第22話 野球の前提

 視聴覚室に集まった野球部員たちに、ホワイトボードにグラフを映した山手が、数値を口にしながら説明する。

「本日の皆さんの守備を見た限りですので、実際はもっとデータを集めて、詳しく分析をすることになります。ただ本日の短い時点では、守備に致命的な穴はありません」

 ふう、と安心する野手たち。シニア組以外でも上級生達も、守備練習はちゃんとしてきたからだ。

「ただ、連携について、少し気になったところがあります」

 やはりMLBの目から見ると、課題はあるのか。きゅっと緊張する一同。

「白石君の守備範囲は極めて高いのですが、キャッチングが精一杯で、一塁への送球が間に合わない場合がありますね。サードへのトスで送球を任せるなど、高度な練習が適しています。もっともまずは目の前の大会を前に、他の部分を伸ばすとしましょう」

 守備以外の練習で、短い期間に何が可能というのだろう。

 せっかく専門のコーチがいるのだから、速い打球の守備などをした方がいいのではないか。


 当惑している部員たちに対して、山手はホワイトボードに文字を書く。

 勝利、と。

「野球の試合の目的は勝利です。草野球などのプレイ自体が目的なのは除きますが、この目的が違うと思う人はいますか?」

 いない。さすがにいない。

 と思ったらいた。

「練習試合なら、相手の戦力の分析が目的になる場合がありますね」

 軽く手を上げて言ったのは直史である。空気を読め。

「いい視点です。また自軍の戦力確認ということもあります。MLBのマイナーリーグでは、試合の勝利よりも自分の選手成績が大事と考える選手が多いですね。それにMLBではリーグ通しての成績においては、一試合の勝利が必ずしも試合の目的とは限りません」


 正直なところ、穿った意見だと直史自身も思っていた。

 だが思いのほか好評価である。

「いいですよ。前提を疑うというのは、+ポイントです。それをふまえて、試合で勝利することが目的と、改めて明示しましょう。この目的を達成するにはどうすればいいですか?」

 先ほどのことがあるので、皆が沈黙する。だが再び直史が手を上げた。空気を本当に読まない男である。

「基本的には試合終了時点で、こちらの獲得した点数が、相手の獲得した点数より上回っていることです」

「基本的には、と言いましたね? 例外は?」

「一つは……雨天コールドとかで、試合終了が前倒しになったりするのが不確定要素だと思います。あとは……試合中の事故で、メンバーが九人を満たさなくなった時ですかね」

 これは名門シニアにいた者には分からないことだろう。だが直史の中学時代は、病気で休んだ者が複数いて、試合が成立しなかったことがあったのだ。


 山手はパチパチと拍手をした。

「佐藤君は素晴らしいですね。前提を疑い、達成の手段を厳密に考える。この考え方から、セイバーメトリクスの基本的な考えが生まれたとも言えます」

 誉められたがあまり嬉しくもない直史である。

 山手は本気で言っているのかもしれないが、直史の野球に対する考えが、常識とは外れてるとも言えるのだ。

 セイバーメトリクスの理論を立てたのは、プレイヤーではなかった学者であったのだから。

「お前、賢いな」

 大介までも感心してくるので、なんだかくすぐったい気もする。




「さて、佐藤君の述べたような例は、統計では異常値として排除される傾向にあります。ただし短期決戦では通常にはない作戦や、統計からはありえない数値が出ることもままあるため、セイバーメトリクスを盲信しないようにしましょう」

 導入者がそれを疑えという。自分の頭で考えろ、ということなのだろうと直史は理解した。

 野球に限らず直史が得たものは、自己流であるものが多い。

 もしくは図書館で無料で手に入る知識によるものだ。インターネットは話半分で参考にしている。


 山手は再びボードに、二つの単語を書く。

 得点と、失点だ。

「得点の中で最も確実に点が入る方法はなんでしょう? 次は佐藤君以外が答えてください」

 これは、簡単な問題だ。

 簡単だが、答えるには資格がいる。

「ホームランじゃねえの?」

「はい、白石君、正解です」

 狙ってホームランが打てるような打者は、白富東では大介しかいない。


「では、次はちょっと難しいかもしれません。最も確実に失点を防ぐのはなんでしょう?」

「三振」

 すぐさま答えたのは岩崎であり、山手はまた頷いた。

「そうですね。三振は失点を防ぐ、つまりアウトを取るためには、一番確率の高い方法です。もっとも、打者に向かって投げなければいけないというリスクもありますが、打者への投球は試合の中で最も多用するという点でも、重要度は高いのです」

「監督、じゃなかった山手さん、それだと打たせて取るピッチャーより、三振を取るピッチャーの方が上ってことですか?」

「それも、基本的には間違ってないですね」


 北村がそう問いかけたのは、岩崎と大介以外のピッチャーのタイプを考えたからだ。

 球速で押すピッチャーは、なんだかんだ言って三振を取る。岩崎はまさにそのタイプであり、上級生の鈴木と田中には狙って三振を取る力はない。

 直史などはリード次第で三振を取れるが、あまり本人は三振を意識していないように思える。

「ただ試合が一度きりで、投手がその試合で壊れてもいいとかの極端な条件でない限り、現実的には無理ですね。普段は簡単なフライを打たせて、要所で三振が取れるピッチャーが理想です」

「ゴロじゃないんですか?」

「ゴロはフライに比べて、アウトに必要な動作が二つ多いですからね。基本的にはフライ、特に内野フライを打たせるのが重要です」


 高校野球ではゴロを打てというのは、金属バットの反発力と、技術の未熟な野手のエラーに期待するからである。

「最近のMLBではゴロじゃなくてフライを打つのが主流らしいですけど」

 ジンもそれぐらいは調べている。フライボール革命というものだ。

 これは単純に、ゴロを打つよりもフライを打ったほうが、打率も長打率も高くなるという統計から出たものである。

「けれども高校生のフィジカルで、あれが出来る選手は多くないでしょう? それに既に対策は出始めています」

 MLBのフライボール革命は、スイングスピードとスイングの角度が重要となる。

 高校生の平均レベルの打力では、外野フライが量産されるようになるだけだろう。

 それでも無理してフライを打とうとして、MLBでは三振の数が爆発的に増えている。


 野球の技術というのは日々進化しているが、実は退化している場合もあるのかもしれない。

 ただ、変化していることだけは確かだ。それに対応出来なければ、即ち敗北する。

 勝負がそのままサラリーに影響するプロの世界にあっては、しょせん金銭の絡まない高校野球とは、アップデートの速度が違う。

 もっとも高校野球の監督でも、私立の強豪校で実績を残す監督などは、それをすぐさま取り入れているものだが。

「フライがいいか、ゴロがいいか、それはデータの蓄積で判断します」

 山手は自信満々というわけではなく、ごく普通にそう言い放った。




「失点のことを話している間に、少し得点にも話しましたが、最近のMLBで打率よりも重要視されているOPSはご存知ですか?」

 これは部員の半数が頷いた。頷かなかった者も、おおよそのところは知っている。日本のプロ野球でも一般的だ。

 簡単に言えば、出塁率と長打率を足したものだ。かつては長打がなくても打率がいい打者を好打者といったこともあったが、得点の機会を作るという点では、打率よりも相関関係が高い。

「ヒットによる出塁と、四球による出塁、どちらが皆さんは上だと思いますか?」

 部員たちが顔を見合わせる。打者にとっては、打って出るほうが気持ちがいいのは確かだ。数字としても目立つ。

「俺は打たれる方が嫌だな」

「へえ、俺は四球の方が嫌いだけど」

 前者が岩崎の言葉であり、後者は直史の言葉であった。


 単純に数値上の成績で言えば、岩崎は直史よりもはるかに上である。

 だがジンが負傷退場した後の勇名館戦と、一人で投げきった光園学舎戦を考えれば、直史も良いピッチャーだというのは明らかだ。

 それに守備陣からすると、たっぷりと時間をかけて投げる直史は、本来集中力が途切れるはずなのだが、なぜか実際は守りやすいのだ。

「三振狙って打たれたら、くそ! って思わねえ?」

「ホームランならともかく、いい打球でも守備の正面とかあるからなあ。その点四球は全部自分の責任だから、誰かのせいには出来ないだろ?」

 意見が対立したように見える両者だが、実はそうではない。

 直史の本当の意見は、どちらでもいい、なのだから。


 北村が微妙な空気の中で発言する。

「数値化出来ないでしょうけど、クリーンヒットを続けて打たれたとか、制球が定まらなくなって連続四球とかで、心理的には違うと思いますけど」

「連続するのはまずいですね。ですが一般的には、四球の方がまずい傾向にあります。単純に数字で数えられますが、ヒットは一球投げただけで済みますが、四球は四回以上投げなければいけないので、その分が投手の負担です」

 山手の言葉には数値データの蓄積がある。

「打率の話になりますが、高い打率を維持するため、つまりヒットを打つために必要なのはなんですか?」

 これに多くの部員が顔を見合わせるが、一部の長打力がある者は、それなりの答えが出せる。

「失投を見逃さない」

 北村が言えば

「狙い打ち」

 大介がそう言った。


 どちらも正しい。そしていわゆる本格派などと言われる投手は、制球を犠牲にしてでも球威で勝負するというところがある。

 甘く入ってくれば、速いストレートでも打てる北村と、狙って打てばどんな球種でも打てる大介との違いである。

 打つべき球を打つという点では同じだ。難しい球をあえて打つという点では違うが。

「しかし打ったとしても、守備の正面をつくということはありえます。アウトのリスクを負わないという点では、素人の私などは四球の方が楽だと思いますね」

 岩崎には分かる。制球が定まらない日に待球策を取られると、精神的にかなり辛い。

 対する直史は、ストライクはいつでも取れるのだ。四球が嫌とは言ったが、問題はその後を切ることだろう。


 改めて言われてみれば、意識していない部分が浮かび上がってくる。

「実際にはもっと多くのデータが大切ですし、短期決戦であるトーナメントは、皆さんや先人の経験も役に立つでしょう。ですから実戦では、私が意見を求めて、皆さんの作戦を採用するという場面もあると思います」

 これは、怖い。

 監督の命令を聞くというのは、判断の責任を監督に委ねるということである。だが山手は結果だけでなく、判断の責任まで選手に求めるのだ。

「まあ、実際に成功するか失敗するかは、あまり問題ではありません。問題は、責任は私にあるということです。ですから失敗したからといって、意見を出さなくなるのが最も悪いことです」

 山手の言葉は理想主義的に聞こえるが、実は現実的ではないのか、と直史は思う。

 見かけは外国人だが、育ったのは日本、そしてアメリカナイズされた仕事に対する価値観を持っている。

 この価値観はおそらく、白富東の面子とは相性がいい。

 もっとも本来なら頼りになる、鷺北シニアは逆に面食らうかもしれないが。

「とにかく今は、データを取るのが最優先です。どんどんと練習試合をしていきましょう」


 確かにこの時期は、どの学校も練習試合を増やしていく頃だろう。

「けれどそれとは別に、特別なトレーニングを行います。大丈夫、肉体的に強い負荷をかけるものではありません」

「それは、いったいどんな?」

 おそらくこの中で、最も合理的なトレーニングを知っているジンでも、そう問わざるをえない。

「得点力をアップします」

 難しいと思われていた問題を、平気で口にする山手であった。




 白富東は名門校である。卒業生は多彩な職業に渡り、そして歴史もある。

 野球に限らずに言えば、多分野へのコネがあるのだ。

 そしてそのコネを辿れば、県外の強豪校ともなんらかのつながりがあったりする。

 少なくとも県内の高校に関しては、春の実績もあるため、かなりの高校が練習試合を受けてくれた。


 ただしベスト8レベルの強豪は別である。向こうもこちらに手の内を見せたくないだろうし、こちらもそれは同様だ。

 だから主に、東京の強豪を相手にすることになる。移動のための足は、運転手コミでこれまた山手が用意してくれた。

「アメリカの都合もあるんでしょうけど、そんなに長くいてもらえるんですか?」

 ジンが問いかけるのは、この好待遇がどれだけ続くかだ。

 今年の夏までだとしても、それなりの意義はあるのかもしれない。ただ実験に付き合わされただけにも思えるが。

「一応は来年の夏までを予定していますが、シーズンオフにはアメリカに戻りますね。全く結果が出なかったら、今年で終わるかもしれませんが。個人的には再来年の夏までやりたいですね。結果が全てです」


 ビジネスライクなようでいて、どこかマイペースにも思える。おそらくは自由裁量の部分が大きいのだろう。

 セイバーメトリクスの短期決戦用のアップデート。一応それを目的としているらしいが、アメリカにだって高校や大学の野球部はある。

 にもかかわらず、日本の、しかも実績のほとんどない白富東を選んだ。いくつか選択肢はあったらしいが、白富東を一番にしてくれた。

 大京レックスのスカウトやフロント陣と何かの関係があるのだろうが、その背景まで考えるとなると、ジンではまだ想像の限界を超えている。


 それに練習に関しても、ジンのみならず白富東のメンバーの想像を超えていた。

 山手はまず、得点力を上げるために、テクニックではなくフィジカルの強化を命じたのだ。

 この短い期間に、そんな急なフィジカルの強化は出来ない。そう考えていたジンであるが、彼女の言うフィジカルというのは、単なる筋力とは違った。

 厳密に言えば筋力で間違いないのであろうが、思ってもいないところの筋肉であった。

 眼球である。


 正確に言えば筋肉だけではなく、眼球周りを鍛えた。家でも出来る三分トレーニングや、ピンポン球を使ったキャッチングなどだ。

 卓球のピンポン球は硬球に比べればはるかに安く、そして実は変化をつけやすい。

 軽いため空気抵抗で短い距離で球速は落ちるが、逆にそれが鋭い変化を与えてくれる。

 ピンポン球と卓球台を使った練習は、実は反射神経のいい練習になるのだ。

 軽い球なのでグラブを使わずに取るのは、正確なキャッチングにもつながる。


 白富東は運動部が盛んではないので、卓球部が休みの日には、存分にそのスペースを使わせてもらった。

 ピンポン球を使った訓練は、実のところ多くの球技で反射神経を鍛えるために使われている。

 競技者と競技者の間の距離を考えれば、卓球は最速の球技とまで言えるのだ。

 さすがにラケットで打ち返すことなどなかったが、一度現役の卓球部員の一番弱いやつと戦ったが、大介以外は全員負けた。

 大介でも二番目に弱い部員に負けてたので、地味にショックであった。

 彼ら曰く「いくら運動神経が良くても、まともなボールの投げ方も知らない人間が、少しでもかじった野球部員に勝てるわけがないのと同じ」とのことであったが。




 またボールを使った練習自体は、むしろ短くなった。

 サーキットトレーニングは、主にダッシュや、マシンバッティングを主に行っている。

 一番短くなったのが守備練で、一日に多くても50球のノックを超える日はない。

「平均すれば一試合に、50回も球が飛んでくることはないですからね。その分ミスがないように、集中して練習してください」

 無駄に数をこなすよりも、集中力を高めた練習をする。

 これが山手の方針であり、コーチ陣もそれを理解していた。


 難しい守備練習はほどほどにする。簡単な作業でミスしないのが大切なのだ。

 難しい打球をなんとか捕らえると、投手はほっとする。

 だが簡単な球をエラーすると調子が崩れることが多い。

 堅実に、効率的に、合理的に。これが山手の練習方針である。


 日曜日は基本的に休日だ。人によっては自主練を許可するが、相談の必要がある。

 大きすぎる負荷は肉体のパフォーマンスを低下させるからだ。特に取り入れたウエイトトレーニングは、休養によって筋肉の再生を強く促す。


 そんな日々が過ぎ、練習試合の日曜日がやってきた。

 本日の相手は東東京の強豪、光和大付属。春の大会でも都内ベスト8に入っている、実績だけなら白富東と同じか、やや上回るレベルである。

 基本的に強豪校相手には、こちらも全力で戦う。

 だがその全力というのも、全ての手段を使うということではない。

 一定の条件下での全力。それが山手の指示であった。




キャラデータ その4


岩崎秀臣 15歳 投手 右投右打 182cm 72kg (4月時点)

MAX140km

変化球 

スライダー チェンジアップ ツーシーム

家族構成

両親、姉(大学通学のため一人暮らし中)

備考

白富東の選手の中では最も恵まれた肉体を持つ一年生。

速球が武器であり、チェンジアップは実は苦手。

制球はあまり優れていないが、それ以上に試合ごとに発揮するパフォーマンスが違う。

我が強い性格だが、そのくせ精神的に脆いところもある。

総合的な身体能力は、大介に次ぐ。

シニア時代に全国ベスト8の実績を残し、それなりに強豪校からの勧誘もあった。

しかし根本的な部分では自分に自信がなかったため、野球に賭けることが出来ず、白富東に進学。

口にはしないがジンのことを絶対的に信頼している。

打率は微妙だが長打力に優れ、控えの時も外野手として試合に出ることは多かった。

三振に拘る性格だが、徐々に改善されていっている模様。

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