第17話 東京遠征

 春季大会が終わり、夏がやってくる。


 白富東高校は春季大会の敗北以来、練習試合で連勝街道を続けていた。

 もっとも相手は格下の学校ばかりである。そう、春季大会で県ベスト8に入ってしまった白富東は、客観的に見てそれなりの強豪校と思われるようになっていたのだ。おかげで普通の学校相手ならば、まず練習試合の相手には困らない。


「さて、そんなわけで調子に乗り始めている一同に冷や水をぶっかけるために、ちょっとした強豪との練習試合を組んできました」

 そう言い出したのはジンであり、実際に監督教師は事後承諾を与えただけである。

「大田、お前ね……」

 キャプテンとして機能していない北村は呆れるが、ジンの言いたいことは確かに分かるのだ。


 白富東高校は、弱小とは言わなくても、間違いなく小さい野球部ではあった。

 それは今年の一年が入ってくるまで、紅白戦も出来ない人数しかいなかったという点で明らかだ。

 今の三年が抜けたら、二年が七人で一年が12人。数の上では2チーム作れるが、ぶっちゃけ野球オタクで運動神経の壊滅しているのが二年生に二人いる。

 だからもし仮に二チーム作るとしたら、マネージャーのシーナを使ったほうがよほどいいのである。というか、ノックも平気でやってるので。

「日時は今度の日曜日。東東京の帝都一高校で、新潟の春日山高校との巴戦を行います」

「どっちも甲子園常連じゃねーか!」

 多くのツッコミが殺到した。




 さて、春の県大会でベスト8になったとは言え、それ以前は全く野球では無名だった、公立進学校である白富東が、こんな強豪校と練習試合が組めたのは、幾つか理由がある。

 一つには直近の成績である。帝都大学付属の帝都一高校は全国レベルでスカウトを行っており、偵察班も甲子園で対戦しそうなチームのことを研究している。

 甲子園には直結しないまでも、春季大会や明治神宮大会では千葉代表と当たる可能性も高いため、勇名館の吉村に対しては、スコアラーが偵察に来ていた。

 しかし予想外のことが起こった。明らかに170cmもない小柄な打者に、ホームランを狙い打たれたのだ。

 そしてその大介は光園学舎との対戦でもホームランを打ち、決勝点を上げている。


 だがスコアラーが注目したのは、ホームランという数字ではなく、実際の打球の弾道だ。

 普通ホームランというのは、ある程度の放物線を描く。150m弾とかの別格のものもあるが、ややアッパースイング気味のフライがホームランの特徴である。

 だが大介の打球は、レベルスイングから放たれたライナー性の打球で、スタンドに突き刺さるように放たれる。

 スコアラーの目はそれなりに肥えているが、高校生はおろかプロを含めても、そういった打球でホームランを打つ打者は日本にはほとんどいない。


 そんな注目のスラッガーのデータを、当然ながらどこの学校も欲しがる。

 全国にまで出てこない、弱小校のスラッガーならばともかく、勇名館に光園学舎という、県内トップレベルの強豪を倒しているのだ。そして鷺北シニアのスタメンが集中して進学したという事情もある。

 鷺北シニアは昨年全国ベスト8まで勝ち進んだチームであり、そのメンバーは三年が中心であった。

 エースと四番こそ特待生扱いなどで強豪校へ進んだものの、その他のメンバーが一つの学校に集まったとなれば、チーム全体の力が上昇したと見るのは当たり前である。

 さすがに一年目の今年はともかく、来年以降は分からない。今の内にその力を試しておきたいというのも当然だ。

 さらに言えばジンの父のコネクションもある。

 大学野球で活躍した父は現在プロの球団職員だが、当然ながら大学関係者には顔が利く。

 現在の帝都一のコーチ陣にも顔見知りが複数いるし、知り合いの知り合いまで含めれば、その手の長さは計り知れない。

「ただ、春日山も帝都一も、エースは投げてこないからさ。特に帝都一は、控えメインで戦うと思うよ」

 舐めプかと思われるかもしれないが、部員数100人を超えるような野球部からメンバーを選抜するのは、それなりに機会を与えなければいけない。

 公式戦に出られる背番号の数が決まっている以上、その微妙なラインの判断は、練習試合で行うしかない。

「つまり多少技術に差はあっても、ハングリー精神ではレギュラーよりもがっついてるということです」

 そのあたりの都合もあって、白富東が選ばれたということか。


「で、メンバーはどうするんだ?」

 主に投手だが、白富東には専門投手が四人いる。

 しかし三年の鈴木と二年の田中は、ぶんぶんと首を横に振る。

 ジンのリードがあったとしても、全国区の強豪校相手に、とても抑えきる自信はない。

「短いイニングを全力で抑えてもらって、ナオと大介で継投するのが一つ。もう一つはガンちゃんに先発してもらって、スタミナが切れたらナオに抑えてもらう。これでいきましょう」

 夏のことを考えれば、強豪と当たるまでは岩崎は温存しておきたい。

 そのためにもここいらで、強豪の打力と当たっておく必要がある。


 鈴木も田中も、悪い投手ではないのだ。普通にピッチャー経験は長い。

 一巡ぐらいはリードを工夫してもたせたいというのがジンの考えである。

「片方の試合はキャッチャーも代えるので、お願いします」

 そして経験を積んでほしいのは、ピッチャーだけではない。

 岩崎はメンタル面で不安を抱えているので、基本的にキャッチャーが信頼出来ないと腕が縮こまる傾向にある。

 彼の速球を間違いなく捕れるぐらいまでは、他のキャッチャーにも信頼関係を築いてほしい。

 また直史は、そもそも秘密主義者的な傾向にある。

 自分が制御出来ない球は投げたくない。あの大きく曲がるカーブ。分類するならパワーカーブあたりになるのだろうが、あれも練習の段階で投げておけば、もっと試合も楽に勝てたはずだ。


 岩崎はある意味キャッチャーに頼った投手だ。だからキャッチャーが頼りないと、満足なパフォーマンスが出せない。

 直史は全くキャッチャーに頼らない投手だ。だから自分が制御出来る球しか、キャッチャーには投げない。

 練習試合でもあのパワーカーブは、ジン以外の捕手には投げていなかった。

 ジンが要求した場合でも、必ず一度は首を振る。本人は認めないだろうが、完璧主義者なのだ。

 ただその完璧主義者ゆえに、投手にとっての魅力の一つである、荒々しさがない。

 クレバーな投球を行うが、おそらく打者にとっては、打てそうにない投手という印象は与えていないだろう。


 この練習試合では、帝都一高校と対戦するだけでなく、その練習環境を体験することも出来る。

 それが弱小ルートを歩いてきた大介と直史にどういう刺激を与えるか、ジンは楽しみにしていた。




 マイクロバスを用意するほどの予算はなく、かと言って帝都一の近隣駅だと途中で迷うかもしれない部員がいるため、学校近くの駅で部員は集合する。

 監督教師はバットなどの用具を持って、先に向かっている。一同を案内するのはジンである。

「うちの父さん、帝都大学だったしさ」

 名門帝都大学野球部でエースをやっていたのだから、確かにドラフト候補になるのも当然だろう。

 故障さえなければひょっとしたら、直史がテレビで見るような選手になっていたのかもしれない。


 そんな帝都一高校は大学や中等部と敷地を接していて、敷地面積も広く、全体的に私立の金がかかった印象を与えてくる。

 専用グラウンドは二つあり、屋内練習場も完備して、ブルペンは広い。

 隣接して筋トレ用の施設もあり、白富東とは全く練習環境が違う。

「ピッチングマシン高そうだな」

 大介の目が向くのは、150kmが出る最新ピッチングマシンである。

 白富東のピッチングマシンは科学部工作班の協力を得て改造したものだが、上限のスピードは140kmでしかない。


 バッピで岩崎と大介が勝負した場合、直球だけではほぼ確実に大介が勝つ。

 もっとも実際は変化球をまじえて配球を組み立てるのだが……それでも大介は変化球をカットして、我慢し切れなくて投げるストレートを狙い打つのだ。

 それに比べると直史は引っ掛けさせてゴロやフライに打ち取ることが多く、パワーカーブやスプリットで空振りを取ることも多い。

 左から投げるカーブは変化が安定しないこともあって、かえって大介には打ちにくくなったりもしている。

 それに触発されて最近の岩崎は、緩急がつけられる変化球の練習をしているのだ。




 午前中、まずは帝都一と春日山のガチンコ試合が行われる。

 帝都一はこの10年でも半分近く甲子園に出場している、全国制覇の経験も多い名門だ。

 春の大会も都大会を優勝し、関東大会でも準優勝している。

 夏にかけて戦力の増強はあっても低減がないことを考えれば、甲子園有力校どころか、全国制覇の有力校とすら言える。

 白富東が今までに戦った中で最も強い東名千葉よりも、さらに戦力は一回り以上は上と見ていいだろう。


 春日山は新潟県の、これまた甲子園常連校であるが、白富東と同じく公立高校である。

 もっとも体育科という枠を持っていて、各種スポーツで優秀な成績を収めている。ここ10年ぐらいから県内ではベスト4までは進出することが増え、現在のエースの力で甲子園に連続して出場している。

 春も北信越大会に出場し決勝まで勝ち進んだ。夏の大会でも県の代表校として出てくる可能性は高いだろう。


 白富東はその第一試合を一塁側スタンドから見学していたわけだが、やはりレベルが違いすぎる。

「大田が走塁が大事だと言ってたのは良く分かるな。あと、守備力も違いすぎる。というか打力もだし、投手もだけど」

 北村が嘆くように、この二者は全国区レベルと言うか、下手な県代表校よりも強い。

 まず第一に、選手全体の動きが速い。走塁にしても守備にしても、初動が早いし速度も速い。

 そんな守備を抜く打力も、打球はゴロが基本とはいえ、確実に守備の間を抜いていく。

 そして投手だ。

 春日山の投手は本格右腕で150kmを軽く出してきたが、帝都一は150km前後を投げられるレベルの投手が三枚揃っている。

 岩崎以上の投手が三人いるということである。


 プレイの一つ一つが勉強になるような試合。

 両校エースを出し、ほぼスタメンで挑んだ試合は、緊張感を持ったまま進み、最終的には帝都一が二対一で勝利した。

「どちらも崩れなかったですね」

「つーかあの球を普通にバントしてくるとか、それだけでレベルが違うわ」

 上級生のみならず、シニア組もはっきりと感じている。

 確実に甲子園に出るような高校は――特に帝都一は、全ての面で自分たちのレベルのはるか上をいく。


 強豪校の力を再認識するべきだと考えていたジンだが、ちょっと目標を高く設定しすぎたかもしれないと思い始めた。

 試合前は施設の豪華さに感心していた選手たちが、今ではすっかり萎縮している。

「そんな打てねえかな?」

 空気をぶち破って発言したのは大介である。

「大介は打てるだろうけどね」

 ジンは半笑いで言ったが、大介でも確実には打てないだろう。

 ……打てないはずである。


 まあ目の前に強大な敵を示されはしたが、今日戦う相手はそれよりは少し落ちる。

 昼からの一戦目は帝都一、その後に小休止を挟んで春日山である。

 スタメンは二つの試合でがらっと変える。夏の大会に向けて、スタメン選考の大きな判断基準となるだろう。


 順当に考えると、少しでも公式戦で対戦する可能性が高いのは、同じ関東の帝都一の方である。

 もっともそれは、秋季大会や春季大会で県大会の決勝までも勝ち進むことを意味する。

「ぶっちゃけ秋は選抜につながるからともかく、春はベスト4まで行けばわざと負けるのもありですしね」

 シードを取ったら後は練習に時間を使った方がいい。ジンの考えは高校球児の爽やかさとは程遠い。

 そんな帝都一との対決は、シニアメンバーを主に起用する。シニアはチーム数が少なく強豪と戦うことも多く、また全国を経験しているメンバーが多いからだ。

 メンバーはシニア組六人に、大介と北村。そしてシーナである。




 強豪相手に女が出るのか、という意見は出なかった。

 ぶっちゃけシーナは白富東の部員のほとんどより、野球が上手い。

 シニア時代は二年生の時に二番、三年生では三番を打っていた。そしてポジションはセカンド。ピッチャーの経験もある。

 ホームランこそ打たないものの打率はチームで二番目という、アベレージヒッターだった。


 試合前に整列した時は、相手チームの視線が気になったものだが、帝都一の控えメンバーは、練習試合で女まで出場するという白富東の台所事情を、むしろ哀れんでいた気がする。

 もちろんその戦力を的確に捉えている人間もいる。

 帝都一のBチームには、鷺北シニア出身の先輩もいたからである。

「つーかお前、なんでうちに来なかったの? レギュラー取るのは難しいけど、親父さんの縁から考えても、うちに来るのが一番自然だと思ったけど」

 更衣室から出たところで、ジンはその先輩に捕まっていた。

「先輩の後釜の捕手ですか? まあそれも魅力的ですけど、視野を広げたかったんですよね」


 ジンの父は投手であった。にもかかわらずジンが選んだポジションは捕手である。

 捕手というのは投手以上の専門職だ。プロにしても投手に比べ、圧倒的にその数は少ない。

 投手は何枚もいる私立の強豪でも、それを上手くリード出来る捕手は、打撃が壊滅的でも採っておきたい存在である。

 父は投手であったのに、息子は捕手を選んだ。ジンにとって捕手というのは、なぜか投手よりもずっと格好のいいものに思えたのだ。


 そんなジンはリトルの頃から、父からは捕手の技術など学んでいない。知らないものは教えられないからだ。

 ただ投手にとってありがたい捕手というのが、どういうものかは散々言われている。

「視野ねえ。強豪で鍛えられるよりも、大切なものなのか?」

「これからは野球が本当に上手くなりたいなら、野球以外の視点から見ないといけないと思うんですよ。昔はOPSとかいう数値もなかったですし、完投が投手の条件とか言われたし、時代は変わってますから」

「……そういう意識高いところ、本当にクソ生意気な後輩だよ」


 ジンの計算高さは、単に野球に限ったことではない。

 そして野球の勝敗というのは、単にグラウンドだけで決まるとも思っていない。


 勝負というのは戦う前に、既に八割がた決まっている。

 ジンはずっとそう考えていたし、公言もしていた。

 野球で言うならば、練習で磨いた技術や能力によって、既に勝敗が決まっている場合が多い。

 次に重要なのは彼我の研究であり、こちらの弱点を守り、敵の弱点を攻める。

 細かい戦術などというのは、そういった大前提の後にくるものであり、あとは精神的な脆ささえなければ勝てる。

 もっともその精神的な部分というのが重要で、それが岩崎がシニア時代エースになれなかった理由でもあるのだが。




 ともかくシニアメインのチームで、帝都一との試合は始まった。

 先攻は白富東。本日の一番打者はジンである。


 ジンの打率はそれほど高くはない。だが出塁率は悪くないし、犠打の成功率は高く、そして何よりねちっこい。

 一番打者として必要な、相手投手の調子を見極めるという点では、適したものである。


 だが、それも相手のレベルによる。

 帝都一には専業投手が三人。兼業が三人いる。

 そのうちの三番手ピッチャーが先発をしてきたのだが――。

「ストライクスリー!」

 ボール球は一つあったが、粘ることも出来ずにジンは三振した。


 二番打者はセカンドに入ったシーナである。

「決め球はフォーク。手が出ないけど、見送ればボールだと思う」

「了解」

 左打席に入るシーナ。彼女は元は右打者であり、今でもスイッチでそこそこ打てる。

 だが中学三年になってからは、左で打つことが多かった。今日も相手が右であるので、左に入っている。


 選球眼とミートに関しては、男子も脱帽するほどであったのだが――。

「ストライクスリー」

 ストレート三本で空振り三振であった。


 三番手投手でありながら、その球速は140km台後半。

 スライダーとフォークを混ぜて、きちんとコースを内外に投げれば、緩急がなくても打ち取れる。

「ごめん、でも大介なら打てると思う」

「おうよ」




 千葉に小さなスラッガーがいる。そんな噂が少しずつ流れてきていた。

 春季大会というのは夏の県大会のシードを巡るものであり、それほど優勝は重要視されない。

 だがそこで、入学したばかりの一年坊が、強豪校から四本もホームランを打ったというのは、ネタとしては大きい。

(こいつがそうかよ。明らかに小さいけど、長いバット使ってるな)

 帝都一の投手が抱いたのは、そんな表面的な印象である。


 そもそも、と彼は思う。

 千葉と東東京では、学校数こそさほど変わらなくても、明確にレベルが違う。

 隣同士ではあるが、甲子園での優勝回数を考えれば、東京の方が圧倒的にレベルは高いのだ。

 大学の付属もあり、スカウトの段階で既に差がついている。

 千葉の有力選手が東京や神奈川の学校にスカウトされるのは珍しくない。

 勇名館の吉村は全国レベルで名前が知られている投手ではあるが、それを言うなら今の帝都一のエースは、超高校級である。

 おそらく二番手であっても、吉村と同じ程度の評価である。


 一年生のチビ相手に、油断すれば一発浴びることはあるだろう。

 だがそれは、長打力があると分かっているなら、防げることだ。


 捉えられそうな球を、大介は二度見送った。

(ストレートか。でもボールはちゃんと見送ったし、最後は変化球か、ストレートでもくさいところを突いてくるかな)

 すっと考えて、すっと忘れる。

 大介は考えつつも、それを忘れる。勝手にゾーンに入る。

 動体視力や瞬発力。それらもいい選手の条件に入るのだろうが、結局本物とそれ以外を分けるのはただ一つ。

 集中力だ。


 膝元に入ってきた高速スライダーを、大介はバットの根元でフルスイング。

 どうしてそこまで飛ぶのか、と言いたくなるようなライナー性の打球で、ボールはライトスタンドに飛び込んだ。 

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