二章 高校一年生・夏
第16話 異変
直史が高校入学してから一ヶ月。その間にイベントはてんこもりであった。ほとんど野球部関連であったが。
春季大会からいきなり試合に出場。普通に人数の揃った学校では、ありえないことである。
そしてそれ以上にありえないのが、シードレベルの二校の撃破。
プロ注目の左腕と強打者を揃えた勇名館に、県下屈指の高打率の光園学舎。
前者はあちらの油断があったとは言え、名を知られた強豪を二つも倒して千葉県ベスト8は、充分に周囲の注目を集めるものであった。
もっとも野球部に特に注目していないクラスメイトなどからは、いまいちその凄さが分かってもらえなかったが。
「で、気が付いたらGWも終わってたわけだが」
なんとなく呟いてみた直史である。
GW最後の一日は、完全にオフであった。だがその日は、県大会の決勝でもあった。
同調圧力も含め、野球部は全員が観戦にやってきていた。
決勝に残ったのは、白富東が破れた東名大付属千葉第二高校、略して東名千葉。あるいはトーチバ。
そして反対の山から勝ち上がってきたのは、上総総合高校。こちらは体育科のある学校でスポーツ推薦制度はあるが、白富東と同じ公立高校である。ただかなり前に甲子園の出場経験が何度かある。
「ちょっと意外でしたね。てっきり東雲が上がってくると思ってましたけど」
「あそこは県内最速の大河原がいるからな。でも三振も多いけど、四球も多い投手だし」
「まあ春ですから、全力を出さなかったのかな」
ジンと北村が話している。野球部で高い偏差値を持つ二人である。
東雲は分かりやすい、私立の強豪校だ。
千葉県では平成以降では、東名千葉と並んで、甲子園出場の最多を競っている。ややトーチバの方が上であろうか。
上総総合も古くからある学校なので何度か甲子園には行っているが、スポーツ推薦はあくまでも試験に下駄をはかせる推薦であり、特待生の制度まではない。
もっとも実質は奨学金制度があるので、それを併用しているらしいが。
その上総総合が躍進したのは、今年三年になるピッチャーの覚醒による。
身長190cmを超える、長身のサウスポー細田。
成長痛でこれまで満足に投げられなかった逸材が、その真価を発揮したのだ。
と言っても分かりやすい本格派ではない。その体はまだ筋肉の鎧をまとわず、針金のように細い。
だがその長い手足をしならせて投げる変化球が、敵の強打者をくるくると回転させ、三振の山を築いた。
この決勝においても、その変化球は健在である。
「カーブが二種類に、あとストレートが意外と伸びてるみたいですね」
実はジンは準決勝の試合も、父親つながりで映像を見ている。
上総総合の細田投手は、カーブ特化で球速の増した直史のような投手である。
「直球が130km台前半。でも詰まった当たりや空振りが多いってことは、伸びてるんでしょうね」
借りてきたスピードガンと共に、ジンはしっかりと三脚カメラまで用意してある。
記録媒体は自前だが、カメラと三脚はこれまた科学部物理班から借りてきた物だ。
「カーブか。最近ではスライダーの方が主流だよな」
北村の問いに、ジンは首をひねる。
「どうでしょう。確かに握りはスライダーの、派生変化球が多くなってきたとは思いますけど」
中学までは、投手はカーブよりスライダーを投げたほうがいいとされる。
別にスライダーが変化球としてカーブより優秀なわけでなく、カーブよりは肘や手首にかかる負担が少ないからだ。
それでも投げ方によってはカーブでもスライダーより投げやすいし、スライダーでも故障する者はいる。
まあ直史のようにどちらも好き放題投げるようなのは例外だが、それぞれの投手に合った変化球というのはあるのだ。
それにしても、白富東が戦ってきた投手と比べても、それほど攻略が難しいとは思えないのだが。
「ちなみに左打者からの被打率が、極端に低いんですよ」
「横の変化が背中から向かってくる感じなのか」
「あれだけ変化してたら、そうなんでしょうね。大介、お前ならあれ打てるか?」
「打席に立ってみないと分からないけど、ヒットは普通に打てると思うぜ。長打は難しいかな」
全国区レベルの投手とは、高校に入って初めて戦った大介であるが、勇名館の吉村や東名千葉のエースなどと比べても、上総総合の細田が上とは思えない。
もっとも前二者はあれほど極端な変化球は持っていなかったので、対戦してみないと分からないが。
「ナオはどう?」
同じ変化球投手として、シーナが話を振ってくる。
「そうだな……審判次第だな」
投手の話をしているのに、なぜ審判の話になるのか。
だがジンにはそれがちゃんと分かった。
「ストライクゾーンのこと?」
「ああ、あれだけの縦のカーブだと、ストライクゾーン通ってても、ボール宣告する審判多いからな」
審判のストライクゾーンの判定。これほどバッテリー泣かせなものはない。
左右はまだいいのだが、上下の場合落差のありすぎるボールは、ストライクにならないことがある。確実にストライクゾーンを通っていてもだ。
まあストライクゾーンを通ればストライクというのを厳密に当てはめるなら、ほぼ真上からの山なりボールさえストライクになるので、それも仕方ないのだろうが。
打高投低が叫ばれて久しい現在、もう少しストライクゾーンを柔軟に取ってほしいというのは、投手からして当然の考えである。
試合は三対一で上総総合が勝利した。
どちらも関東大会に出場する権利を得ているので、色々とメンバーの交代が途中であり、試行錯誤の痕跡が見て取れた。
それはスコアラーからすれば、控え選手まで含めた、多くのデータを取れるということでもあるが、メインメンバーの地力までは分からないということでもある。
「さて帰るか。大田、関東大会も見に行くか?」
「いや、それは伝手を辿って映像入手します。夏までに鍛えたい部分もたくさんありますし」
球団スカウトの息子、伝手やコネを最大限利用する気満々である。
そして翌日からまた日常が始まるのだが、野球部の専用グランドの周りに、何人かの見学者がいる。
他校の偵察など今までなかったし、オッサン連中が多い。
「ありゃなんだ?」
答えを求めてジンに尋ねたわけではない直史だが、ジンにとっては明白だった。
「他校の偵察と、ひょっとしたらプロのスカウトかな?」
「え、偵察はともかく、スカウト?」
まあスカウトの息子が言うのだから、その通りなのかもしれないが。
もっともそのスカウトの目的は決まっている。
「春の大会通算打率七割、HR四本の一年生スラッガーを見に来たんだろうね」
「マジか……」
絶句する直史であるが、数字を見ても実際の活躍を見ても、確かにおかしくはない。
「一年が春の大会でHR四本ってのは、多分高校野球記録だと思う」
「県大会までしかやってないのに……あ、強豪校だと一年の春に試合には出ないのか」
「そそ。おかげで練習試合が強いところと組めそうなんだ」
そういうジンは練習試合の申し込みまで、監督と一緒に考えているらしいが。
こいつはこいつで、一年とは思えない存在である。
そんな注目の大介は別に遅れることもなく、かといって早くもなく、普通通りにマウンドに現れた。
こいつの独特なところは、誰かに話しかけることもなく、まずアップを行うところである。
そしてアップについやす時間が、他の誰よりも長い。打撃練習よりもずっと、アップに時間を使うのだ。
ちなみに白富東の練習は、別名フレックスタイム練習と言われている。
共通の練習をある程度は行うが、それを終えたら各自で自分の好きな練習をするのだ。練習時間も各自で違う。
もっとも最近はジンが科学部などから借りてきた機材によって、各自の問題点や欠点を洗い出すことが多くなっている。座学の時間が多い野球部というのは、白富東のような進学校らしいのかもしれない。
今一番、野球部でのホットな話題は、なぜ大介があれだけのパフォーマンスを発揮できているかである。
「結論! 分かりません!」
色々と調べたジンがそう発表し、部員達はずっこけた。
「いや、それぞれの要因は色々と分かってるんだけど、なんでこれが全部ちゃんとつながってるのかが……」
頭を抱えてるジンだが、大介のバッティングはプロ球団の解析班に持っていっても、完全には分からないものであった。
当の大介は平気な顔をしているが、自分のことだと分かっているのだろうか。
「ただ言えるのは、大介は三種類のバッティングフォームを使い分けているってことかな」
「三つか? 二つだと思ってたけど」
自分のことながら指摘されて、大介が質問する。
「ホームラン用とミート用と、あとそれ以外の三つだって父さんは言ってたけど」
「それ以外ってのはどうしようもない時に使ってるスイングだから、確かに三つか」
なんじゃそりゃと考えるシニア組以外の面子であるが、スイングに関する指導は、10年前と今でもかなり違っている。
かつてフライを打つことは、高校野球では悪であった。金属バットによる打球の速さと、高校レベルの守備の粗さが、ゴロでの安打を増やしていたからだ。
だが科学的にバッティングの理解が進んでいくと、レベルスイングが最も効果的であると言われ、そのフォームを行うためにどうすればいいかが研究された。
というか高校レベルでも強打者や好打者は、そういったスイングをしているのだが。
「大介の場合、前後の体重移動と腰を中心とした体の捻りが凄くって、腕による力はミートに回されてるんだよな?」
「ホームラン打てそうなときはそのまま押し込んで、無理な時は手で調整してる感じかな」
「こないだの試合でのサヨナラホームランは?」
「あれも同じだよ。ただアウトローを掬う必要があったから、スイングを少し長めに取ってアッパースイングになったんだ。だからフライ性のホームランになっただろ?」
高校入学以来、ネットの高さの関係もあって、大介の打球はライナー性の打球が多い。
だがこれは逆に彼には合っていたようだ。そもそも体の小さな大介に対しては、ピッチャーの球は自然と上からの角度が多めになる。
レベルスイングでそれを打てば、理想的なライナー性の打球に角度がつき、スタンドまで運べるということだ。
「で、夏までに俺たちはどうすればいいんだ?」
北村が問う。三年にとって目の前の重要事はそれである。
選手兼コーチとも言えるジンは、ちゃんとそれに答えを用意してきた。
「色々とあるんですけど、一番粗が少ないのは守備ですね。超絶なファインプレーなんかは求めないですけど、併殺の連携とかバックホームの中継とか、すごく上手いと思います」
この守備力があるため、ジンはシニア組が試合に出なくてもいいと思ったのだ。
「それで一番伸び代があるというか、伸ばすべきところは走塁ですかね」
「へえ」
それは北村にとって意外なことだった。
投球と打撃には波があると言われている。
対して守備にはそれはない。もっとも送球のイップスなどといったものは、個人としてはあるが。
そして同じように、走塁にも波はないのだ。
「打力ってのはそうそう簡単に上がらないんですよ。ただ得点力は、打力よりもずっと簡単に上がります」
「それが走塁ってことか?」
「そうです。それと走塁を意識すると相手チームの走塁も意識して、守備の方にもいい影響が出るんですよね」
走塁による得点力の強化。それは確かにある。
だが走塁の真骨頂は、相手に与えるプレッシャーだとジンは考えている。
「白富東は守備練習もですけど、自分の技術を高める練習はかなり考えてやってます。けれど走塁ってのは、相手の嫌がることをする練習です。はっきり言って性格の悪い指導が出来る人間が必要なんですよね」
「お前、自分が性格悪いってのか?」
「少なくとも相手の嫌がることをするのは大好きです」
そういうことをしているからこそ、ジンは打率の割りに出塁率が高いのだ。
「高校レベルなら少なくとも、一死三塁ならかなりの確率で一点が取れます。まあ打者によっては二死三塁でもいいですけど」
ジンの頭の中にある打者は大介だろう。大介は打率も高いが、打点も多い。
大会でも深いところにフライを上げて、タッチアップを二つ成功させている。
もっともそれは向こうが警戒して最初から深く守っていたからで、本来の守備位置からすればヒットの当たりだったのだが。
それと、これはジンと、あと直史しか気付いていないことだが、大介はとんでもない記録を続けている。
なんと、これまでの試合で空振り三振が一つもない。
バッピで相手をする時はそこそこ空振りはするのだが、実戦では一度も空振り三振がないというのは、強打者としてはかなり珍しい特徴だろう。
長打というのはそれと引き換えに、三振も多くなるのが普通だ。
強打者の出塁率が高いのは勝負を避けられるという部分もあるが、大介の場合は選んで四球を出させている。
今のところ苦手な球種も左右も見当たらず、強いて言うならアウトローが苦手だと自己申告しているが、サヨナラホームランを打ったのはそのコースである。
得点機会での打率などは計算していないが、タッチアップの犠打も含めると、ほとんど10割に近いのではないだろうか。
そんな大介と直史が、ガチンコでバッティング練習をする。
もっとも直史は左で投げる。要するに使うのはストレートとカーブ。それに微妙にしか曲がらないスライダーだ。
まだ傷の完治していないジンが審判役をするが、直史のカーブはよく曲がった。
珍しく大介が空振りをすると共に、キャッチャーが後逸していたのだ。
「なんかお前、左の方がカーブは曲がってないか?」
先輩捕手に言われた直史だが、首を傾げる。
「いや、左は単に力いっぱい曲げてるだけで、右ほどのコントロールがないからです」
右ではまだ力いっぱい投げてないのかよ、とジンは内心で突っ込むが、そういえば試合で投げたあのカーブは、三年の捕手も取れなかった。
あれでもまだ加減しているのか。
そして対峙している大介は、それ以上の脅威を感じていた。
(マジかよこいつ。利き腕じゃないのにこのスピンか)
実戦を想定した打撃練習ということで、直史はストレートも投げてくる。
制球力は左でも健在だが、球威が圧倒的に不足している。リーチの短い大介でも、ヒットは簡単に打てるだろう。
だが今必要としているのは、左のすごいカーブを打つ練習だ。
ストレートを見逃してから、勝負を決めるためのカーブ。
体に当たるかと思われる軌道に、体が開いてしまう。
ボールを見失って逃げてしまうことはなかったが、背中から来るカーブは、ストライクにも限らず手が出なかった。
「あのさナオ、ひょっとして子供の頃は左利きだったりしない?」
ジンの問いも、もっともなものである。
「右利きだよ。ただ指の柔らかさは左の方が上だけど」
直史の指は細長い。
そして指全体がしなるように柔らかい。特に左手の方は、拳を握った状態から人差し指と小指を立て、指先を触れさせることが出来たりする。
また親指と人差し指の角度が、自力で120度ぐらい開く。
単純に変化球へのスピンをかけるだけなら、右手よりも向いているかもしれない。
もっとも細かい調整はさすがに右手の方が慣れている。
細かい調整のために、変化の最大値を犠牲にしたとも言えるが。
そんな直史のカーブを、大介は空振りした。
混ぜて投げるストレートはあっさり見逃すのだが、カーブは空振りする。ストレートを無視してもカーブに合わない。
「……普通利き腕じゃない方で、利き腕以上の変化球が投げられるはずないんだけどな……」
ジンはそう言うが、ちゃんと理由がある。
制球力があると言っても、右ほどの抜群のものではない。それにかなりすっぽ抜けるのだ。
「球速があと10km上がったら、左専用に使えるかもしれないけどな」
「まあ子供の頃から、壁に向かっては左でもけっこう投げてたからな」
直史の家はそこそこ田舎にあり、一軒あたりの敷地が広い。
細い道をはさんだ向かい側の家は、石垣造りの境界を持っている。
その石垣は、低めになると勾配がついて、そこに上手く投げると、ゆるいピッチャーライナーのように球が返ってくるのだ。
石垣のわずかなくぼみに投げていれば、ちゃんとコースに角度と速度を伴って入ったかが分かる。
これが直史のコントロールの秘密であった。
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