得点が入ることはなかった。
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