第12話 あと一人
勇名館の打者はどいつもこいつも、普通の学校なら四番を打つような打率を誇るが、それぞれ打撃には特徴がある。
この一番の場合は、ゴロを打ちたがるというところだ。
単純に考えて、ゴロはフライよりも、守備側に手順が多いため、ミスが出やすい。
そしてこの打者の場合は、足があるため内野安打の可能性が高い。
だから狙うなら三振か、フライを打たせる打球。
打者としては次の二番の方が面倒だが、少なくとも走塁のセンスだけは、一番の方が確実に上だ。
どれだけの球数を使ってでも、こいつからはアウトを取る。もしも出してしまったら、一点は覚悟しよう。
そういった前提を持っていれば、精神的なショックは少ない。
さて、初球はどうするか。
フライか、一二塁間への強めのゴロなら、さすがにアウトに出来るだろう。
あちらにとってはセーフティというのも選択肢の一つだが、データを見る限りでは、バントはあまり得意ではないようだ。
あれだけの足があるのに、セーフティを使わないのは、直史のような人間から見れば、贅沢に思える。
基本的な攻略は、アウトローではなくインコース。
投球の基本はアウトローへの出し入れなのだろうが、アウトローで三遊間にぼてぼてのゴロを打たれたら、おそらくセーフになる。
初球はアウトローへのボール。見送られた。直史の球速なら、相手の判断もしやすいだろう。
二球目はインハイ。ぎりぎり入っているコース。
振り抜かれた。
一瞬ヒヤッとした当たりだったが、コースが悪かった。ライトへほぼ正面のフライで、ワンナウト。
悔しそうな顔でベンチに引き上げるが、たったの二球だったが、頭の方はかなり使わされた。
何度もサインに首を振ったので、そろそろ目が回ってきた。
(そんで二番。四番を除いたらこいつが一番面倒なんだよな)
長打力はないが、とにかく選球眼がいいのだ。犠打でランナーを進めることはあまりないが、ほぼ必ず進塁打は打ってくる。
一番が出塁して盗塁。そしてこいつのタイムリーで帰すというのが、勇名館の一回の攻撃のパターンだ。
ジンのリードが的確だったとは言え、よく岩崎はこれを抑えたものである。
直史は徹底して変化球を続けた。
カーブを中心に、変化球をゾーンぎりぎりに集める。
異なる変化球で異なるぎりぎりにストライクを集めるというのは、彼自身は知らないが、かなり変態的な器用さである。
(あとアウト二つ、遠いな)
ゾーンに集めると、必ずカットされる。ボールかどうか微妙なところもカットしてくる。
失投を待ってそれを叩く。おそらくそんな意図があるのだろう。
岩崎であれば、ストレートの威力で押すことが出来た。
ストレートの速度がないというのは、それだけで選択肢が大きく狭まるのだ。
(速度、か……)
やってみる価値はある。
沈むチェンジアップをカットされ、大きく曲がるスローカーブもカットされた。
どれだけ器用な打者なのかと直史は呆れているが、対決する打者の方も呆れている。
これだけ変化球を続けていて、失投がほとんどない。
失投と思われた抜けた球もあったが、あれはボール球だった。おそらく失投ではなく見せ球だったのだ。
(まったく、なんで普通の公立にこんな投手が二人もいるんだか)
名門勇名館で、一年の夏から背番号をもらっていた。そして三年の春、内野の要であり、打席では仕事人として働いてきた自負がある。
全国レベルの投手と対決してきた経験も多いが、この球の遅さでこれだけ苦戦したことはない。
(いや、コントロールの良さと……あとメンタルかな)
打たれるようなコースでも、平然と投げ込んでくる。それが何度も首を振った結果の投球だったりするのだ。
試合前、注意するのは鷺北シニアから進学した、レギュラーメンバーだと考えられていた。しかし実際のところ、スタメンは上級生でほぼ固めていた。
そしてホームランを二発放り込んでくれたのは、名前も聞いたことがないチビだった。しかも新一年生ということだから、ほとんど入部したばかりだ。
前の試合までで、打率がいいことは分かっていた。しかしまさか、ホームランを打たれるとは。
(うちのエース様のためにも、ここで負けるわけにはいかないよな)
県下有数の強豪と言っても、勇名館は甲子園に出たことがない。
準決勝まで残ることは多いが、あと一歩足りないのだ。
だが今年は怪我から復活した絶対的なエースがいて、点を取れる主軸がいて、それ以外にもタレントは揃っている。
言っては悪いが、こんなところで負けている場合ではない。それなのに窮地に追い詰められている。
新一年生の大田は、シニアでも巧みなリードで知られている選手だった。岩崎も名前は知られていたが、あれが今日ここまで好投したのは、キャッチャーのリードによるところが大きい。
だから負傷交代したとき、一緒にマウンドを降りたのだろう。大田のリードがなければ、岩崎は普通の強豪校なら二番手・三番手クラスにすぎない。
だから軟投派の二番手が出てきた時は、これで勝ったと思ったのだ。
しかしそれは大きな間違いだった。多彩な変化球を操るこれまた一年生の投手は、点を取られながらも確実に勝利へと歩を進めている。
(つーか表情が変わらなさ過ぎて怖いんだけど)
マウンドでピッチャーは苦しそうな顔をしてはいけないと言うが、それにも限度というものがある。
どれだけカットしても、平然と次の球を投げてくる。首を振る回数を考えると、投球は自分で組み立てているのだろう。
(遅い球で打たせて取る気か)
そう考えた時、初めてゾーンに、直球がきた。
高目を詰まらせてフライを打たせる。
そのための撒き餌が、二球続けての遅い球だった。
ふらりと打球が上がった時、直史は勝ったと思ったし、確かにそれはそう考えてもいい打球だったろう。
だが野球というのは良い当たりがアウトになるし、悪い当たりがヒットになるものである。
弱々しいフライがサードの頭を抜け、ぽてりと落ちた。
なるほど、と直史は納得した。
(高校入ってから、どうも調子が良すぎたからな。ここらで打ち取った当たりがヒットになるぐらい、まあ普通か)
味方のエラーにも平然と耐える直史は、確率的に起こる偶然には、全く苛立つことがない。
「わりっ」
「ポテンっす。しゃーない」
先輩サードに笑顔を返し、さりげなくショートを見る。
あれがショートなら、大介なら取ってたな、と思う。
さすがに身長差があるので無理だと、すぐに思いなおしたが。
この試合は、いい試合だ。
審判もちゃんとしているし、味方に変なエラーはないし、何より頼れる人間がいる。
少なくとも中学校時代、直史の登板した試合で、味方が二点以上のリードを取ってくれたことはない。
(二番の足は、一番ほどじゃないけど速い。盗塁も可能だろうし、万一のゲッツーを考えたら、やってくるだろうな)
しゃーないと言った直史であるが、周囲はそうは思わなかったようである。
キャプテン北村がタイムを取り、内野陣が集まる。
「バッター集中だぞ、ナオ。三点あるんだからな」
「分かってますよ。一点よりもワンナウト。三点取られる前にあとツーアウト取るんだから、確率的には勝てるでしょ」
「お前な、黒田にホームラン打たれたら、同点だぞ? 同点になったら負けるからな」
悲観的なことを言う北村だが、現状認識は全く間違っていない。
吉村から白富東の打力で点を取るなら、大介を絡めるしかない。だが次の大介の打席が回るまでに、直史が攻略されるだろう。
「とりあえず三番が問題ですよね。アウトに取れるなら、盗塁されてホームスチールされても、打者集中で行きますよ」
「それもまたすげえ開き直りだな」
笑った大介が直史の胸をグラブで叩く。
「俺のとこに打たせろよ。速い打球捕ってみたい」
「そんな余裕はねえよ。まあなんとかアウトに出来る打球に、コントロールするしかないとは思ってるけどさ」
点を取られてもアウトを。その認識を統一する。
直史の曲がりまくる変化球主体の投球なら、なかなか綺麗なヒットには出来ないはずだ。
もっとも球威がないので、三振を取るのも難しい。組み立て次第では取れるのだが、それよりはゴロを打たせるほうが容易い。
散っていく内野陣を眺めて、直史は打者に集中する。
(と言っても、ランナーが走ってくれるかが問題だよな)
牽制は入れないまでも、プレートを一度外してランナーを注視する。
おそらく走ってこない。普通にヒットを打ってくれることを信じている。
(まあ強豪の三番なんて、四番となんも変わらんよな)
そういった格上の打者をどうにかこうにかするのは、昔から慣れている。
もっとも実際にどうにかこうにかなった確率は、あまり高くはなかったのだが。
スローカーブを内角に。見切られればボールだが、相手は手を出してきた。
ファール。バットが速すぎた。
そして第二球。ここまで使ってこなかった、相手の知らない変化球。
シンカー。シュートよりもずっと遅く、内に入りながら落ちる。
これもボール球だったが、やはりファールグラウンドに鋭い打撃が行く。
見逃せばボール球だが、球威がないので手を出してしまう。打てそうなら打てばいいので、それも間違いではないのだが。
変化球のボール球は、長打にはならない。確率的にではあるが、それを計算して直史は投げる。
ツーナッシングから、遊び球を入れるか。
(いや、来る!)
直史の投げたのは、ゾーンに入った直球。
「っ!」
――に見せかけたスプリット。珍しくも、三振を奪う球であった。
九回裏、点差は三点、二死ランナー一塁。
ここで迎えるバッターは、プロ注目の四番黒田。
ホームランを打たれてもまだリードというこの事態で、直史は勝負を選択した。
マジかよ、とは先輩キャッチャーの言葉であるが、直史はマジである。
正直なところ抑える自信は全くないし、ホームランを打たれる可能性さえある。
だが黒田を歩かせて、次の五番を迎えたところで、やはりホームランバッターなのだ。
黒田が敬遠されても勇名館が勝つのは、この五番の長打力による。
打率自体は黒田とは比べ物にならないのだが。
ホームランさえ打たれないコースに投げておけば、長打でもグラウンド内に飛ぶし、それが野手の正面に飛ぶ可能性も高い。
見送られて四球になっても、それはそれで満塁策を取るだけだ。
六番打者か代打にも打たれるかもしれないが、近い塁でアウトを取れば、そこで試合終了だ。
そう考えれば黒田と勝負というのも、決して無茶とは言えない。
(ホームラン打たれても負けないって状況は、生まれて初めてかな)
直史の第一球は、ストライクからボールになるスプリット。黒田は余裕で見極める。
続けてアウトロー。一番難しいコースへの、ストライクからボールへ逃げるスライダー。
普通なら打ってもぼてぼてのゴロかフライだろうが、そこはさすがにものが違った。
ボール球を黒田は振り切り、そしてその打球は高いフライとなり外野へと向かい、野手の頭を越えて、スタンドぎりぎりに入った。
リードを一点に縮める、四番の一発。明確に実力が違った。
「外に逃げてくボール球を、ぎりぎりとはいえホームランか。プロに行くような人間は、やっぱ違うな」
集まった内野陣に対して、直史は平然とした態度を崩さなかった。
「いやお前、大丈夫か?」
北村の声に対しても、直史は頷くのみである。
「ま~、まだ一点勝ってますし。次の五番も一発があるから敬遠で」
「敬遠は……まずくないか?」
「ホームランよりはいいと思うんですけど」
「だって敬遠したら、絶対代走出してくるぞ?」
「……これだから強豪校は!」
直史の投球は、基本的に相手のミスに期待するものである。
だから本当の強打者とは、戦うことが出来ない。
相手の弱いところを突いて勝つ。暗殺のようなものだ。
問題は野球という競技が、少しぐらいの奇襲で有利に立っても、指揮官がしっかりしていたらいくらでも取り返せる競技であるということだ。
ホームランのある五番打者に対して、直史は低めに球を集めた。
ゾーンに入るのは全て変化球。さすがに安易なストライクは稼がない。
そんな直史の背中を見ながら、岩崎は考えていた。
点を取られ、ホームランを打たれ、さらにまだ強打者と対決する。
自分にあんなことが出来るだろうか。
シニアのチームには頼れる打者がいて、守備は堅く、キャッチャーのリードは優秀だった。
それでも負けた時があるのは、自分が縮こまって手を大きくふれなくなってからだ。
だが直史はこの事態でも、大きく手を振って投げている。
少なくとも一回戦負けするような投手ではないし、シニアでもかなり通用したとは思う。
もう少し早く硬球に慣れていれば、違う結果があったのではないか。
直史はカウントの上では追い詰めた五番に、内心では逆に追い詰められていた。
ストライクゾーンにはどれだけ難しい球を投げても、カットされる。もちろん甘い球など言語道断だ。
歩かせるつもりでぎりぎりのボール球を投げても、それにも手を出してカットしてくる。
かといって明らかなボール球は見送ってくる。
元々能力の高い選手ではあったが、ここに至ってチームバッティングに徹している。一発が打てる選手なのに、一発を狙っていない。
弱小校が相手であるのに、下手なプライドを振りかざすことなく、全力で勝ちにきている。
(油断しないやつは嫌いだなあ)
トルネードも一度見せてしまったから、対応してくるだろう。
微妙にしか変化しない変化球はまだあるが、このスイングスピードと金属バットの前では、おそらく打ち取るのは難しいだろう。
靴紐を結びなおすためにタイムをかけて、直史は考える。
(塁に出したら代走と代打だな。一人は歩かせるとして、まだ代打要員はいるし)
勇名館の下位打線は、守備にその役割が寄っている。たいがいの高校の野球監督は、守備を重視する。
だがそれはいざという時に、強打者を代打として送り込めるということでもある。
(こいつは歩かせて、代打を打ち取るか。ガンに代わるのも、ちょっと無理だよな)
岩崎の体力自体は、まだまだ余裕がある。だが単純に、速球派の岩崎が、ジンのリードもなしに、勇名館の代打陣を抑え切れるか疑問だ。
だからそういうことも全て含めて、ジンは直史への交代を告げたのだろう。
直史はなんとなくベンチを見る。監督は動かない。
その横ではシーナが、なぜか右拳をこちらに向けていた。
(どういう意味だ、そりゃ)
だが、腹は決まった。
まだ投げていない球を投げる。
セットポジションから、クイックで。
投げるのは、全力のカーブ。曲がりながら落ちていく。
バットが空を切り、キャッチャーが後逸した。
三振を取りながらも、試合は決まらなかった。
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