第29話 ナオフミ

 学校側の応援としては、正式に応援団が結成された。

 ブラバンとダンス部もほぼ強制的に参加である。もっとも強制されなくても参加しただろうが。

 白富東は進学校だが、ガリ勉というほどの者は少ない。オンオフがしっかりしているので、騒ぐところは騒ぐ。

 毎日暗くなるまで、遠くから聞こえる応援の音楽が絶えることはない。

 調整練習なので厳しい練習はないが、段々と精神が戦闘モードに変化していく。


 父母会も結成された。

 OB会は、元々野球部の意識が薄く、体育会系のノリが全くなかったため、単なるOBとして見に来る者が多い。

 セイバーにとって父母会の協力はありがたいものだった。人材は足りているが、人手が足りていない。

 試合前に体力を万全にするため、食事までしっかり計算されて作っている。その補助として主婦の手伝いは役に立った。

 セイバー自身は全くそちらにはノータッチだ。彼女がメシマズ女子なのかは分からない。


 そして準々決勝前からは、万一の事故や遅刻を防ぐため、学校の合宿所を利用する。

 実際のところは合宿所と言うより、宿泊施設だが。天文部などがここをよく利用するらしい。

 だがここで、空気を読まない男が一人。


「セイバーさん、俺、生活のサイクル乱さないために、家から通ったらダメですか?」


 直史である。


 よくこんな空気の中で言えるな、と他の全員が思ったが、セイバーは少し考える。

 調整が主なので、練習時間の確保のために、学校に寝泊りする必要はない。

 合宿所で寝泊りすれば、選手の体調面をこちらで考えることが出来るが、選手が本当に気分良くプレイするには、その意思を尊重した方がいいかもしれない。


 もしこれまでに、合宿を経験していたら。セイバーはひそかに後悔した。

 確かに生活のサイクルを変えることによって、影響は出るかもしれない。

 何より蕨山相手の先発は、直史の予定なのである。

「分かりました。ただし食事のメニューは計画の通りに。他に同じ希望の人はいますか?」

 いない。むしろ大介などは、母親の負担を軽くするために、合宿は大歓迎である。




 一人家路を急ぐ直史に、小さく声がかけられた。

「ナオ、お前ちょっと、まずいよ」

 ジンである。

「精神論とかじゃなくてさ。ここから先は、連帯感とか、そういう意識を共通化するのが一番だと思うんだ。俺も本当なら嫌だけど、一時的なものなんだし」

「俺も迷ったんだけど、やっぱり体調を万全にするには、いつも通りにするのがいいと思ったんだ。好き嫌いじゃなくて、単に勝つためにさ」

 頑ななわけでもなく、直史は自分なりにベストを目指しているのだ。

 もしセイバーが直史を上手く説得したら、それに従っただろう。

「実家だと一人部屋だけど、合宿所は相部屋だろ? そんなに神経が細いわけじゃないけど、俺って早寝早起きだし、他人の鼾が嫌いなんだよ」

 まあガラスを引っかく音でも、平気な人間とダメな人間がいるから、神経の太さとは関係ないだろう。


 これが岩崎であれば、ジンはなんとか宿舎に戻させるだろう。

 だが直史の場合は、自己管理能力は徹底している。純粋に病気に強い。アップとダウンの熱心さで、それははっきり分かっている。

 小学生の頃はともかく、中学では皆勤賞であったという。練習の様子を見ていても、体力がまだ未熟な以外は、特に気になる部分はない。

「甲子園に行ったら、強制で大部屋になるよ」

「その時は甲子園に行くまでに、合宿所で体を慣らすさ。とにかく今回みたいに、直前に言われたのがまずいわけなんだからさ」

 一応筋は通っている。それに甲子園での対処を今から考えていては、足元を掬われかねない。

「分かった。でも気をつけろよ。冷たい物で体冷やしたり、クーラーのかけすぎで風邪引いたら、お前の責任になるんだからな」

 岩崎に関しては甘やかしながら管理するジンだが、直史にはあまりそういった配慮はしない。

 人によって距離感というのは違うものだ。


 直史は普通に帰って、普通に食事し、普通に風呂に入って、普通に勉強しようとしたが――。

「さすがに今年は、後回しにするか」

 普段は夏休みの序盤で終わらせる宿題を、後回しにして眠るのだった。




 準々決勝前日、部員全員がミーティングに参加する。

 さすがにここからは、戦力を秘匿しておくのは難しい。

「蕨山高校の特徴は、強打のチームということです」

 どこから撮影したのか、屋内練習場でマシーンの球を打つ、ゴリラ共の姿が見えた。

「設定は150km。まあマシーンで打つなら、それぐらいは簡単ですしね」

 難しいよ、というツッコミはなかった。

 白富東のメンバーが目を慣らしているのは、160kmを出してくるエクスカリバーさんだ。

 マシーンの球をタイミングよく合わせるだけなら、前に飛ばすことは出来る。


 実際の投手の球は、それでは打てない。

 もちろん目が慣れているのと、スイングのパワーは鍛えてあるので、長打を打てる得点力はある。

 強豪校の常として、普通の投手の球は軽く飛ばすが、四割を超える打率を誇る打者はいない。

「この先のことを考えると、投手の相性の問題もあります。先発は佐藤君です。万一崩れたら、白石君がリリーフ。出来るだけ岩崎君は準決勝のために休んでもらいます」

 決勝のことを考えて、戦力を温存する余裕がある。

 今年の春には考えもつかなかった贅沢さである。


 さて、野球が得点と失点のスポーツなだけに、次は相手の攻略法である。

「左右の三年生をエース格として回しており、打者によって左右を入れ替えていますね。逆に言えば二人いてようやく一人前。それ以外のピッチャーは戦力になりません」

 細かい継投をしているが、これは打ち崩せるだろう。

 極端な話、相手がこちらの右打者に対して右腕に代わった時、代打で左打者を出せばいいのだ。

 もっとも白富東の代打陣は右が多いので、左投手の攻略が主目的になりそうだ。

「それと強打のチームと言いましたが、四番以外は一巡目、必ず初球は見送っています」

 打者に選球を徹底させるという意図は分かるが、それを相手にまで分かるようにしてしまうとは。


 だがそれに関しては、別の意見もある。

「ここまではずっと初球を見逃して、甘く入ったら打つというのもあるかもしれませんよ」

 意外性のある二年の意見だが、セイバーは首を振った。

「非効率的すぎます。それにもしそう考えていても、対策は簡単です。その日の自分の調子を見るために、厳しいところをちゃんと狙えばいいだけですから」

「マンガだと予告投球で相手の四番を一番に回して、その後の打席を機能不全にしたりもしたんですけどねえ」

 それはさすがにマンガの世界だけである。


「なあ、お前だったら予告投球したら、その通りに投げるか?」

 岩崎の質問に、直史は問い返す。

「そういうお前だったらどうなんだ?」

「そもそも予告投球なんてしないだろ」

「俺だったら予告投球とは違う球を投げるな。一球でもストライクが取れれば儲け物だし」

 極端なまでにみみっちい、直史の合理性だった。




 夕暮れには早い時間にミーティングも終わり、直史はただ一人帰宅である。

 マイペースだが、別に人嫌いというわけもない直史は、泊り込みをしているチームメイトたちが、多少うらやましくないではない。

 どうせエロい話をしているのだろうが――実は直史は、そういう話が大好きである。むっつりである。

 ピッチャーをやるような男は、女性関連もどこかこじらせているものだ(偏見)。


「それじゃいよいよ明日だから、遅れるなよ」

 玄関先で、他のメンバーが直史を見送る。

「うちらの試合は午後でしょ? ちゃんと朝には来ますよ」

 直史は球界の盟主を気取るどこぞの球団は嫌いだが、基本的に約束の時間に遅れるということはない。

 今日もいつも通りの時間を送って、明日には普通に試合に出る。そして普通に投げるだけだ。


 そう考えて古いドアを開けようとした時、外側から勢い良く開けられる。

「うおっ!」

 微妙に危険であった。右手を挟んでいたかもしれない。

「こんばんわ~。野球部の合宿所はここでいいっすか~?」

 その少女を見た瞬間の、男共の感想としては――。

(うお)

 である。


 むちむちと服の一部が、窮屈そうな体型をしていた。具体的には、胸部が。

 ギャルではないが、どことなく派手めな顔立ちというのは、誉め言葉になるかどうか微妙である。

「お、兄貴、アンダーの控え持ってきたよ」

「文歌(ふみか)、お前な」

 応対したのはキャプテン北村である。

「お袋は?」

「なんか明日の応援のために、近所の小母さんたちと話しこんでるよ。で、中身それで良かった?」

「おう。悪いな、受験生に」

「兄貴もその受験生なんだけどね。ほんじゃ帰るね」

 事務的な会話が終わろうとしていたが、北村は兄的な思考をする。

「あ、まだ明るいけど、念のためだ。ナオ、駅まで一緒に行ってくれるか?」


「キャプテン! なんなら俺が行きますよ!」

「あ、俺もコンビニに行くついでに!」

「お前らは宿題終わらせるんだよ。ほれ、見てやるから」


 直史の意思を確認しないまま、なにやら役割が振られてしまった。

 北村に引きずられる後輩たちは、どこかうらやましそうな視線を直史に送っていた。


 直史は隣に立つ少女を、改めて見つめた。

 身長はすらりと高い。北村も長身だが、その妹も165cmぐらいはありそうだ。

 受験生と言うからには一つ下なのだろうが、中学生には見えない。主に、スタイルが。

 第一印象では派手目な顔立ちと思ったが、濃い化粧をしているわけではない。

 なるほど北村の男らしい顔立ちに、似ているところはある。全体的に整っているのだ。

 北村に連行されていく先輩たちを横目に、直史と見つめ合う、北村の妹。

 別に一目ぼれなどということもなく、直史は普通に促した。


「じゃあ、送っていくよ」

「うん、お願いします」




 体育館に隣接した宿泊施設から、二人は駅へと向かう。

 途中の道には広い公園があるが、歴史的な遺構をわずかに残すものであるので、ちゃんと管理されていて、そんなに危険な場所ではない。

 ただ人通りが少ないのは確かなので、北村は心配したのだろう。

 直史のことを信頼しているのだが、この状況で素早くエロマンガ展開を頭の中で構築するあたり、直史も男である。むしろ直史こそ男である。

 彼は中学二年生の時、果たして人は一日に、何度の自慰行為が可能なのかと、夏休みに検証したことがある。

 結果、14回を二度記録した。単なる苦行だったので、それ以降は試していない。やりすぎるとタンパク質を排出しすぎる。

 思いついたら検証する……素晴らしいバカな所業であっても。

 男であるから。


 そんな直史であるが、表面上は紳士である。

 もっとも中学生時代の女子からは、嫌われていた部分がある。あるいは怖がられていた、か。彼は女相手にでも容赦せず、正面から論破するタイプだったので。

 口が悪いというわけではないが、関心のない相手にはいくらでも残酷になれる、まさに検察官のような人間だった。今でもその傾向はある。

 だから弟と違ってモテなかったのだ。


「明日の試合も見に来るの?」

「はい、お兄ちゃんの、最後の試合になるかもしれないから」


 おや? と直史は気付いた。

「普段はお兄ちゃんって呼んでるの?」

 その問いに文歌は、あ、と困った顔をした。少し赤くなる。


 北村文歌。彼女の秘密。

 それは隠れブラコンであるというところだった。

 ちなみに友人たちにはバレバレである。


「まあ明日は勝てるよ。キャプテンも活躍するし、見に来て損はないと思うよ」

「ふうん。えと、あなたは出場するの?」

 ここでまだ名前を教えてないことに気付いた直史である。

「俺は明日先発。ちなみに名前は佐藤直史ね」

「あ、おに……兄貴から聞いてます。一年にすごいピッチャーが二人いるって」

 岩崎はともかく、自分はそこまで凄いのか疑問の直史であるが、彼の投手としての自己評価は、中学生時代のこともあり、あまり高くない。むしろ大介のことを言ってるのかとさえ考える直史である。

 しかしそう思っているのは自分だけである。勇名館相手に勝った時、マウンドに立っていたのは直史だ。光園学舎相手に二失点も、一年生投手としては充分すぎる。


「それほどでもないけど」

「いやいや、たいしたものですよ、佐藤先輩」

「まだ先輩じゃないけど、白富東に来るの?」

「弓道部があるから、第一志望ではあるんですよね。ただ、学力がギリギリで」

「弓道……」

 この大きな胸は、邪魔にならないのだろうか。


 一瞬不埒な考えが浮かんだ直史だが、それよりも意識は弓道の方に向かった。

 あまり詳しくはないが、立ち位置を決めて、構えて、矢を放つ。

 ピッチャーの投球に似ているかもしれない。


「文歌ちゃんは、弓道どれぐらいやってるの?」

「中学生から。近所に道場があったの。あたし昔は体弱かったから、それでも少しは運動した方がいいって」


 いや、よくは知らないが、弓道も競技であるからには、それなりにきついのではないだろうか。

「おかげで今は、すっかり元気だけど。それよりさ、その、フミカちゃんは止めてほしいかな。出来ればフミ! で」

「フミちゃん?」

「ちゃんいらない」


 年下の女の子には妹で慣れている直史であるが、けっこう距離感の近い女の子だ。

 こちらから近付くのは苦手だが、向こうから来るのは拒まない。だが釣ってもいない魚には、餌をやる気にはなれない。

「そういえば先輩もフミ入ってるけど、どういう字なの?」

「素直の直に、歴史の史」

「あ、違うや、あたしは文章の文に、歌」

 どちらもキラキラネームではない、まともな名前である。

 まあ子供の性格を見れば、親の程度も知れるというものである。




「うちはお兄ちゃんとあたしの二人なんだけど、そっちはどうなの? なんだか一人っ子ぽい」

「いや、下に弟と妹が二人」

「へえ、多いね」

「妹が双子だからな」

「え、見たい。写真とかないの?」

「家族の写真なんて、わざわざ撮らないよ」


 薄情に思えるかもしれない台詞だが、直史はいつもはちゃんと、お兄ちゃんをしているのだ。

 ことさら優しくはしないが、別に仲は悪くない。双子と弟はよくつまらない喧嘩をしているが。

 二人がかりなので、武史一人だと劣勢なのだ。


「見たいな~。SNSとかやってないの?」

「ああ、めんどくさいから」

「じゃさ、メアド教えてよ。それに貼り付けて送ってよ」

「個人情報は、極力洩らさないようにしてるんだ。そもそもキャプテンなら知ってるし」

 双子は確かに珍しいだろうが、この距離感はちょっと近すぎる。


 幸いなことに、既に駅前である。ここから直史と文歌は、乗る電車が反対方向である。

「じゃあ気を付けて」

「大丈夫。お兄ちゃんは心配性なんだよ」

 リア充空間が遠ざかるのに、直史は一抹の寂しさを覚える。

「ナオ君、明日頑張ってね! 応援行くから!」

 そう言って電車に駆け込んだ文歌は、最後まで手を振っていた。

 直史も軽く手を上げて返したが、正直ほっとした気分である。

「ナオ君、ね」

 なんだか男子を勘違いさせそうな子だな、と思いつつ、直史は帰途についた。

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