第31話 波紋

 準々決勝でパーフェクトでコールド。その意味を正しく理解していたのは、一人もいなかった。

 球場を出る時も多くの声援を浴び、またマスコミからマイクを突きつけられたが、なんとか脱出した。

 その車中でセイバーは各所に連絡し、準備を済ませた後に、部員達に告げたのだった。

「異例のことですが学校に帰ったら、記者会見を行います。講堂を使いますので、着替えたら集合してください」

 うへえ、と顔をしかめる一同。

「セイバーさん、俺は完全試合終了後、疲労のあまり眠ってしまったってことじゃダメですかね?」

「椎名さん、今日の佐藤君の投球数は?」

「69球です」

「とてもそれで通る投球数ではありませんね」


 さすがにこれで疲れたとか言っていれば、次からは待球策を取られてしまう。

 まあ、もちろん嘘なのであるが。

 そして直史のコントロールは絶対なので、振ってこないならいくらでもストライクが取れる。

 実際に直史が体力不足なのは事実だが、それも計算した上での、コントロール重視の投球なのだ。


 校門の前まで来ると、野次馬がたむろし、近所の人や一部のマスコミまでが来ている。

 のろのろとバスはそれを通過する。敷地内はどうにか、無制限に無関係の人間は入れていないようだ。

 着替えてさっぱりした部員達だが、別に疲れて眠くはなっていない。

 なにしろ今日は、守備の間中ほとんど立っているだけだった。

 21個のアウトのうち、14個が三振。バッテリーへの内野フライが一つずつ。他の内野フライが二つ、内野ゴロが三つであったのだ。


 講堂への入り口に立つ女生徒には、直史も見覚えがあった。

「悪いな、生徒会長」

「元生徒会長よ」

 北村が軽く声をかけたのは、元生徒会長の篠塚だ。

 春先には野球部の専用グラウンドの件で、他の部にも回すように、何度か来ていたはずだ。

 キャプテンの北村とは、なかなか緊張感のあるやりとりをしていた。

 春の大会の結果に加え、野球部が練習を毎日に強化したので、そのあたりはうやむやになった。新生徒会長の選挙もあったのも一因だろう。

 そんな背景があるので、美人ではあるのだが、かなり性格はきつい印象がある。言い方がきついのは事実だし、目元もきついので、よけいその印象が強い。


 一年生たちにとっては縁の薄い存在だが、去年の文化祭もしっかりと盛り上げていったらしい。

 引退後もこんな突発事態に対処してくれるのだから、頼もしいことは間違いないのだ。

「野球部、マスコミに変なこと言うんじゃないわよ」

 引き締められた部員達が講堂に入る。


 野球部の躍進は、お祭り好きの白富東の生徒には、かなりの好意をもって受け入れられている。

 ただ普段のお祭り騒ぎは、自分たちの文化祭などによるものが多い。この時期の大騒ぎに、受験を控えた三年が、戸惑いを持っているのも確かだ。

 既に夏休みに入っているが、白富東の校内は、例年になく騒がしい。


 白富東の、特別な授業や講演で使う講堂の壇上に、パイプ椅子が11個ある。

 スタメンに監督と顧問用で、あとはスペースの関係上、他の部員は立っていてもらうしかない。

「それではただいまより、合同記者会見を行わせていただきます。なお今後の選手の調整のため、会見時間は合計で一時間までとなりますので、ご了承ください」

 一時間。

 なんだか眠ってしまいそうだな、と思う直史であった。




「それじゃあ佐藤君、パーフェクトを意識したのはいつから?」

「いえ、最後までしませんでした。七回でコールドになると思わなかったし、絶対に安心出来るような得点差ではなかったですから」

「クリーンナップはほとんど三振だったけど、やっぱり意識してたかな?」

「一番打者を出すことを注意されたので、あとは特に。キャッチャーのリード通りに投げただけです」

「ずばり、次の試合の自信は?」

「次の試合は先発じゃないんで、ありません」

「……今日の投球は、完璧だった?」

「いえ、別に」

「別にと言っても、一人も塁に出さないという、完全試合だからね。参考記録というところが惜しかったとか?」

「四点差で二回残ってましたから、逆転の目はありました。大介が決めてくれて、ほっとしました」


 直史は、こういう男である。

 記者たちの質問に対して「はい」という肯定の言葉を一つも与えていない。

 彼は野球が好きだし、控え目に言って白富東の野球部も好きだ。

 だがその周辺環境は、あまり好きであるとは言えない。たとえばこういったマスコミの取材攻勢とか。


「なら佐藤君にとって、完璧なピッチングというのは、どういうものなのかな?」

 最前列にいた若手が、押しつぶされそうになりながら質問した。

 それが別に直史の関心を引いたとか、そういうわけではない。ただ直史が、以前から考えていたことではあるのだ。

「27打席を27球でアウトにするか、27打席を全員三振にするかのどちらかだと思いますけど、さすがにそれは無理だと思うんで、81球以内の完全試合ですかね」

 出来るかそんなもの。

 この直史の言葉は切り取られ、今後何度も使われることになる。ありえない無茶な夢を実現しようとして、奮起する野球少年が何人も出てくるのだが、それは直史とはほんの少ししか関係のない話である。


 この時、ごくわずかな人は、直史の投球数が七回換算の63球にかなり近い69球であったことに気付いたが、彼の態度を尊重して、重ねて質問することはなかった。

 なお、後にこれを指摘したマスコミに対して、直史はごく丁寧に応対した。




 直史がとことんマスコミ嫌いだと感じたマスコミは、制限時間もあって他に矛先を変える。

 別に真摯な態度で迫ってくるなら、直史もそれなりに対応を変えるのだが、そもそもそんなまともなマスコミは、こんな状況ではしつこく質問をしない。言葉ではなく、事実だけでちゃんとした記事を作ればいいのだ。

「白石君は最後の打席、何か話してましたよね?」

 高校野球の打撃記録を全て塗り替えつつある大介に、まずはそんなジャブのような質問が投じられた。

 大介は迂闊なことを言わないようにと考えたが、正直そのままに答えることにした。

「あそこでホームランを打ったら、コールドでナオのパーフェクトが参考記録になるから、凡退した方がいいか聞きました」

 おおう、とざわめきが洩れた。

「すると、あそこでホームランを狙っていた、と?」

「特に作戦がない限りは、基本全打席ホームランを狙ってます。打者ってそういうもんだと思いますけど」

 直史に比して、素晴らしくマスコミに材料を与えてくれる男であった。


「この試合の前の時点で、既に地方大会の本塁打、打点、盗塁の記録を更新しているけど、これも狙っていると?」

「いや、中軸なら基本、ホームランも得点も、狙うのが普通だと思うんですけど。盗塁は、一応狙ってます。今のところ足をとられた一回を除いて成功してるので、これからも狙いますけど」

 全打席ホームラン狙い。確かにまあ、公言する打者はいる。打者の夢だ。

 しかしそれが、どれだけ説得力を持っているかは、発言者の成績による。

「ドラフトにかかったら、どの球団を行きたいですか?」

 この質問は、いかにも時期尚早であった。だが大介も考えたことがないではない。

「まだ一年なんで特にどこ、ってのは考えてないですけど、出場の機会が多くもらえるところがいいです。セイ……監督に相談したこともありますけど、まあ日本で何年かプレイした後にメジャー行った方が、楽だって話は聞きました」

「それはつまり、メジャーへの挑戦の意思があると?」


 プロアマ協定に、微妙に引っかかりそうな部分である。

 それを悟ったセイバーが大介を遮る。


「アメリカと日本のプロ野球の現状を知っている私が、あくまでも進路相談の一環として、そういう進路を示しました」

「……山手さんは、ボストン・レッドソックスのフロントに在籍していた経験があるとのことですが、球団の意思はそこに介在していないのですか?」

「ありません。そもそも勘違いしておられる方がいるようなので、もう少し詳しく説明しておきます」


 セイバーはここが、時間を稼ぐ絶好の間と判断した。


「まずプロアマ規定とは皆さんもご存知の通り、一つには高校生、大学生、社会人に対して、プロ野球選手や元プロ野球選手、プロ野球関係者が具体的な指導を行えないというものです」

 実は中学生は対象外であるので、中学生を採用しようという動きが、ないわけでもないのがプロ野球の世界である。




 さて、この技術指導に対しては、完全にセイバーには問題がない。

 彼女はノックもキャッチボールも出来ない、そもそも野球の未経験者であるからだ。

「私がアドバイスできるのは、あくまでも既に存在する技術の紹介です。実際に教える私の雇ったコーチは、問題なく学生野球指導者の資格を持っています」

 まあ、そういう人間を集めたのだから当然である。

 プロまではいかなくても大学や社会人で活躍した者や、個人的な理由でプロには進まなかった関係者は、日本でもアメリカでも大量にいる。


 さて、技術指導では問題はないのだが、もう一つの問題がある。

「レッドソックスとの間では、密約などは存在しないのでしょうか」

 プロ団体がアマチュア選手に、金銭の援助などをしてはいけない。一時期の逆指名時代は裏で横行していたが、それもまた時代の変化で禁止されている。

「密約も何も……私はレッドソックスの人間ではありませんが?」

「またまた。フロントにいた過去は事実でしょ?」

「そう、過去ですね。それにフロントと言いますが、私は意思決定の権限は持っていませんでした。極端に言えば、事務員ですね。高野連にも確認してありますが、何も問題はありません」

「それにしても、公立校でこのようなことをした意図が、何か感じられますが」

「むしろ公立の方が分かりやすいでしょう。私立ではどうしても、疑惑の目で見られてしまいますからね」

「練習機材や備品など、かなりの金額が動いているはずですが、それはどこから?」

 結局はそこだ。金の動きが問題になる。


 セイバーとしては本来なら将来有望な選手に、先行投資するのはむしろ健全だと思う。

 実際に強豪校では特待生などの制度で、優秀な選手を囲い込むのだから。それとどこが違うのか。

「私の個人的な資産ですが、何か?」

 高校野球に限らず、監督が自腹で機材や消耗品を揃えるというのは、珍しいことではない。

「しかし最新の機材や特注の道具、さらにコーチたちにも学校側からは金銭的な支払いはない。どこからこれだけのお金が動いているんですかねえ」

 嫌味たっぷりな質問だったが、セイバーには全く効果がない。

 彼女は己の才覚で、既に人生10周するほどの資産を得ているからだ。


「監督、ちょっと」

 それを口にしようとした時、後ろから二年の部員が肩を叩いてきた。

 囁かれた数字に疑問は覚える。だがそれを冗談にすべきだと言っていた。

 漏れ聞いた他の部員も頷いているので、これが効果的なのだろう。

 だまされています、セイバーさん。

「ん、失礼しました。私の資産に疑問があるとのことですね」

 そこでたっぷり間を作って、彼女は宣言した。


「私の個人資産は53億です」


 わずかな間のあと、野球部員の間から笑いが洩れた。

 それは次第に大きなものとなり、記者たちの間からも、笑いが洩れてくる。

「よっしゃ!」

 ガッツポーズをしている二年生部員は、やりきった顔をしていた。

「あの、今のは冗談で、多少の変動はありますが、90億少しですよ?」

 理解していないセイバーが、あわあわとうろたえている。

 笑い声はしばらく収まらなかった。

 後にフリーザ様の上位互換、と一部で言われることになったのは、この冗談による。




 ここに一人の少女がいる。

 今どき珍しく、ネット環境は携帯ではなく、デスクトップ型のPCを主に利用しているのが、ちょっとした特徴だろうか。

 遠出をする時は、いつも鞄の中に、文庫本を二冊入れているような女の子だ。


 目覚めたら着替えて、身だしなみを整え、メガネをかける。

 二誌取っている新聞をポストから取り出し、食卓の上に置くのが、彼女の早朝の仕事である。

 父が順番にそれを見ていくのだが、先にちらちらと読んでいくのは、早起きの特権だ。


「あ、うちの学校が出てる」

「あら、どこ?」


 朝食を作っていた母が覗き込んでくる。卒業した先輩たちや、よく分からない天才の学友達は、時々新聞に載ることがあるのだ。


「スポーツ欄」

「車椅子バスケとか?」

「ううん、高校野球」

「ふうん、珍しいわね」


 白富東は割と珍しいスポーツが盛んで、それで特集されることは珍しくない。

 だが野球部というのは、メジャーすぎて逆に接点がないように思える。


 記事を追っていくと、父が二階から降りてくる。おそらく昨日も夜遅くまで、持ち帰りで仕事をしていたのだろう。

 自営業に近いとは言え、責任のある仕事だ。それに全力で立ち向かう父の姿は、娘の目から見ても誇らしい。

「おはよう、瑞希。何か珍しい記事でもあったか?」

「うん、うちの運動部が、地方コーナーで書かれてるの」

「ふ~ん、白富東は俺の頃から、マイナーなスポーツで頑張るのが多かったからなあ」


 父は白富東の卒業生で、娘の瑞希も学力や進路を考えて、普通に両親の母校に入学した。

 運動部とはあまり関わらない文芸部員で、野球部の大応援団が結成されても、あまり興味が湧かなかった。

「野球部が、あと二回勝つと甲子園なんだって」

「は!? まだ残ってたのか!?」

 思いのほか大きな父の反応。そしてその記事に目を通していく。

「うわ! すごいな! うわ! うん! すごいな!」

 そんな父の反応が珍しくて、瑞希はなんとなしに問いかける。

「やっぱり甲子園ってすごいの?」

「そりゃもちろん! いや甲子園も凄いんだけど、この一年生が凄いんだよ。普通ならこんな記事にはならない。佐藤直史君か。知ってるか?」

「ううん。同じ学年でも、クラスは八つもあるし」


 ふうと息を吐いた父が、椅子に座って本格的に記事を読み出す。

「次が上総総合で、決勝までいけたらおそらく東名千葉か。う~ん、俺の頃とは信じられない強さだな」

 父は野球が好きだ。だから瑞希もそれに付き合って、テレビを見ることがある。

 特に高校野球が好きらしく、夏休みの調整で連休が取れたら、わざわざ甲子園まで見に行くほどだ。

 その間に瑞希と母は、京都で観光していることが多い。




 父は所謂、高校球児だった。

 白富東の野球部の、OBというわけだ。

 まあ三年間通しても最後の夏にやっとレギュラーになって、一回ヒットを打って三回戦で負けたそうだが。

 今は全くスポーツとは無縁のように思えるが、お客さんの付き合いで、ちょっとジムに行ったりもしている。

「そういう人って、いるんだね」

「うん、でもこの佐藤君という子は、中学時代一度も勝てなかったそうだね」


 その言葉が瑞希の気を引いた。

 甲子園に行くような人は、最初から特別なのだと思っていた。

 音楽や絵画などの芸術も、子供の頃から必死でやって身につくものだ。

 白富東の生徒は、確かに天才気質の人間も多いが、それ以上に変人としての面が強い。

「そうか、中学の頃は野球部が小さかったんだな」

「野球って、ピッチャーが一番大事なんでしょ?」

「それはそうだけど、二番目に大事なものがなくちゃ勝てないな」


 父はそう言って、過去の己のポジションについて語る。

「いいキャッチャーがいないと、球が速くても捕ってくれないからな。高校でいいバッテリーが組めたんだと思うよ」

 そうなのか、と改めて瑞希は記事の、スーパースターの写真を見た。

 ものすごいことをしそうな、厳つい顔ではない。甘いマスクというような形容もしがたい。

 強いて言うなら、あまり運動部っぽくない。


 父が言うには、おそらく昨日一日で、この同級生は全国的な有名人になったのだ。

 一日で周囲が変わる。それをどう思うのだろう。それには少し興味あった。

「瑞希も文芸部員なら、今度話を聞いてみたらどうだ? あ、でも大会中は大変だからダメだぞ」

「うん、機会があったらね」

 そうは言っても、自分とは違う世界の人間だろうな、と思う瑞希であった。

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