第33話 カーブという魔球
「これが、対細田対策の特訓ですか……」
呆れたように北村が言ったが、確かにこれは効果がありそうだ。理に適っている。
だが驚かさせるのは、これを実現させてしまう伝手、財力、行動力だ。
「さあ、まずは佐藤君、試しに投げてみてください」
右手にグラブを持った直史が、カーブを投げる。
捕球したジンも、さすがにこれは打ちづらいな、と思った。
場所は私立東雲高校の屋内練習場。
そのピッチャーマウンドは、通常よりも30cm高く作られていた。
セイバーが一晩でやってくれました。
この特殊マウンドから、直史が左でカーブを投げ、隣からは普通のマシーンから、角度のあるストレートが放たれる。
直史はある程度の球数を放ったら、ちゃんと普通のマウンドで右で投げる。投手に下手なクセがついたら、本末転倒だからだ。
しかしよくもまあ、既に敗退したとはいえ、こんな注文をよく聞いてくれたとも思えるが、ちゃんとメリットはある。そもそもこれは、ただの合同練習なのだ。
なぜか普通に、今年の夏で引退した、県内最速の大河原投手がいたりする。だが東雲はそもそも野球部員は、推薦で大学に行かせる学校である。
大河原はプロ志望届を出す予定であるし、スカウトも頻繁に顔を出している。だから練習に参加していてもいいのだ。
150kmのストレートがあるのだから、制球さえどうにかなれば、使い物になるだろうというのが一般的な見方だ。
その大河原は、白富東の投手陣に、偉そうに指導をしている。まあ鈴木以外は年下なので、確かに偉そうにしても無理はないのだが。
「甲子園を本当に目指すなら、150kmは捨てろ」
それが大河原の悟った、甲子園に至るために必要なことである。
「だけどプロを目指すなら、150kmに拘れ」
実体験だけに、大河原の言葉は重い。
大河原が甲子園に出たのは、一年生の夏。エースの控えであった。
しかし二回戦に先発し、140km台のストレートを何度も計測したため、将来のドラフト候補と言われるようになった。
そして秋季大会でまた勝ち残り、春の選抜にも出場。
そこで速度が出にくい春にもかかわらず、140km台後半を連発。
さらにスカウトの評価は上がっていった。
二年の夏、県大会の決勝では、東名千葉に敗北し、甲子園の出場はならなかった。
自分が150kmを投げられれば、またあの舞台に行ける。そう思って本格的に球速のアップに取り組んだ。
しかしその結果は、コントロールの落ち込み。秋季大会ではベスト8までしか進出出来ず、選抜への出場はかなわなかった。
春の大会では上総総合に敗北したが、これもまた制球難でフォアボールから打ち込まれたのだ。
だが、最後の夏の勇名館との戦いは違った。
コントロールもほどほどに荒れて良く、吉村とは真正面から投げ合ったのだ。
九回の裏が終了した時点で、両校は同点。
引き続きエースが続投したのだが、12回までは0行進という、千葉県の歴史に残るであろう名勝負であった。
だが明暗を決したのは、両校の力量の勝負ではない。2018年から導入された延長の新ルールだ。
かつては延長15回再試合であったが、現在では12回までを普通の延長、13回からはタイブレークというノーアウトランナー一・ニ塁で点の入りやすい状況から始まるようになっている。
大河原と吉村の決定的な差は、スピードではなく制球力だ。
一試合における四球の数が、結局勝負の明暗を分ける形となった。
「まあ俺はあいつからヒット打ったし。あいつからはヒット打たれてないし。個人成績では俺の勝ちだな」
東雲は名門私立だけに、チームへの献身が要求されているような気がしていたが、かなり大雑把なところもありそうなのが意外である。
大河原にとって不幸だったのは、ここに集められている投手陣に、兼任投手として大介がいたことである。
「大河原さん! この機会にドラフト級の球を体験したいんですけど!」
周囲の目は、恐怖に見開かれる。
(やめろよ……)
(やめてやれよ……)
(プロに行く人なんだぞ……)
(お前のバッティングじゃ、心折れるって……)
誰も、大河原の勝利を予想していなかった。
「お、おう」
さすがの大河原も、大介の危険さは知っている。
入学してすぐの春の大会、普通なら一年生の出番はない。
そこへいきなり登場して、ホームランを量産している。一つの試合に一本は打っている。
勇名館の吉村も、その犠牲者の一人だ。
(こいつはやべーやつだ。ネットでも地球外生命体とか、サイヤ人とか言われてる。もうこの時点で将来はメジャーとかの話が出てるのは、非常識すぎる)
だが、勝算がないわけではない。
大介はまだ、生身の人間の投げる、150kmを体験していない。
そして大河原のような、制球に難のある投手も体験していない。
「まあいいぞ。ただし一打席だけな。あとちゃんとプロテクターしろ。俺の球は荒れてるからな」
さっきまで暇に任せて、後輩たちを切りきり舞させていたので、肩は暖まっている。
「おい誰か!キャッチャーやれ!」
プロテクターを着けたキャッチャーが、どっしりと構える。
どうやらレギュラーが出てきたらしい。まあ、150kmを捕るのは危険だろう。
大きく振りかぶった大河原は、そこから体重の移動を感じさせる踏み込みをして、胸を張って投げた。
大介が少し仰け反る、内角のボール球だった。
「わり! やっぱやめとこうぜ。そっちはまだ大会中だろ」
その気になった大河原であるが、自分のノーコンを痛感した。
内角を攻めるつもりではあったが、ここまで際どいところは狙ってない。
「大丈夫っす! 逃げるのに専念するから、あと二球お願いします!」
まあ、そこまで言うのなら。
大河原は外角を漠然と狙い、最高の球を投げた。
(おお、いい所に決まった)
アウトローのストライクで、大介は見送っていた。
「よし! ラストな!」
狙うは一箇所。もう一度アウトロー。
ここに決まれば、打たれることはない。
わずかに外れたか。ボール球。
だがそこに大介は、ふわりとバットを当てにいった。
打たれた打球は加速するようにネットに当たり、そのまま天井にまで届く。
「あ~、レフトフライっすね~」
球はまだ回転していて落ちてこない。
(おいおい、なんであの打ち方で、あんな回転がかかるんだ?)
冷や汗をかく大河原だが、おそらくレフトフライではあるのだろう。
大河原をたっぷりとびびらせて、大介の練習は終わった。
白富東のナインを乗せて、バスがマリンズスタジアム到着する。
「どうでもいいけどナインって言っても、実際は控えまでちゃんといるよな」
「ほんと、どうでもいいよね」
そんなどうでもいいことを言いながらも、直史は珍しく苛立っていた。
「ナオく~ん!」
「ナオ君頑張って~」
多くの声援が、直史に向けられている。
女性の黄色い声は、非モテ部員たちを不快にさせたが、直史も不快という点では同じだった。
不機嫌なままベンチに入って、いまだに聞こえる歓声に、直史は明らかな不満を洩らす。
「百歩譲って応援することはいいけど、なんで俺は会ったこともない人間に、ナオ君呼ばわりされんといかんのだ?」
そこが怒るポイントか。
「そりゃ佐藤なんて姓、日本で一番多いだろうしさ」
ジンの指摘は冷静で、単なる事実を口にしているにすぎない。だが直史には彼なりの、あまり理解されないであろう拘りがある。
「うちはちゃんと家系図が残ってる、藤原不比等の子孫なんだぞ。婆ちゃんだって旧華族の出身だし、家康の血だって入ってるんだ。佐藤っていっても、色々あるんだよ」
「え? お前そんなの気にするタイプなの? 確かにある意味すごいけど」
ジンが心底意外といった感じで訊いてくるが、直史は別に、変な血統主義とかを持ってるわけではない。
ただ、ご先祖様はこういうことをしたんだよ、と聞かされて育った人間は、やはりその人格形成に影響がある。
「下々の者が気安くするな、って感じか?」
岩崎が揶揄するように言うが、直史は自分でも複雑な気分で、よく分かっていない。
「いや、中学の頃からの友達とか、普通にナオって呼ばれるのはいいんだよ。お前らだって普通に呼んでるだろ? でも普通って言うなら、いきなり名前で呼ばれるか? DQNネームならともかく、直史ってちゃんとした名前だろ?」
なんだか変なこじらせ方をしているのは、ピッチャーらしいの一言で片付けていいのだろうか。
「切り替えろ。試合集中だぞ」
北村が短く言って、直史の頭をグラブで叩いた。
「心配するなって。今日の試合が終わった頃には、お前のファンの大半は、俺に流れてるから」
そう言った岩崎が意外で、直史は本当に気分が変わってしまった。
(あいつ、何かあった?)
(大河原さんと話して、ちょっと感化されたらしいけど)
(おいおい、ノーコンエースのリリーフなんてしたくねーぞ)
(それは任せて)
ひそひそとジンと会話をする直史だが、今日の岩崎は珍しく、闘志を前面に出している。
それで空回りでもしたら、恐怖のロングリリーフになるが、考えたくもない。
本日の打順は、サウスポー対策としてかなり変更が加えられている。
一番がショートの大介である。相手にとっては、いきなりラスボスとの対戦だ。
手塚が七番に下げられて、岩崎は投手専念で九番だ。直史はライトで三番に入っている。
この打順の変化を、セイバーは説明を求められて、分かりませんと答えた。
なんでもデータを入力してコンピューターに計算させたら、この順番になったそうだ。
岩崎の九番以外は、特に指定していなかったらしい。
「推測しますと、相手投手の左打者への強さから、白石君を完全な独立打者として、打線として考えてないのかと思います。佐藤君は打率がいいので北村君の前にランナーを溜めたい。手塚君の七番は、下位打線で出塁を高めることが目的だと思いますが」
一応それなりに理由は付けられるが、コンピューターの判断である。
最後に確認するのは人間だ。そしておおよそは納得出来た。
先攻は白富東。既に午前中の準決勝で、勇名館が決勝進出を決めている。
負けた東名千葉の選手とはすれ違ったが、ほとんどの部員が泣いていた。
試合前のノックも終わり、円陣を組む。
他の学校ならここで気合の絶叫を入れるのかもしれないが、セイバーは「基本叫ぶの禁止です」というスタンスだ。
試合というのはまず、練習でやってきたことを着実に反映するのが目的だ。
練習でわざわざ、そこまで気合を入れているのか。少なくとも白富東は違う。
気負いすぎるのは、いらないプレッシャーの元である。プレッシャーを全く感じない異常者や、プレッシャーの中でこそ力を発揮する化物もいるが、それはあくまでも例外である。
トーナメントでは、そのプレッシャーの克服こそが、最大の難関となるのだろうが、プレッシャーを克服する練習をする時間はなく、プレッシャーを感じない方向にもって行くのが限界だった。
北村が仲間を見回す。
「昨日の練習、ちゃんと思い出せよ。まずは球筋の確認だからな」
「とりあえず特攻隊長として、10球は投げさせてみます」
久しぶりの一番打者で、大介はちょっと楽しんでいる雰囲気を見せる。
そういえばこいつの一番というのは、どんなものになるのだろう。
打席に立った大介からは、マウンド上の細田の体は、まさに見上げるほどのものだった。
年々フィジカルの重要度が見直され、生まれながらにしてある程度の未来が、スポーツにおいては決まってしまっている。
すごいピッチャーを相手にすればするほど燃える大介だが、同時に彼には強烈なコンプレックスがある。
それは、でかいだけのやつには死んでも負けたくない、というものだ。
まあ、細田は確かに長身だが、大介の考えるフィジカルモンスターとは全く印象が違う。
長身と手の長さを活かしたカーブ。それが細田の最大の武器だ。
150kmは昨日の大河原で体験した大介だが、県大会を優勝するほどの変化球は、まだ体験していない。
(つってもどうせ、ナオ以下だろ?)
直史の左のカーブに、大介は散々空振りを取られていた。
初球、背中側から、ボールが投げられたように見えた。
わずかに腰を引いたが、捕球された位置は外角のボール球だ。
(うん、すげえわ)
この変化と角度は、直史より上だ。
第二球は高めのボール球、と一瞬だけ見えたが、実際は縦のカーブだった。
回転が利いていて、途中で加速するようにも見える、角度のある球だ。
(これ、二種類かよ)
見逃してストライク。わずか二球だが、大介の認識を改めさせるには充分であった。
三球目はストレート。アウトローにコントロールされた、ぎりぎりのボール球。
(速いな。それに、下手すりゃストライクだ)
つまりは、である。
(ナオより速いストレートと、ナオよりやばいカーブを持つ、軟投派の投手か)
それは、千葉の王者になるのも納得である。
四球目は、また見えない場所から現れるカーブ。捕球位置は低めの真ん中だ。
これでストライクになるのだ。
(よし、じゃあ打つか)
五球目は、やはりカーブ。大介は先に体を開いてしまっている。
この状態からはまともなヒットは打てない。だがそもそも、まともに打つつもりもない。
体を開いたことによって、はっきりとカーブの軌道は見えた。
カットにいったバットが空振り、大介はこの大会で初めての、空振り三振を取られたのだった。
「この打席は打てねえから、キャッチャーとして分析してくれ」
二番のジンに声をかけると、ネクストバッターサークルの直史にも近付く。
「すごいカーブだ。ちょっとした魔球だな。左はまず打てない」
ベンチに戻ると、メンバーは神妙な様子で大介を見ている。
「どうでしたか?」
セイバー一人は普段どおり、確認してくる。
「すげえカーブでした。左打者に打たれたのって、ストレートですか?」
「……そうですね。カーブは打たれてません」
なるほどな、と納得する大介である。一方仲間たちは絶望的な顔をしている。特に左打者は顕著だ。
「手塚先輩、今日はもうバントしかけて投手を走らせるのと、守備だけに専念した方がいいっす。あれ、左打者打てるのは偶然かヤマカンのどちらかです」
大介が言うと、手塚は力なく頷く。
「攻略法は?」
「まあ見たとおり、カーブを狙うのは大変っす。それでも右打者なら、ちゃんと振ることぐらいは出来ますね。いっそストレートだけに的を絞って、全部カーブ投げさせた方が、相手が疲れるかもしれません」
カーブは打てないと言っているのと同然だ。これを攻略するのは大変すぎる。
「と言っても、失投を打たれて点を取られているケースもありますからね。佐藤君とどっちが上ですか?」
「そりゃナオです」
大介の即答に、全員が希望の色を持つ。
細田はすごい投手だが、完全試合はもちろん、ノーノーでさえしてはいない。
「まあ、次はちゃんと出塁しますよ。打つのは三打席目になるかな」
この言葉も頼もしすぎる。
あれだけ称賛したカーブに対して、次は打てるとなぜ言えるのか。
「けど、ホームラン記録は途切れるかなあ」
あまりにも贅沢な悩みを、大介は吐露する。まあさすがに、こいつにも限界はあるのだろう。
そんなことを考えている間に、妙にすがすがしい顔で、ジンが戻ってきた。
「配球からリードを読まないと、ちょっと打てませんね」
そう言った瞬間、打席から鋭い金属音。
振り返ったジンが見たのは、レフト前にヒットを打ち、一塁に達した直史の姿。
「……まあ、本当に打てない球じゃないってことですね」
続く北村は三振したが、ナインは希望を抱いて守備につくのだった。
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