第24話 覚醒

 三振した一番打者を迎えた監督は、怒る気にはならなかった。

「カーブか?」

「二種類のカーブです。最初に遅いのがきて、次のはストレートと同じぐらいのスピードでした」

「初見殺しか。おそらく実戦で使えるか、お前で試したんだろうな」

 ベンチから見ていても分かる、落差の大きなカーブだった。

 あれをいきなり、利き腕とは違う腕で投げられたらたまらないだろう。

 おそらく左打者には、背中の方から急に現れるように見えるのだ。


「なめやがって」

「なめてないから、あの球を使ったんだろう。普通の打者相手になら、右からの球でも充分だからな」

 それでもまあ、試験相手にされたことには変わらないだろうが。

 六回までパーフェクトに抑えた先発といい、この七回からのリリーフといい、良い投手が同学年に二人も揃っている。しかもタイプが違う。


 打撃についてもたいしたものだ。初回の五点はエースのボールを振り切って奪った得点であるし、追加の一点も打線が見事につながっていた。

 下位打線は微妙だが、おそらく守備力を重視したのだろう。代打に良い選手がいるのかもしれない。


 公立校だからと、どうせ全国の公式戦では当たらないのだと、甘く見ていたのは否めない。

 エースの調整の試合のつもりだったが、あの小さな三番には完全に心を折られてしまった。

(県予選までに、立て直せるか。あちらは千葉か……。下手すりゃ今年、甲子園に行っちまうぞ)


 関東や関西の、学校の多い都道府県予選を勝ち抜いて甲子園に出るには、計算出来るピッチャーが必ず二人は必要だ。

 一年生であれということは、来年からもそこそこいい選手が集まるかもしれない。

(定期的に練習試合を組む相手として、考えておいた方がいいな)

 敗北は避けられないであろう状況であるが、指揮官は未来をちゃんと見つめていた。




 魔球。実際のところは、既存の変化球である。

 しかし他の変化球とは特徴に大きな違いがあるため、確かにナックルと並んで希少価値は高いだろう。

 実際に試してみた直史は、これを投げるのには素質がいるだろうと分かった。才能ではなく、素質だ。

 そして同時に、どうしてシーナがこれを投げられたのかも分かった。


 実際に安定してきて分かったのだが、この球をちゃんと投げようと思うと、手の振りを大気を切るように振らなければいけない。

 下手に制球しようと思うと、逆に回転が安定しない。

 八回の下位打線、そしてこの回の九番には一球ずつ投げたが、思い通りに空ぶってくれた。

 基本的に打たせて取るタイプの投手であった直史だが、ついに三振を取るための方程式を手に入れたのだ。

 あとは、上位打線に通用するかも試さなければいけない。


 マウンドにジンを呼んで、直史は相談する。

「二番と三番は、ボール球主体で普通のピッチングする。あの球は四番に決め球として試したい。それまでに打ち取っちゃうかもしれないけど、そしたらまあ、仕方ない」

「変化球を駆使するなら、間違いなく打ち取れるぞ。もうちょっと絞って投げよう」

「たとえば?」

「変化球は見せ球で、ストライクはストレートで取る」

 珍しく直史は不服そうな顔をした。


 直史は変化球が好きというわけではない。実はそうなのだ。

 だが、ストレートをゾーンに投げるのは嫌いだ。

 バッターとのストレート真っ向勝負など、聞くだけでも腹が立つ。

 もちろん口にはしないが。


「配球次第で、ストレートでも空振り取れるんだよ。そういうのを、強い相手に試したい」

「了解。任せた」

 どれだけ相手が強豪であろうと、これはしょせん練習試合。

 負けたら後がない公式戦とは違う。ならば試すのだ。山手が言っていたように、自分の力を。

 直史はひたすら、データを取るために投げるだけである。




 ベンチの中ではデータを取る山手が、計器を見ながらふむふむと頷いていた。

「どうやら佐藤君は、ピッチングのコツをつかんだようですね」

「そうなんですか?」

 スコアをつけていたシーナが、山手のノートPCを見つめる。

 それは計器につながっていて、最新のデータをすぐに流してくる。

「ほら、ここ」

「あ、球速ですか? なんか遅くありません?」

「ああ、MLBの表示だからですね。時速に変換します」


 MLBでの球速は、マイルで表示される。100マイルでおおよそ161kmだ。

 そしてkmに変換された直史の球速は――。

「132km!」

 以前に計測した最高値よりも、3km上がっている。

 そして次の球で、それはまた更新された。

「134……」

「日本の高校野球レベルではどうなんですか?」

「充分に速球派です」


 直史は今、指先のコントロールに集中している。

 そのために制球に必要な力は入っているが、他の部分のリミッターが外れかけている。

 変化球により強いスピンをかけようとする力。

 それはストレートに直すなら、スピン量の多い、球速の増した球となる。




 ストレートを二球続けて見逃した二番打者。実際のところは伸びとキレに、手が出なかったのだが。

(振ってこなかったけど、ストレートは予想外だったのか?)

 直史は自分の調子が良いことは分かっているが、まさに急激な成長の中にある彼は、このままでは四番に変化球が使えないではないかと、贅沢な悩みを持ってしまう。

 ジンが次に要求するのはスライダー。ボール球ではあるが、ストレートに慣れた打者は、思わず振ってしまうかもしれない。

(若干大きめに外す!)

 投じた球は、思ったよりもキレて、明らかなボール球となった。


 スライダーは指先のわずかな力の入れ加減で変化を調整する球である。

 調子に乗って新変化球の練習をしすぎたために、無意識に必要以上のスピンがかかっているのか。

(まずいな。さっきまでは大丈夫だったのに、なんでだ?)

 これまで全力投球したことのない直史は、今こそまさに調子がいいために全力投球、正確には無駄な力の入らない投球をしている。

 それが普段よりも、変化球の変化を鋭くしているのだが、本人の狙ったところにはいかない。


 ジンはそれを察したのか、外角にスプリットを要求する。

 スプリットはどちらかというと抜く球なので、スピンの加減とは別である。

 だがスプリットもちゃんとボールゾーンに行ったが、思ったより高目から落ちた。

 落差が変わらないのは良かったが。


 カーブを投げたら、かなり大きく外れた。

 やはりスピンをかける球は、かなりまずいらしい。

(さっきのサウスポーで投げたのが、まずかったのか?)

 最後のカーブも少し内に寄せるはずだったが、明らかなボール球になった。

(う~ん、ストライクが入らないピッチャーってのは、こういう状態なのか)

 初めての経験であるが、普通のピッチャーならよくあることなのだろう。


「おい、どした?」

 マウンドにジンが近付いてくる。

 どんなピンチの時も、重ねて得点を入れられた時も、全く動じなかった直史である。

 それがちゃんとストライクが取れない。もっともそれでも、本人はあまり困っていないようだが。

「さっきのサウスポー、全力でカーブのスピンかけただろ? あの感触が残っているせいで、右で投げる球全体にまで、力が入りすぎてるみたいだ」

「ストレートは良かったぞ。手が出せなかったみたいだし」


 二番は前の打席は、犠打をした打者だった。

 バントを成功させた球が、今度は明らかに速度も伸びも、キレも違っていた。打てるはずはない。

「次の打者、全部ボール球投げて、変化量測っていいか?」

 それで調整出来るならすごいと思ったジンだが、直史が言うのなら出来るのだろう。

「分かった。実戦で同じようなことになったら困るしな」

「最悪、ガンと代わるってことで」

 そこまで深刻なのか、とジンは顔にこそ出さないが、直史の感覚には従う。

「まあ、練習試合だしな」

 軽くそう言って、ベースに戻った。




 三番が四球で出て、四番の登場である。

 向こうのピッチャーが制球に苦しんでいるのは明らかなので、光和大付属のベンチも、ここをつなげば流れが来ると思って応援に熱が入る。


 対して白富東のメンバーは、全く心配していなかった。

 まだ五点差があって、ホームランを打たれても二点のリードがある。

 そしてホームランを打たれても、平気な顔で次の打者を打ち取るのが直史なのだ。


 四番への投球は、初球がインハイへのストレート。

 えぐるような胸元のボールだが、ストライクだ。打っても差し込まれると思って見逃す。

 続けて二球目はカーブ。自分の背中からストライクゾーンを横切っていくので、打つのは難しい。これもストライク。

(失投を狙うか、カットで逃げるしかないか)

 だがそれも難しそうだ。


 前打席ではコントロールされたスライダーを、素直に打ち返した。

 あのコースに投げ込んだボールをヒットにされて、平気な顔をしているのが印象的なピッチャーだった。

 マウンドの上において冷静。崩れないが、味方を鼓舞するタイプでもないと思っていた。


 その印象が変わったわけではない。何種類もの変化球を投げ分けるのだから、冷静に計算した上で、キャッチャーもリードしているのだろう。

 精密機械。かつてそう言われたプロのピッチャーがいたと知識では知っている。

 だがこの一年生は、コントロールこそそれに匹敵するかもしれないが、球速は足りていない。

(でも、前の打席より伸びているような)

 交代直後で、肩が暖まっていなかったのだろうか。


 どちらにしろ、次の球が問題だ。

 投げられたのは、高めに明らかなボール球。これはさすがに打ちようがない。

 高めに目を向けさせて、最後はアウトローという組み立てか。


 ピッチャーはサインを出されて、少し間を置いてから頷いた。

 キャッチャーの出したサインが、意外なものだったのか。だが間を置いたとはいえ頷いたなら、妥当性がある配球のはずだ。

 来た球を打つ。シンプルに思考を研ぎ澄ませる。

 放られた球は、ど真ん中!


 失投! スタンドに運べる!

 そう思った四番のバットよりも早く、球はミットに収まった。

 空振り三振。ゲームセットである。

(何や今のは。伸びた? いや、消えた……バットを通り抜けたような……)

 呆然としながらも立ち上がる四番。ベンチから両校の選手が出て、挨拶が終わる。




 釈然としない気持ちを抱えたまま、彼は直史に話しかけた。

「なあ、ちょっと君、ええかな?」

 試合が終わり、もう全くその名残も残していないような直史は、不思議そうに顔を向けてきた。

「最後の球、なんやったん?」

 出身地の訛りが思わず出てしまった。

「普通の縦スラですけど」

「縦スラ……」


 スライダーは、確かにストレートと球速の違いがあまりない変化球だ。

 だが最後のボールは、明らかにそれとは異質の感じがしたのだが。

 もし違ったとしても、そもそも正解を教えてくれるはずがない。

 公式戦で当たる可能性は低いが、この情報化社会で、どこから変化球のデータが洩れるかは心配した方がいいだろう。


「自分、まだ一年生やんな? やっぱ甲子園狙ってるんやろ?」

「いや、俺は特に」

 最後の夏を迎える三年生に対して、直史は素で答えた。

「まあ一度も負けたくないんで、甲子園を狙ってるのと意味は同じだと思いますけど」

 こいつは――と四番は思った。

 とんでもないひねくれ者で、そして自信家だ。

 背後で頭を抱えているキャッチャーは、手綱を握るのがさぞ大変だろう。


 差し出された四番の手を、直史は仕方なく握った。

「甲子園で会おう」

「いや、東日本の高校は、基本一回戦は西日本の高校と戦いますよね? うちは甲子園に出れたらそれでいいんで、戦うことはないと思いますよ」

 なぜそこまで正直なのか。

 いやこの方向性の正直さは、むしろ傍若無人と言っていい。

「じゃあ、運があったら、またどこかで」

「はい」




 どうにか友好的なままで別れた直史に、ジンは背後から疲れた声をかけた。

「お前さ、ああいう時は表面的にでも、さわやか球児を演じてくれよ」

「別にマスコミが相手じゃないし、問題ないだろ」

「いや、東東京の強豪なら、うちの県の強豪と試合組む可能性は高いだろ? 少しでも情報が洩れる可能性は消しておきたい」

 それは納得出来る考えである。

「まあ縦スラって言ったのは、いいことだと思うけど」


 ジンの感覚としても、あの球の特徴は、縦スラが一番近い。

 もしくは変化球ではない、クセのあるストレートだ。

 どちらにしろ、今日の四番との対戦で、決め球として使えるものだとは分かった。


 帰りのバスの中では、直史は岩崎の隣に座った。

「惜しかったな。でもいい感じじゃん」

「まあ冷静に考えたら、パーフェクトは無理だったろうしな。ランナー出たところで代わってもらって悪かったよ」

「県予選の後半も、どちらかが一試合投げきるより、継投の方がいいかもしれないな」

「そしたらナオがリリーフだな。お前スタミナあるし」

「どうかな~」

 スタミナを別にしても、岩崎はリリーフには向いていない気がする直史である。


 だが、今日はまっとうにやって、東東京のベスト8に勝った。

 東東京のベスト8は、学校数こそ千葉より少ないものの、実力という点では千葉より上だと考えていいだろう。

 甲子園での成績が、それを如実に物語っている。

 そこと真正面から戦ってほぼ完勝したのだから、確実に白富東の実力は上がっている。


「甲子園、行っちゃいます?」

「めんどくせえから、もう狙おうぜ」

 通路を挟んだ席に座っている大介が発言した。

 それにしても、めんどくせえからという言い方は、かなり無茶苦茶ではあるが。


 部員達の士気も高まっている。白富東はごく一部のメンバーが突出しているチームだが、完全なワンマンチームというわけではないし、それぞれがちゃんと役割を担っている。

 下位打線の得点力は弱点かもしれないが、そこは代打で勝負所にかければいい。

 行ってしまえるのではないか? 甲子園に。




 最前部の酔いにくい席で、山手はまたノートPCを叩いている。

 この新監督になってから、確かに白富東のレベルが上がっている。

 それも大胆な采配や、地力を高めるためのトレーニングではなく、岩崎のピッチングに代表される微調整で、だ。


 そしてスコアをつけていたシーナは、自分たちではなく、相手のチームのデータにも気が付いていた。

 出塁率が上がったのは自分たちのチームの数字だが、それと連動して、相手チームの投手の投球数が多い。

 もちろんこれはまだ母数が少ないため、はっきりとしたことは言えない。今日の試合などは、相手のエースは自滅に近い崩れ方をした。

 打者一巡だけではあったのだが、投球数が多い。そこも考えて、相手の監督は限界と判断したのだろう。


 打者の選球眼、数値は上がっていない。まだ母数が小さいからだ。だが相手チームの投手の力からすれば、以前ならもっとボール球に手を出していたのではないか。

 一番打者の手塚がちゃんと出た。それもちゃんと粘って。あそこが実は、キーポイントだったのではないか。

 得点力は大介の力によるところが大きい。だが大介だけに頼った得点ではなかった。

 直史が打者として活躍し、岩崎が外野フライを打った。

 ダメ押しは大介だったが、そこまでの内容がいい。


 甲子園。

 選手だけでなく、マネージャーにも欲が出てきていた。




キャラデータ その6


椎名美雪 15歳 マネージャー(元二塁手兼投手) 右投左打 162cm ?kg (4月時点)

MAX124km

変化球 

スライダー シュート チェンジアップ ???

家族構成

両親 姉二人

備考

白富東野球部のマネージャー。実際は練習補助員も務める。

運動神経は抜群で、中学時代の陸上部では、県大会で入賞するほどの成績を収めていた。

シニアではアベレージヒッターで、四番の前に打者をためるのが役目。

投手としても女子の中では高い能力を持ち、野手としては不動の二塁手だった。

現在はバッピも務め、練習試合には選手として出ることもある。

父が大の野球ファンで、息子に野球をやらせたかったが三連続で娘が生まれたためそれは断念。

夏の甲子園を嬉しそうに見る父の背中を見て、小学生の頃からリトルで野球を始める。

父はものすごく喜んで、それを母が苦笑して見つめるというのが、日常の風景だった。

進学先は女子野球の強豪からも誘われていたが、自分の野球は大学でも出来る、でも甲子園は高校しかいけないと考えた。

白富東レベルなら女子でも練習試合に出られるよ、というジンの策略に乗って白富東へ進学。

彼女の進路によって、シニアのレギュラーの多くが同校に進学した。

父はジンのことを気に入っており、内心ではくっついてほしいと思っているが、本人にその気はない。

恋人はいないが、気になる人はいるのかも……?

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