第23話 サウスポー

 名門光和大付属相手に、先発のピッチャーは岩崎。キャッチャーはジン。

 最も強力なバッテリーであり、スタメンはほとんど変わっていない。

 一つだけ、直史がライトに入っていること以外は。打順は五番であり、岩崎が六番になっている。

 最初は不満げな岩崎であったが、本当はピッチングに専念させるため、九番にしたかったと言われて納得した。

 そう言い聞かせたのはジンであるが。


 監督が交代して、わずか一週間。しかしその短期間で、明らかに岩崎は変わっていた。

 まず、制球力が増した。

 カメラによるフォームチェックに、サーモグラフィーや耐圧センサーによる、肉体内部の力の変化を計測。

 分析した山手は鏡に向かってのシャドーピッチングで、岩崎のフォームの微妙なズレを矯正していった。


 わずか一週間で制球力が増しただけでも驚きだが、もっと驚くことがある。

 岩崎のストレートのMAXが、142kmとなったのである。

「バランスよく筋肉を使うことによって、一球一球のフォームのブレをなくし、制球力が高くなりました。そして制球に使っていた力を前にかけることによって、球速も増したのです」

 確かに、カメラなどでフォームのチェックをすることはある。

 だがサーモグラフィーでの体内の筋肉の活動や、地面の耐圧センサーによる体重移動など、そこまでのことはしたことがない。

 結果として効果が出ているので岩崎はものすごくご機嫌である。

 速いストレートに憧れないピッチャーなどいないのだ。

 いや、ほとんどいないと言うべきか。




 ジンのリードも冴え、変化球でカウントを整え、ゾーンぎりぎりにストレートを決める。

 まさに理想的な投球で、東東京の強豪校を相手に、三回まで岩崎はパーフェクトで抑えている。

「ガンちゃん、今日は調子いいね」

「俺はここんとこずっと調子いいな」

 鼻歌でも歌いそうな機嫌の岩崎であるが、確かに感じるレベルアップは、成長期の少年にとっては、格別のものであろう。


 ここまで、スコアは5-0で白富東が圧倒している。

 もっとも点を取れたのは、一回の表の攻撃が全てである。


 一番センター手塚。打率は普通だが俊足を活かすために一番バッターとなっている。今日は粘って四球で出塁した。

 二番のジンも送りバントの気配を出しつつ、バッテリーにプレッシャーを与え、同じく四球で出塁する。

 この時点で既に苛立っていた光和大付属のエースは、三番の大介に対して甘い球でストライクを取りに来た。

 そしてそれを当たり前のように、大介はバックスクリーン直撃のホームランを放ったのだ。


 練習試合なのだから、いや公式戦でも、ここで光和大の監督は投手を代えるべきであった。

 精神的に折れる経験を、あえてさせる。向こうの監督はそんな意図があったのかもしれない。


 四番の北村は綺麗にセンター返し。

 そして初球から単独スチール。バッテリーの二人ともが動揺していたのか無警戒で、余裕で進塁。

 五番の直史は最低でも進塁打と、ライト方向に流したら、綺麗にライト前ヒット。

 六番の岩崎が外野フライで北村はタッチアップ。そこそこの余裕をもってセーフ。しかもその間に直史も二塁に進塁。

 さらに送りバントと内野ゴロ処理のミスで、直史も生還。結局九番打者にまで回るビッグイニングとなったのだ。




 二回からはピッチャー交代で、相手校もこちらを甘く見ることは全くなかった。

 だがそれでも二打席目の大介には、ストライクを投げてきた。

 厳しい内角攻めであったが、大介はライトに引っ張り、ツーベースヒット。

 もっとも次の北村の打球が守備の正面を突いたので、結局は追加点とはならなかった。


 それ以降も毎回、白富東はランナーを出す。

 対して岩崎は、三振も多く取るパーフェクトピッチング。

 五回の裏が終わった時点でも、相手に一塁を踏ませていない。


 ジンは岩崎の成長に、正直に驚いていた。

 伸び代は少ない。そう思っていたのに、山手の簡単な指導により、ここまでピッチャーとしてのレベルが上がるのか。

 MAX142kmでコントロールと直球のキレが良く、変化球も持っている。

 これは県内でもトップレベルのピッチャーと言っていいだろう。

 高校生は、伸びる時には爆発的に伸びる。

 しかしこの成長は、明らかにこのわずか一週間でのものだ。


「監督、ガンちゃんの登板、予定よりも伸ばしたいんですけど」

 当初予定では、岩崎の投げるのは五イニングまでだった。直史がジンのリードで強豪にどこまで通用するかも、確かめたかったからだ。

 だが、ここまでピッチングの内容がいいと、欲が出てくる。

「相手は強豪校ですから、試合中に対策を立てて、それを実践してくるでしょう。達成出来る可能性は低いです。ここまでの投球内容で、満足しておくべきでは?」

「可能性が低いのは分かってます。でももし達成できたら、ガンちゃんにはすごい自信になります」

 変に調子に乗ってしまうような危うさも、今の岩崎からは感じられない。


 岩崎は、ぎりぎりのところで臆病なところがある。

 それは生来の性格もあるのかもしれないが、シニア最後の試合で、相手のサヨナラを許してしまったことも関係しているのではないか。

 だから本当のぎりぎりのところでは、開き直った勝負が出来なくなっていた。

 可能性は、自分が信じなければ開けない。

 そのために岩崎には、ここで大きな成功体験を持って欲しい。

「分かりました」

 そして山手は承認する。


「岩崎君、調子がいいですね」

「まあ、たまたまですよ。調子がいいのは確かですけど」

「三振を多く取って、ファインプレーのアウトもない結果ですから、素晴らしいと思いますよ」

 屈託なく笑う岩崎に、山手も微笑み返す。

「本当は経験を積むために、六回からは佐藤君に代わる予定でしたが、折角ですので狙っていきましょう」

「続投、ですか?」

「はい。ただし一本でもヒットが出たら、残念ですがそこまでということで、佐藤君に交代します」

「分かりました!」


 ちょろいやつだなあ、と直史は口にはせずとも思っていた。

 岩崎は悪いやつではないし、嫌いでもないし、仲が悪くもない。

 ただ自分の考える、あるべきピッチャー像とは違うだけだ。さらに言えば人生観や価値観も違う。

 そもそも持ってる能力が違うので、配球もリードも違って当然だし、目指すところも違う。




 六回の裏、下位打線の相手チームは、バントヒットの構えを見せたり、待球策を行ったりした。

 だが今日の岩崎の集中力は、それに苛立つことなく冷静に対処する。

 バントの構えから打ってきたバスターは、それこそヒット性の当たりだったが、大介の横っ飛びのミットに収まっていた。

 セーフティも変にあせることなく岩崎が処理し、そして九番は三振でしとめた。


 ジンからしてみたら、精神的に成長したなと感じる。

 前はファールで粘られたり、バント攻勢をかけられると、すぐにコントロールを乱していたのだ。

 だがここまでは冷静だ。むしろバックの方が緊張している。

 ここいらで追加点があれば、また変わるのだろうが。


 打線は三番の大介から。ランナーはいないが、彼が打席に立った時点で、既に得点のチャンスである。

 だが投球はボールが先行し、スリーボールとなった段階で、最後は大きく外してきた。

 ここまでホームランを含む打率10割なので、これは仕方がないだろう。

 さて、四番の北村である。無死のランナーがいて、それが大介という時点で、得点の可能性はかなり高い。


 しかし一回以降得点が取れてないことを考えると、あえて送りバントをしたら、確実に決まるだろう。

 大介の足なら盗塁も可能かもしれないが、既に前の出塁で行っている。キャッチングも送球も上手いキャッチャーなので、かなり意表をつかなければ難しい。

 ここは監督の采配が問われる場面であるが。

「普通に打ってもらいましょう」

 そういうことになった。


 打て、というサインがあり、北村も頷く。

 大介があまりに規格外であるので目立たないが、北村も立派な四番打者である。

 強振。併殺だけは防ぎたい場面だが、変にミートを心がけると、簡単なゴロを打ってしまう可能性が高い。


 守備陣が打球に注目したところで、二球目に北村はセーフティバントを仕掛けた。

 送りバントではない。だがこれは、完全に意表をついている。

 バントの気配を全く見せなかった、北村の勝ちである。

 打てという命令どおりの、内野安打であった。




 この回結局、白富東は一点だが追加点を取った。

 なかなかヒットが得点に結びつかなかったため、相手がぎりぎりで崩れるのを防いでいる状態であったが、ここでまた流れは変わった。

 しかし変わったはずの流れの中でも、異常値と同じように、偶然の事象は起きる。

 七回の裏、先頭打者の一番に、岩崎が簡単にレフト前ヒットを打たれてしまったのだった。


 天を仰ぐ岩崎。パーフェクトなど相手がどれだけ弱小でも、そうそう狙えるものではない。なにしろあまりに弱い相手だと、コールドで参考記録になってしまうからだ。

 しかし相手は東東京のベスト8レベル。これを抑えたら間違いなく実力だと言える。

「出会いがしらだったな」

「あ~、こんなチャンス、二度となかったかもな」

「まあ公式戦で狙えよ。予選なら充分にチャンスはあるだろ」

 直史にそう声をかけられて、岩崎は強張っていた表情を崩した。

「あと、試合はまだ終わってないんだから、下手なポカミスすんなよ」

「分かってるって」


 かくして、直史がマウンドに上がった。

 パーフェクトを破った俊足一番が、一塁にいて無死。

 ここで交代するというのは、単純なピッチャーとしての能力以上に、精神的な強さが、あるいは図太さがものを言う。

 だがそれは、相手に点を取られまいとするからだ。


 直史は点を取られることを恐れない。かつては試合に勝つためには、点を取られてはいけなかった。

 だが点を取られてもそれ以上に取ってくれる仲間がいれば、試合に勝つことだけを目的に出来る。

「まあ走ってくるだろうな」

「そうだね。盗塁の後、送りバントかな?」

 バッテリーの読みは共通している。

「盗塁を刺すことは出来るか?」

「う~ん、今までパーフェクトだったせいで、あちらの盗塁のセンスがいまいち分かってないんだよね」


 盗塁は単なる足の速さだけでなく、投手のモーションを盗む技術が必要だ。

 それに盗塁だと分かっているなら、ストライクを外して完全な体勢から、二塁へ投げることも出来る。

「やらせよう。一死三塁から、点をやって二死ランナーなしにする。あえて裏をかく可能性は?」

「この得点差だとあちらの監督も、勝つこと自体は諦めてるかもしれないね。あとは目標設定をどこにしているかだけど」

「奇策を打ってくるにしても、それが経験できるならむしろありがたいか。じゃあそれでいこう」


 直史の性格は、間違いなくピッチャー向きだ。それも先発でもリリーフエースでも出来る、柔軟性を持っている。

 いや、どんな状況でも揺るがない頑健さと言った方が正確か。

(ああは言ったけど県予選で当たらない相手だから、積極的な作戦を取ってくることは間違いないよな。まあ初球はストライクもらおう)

 ストレートではなく、いきなりスプリット。打者は見逃したが、予想通りランナーは盗塁。

 ジンは二塁に投げたが、悠々とセーフになっていた。

(打者も右だし、三塁狙ってくるかな? かといってこの点差から逆転することを目指すなら、エンドランもありうるし)


 ベンチの動きはない。山手はジンがデータを求めれば答えてくれるが、基本的に指示は出さない。

(まあ相手としたら、一点をがむしゃらに取りに来る点差じゃないしな。でもピッチャーが代わったし、逆転はありえると考えるか?)

 直史の投球練習と、この二番への初球。少なくとも岩崎よりは下だと考えただろう。

(分かってても打ちにくい、カーブを)

 直史の大きく変化するカーブを、打者は空振りした。だがその隙にランナーは三塁へと進塁。

 予想の範囲内ではあるが、果敢な攻撃である。




 強豪校というのは、弱い相手を完膚なきまでに潰し、同格の相手とは読み合いながら戦い、格上相手でも諦めない。だから強い。

 白富東はほぼ同格だろうが、状況は悪い。ここから逆転出来れば、相手の選手たちにはいい経験になってしまう。

 それだけにジンは、正面から正攻法で勝利したい。

(ん~、完全に正面から完封しても、ナオはあんまり気にしないだろうし、ここは一点をやってもいいか。ランナーが残らないことが重要だな)

 ジンの読みは正しく、打者は強振してゴロを打った。

「一つ!」

 ランナーが帰ってくる間に、一塁でアウト一つ。

 一点は取られたものの、ランナーはいなくなった。

(スクイズの構えとかして揺さぶっても良かっただろうに、そこまでムキになって勝つって意識はないのか)


 続く三番と四番も、好球必打と振ってくる。

 三番はゴロに打ち取ったが、四番にはセンター前に運ばれた。

 後続を断ったものの、光和大付属としてはようやくの、一点目を入れたことになる。

 これで直史が、岩崎よりはかなり劣るピッチャーだと誤認してくれればいいのだが。


 その後、白富東の攻撃は淡白に終わった。

 相手に球数を放らせることには成功しているが、下位打線がカットで逃げるのはまだ難しい。

 だが光和大付属も、直史を捉えることは出来なかった。

 継投した初回こそ得点されヒットも打たれたが、下位打線の八回には全く動けず、九回も一死で先頭打者に回ってくる。


 ここで直史とジンは、あることを試すことにした。

 強豪校の、打率や出塁率が高いであろう一番の左打者・・・。

 ベンチから控えが出て、直史にそれを渡す。

 そう、左投げ用のグラブを。


 スイッチピッチャー。

 過去に存在しないではなかったが、スイッチヒッターの数百倍以上に珍しい存在である。

 投球練習もしないので、本気なのかどうか分からなかった相手校は、一球目の普通のストレートを見逃した。

 普通にストライクは入る。投球動作もおかしくはない。

 だが圧倒的に、速さが足りない。それなら対処はたやすい。


 セットポジションから、ほぼ右の鏡写しのようなフォームで、第二球。

 投げたと思った瞬間、球が消えた。

(なんだ? ボーク?)

 視界の端から、ゆったりと落ちてくる球。

 振ることも出来ず、見送り。ストライク。

(スローカーブ? 落差あったぞ)

 慌ててボックスを外し、今の球を振り返る。


 左相手だから左。そんな単純な理由ではない。

 あのスローカーブは、おそらく90kmも出ていない。前のストレートは110km程度だろうか。

 あの遅い球の後なら、110kmのストレートでも、それなりの脅威になる。

 左打者相手に左のワンポイントという使い方をプロ野球ですることはあるのだから、左打者に特化した左投げということか。

(つっても、利き腕じゃない方で変化球が投げられる時点で、たいしたもんだぜ)

 だが、俺なら打てる。


 自信を持って打席に入った一番に、直史が次に投げるのは――。

(カー――)

 スピードのあるカーブに、バットは空振りした。





キャラデータ その5


北村信吾 17歳 三塁手 右投右打 180cm 77kg(4月時点)

家族構成

両親と妹、父方の祖父

備考

白富東のキャプテンを務める、隠れた逸材。中学校時代もキャプテンで四番であった。

走攻守の三つ揃った選手であり、強豪校でも背番号をもらえるぐらいの実力を持つ。

直史たちが入るまでは、野球部で唯一ホームランの打てるバッターだった。

出塁率がものすごく高い大介の後を打つというポジションなため、実は非常に重要な役割である。

人望も厚く性格もおおらかで、運動部全体への影響力が大きい。

子供の頃からチームの中心選手ではあったが、シニアには進まず部活の野球で満足していた。

実は中学三年時に、当時まだ一年だった竹中(一話参照)のバッティングを見て、野球を諦めた経緯がある。

学業の成績も良く、狙うは東大。野球は高校で引退する予定だったが、現在の一年生を見て、やはり進学してもやろうと変心した。

ジンの内心は気付かず、今年の一年が来年以降に本気で甲子園を狙えるように、自分は献身的に働こうと考えている。

三つ下に妹がいて、おそらくこの物語が二年目に突入するなら、遅れてきたヒロイン候補として登場するだろう。

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