第18話 ピッチャーの資質
白富東対帝都一Bチームの試合を、当然ながら春日山高校のメンバーも見学している。
「あ~、さすがに四打席目は敬遠か」
「まあ一発出たら同点だしな」
「それよりもまた打たれることで、投手が折れるのを防いだんじゃね?」
「なら三打席目に打たれたところ、交代しておいた方がいいだろ」
「う~ん、まあ監督の判断によるんだろうけど」
小さいながらもスタンドを備えたグランドで、メンバーはかなり真剣に試合を観戦していた。
「ケンシン、お前はどう思うよ?」
そう問われたのは春日山高校のエース上杉である。ちなみに下の名前は勝也であり、子供の頃はかっちゃんと呼ばれていた。
しかし三年になった今、188cmの長身からストレート主体で攻める本格派は、名字の上杉とひっかけて、ケンシンと呼ばれることが多い。かっちゃんという呼び方は、なんでも縁起が悪いそうだ。
春日山高校は上越市にある、春日山の麓にある高校なのだ。
静かながらも闘志を秘めた目で見つめる上杉は、敬遠で一塁に向かう大介を見つめる。
「ワシなら勝てる」
傲慢さでもなく、ただひたすら強靭。
今日の帝都一Aチームとの試合でも、エラーに足を絡められて二点は取られたが、まともなヒットは一つもなく、上杉もまだ調整中であった。
点を取られても全く動じない。古武士の風格があるエースに、チームメイトの信頼は厚い。
「あの打者に注意が行くのは当然だが、投手と守備もそこそこいいぞ」
監督である宇佐美の言葉に、部員達は頷いた。
点数こそ三対一とそこそこ競っているが、内容はかなり違う。
毎回のようにランナーを出す白富東バッテリーだが、Bチームとは言え帝都一の打線に単打しか許していない。
帝都一は犠牲フライや内野ゴロでそつなく点を取っているが、試合が壊れていない点でそれなりに評価出来る。
「鷺北シニアのメンバーがほとんど行ってますからね。あそこはキャッチャーの評価が高かったはずです。強豪校に行かなかったのはちょっと意外ですけど」
そう説明するのは、今年入部した一年生投手であり、シニア時代に鷺北と戦ったこともある、ケンシンの弟である正也である。
きっかけは忘れられているが、彼の通称はトラである。
この後に白富東と行う試合では、彼が先発となる。
下手をすれば同じ一年生。今後も全国で争う可能性がある。
もちろんその可能性は、限りなく低いが。
春日山の一行が見つめる前で、帝都一はさらに追加点を奪う。
九回の裏を迎えることなく、四対一で試合は終了した。
小休止の時間はミーティングに当てられる。
「え~、じゃあまず、それぞれの課題から」
当然のように司会を始めるジンだが文句はない。出場したシニア組は、文句を言うほどの体力も残っていないのだろうが。
「投手は今の段階では満点だね。春からやってるけどガンちゃんの投球は、かなり精度が上がってる。途中でワンポイントで投げてくれた大介も、ランナー気にせずよくやってくれた。つーかランナー忘れてたでしょ?」
「ツーアウトでランナー気にしても仕方ないだろ」
「そう、その通り。それで次の回から戻ったガンちゃんは調子を自分で戻してたね」
「つってもかなり打たれたけどな。Bチームに」
「帝都一のBチームなんて弱小県の県代表と同じぐらいだよ。もちろんこれで満足してたらダメだけど、ガンちゃんはまだ一年なんだし」
ジンは基本的に、岩崎には甘い。岩崎自身はそう感じていないかもしれないが、直史から見ればかなり気を遣っているのが分かる。
同じピッチャーで同学年ということもあり、直史は岩崎の性格や性根が分かってきた。
岩崎は自分だけで投げられる投手ではない。相手がよほど弱ければ別だが、基本的にはジンに全てを任せている。
そんな岩崎で相手の打線を封じ込め、今日は大介をワンポイントで使うなど、かなり苦労していることが分かる。
対して本来が野手の大介や、自分にはかなり厳しい要求をしているというか、任せている部分がある。
岩崎が投げる時ジンは大きく構えるが、大介や直史が投げるときは、的を小さくするように構える。
それだけのものを投手に求めているわけであり、柔軟だが厳しい判断をしている。
「それで打撃面ですが、ほんっっっっとうに打てませんでしたね」
大介以外には北村がレフト前に打ったぐらいで、あとはイレギュラーやポテンヒットぐらいであった。
「一年生の課題だけど、やっぱり変化球打ちだね。シニアとは使ってくる頻度が違う。幸いうちには一日300球投げても壊れない、両手利きのバッピがいるので、これからは積極的に活用しましょう」
「……まあいいけどな」
直史は基本、一日に300球は投げ込みを行う。普通なら故障するような数なのかもしれないが、そもそも現時点では体を完全に使えていない。
ジンの頭の内での計画では、直史の全力投球を引き出すのは、秋季大会以降だ。練習試合禁止期間に、本当のストレートを身につけてもらう。
140kmは無理かもしれないが、130台後半のストレートがあれば、全ての変化球がレベルアップするだろう。
さて、問題は直史ではない。打てなかったシニア組でもない。
「大介はさ、もう100点の打撃してるんだから、120点目指してよ」
「なんじゃそりゃ」
思わず問い返す大介であるが、ジンが彼に求めるものは、満点以上のものなのだ。
「一打席目のホームランはいいんだけど、二打席目と三打席目は合わせて単打になっちゃったでしょ? 相手の投げられる球種を限定させて粘った後に長打を打つか、四球で出塁して足でかき回してほしかったんだよね」
「おい、盗塁一個は決めたぞ。あのキャッチャー相手に」
大介の足の速さ、特にダッシュ力は図抜けている。
今までも単打で出た場合は、常に盗塁を狙っていた。
「う~ん、悪くはないんだけど、明日からもっと高度な走塁を教えていくよ」
プロで言うならトリプルスリーを狙うタイプの大介に、ジンが期待することは大きい。
戦術はジンが考えるにしても、大介に走塁のテクニックや守備の連携をもっと教えれば、二遊間や三遊間はもっと鉄壁になる。
外野からのバックホームや、盗塁の刺殺、まだまだ教えなければいけないことは多い。
課題はまだいくらでもあるが、とりあえず目の前の次の試合に集中するべきだろう。
第一戦から引き続き試合に出るのは大介に、北村と岩崎だけである。それも岩崎はライトだ。
キャッチャーにジンが入ってもいいのだろうが、練習試合では他のキャッチャーも経験を積んでほしい。
おおきく振りかぶって投げる投手の相方のように、あっさりと故障した時、控えが期待出来ないと困るのだ。事実、春の大会では既に起こってしまった。
まあジンが無事だったとしても、東名千葉には勝てなかっただろうが。
春日山高校は投手以外のスタメンはあまり変わらない。投手は一年生になる。
エースも二番手も上杉姓であり、ジンたちはよく知っている相手だった。
「あいつが打てなくて、ベスト4に行けなかったんだよな」
兄弟そろって、北陸を代表する本格右腕。おそらく今年の夏も甲子園に出場するだろうし、優勝候補にも挙げられている。
さすがに選手層は帝都一に比べれば薄く、エース以外はほぼ帝都一との試合と変わらない。一年が若干いるが。
プレイボール前に並んでみても、帝都一と比べると選手全体の体格は、まだ高校生レベルである。
それでも白富東よりはずっとフィジカルに優れている。
だが先発の鈴木は、あまり緊張していない。打たれて元々と、本人も周囲も判断しているのだ。
打者一巡か三点を取られた時点で交代だと、事前に決めてある。
最終的には直史がロングリリーフをするか、岩崎か大介がクローザーとして出る。
まあいくら投げても打たれても折れない直史がいるので、おそらく最後までそれで戦うだろうが。
挨拶を終えてベンチに戻る白富東の控え勢。
後攻めなので、直史とジンは相手の打者を観察だ。
一番は長打力もある俊足の外野手。プロに例えるならイチローか。いや、もちろんあそこまで緻密なバッティングは出来ないが。
初球甘めに入ったボールを、いきなり右中間真っ二つ。
ノーアウトでランナー二塁である。
正直、いくら経験を積んでもらいたいと言っても、このメンバーはないと直史は思っていた。
特に投手だ。全国レベルの学校なら、鈴木の130kmに満たないストレートは、まさに打ち頃だろう。
ポコポコとワンナウトも取らないうちに、ヒットが積み重なり三点。
いきなり交代の条件が満たされた。
「なあ、舞台慣れさせるためでも、ちょっと無謀だっただろ」
ベンチに座る直史は、試合を眺めるジンに囁く。
せめてキャッチャーがジンだったら、リードでどうにかゴロやフライを打たせられたのだろうに。
「夏を戦うには投手が何枚いてもいいけど、一二回戦レベルは先輩たちに投げてもらいたいんだよね」
それが先輩への思い出作りとかでないのは、直史には分かっている。
出来るだけこちらの情報を出さずに、勝ち進んでいきたい。岩崎の体力も温存したいのだろう。
「あと、自分たちの実力がちゃんと分かったら、ガンちゃんやナオを先発させても、文句は出ないだろうしさ」
なんとも性格が……悪いというわけではなく、計算高い。
参謀と言うよりは、プレイングマネージャーと言ってもいいだろう。
黒いやつだと思っていても、直史は別に悪感情は抱かない。
本気で勝とうと考えているなら、それぐらいは当然だ。
「肩作っておいた方がいいのか?」
「そだね。ブルペン行こうか」
二年投手田中の実力は、三年の鈴木よりも劣る。
だが球がより遅かったのがかえって良かったのか、下位打者ということもあってか、一点は取られたがなんとか抑えた。
「全国区の強豪と練習試合というのは分からないでもないが、さすがに相手が悪すぎるな」
ベンチに戻ってきた北村は、ジンの隣にどっかりと座る。
「高すぎる目標は、単なる思考放棄につながるぞ」
横目でジンを睨みつけるが、ジンも計算のうちだ。
「でも一点に抑えましたよ」
「下位打線の一年をな。夏前に実力を試してるんだろ」
基本的に北村はうるさいことを言わない。器の大きな、背中で示すタイプのキャプテンだ。
実のところジンが白富東を進学先に選んだのは、この人のプレイを見ていたからである。本人には言わないが。
中学の頃は四番でエース。だがシニアには入っていなかった。
軟球から硬球へ素早くフィットし、一年の夏にはレギュラーとして三番を打っていた。二年生で四番を打っていたのを、ジンは見たのだ。
普通の公立にもこういう選手がいるから、高校野球は面白い。そう思ったものだ。
「キャプテン、俺、正直この学校で、本気で甲子園に行けると思ってるんですよ」
「……無理だ、とは言えないな。だけど……」
今年は無理だ、と北村は言おうとしたが、ネクストバッターサークルが空く。
北村の目の前には、およそ今まで見た中で、最強の打者がいる。
練習試合も一試合に一本は確実にホームランを打っていた。その後は敬遠気味のボールを投げられてそれを無理やりヒットにし、完全に敬遠されるというのがパターンである。
まさか帝都一相手でも同じことが起こるとは思わなかったが。
「あ」
そしてまた、美しく鋭い軌道を描き、ボールがライトスタンドに飛び込んだ。
強豪校相手に、一打席目は必ずホームラン。
この非常識な打者の後ろを打つというのは、少なからずプレッシャーである。
だがだいたいは大介の打球は相手の心を折るので、直後の北村も打率が良くなる。
「上杉弟から打っちゃったよ……」
「俺ら完封されたのにな」
シニア全日本準優勝チームの投手から、まるで作業のように大介はホームランを打った。
「なんであいつ無名だったの?」
「っていうかレベルスイングでどうしてホームラン打っちゃうの?」
そしてさすがに動揺したのか、不用意に投げた次の北村への初球。
「あ」
レフトスタンドぎりぎりに、常識的な軌道でボールが吸い込まれた。
「さすがキャップ!」
「ナイスキャップ!」
大介の時よりもずっと大きな歓声を上げて、一同は北村を迎える。
「なんかお前ら、俺の時と態度違わね?」
「だってお前のホームラン、もう見慣れてありがたみがないんだもん」
ひどい言われようだが、プロでもそうは見ないホームランの連発に、脳が理解を拒否してるとも言える。
その後、ようやく後続を絶って、二回の表が始まる。
「そういや、さっき言いかけてたことってなんだったんだ?」
出番も近いだろうと、ブルペンで肩を作り始めた直史が、ジンに問う。
「ん……まあどうやったら甲子園に行けるかなって話だけど」
ジンは基本的に明るく、悪巧みをしている時の表情にも愛嬌がある。
だがその瞬間は、直史に素の感情を見せていた。
「今年の夏だけは、さすがに無理だな、って……」
一年生の中で最もチーム事情を把握しているのはジンである。
そのジンが唯一弱みを見せるのは、大介やシーナ、シニア組の仲間やキャプテンでもなく直史である。
精神の強靭さというか、勝利に拘る価値観が似ているため、二人の間では意思疎通が可能なのだ。同じ勝利に拘るタイプでも、大介はどこかネジが外れている。
ジンは確かに甲子園を狙っているが、それは三年間を通しての話だ。
公立でスポーツ推薦や体育科のない白富東で、いきなり甲子園を狙えるものではない。
千葉は比較的公立校が甲子園に出場することの多い県だが、やはり私立の強豪校は多く、そもそも学校数自体が多い。
一年の夏は県ベスト16、良くてもベスト8だと考えていた。
その実績を背景に、シニアの後輩や、伝手を辿って来年戦力を集め、三年春の選抜か、夏にどうにか出られないかと考えていたのだ。
大介と直史という計算外の戦力が増えて、二年の春か夏も狙えるかもしれないと思った。だがそれでも、今年の夏は無理だ。
分かっていた。分かっていたはずなのだが。
「運が良かったら、今年の夏、行けないかなあ」
「可能性が0じゃないなら試してもいいとは思うけど、具体的な案はあるのか? そもそも最初は三年以内に一度が目標だったんだろ?」
直史には甲子園信仰はない。
だがそういう人間がいるのは理解しているし、そもそもどんな試合でも負けるのが嫌いだ。
負けなければ、勝ち続ければ、自然と道は甲子園に通じている。
ジンはもちろん、その目的のための計画はある。
だがそれに対して、他のチームメイトがリソースを割いてくれるのか、それが問題だ。
いや、極端な話、直史に無理を強いるのではないかと考えている。
夏の県大会まで、残された時間は一ヶ月と少し。
この時間で何が出来るのか……どこを鍛えるべきか。
間違ったら取り返しはつかない。時間は戻せない。
失敗を修正する前に、夏は終わる。
「俺の計算の範囲内じゃ無理だ。だから俺の計算を超えたところから、力を持って来るしかない。こういった改革には三人は爆発する人間が必要なんだ。大介は決まってるし、言ったからには俺もやる。だから三人目は――」
その言葉を言う前に、春日山の打者がヒットを打つ。前の回と合わせて、これで田中も三点目。
結局キャッチボールの間に、話は終わらなかった。
「座れよ。試合の後、話聞くからさ」
リリーフのために直史は、投げ込みを始めた。
七点差がついたために、七回コールド。
結局のところ直史が最後まで投げたが、彼も四点を取られた。
上級生の投手と違うのは、一イニングに一点以上の得点は許さなかったところだろう。
打たれても揺さぶられて折れない。直史のメンタルは、強靭であると共に柔軟でもあった。
本当の全国レベルの力を知り、口数少なく部員達は帝都一校を後にする。
本日は解散。明日はミーティングをして、いよいよ夏への扉を開く。
そしてジンに誘われた直史は、駅近の喫茶店に入る。
「アイスコーヒー頼みます」
「俺、ミルクティーで」
注文された飲み物が来るまで、二人の間には沈黙がある。
「そういや、お互いの好きな飲み物も知らなかったな」
「まあ、家の方向も違うしね。この季節にホット飲むの?」
「基本的にシーズン中は、冷たいものは食べないし飲まない」
意識が高い。ジンでもそこまで徹底していない。
もっとも直史にとってみれば、我慢すればいいだけのことなら、いくらでも我慢出来るのだ。単にそれだけだ。
もし野球がなければ、この二人につながりはなかっただろう。
「それで、今年の夏に甲子園に行くって話だったな。そもそもどうしてそう思ったんだ?」
実は猫舌の直史は、ミルクティーが冷めるのを待っている。
「あ~……キャプテンを甲子園に連れてってあげたいな、と」
直史はかすかに眉をしかめたが、変な勘違いはしなかった。
「確かにあの人がいなけりゃ、ここまで好き勝手には出来なかったろうな」
「あと、ぶっちゃけ打者としての能力が高い。あの人が四番にいないと、大介が敬遠されて負ける」
少しずつ冷めたミルクティーをすすりながら、直史は考える。
「シニア組が上級生と全員代わったら、平均打率は上がるんじゃないか?」
「野球は散発安打じゃ勝てない。打ってほしい時に打ってくれる打者じゃないと」
計算づくのように見えるジンであるが、キャプテン北村の人格には、かなり恩義を感じているようだ。
それに今年の甲子園を狙うというのは、別に悪いことではない。
「改革には三人が必要とか言ってたよな? 何を根拠にそう言ったのかは知らないけど、俺がその一人になることに同意するのはいい。もっとも方向性を示してくれないと、どうしようもないけど。ただ――」
直史は目を細める。
「後の二人はお前と大介じゃないだろ。チーム全体を高めるなら、必要な要素は違う」
言われてジンもかすかに頷く。
「監督とコーチ……だよな?」
ジンの言葉に、直史はあれ? と首を傾げた。
「悪い。俺は指導者と偵察班だと思ってた」
「……」
「……」
気まずい無言の時間であった。
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