第20話 新監督

 そもそも、の話である。

 学校の部活動に対して、勝手に部外者が参加するわけにはいかない。

 父母会などが部活動に協力することはあるが、子供が部員であるのだから、部外者ではないのだ。

 あとOB会などというのもあるが、これも卒業生であるので、厳密には全く無関係であるわけではない。

 もっとも白富東の野球部OBなど、卒業後に顔を出したことさえないのだが。


 まず話を通すために、監督に相談すると、部員の了承を求めたらOKと言われた。

 高峰としては自分の能力に失格印を押されるようなものだとジンなどは思うのだが、そこは白富東の教育方針による。

 生徒が自発的に提案したことは、基本的には却下しない。自主性の育成こそが、白富東の理念である。

 おかげで優秀な生徒も出るが、変な生徒も多い。科学部員などはその最たる例だが、数年前には生徒会長をやった生徒が、アニメーター目指して上京していたりする。


 次にキャプテンの北村に話したのだが、反対はしないまでも不思議そうな顔をされた。

「ベスト8常連の高校をまず目指すんだろ? 監督を招くなら夏が終わってからでいいと思うけど。あと経歴とかは?」

 高峰よりはちゃんと考えてくれるが、特に強い主張はしない。

 ジンもストレートには言えない。このキャプテンを、甲子園に連れて行きたいなどとは。

「本当に強いところを目指すなら、目標はさらに上に設定しないとダメです。キャプテンはテストの時、90点を目指しますか? 100点を目指しますか?」

「……結果的にはともかく、100点を取る勉強をしないと、全力を出したとは言えないわけか」


 正直に言うなら、北村はテストの時、取りやすい教科に重点を置き、取りにくい教科は急所だけを抑える。

 だがこのやる気になっている一年生を前に、水を差すようなことは言いたくない。

「分かった。……でもこの異色の経歴はなんなんだ?」

 ジンに渡された新監督のプロフィールを見て、さすがの北村も常識が決心の邪魔をする。


 関西の名門進学校から東京大学経済学部に現役で合格。在学中にアメリカに留学し、マサチューセッツ工科大学でMBAを取得。単位交換で東大を卒業。

 そのまま卒業後はアメリカの企業に就職し、金融会社CEOの秘書兼マネージャーとして働くが短期間で辞職。MLBのボストン・レッドソックスのGMアドバイザーとして勤める。

 語学に堪能なため、多国籍出身の選手との接触も多く、スカウトに同行することも多かった。現在は増加する日本人選手との交渉を担当することが多く、またGM秘書としてデータ分析を統計学的に行っている。


「ここまではまだいい。本人に野球経験がないとか、マネージャーさえないとかも、まだいい。メジャー関係者ってだけで、そのへんは通じるからな。若いのもその若さで経験があるんだから、問題には……あまりしない」

 北村の柔軟な、体育会系ではない脳でも、そこまでが限界だった。

「でも、こいつ女じゃねえか!」

 思わず叫んでしまう北村の姿を、ジンは初めて見た。




 マジか、と。

 放課後、ミーティングのために集まった野球部員全員が、ジンから説明を受けて同じ感想を抱いた。

 直史の視線を受けて、ジンはふいと顔を反らした。

(親父さん推薦だから、有能であることには間違いないんだろうけど……)

 有能な作戦参謀が、有能な前線指揮官を兼ねるとは限らない。いや、有能な官僚が有能な軍人とは限らないぐらいの差はあるだろうか。

「女監督ってのも、確かにいるかもしんないけど、モモカンみたいなのはそうそういねえだろ……」

 呆れたように大介は呟くが、その言葉通りである。


 全国を見れば、男子高校野球の監督をする女性は、わずかながら存在する。しかしそれにしても、これはありえないだろう。

「経歴から聞くと采配や作戦は立てられるだろうし、トレーニング方法も確立してるんだとは思う。その上であえて聞きたいのが二つ」

 直史はふてぶてしく言い放つ。

「練習の基本方針と、ノックや送球などの具体的な模範を見せてもらえるのかどうか。あとついでにもう一つ、俺らが考えることじゃないかもしれないけど、どういう待遇で監督してくれるんだ?」

 前者二つは確かに重要なものだが、教えてもらう側から尋ねるのは、なかなか勇気がいることだ。

「基本方針は、効率最優先。あと実際の技術的なことは、シニアの縁でどうにかする。そんで待遇だけど、まあ安い。俺らには関係ないレベル。タダでもいいって向こうは言ってるんだけど、それだと逆に甘えが出るかもしれないからな」

 甘え。なんとなく言いたいことは分からないでもない。


 当惑する部員達だが、上級生はあまりそうでもない。

 元から野球を楽しむのが目的であって、勝利にまでは強い執着がないのだ。彼らにとってはドラマチックな野球は、まるで自分が物語の登場人物になったようで心地いい。

 たとえ自らが、その端役であっても。

「ちなみにあちらからも条件があって、部員全員同意の上でないと、監督は引き受けられないとのことです」

 ジンの追加説明は、普通の監督ならありえない。監督を決めるのは学校側だ。

 向こうも自分の実力に自信を持てないのだろうかと考えなくもないが、この経歴はそういう常識的な考えでは測れない


「俺たちは、ジンについていくだけだ」

 岩崎は短く断言した。一拍遅れたが、他のシニアメンバーも頷く。

 やはりジンには人望がある。いや、信頼か。似ているようで違う。

「その人の野球って、管理野球なのか? ぶっちゃけランナー一塁なら絶対バントとか、ゴロを打てとかは勘弁なんだけど」

 大介の言葉は分かる。彼にとって得点期待値は、犠打よりも普通に打ったほうが高いからだ。

「今のメジャーでは送りバントはむしろ軽視されてるから。簡単に理論を言うと、セイバーメトリクスの改良型だよ」

 部員たちの頭の上に、?マークが浮かんでいる。例外は既に話を聞いていた北村、高峰、そして――。

「おい、セイバーメトリクスの欠点は本当に改良されてるのか?」

 直史である。


 直史は野球に全てを賭けた人生など送ってこなかったし、この先も送るつもりはない。

 だが野球に関する知識を吸収するのは、ジンに次いで貪欲と言える。

 だからその言葉も知っていた。




 セイバーメトリクス。ビル・ジェームズにより提唱された、野球のデータを統計学的に分析し選手を評価した手法である。

 この理論に従ってメジャーのアスレチックスGMビリー・ビーンは低予算で最高勝率を上げるチームを作り上げた。

 それまでの野球で軽視されてきた数値に注目することによって、評価の低い選手を的確に活用し、金満集団のチームを相手に、リーグの連勝記録などを作ったのだ。

 この理論やデータは他の球団にも活用されるようになり、2000年代前半からは日本のプロ野球でも、それまでとは違った統計の数値が重視されるようになってきている。

「佐藤、セイバーメトリクスを簡単に説明出来るか?」

 北村に言われた直史は、わずかに考え込む。

「……従来の野球では軽視されていたデータも含めて統計的に分析し、主観ではなく数値で選手を活用し、費用対効果の高いチームを作る……いや、厳密な定義は知らないですけど」

「ナオの言ってたことはだいたい合ってるよ。それと、弱点も分かってるんだよね?」

「母数が大きなプロの試合ならともかく、高校野球のレベルでは活用が難しい。実際にアスレチックスではポストシーズンを勝ち進むことは出来なかった。けれどその有効性は間違いなく、同じくセイバーを使ったボストン・レッドソックスで……あれ?」

「そう、短期決戦のワールドシリーズも優勝した、レッドソックスのGMの側近だった人なんだよ」


 直史は割と神経が太く、そして同時に無神経なところがある。

 肝が太いと勘違いされるところもあったが、自分では単に冷静なだけだと思っている。

 だがさすがにこれは驚いた。

「ボストンのGMは変わっても、球団方針は変わってないはずだよな? すると実戦に役立ったセイバーの理論をちゃんとアップデートした形で持ってるのか?」

「その有効性を試すために、日本の高校野球を選んだんだよ」

「……なんで?」

「そこまでは知らないけど、理由は重要じゃない。重要なのは、ひょっとしたら世界トップレベルの能力を持ってるかもしれない人が、監督になってくれるかもしれないってことさ」


 直史は混乱した。

 そして周囲も混乱した。

 実はジンもまだ、混乱から立ち直ったわけではない。

「やるやらないの二択なら、やってもらう方に決まってるんじゃねえか?」

 混乱から立ち直ったらしい大介は言った。

「甲子園狙うんだろ? んで今のままじゃ無理だとジンは思ったんだろ? ならやるしかないだろ」

 大介の思考はシンプルだ。それにこの場合は正しい。

 チーム一の選手の言葉には、重みがある。


 だが直史には解決しなければいけない疑問があった。

「セイバーメトリクスは勝率を上げるための理論で、勝つべき試合に勝つためのものじゃないだろ。そのあたりはどうなんだ?」

「アスレチックスは最高の結果は出なかったけど、レッドソックスでは結果が出た。だからセイバーが有効であること自体は間違いない」

「俺はマネー・ボール見て、色々調べたんだよ。セイバーは高校三年間、しかもトーナメントで力を発揮するものじゃないだろ」

「だからその改良型を、世界で最も過酷なアマチュア野球の世界で、試験したいわけだよ。ちなみにうちの父さんも、かなり期待はしてる」

「あれは選手の起用には向いてるけど、育成のためのものじゃないだろ?」

「だからこそ、この夏を戦うためには向いている」


 直史は顔を覆った。

 セイバーメトリクスは長期的なスパンで勝率を高める。旧来の野球の常識を外れた計算で勝負が出来るものだ。

 夏までの時間を考えれば、純粋な数値で選手を起用し、戦術を選択した方がいいのかもしれない。

 だが基本的にセイバーは、長期的な勝率を上げるのが前提のものだったはずだ。だからこそその改良型なのだろうが。

 それにしてもセイバーメトリクスは、フィジカルやテクニックを成長させるものではない。活用させるためのものだ。

 いや、夏の予選を考えれば、もう短期間での技術の向上は諦めて、活用を考えるべきなのだろうが。


 またもジンと直史の間で意見の対立が起こるかと思われたが、ここで直史は考えの方向を変えた。

「映画見てた俺としては、コーチの人選も気になる。下手をすれば監督とコーチの間で、いらん衝突が起きるぞ。そのあたりも考えてるのか?」

「じゃあ監督の人選自体は、ナオもこれでいいってことだね?」

「……そうだな」

 消極的な反対だが、対案は出せないのだ。それに高峰が監督としては平凡なことは間違いない。

 世の中には野球に限らず、平凡以下の指導者が蔓延しているものだが。

「他には……いないっすね? そんじゃ電話するわ。実はリミットが今日中だったんで」




 その場で電話をかけるジンに対し、部員達は顔を見合わせる。

 ジンの存在によって、プロ野球の存在は、そこそこ身近に感じられるようになってきた。

 プロ注目の選手などとも戦って、そのレベルを痛感している。だがここまではまだ分かる。


 しかしメジャー、MLBの世界となると、さすがに想像の範囲外だ。

 プロ野球は普通にテレビで中継されているが、メジャーの試合など専用チャンネルか、日本人メジャーリーガーの試合が時々放送されるぐらいである。

「レッドソックスか。ナオ、お前調べたの?」

 岩崎の問いに直史は普通に頷く。

「中学時代、どうにかチームを勝たせる方法がないかと思ってね。選手の年俸総額の安いチームでシリーズを勝ったアスレチックスのことを知って、ちょっと調べてみたんだよ。でもセイバーは長期的な、どちらかというと経済の分野だったから」

 レッドソックスがワールドシリーズを勝てたのは、結局のところ絶対的な選手が存在したからだ。統計から出す平均値では、実際の一回で決まる試合を勝ち進むのは難しい。


 もっともある程度有効なことも確かだろうが、そもそもMLBの選手のテクニックを基準にすると、高校生の未熟な技術では計算が合わない。

 だからこそ、セイバーメトリクスの改良型なのだろうが。

「メジャーではセイバーの有効性が確認されることによって、選手の評価も変わっていったんだ。結局その新しい評価システムで選手のサラリーが決まるから、やっぱり金を持ってるチームが強いことになる」

「日本で言うなら巨人みたいなもんか」

「メジャーならヤンキースって感じがするけどな」

 実はレッドソックスも相当の金持ち球団ではあるのだ。

「上原とか松坂がレッドソックスだったよな?」

「でもメジャーの基準だと、完全実力主義になっちゃわね?」

「まあ、練習しっかりしてる上手いやつが、ちゃんとレギュラーになるのは当然だろ」


 そんな背後の言葉を聞きながら、ジンは父に電話をしているのだが。

「うん、うん、そう。……え!? 今から!? いや、まあ確かにそうだけど……」

 通話を終えたジンは、戸惑いを込めた表情で振り返った。

「なんかもう、これからすぐに来るそうです。コーチとかも向こうで用意してあるそうで」

「フットワーク軽いな!」

「なんだかアメリカっぽいな!」

「いたれりつくせりだけど、本当に大丈夫か?」

 それなりに驚いているが、まだどこか夢の中のように感じる部員達。

「とりあえず、昨日の試合の振り返りをしながら待ちましょうか」

 その意見にはまたも全員が頷いた。




 結局のところ白富東の問題は、得点力だ。

 昨日の二試合、相手投手の力で言えば、より点数を取った春日山の方が、実は投手としては上であった。

 しかし点数に差があるのは、大介との勝負を早々に諦めたのもあるが、守備の堅実さによる。

 組織的なプレイという点では、帝都一の方がかなり上なのだ。たとえBチームであっても。


 全体的な打率を上げることによって、大介の得点機会を増やす。これが得点力向上の、もっとも簡単なものである。

 その打率を上げるというのが、どれだけ難しいかは別とするが。


 守備に関しては、帝都一を四点に抑えた岩崎と大介のピッチングは、充分に合格点だ。

 それに結局10点取られてコールドになった春日山相手の試合も、ジンのリードがあったらもっと失点は少なかっただろう。

「打撃向上か。課題は分かるけど、夏までに間に合うようなものじゃないな」

 北村が太い息を吐く。当たり前だ。打とうと思って打てるなら、世の中は強打者で溢れている。


 具体的な練習法をジンは挙げていくが、確実に夏までに効果があるとは言えない。

 守備の連携や、ランナーの出た時の守備配置など、地味だが相手の得点を防ぐための課題を挙げていく。

 こういった細かい積み重ねは、今までやってこなかった練習をするという点で、実は選手にとっては面白いのだ。




 かくてミーティングもそろそろ終わりかというところに、ジンの携帯に知らない番号からの連絡が入る。

 タイミング的に誰かは分かっているので迷いなく通話ボタンを押したが、内容には驚かされた。

「え? もうですか? 分かりました。グラウンドに行きます」

 慌てて飛び出す部員達。その顔にはやはり不安の色がある。


 校舎から少し離れたグラウンドには、女性が二人に男性が……少なくとも10人以上いた。

 明らかに野球関連とは思えない、作業服を着た人間も大勢いたのだ。

 その中心となっているのは、まさにキャリアウーマンといった感じの女性で、年齢は経歴書によると25歳ぐらいのはずだ。

 グラウンドに入った部員達を、その集団は友好的な笑みで歓迎してくれる。いや、ここは元々野球部のグラウンドであるのだが。


 ここは自分の出番だと、キャプテン北村は先頭に立ち、異色の女性監督候補に、アメリカ式に手を出した。

 顧問である高峰は、その後ろで小さくなっている。

「初めまして。僕がキャプテンの北村です」

 女性はその手を見て、かすかに首を傾げた。そして了解したとばかりに笑みを深くする。

「私はコーチ陣の通訳をする早乙女です。監督はこちらの――」

 金髪碧眼、どう見ても日本人ではない、学生に見える少女?に手を向けた。

「山手春香です。どうぞよろしく」

 流暢な日本語で挨拶して、山手は北村の手を握った。


 関西出身の、東京大学に入学した才媛。

 そんな彼女は人種的には、バリバリの西洋白人であった。





キャラデータ その2

白石大介 15歳 遊撃手兼投手 右投左打 162cm 60kg(4月時点)

MAX140km

変化球 

スライダー

家族構成

母親との母子家庭 離婚した父親は生存

備考

常識外れの身体能力を誇る、規格外の強打者。同時に守備も素晴らしく、捕手以外の全てのポジション経験がある。肩も強いため投手をすることもある。

高校入学後の打率は七割を超し、盗塁の成功率はいまのところ100%である。

中学時代は監督の方針で守備固めの控えか投手として使われることが多く、打者としては犠打やゴロを打つことを強要されていた。

もちろんそんなことは無視していたため、クリーンナップとして使われることはなかった。アホな指導者の犠牲者である。二話での自己紹介は、嘘から出た真。

平均的な数値も特別だが、得点圏打率などの数値はさらに高い。

投手としてのストレートは速いが、伸びやキレといった部分ではあまり秀でてはいない。ただし投げるボールの質は重い。

どんな場面でもスペック通りの打撃を放てるメンタルの持ち主であり、おそろしく集中力は高い。

投手の決め球を粉砕することに高揚感を覚え、本来の性格自体はやや無頼を気取るところがあるが、基本的に真面目。

実父は元プロ野球選手の血統エリートだが、本人はそれを口にすることはない。

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