第13話 勝者

「すまん」

 そう言って謝る先輩キャッチャーを、直史は責めることはない。

「同じカーブでも、別物でしたからね。俺がちゃんと言うべきだったんです」

「でもせめて前に落としていれば、試合は勝ってたんだ」

 己を責めるキャッチャーに対して、直史には本当に、全く責める気持ちはない。


 ツーアウト一塁で、ランナーには代走が出て、バッターには代打が出た。

 予想通りであり、ここからが最後の勝負だ。

「まあ初球から盗塁でしょうけど、やらせましょう。その間にこっちはもう一回さっきのカーブを使います」

「分かった。今度は絶対に前に落とす」

 捕れないのかよ、とは直史は思わなかった。あの変化の球を、練習でも一度も投げていなかった自分が悪い。

 そもそもイメージ通りなら、体を巻き込むような軌道で、バットを振らせることもなく三振にしていたはずだ。


 制球力に自信があるというのは、普段は制球出来る程度にしか、力を入れてないということでもあるのだ。




 切り札の代打に対して、直史は宣言どおりにカーブ。右打者にとってはおそらく、背中から向かってくるほどのボールに見えただろう。

 ワンストライクであるが、キャッチャーが上手く捌ききれなかった隙に、ランナーは二塁へと進んでいた。


 ベンチから見ていても、直史のカーブのえぐさは両陣営に良く分かった。

 勇名館古賀監督は冷や汗を流し、白富東もまた呆れていた。

「って、なんであんなカーブあるのに、普段から投げてないのよ」

 シーナが呆れたように言うが、単にまともに制球出来ない球なので、言い出す機会がなかっただけである。

 これは春の大会なのだ。普通なら入学してすぐの一年生に出場機会はない。


「あの変化のえぐさは、あいつのフォーク並だな」

「あ~、敵さんもさすがにびびったか」

 シニアにおける鷺北のエースは、直球とフォークがウイニングショットであった。

 あれだけえぐい変化球は、全国でもそうそう投げるピッチャーはいない。

「でも、あんな変化のある球投げて、故障しないのかな」

 シニアでは変化球を投げて肘を壊すというのは、残念ながら投手のあるあるなのだ。

 抜いて投げるフォークが肘に負担をかけるのは当然だが、カーブにしても変化球の中では負担が大きいものだろう。

 それもあって、完全に制球出来るほど、直史も投げ込みが出来なかったわけだが。


 とりあえず、ストライクあと二つで、試合は決まる。




(まあ右打者が相手だってのは、ほとんど唯一の利点かな)

 直史は右投げであり、変化の大きな変化球は、右打者と相性がいい。

 しかしこのカーブはもう封印だ。正直なところ、死球が怖い。


 二球目。腕の振りを微妙に変えたスプリット。

 ボール球を普通に見逃された。

(ショートに打たせる)

 三球目、普通の大きく曲がるカーブ。

 インコースのそれを、ファールに捌かれる。


 あと一つのストライクを、どうやって取るか。

 ボール球は二つ投げられる。内野ゴロやフライでもいい。

(二つのカーブの残像が残ってるなら、これはどうだ)

 内角。ストライクゾーンから、打者に向かうシュート。

 引っ掛けた打球だったが、ファールグラウンドにぼてぼてと転がる。


 次は何か。

 何を投げるか。

(アウトローへスプリットあたり……ボール球になるのを振ってくれれば……)

 何度も首を振るつもりで、直史はキャッチャーのサインを見る。

 首を振る。だが同じサインが出される。

(マジか)

 直史の視線に、キャッチャーはグラブを叩いて応じた。


 打ち取ったなら投手の手柄。打たれたなら捕手の責任。

 そんな無責任なことは言いたくないが、ここまで要求されれば投げないわけにはいかない。

(まあ捕ってくれるなら、俺だって投げたいけどさ)

 投げるからには手加減はない。

 こちらがすべきはストライクゾーンに投げるだけ。結果は知らん。


 吹っ切った直史の投げたカーブは大きく変化し、打者のバットは空を切る。

 地面にバウンドした球を、キャッチャーは必死で前に落とす。

 振り逃げするバッターに対し、キャッチャーはボールをファーストへ。

(暴投だけは勘弁)

 直史の心配を他所に、ボールはファーストミットに収まり、スリーアウト。

 白富東の勝利であった。




「ありがとうございます」

 最初に出た言葉がそれであった。

「何言ってんだ。完全に打ち取ったのはお前だろ」

 ぽんと胸を叩いてくるミットに、直史は笑った。


「ぎりぎりだったな。でも最後まで凄かったよ」

 大介も笑っている。だがその言葉に直史は笑えない。

 白富東の失点は全て直史のものであり、防御率はひどいものだ。

「ほら、早く整列!」

 キャプテンに声をかけられ、ナインが並ぶ。

 岩崎と目が合うと、無言でサムズアップしてきた。


 向き合った勇名館の選手たちから発せられるのは、悔しさというよりは怒り。

 おそらく自分たちの不甲斐なさへの。今度戦えば間違いなく、木っ端微塵にされるだろう。

 ジンが回復して、シニア組をスタメンで使っても、あちらがエースを出すならば。

 それでも、今日は勝ったのだ。


 これで県大会を二回勝てば、夏のシードが取れる。もっともその二回も、かなり難しいのだが。

 ジンが回復して来れるかどうかで、難易度は格段に変わるだろう。




 ベンチに戻るとすぐに荷物を整理し、学校へ戻る。

 ベンチメンバー以外は野球部でも応援に来れていない。一年生達は不安だろう。

 だがそれよりも不安なのは、ジンだ。

 シニアメンバーの荷物のまとめ方は、明らかに他より早い。


 観戦に来ていたメンバーの親に病院に連れて行かれたが、あちらからの連絡もない。

 無事なら無事と、それだけでも早く伝えてほしいものだが。

「あ、メールが来てる」

 シーナの手元へ、シニアメンバーの視線が集中する。

「うお、押すな」

「見えねえよ。なんだって?」

「重傷ではない。ただし全治三週間だって」

 それは、いいことなのか悪いことなのか。

 少なくとも県大会は、ジンはマスクを被れないことになる。


「まあでも、ベンチに入っててもらうだけで、安心感が違うしね」

 シーナの言葉に、シニアメンバーが中心となって頷く。

 去り際に言った、あまりにも都合のいいジンの言葉。

 だがあれが、あいつの本音だと、誰もが分かった。


 県大会までおよそ10日間。

 このわずかな時間で何が出来るのか、それぞれが考えなければいけない。




 ジンの家に行かないか、と直史はシーナに誘われた。

 地区大会決勝から一日、地区大会で野球部が優勝したことは、校内でもさほど話題になっていない。一応昼休みの校内放送では触れられたのだが。

 勇名館に勝ったというのは大きなことなのだが、そもそも昨年の秋に勝っていれば、地区大会は免除されるのだ。

 クジ運他、色々と要因はあったが、勇名館は確実に強かった。

 それに勝ったのだから、もっと話題になってもいいのだろうが、所詮は県大会前の地区大会。あまり野球部に注目している生徒もいないのだ。


 そしてジンであるが、手を吊りながらも普通に登校していた。

 傷口が鋭すぎて、かえって治りは早いだろうと言われていた。ただし三週間で傷口は治っても、まともに前のように扱えるかは二週間はかかるだろう。

 かかった医者がスポーツ傷病の専門であったのは、伝手を持つジンにとっては当たり前のことである。

 大切な筋や腱の負傷は全くなかったが、傷自体は深かったため、それなりに時間はかかるのだ。

 まず後遺症は出ないであろうが、無理は禁物である。


 ちなみに今日、県大会のトーナメントも決定した。二度勝てばシードであり、強豪校とは当たらない。

 もっともどの学校もそれぞれのブロックを勝ち抜いているので、弱小校でもないのだが。

 今日はミーティングをする以外は、完全なオフ。しかしシーナは直史を誘う。

 まあ直史も確かに、ちょっとジンとは話したいことがあったのだが、わざわざ家に行く理由はないだろう。

「お父さんが帰ってるから、見てもらいたいんだって」

「へえ」


 ジンの家は白富東の学校から、電車で二駅、駅から徒歩10分の距離である。ちなみにジンは普段自転車通学しているのだが、さすがに今はそういうわけにいかない。

「で、なんで俺も?」

 ジンの家に連れて来られたのは、直史と大介である。

 大介の方は正直、なんとなく理由は分かる。だが自分のことは分からない直史である。

「うちの父親、大学野球でサイドスローだって言ったっけ? 試合のビデオ見てたら、お前サイドスロー投げてたじゃん」

「あれは奇策だよ。一度しか使えない。つーか公式戦ではもう使えないだろうな」

「でも父さん、あれ見てかなり気に入ったみたいなんだよな」


 なんでもジンのチームメイトはほとんど、何かの折には呼ばれているらしい。

 シニアメンバーは当然であるが、今回この二人が選ばれたというのは、お眼鏡にかなったということだろうか。


 そして到着した家は一戸建てで、庭にはなんとマウンドがあった。

 ネットもあって、投げ込みも出来る環境だ。ティーまであるので打撃練習も出来るだろう。

 野球のために存在するような庭だ。

「豪勢だな。下手すりゃ学校よりいいマウンドだ」

 大介が少し皮肉げに言うが、まあそれも仕方ないだろう。


「ただいま~、父さん、連れて来た~」

「おう」

 ダイニングに通された一行は、巨大なスクリーンに投影された、先日の試合の映像を見る男に出会う。シニアメンバーの親御さんに頼んで、撮っておいてもらったものだ。

 無精髭に鋭い目つき。これがジンの父親、現役のプロスカウトマンなのか。


 立ち上がった背丈はそれほどでもない。やや長身の直史より、少し低いぐらいか。

 もちろん大介よりは大きい。というか大介より小さくて、大介より上手い選手など、直史は見たことがないのだが。

「ようこそ、未来のドラフト候補君」

 その視線は大介と、そして直史にも向けられていた。

「初めまして。大京レックスのスカウトをやってる大田鉄也です」




「とりあえず服を脱いでくれ」

「変態かよこの親父」

 唐突な言葉に、大介が素直に反応する。

「いや、普通に上着だけでいいんだよね?」

 ジンがフォローするが、鉄也は真剣な目で言う。

「いや、パンツ一丁になってくれ」

「へ、変態だー!」

 シーナが叫ぶが、明らかに笑っている。


「別にいいけど、お前も見たいの?」

 直史が凍りそうな声でシーナに問いかけると、彼女は慌てて手を振った。

「あたしは席を外してるよ。ジンの部屋で漫画見てるからね」

 スカートを翻して去るシーナだが、よくあることなのだろう。ジンも笑って見送る。

 エロ本とかはちゃんと隠しているのだろうか。


「身体測定とかはしたんだよね。確認したいんだけど教えてくれるか」

 もはや脱ぐのは既定とばかりに、ほれほれと鉄也がせかしてくる。

 まあこのおっさんがホモということもなかろうかと、直史は素直に服を脱ぎだした。

「お前、けっこう変な度胸あるな」

 そう言って大介も脱ぎだしたのだが。


 直史は現在、177cmの65kg。運動部としては割と細身である。

 身長は中学二年生の時にもっとも伸び、中三の春から先日までには、2cmしか伸びていない。そろそろ上への成長は終わった頃だ。

 大介は現在162cmの60kg。身長に比して割と体重がある。

 明確に成長期と言えるような身長の爆発的な伸びはなく、去年から今年の春までに、4cm伸びている。まだもう少しは伸びるだろう。

 上半身裸になって分かるが、はっきりと大介の方が、直史よりも体格はいい。それでも筋肉ムキムキというわけではないが。


 鉄也はその後、校内で行われた運動能力テストや、野球部で独自に測ったデータを書き取っていく。

 パソコンを使わないあたり、逆にちょっと玄人っぽい。

「白石君は、卒業後の進路は決めてるのかね?」

「いや、普通に進学するつもりですけど。国立に推薦もらうために、必死でこの学校入ったんですし」

 先日実力テストが行われたのだが、結果は大介はあまりよくなかった。必死で勉強して、よく入れたものである。

「そうか、じゃあドラフト下位で指名されたら、うちの球団に来る気はあるか?」

 こういうやりとりは、してはいけないのではなかったろうか。そう思いながらも大介が誘われたことに、なんとなく嫉妬めいたことを感じる直史である。

「いや~、プロになる気はないです。俺が目指してるのは公務員なんで」

 おいおい、と思う直史である。


 まだ知り合ってそれほどではないが、直史には大介の規格外の実力が分かっている。

 先日の試合では黒田にあっさりと打たれた直史であるが、大介があれに劣っているとは思えない。

 シートバッティングで真剣勝負をしても、大概はライナー性の打球を外野に運ばれて負ける。

 まあトルネードやカーブは封印してのことだが。

「嘘だね。君の目を見て確信した。君はプロに来る。運命的にな。誰も止めることは出来ない」

「いや、プロ野球選手なんて不安定な職業に、とても就く気はないっすよ」

「甲子園は目指さないのか?」

「まあ行けたらいいな程度っす」


 大介の言葉は、確かに本音であろう。

 だがこんなことを言ってるやつが、計算づくで吉村のスプリットをホームランにしたのである。

「まあ、どうせ尖った釘は目立ってしまうだろうな。それはそれとして、佐藤君」

 大介の高評価の後でどう比較されるのか、正直怖い直史である。

「正直、君のことはまだ分からん。庭で投球見せてもらえるか?」

 気が抜ける直史であった。




 上着とシャツを脱いで、上はTシャツ一枚になる直史。

 キャッチボールの相手は大介である。

「本当ならキャッチャーに投げてるところが見たかったんだけどなあ……」

「父さん、捕るだけなら出来るんじゃないの?」

「まともに運動しないようになって、どれだけ経ってると思ってるんだ」


 確かにジンに捕ってもらう方が、直史としてもありがたい。

 というかジンがダメでも、大介ならキャッチングぐらいは出来るのではないだろうか。

 もちろんリードなどは全く別だが、吉村の変化球をスタンドに叩き込んだのだから、直史の変化球ぐらいは捕れるような気がする。

「大介にキャッチャーやってもらったらどうだ? 防具ないのか?」

 三者の視線が向かったのは大介である。

「ま~、捕れるぐらいは捕れると思うけどな」


 急遽運ばれた防具をつけた大介は、その場でステップを踏む。

「ま~、大丈夫そうだな」

「じゃあ一応打席にあたしが立ってみるから」

 バットも持たずに打席に立つシーナ。そして鉄也はネットの背後に立つ。

「それじゃあまず、普通にストレートから」

 少しずつ速度を上げて、大介の構えたミットの中に入れる。

「速いスライダー」

「普通のスライダー」

「シュート」

「シンカー」

「カーブ」

「スローカーブ」

「強いカーブ」

「スプリット」

「カットもどき」

「一応ツーシーム」

 ベテラン捕手が弾いた直史の曲がりすぎるカーブを、大介は一発で捕球した。

 つまり打者として対戦しても、すぐに打ってくるということだろう。

 やはり直史の投球は、せいぜい一度対決する相手ぐらいにしか通用しそうにない。


 それから後、トルネードサイドスローからのストレートとカーブとスプリットも披露した。スプリットは落ちなかったが。

「あ~、まあ君が器用なことは分かったが、その器用さはもっと、的確な方向に使うべきだったな」

 一通りの球種を見た鉄也は、呆れたようにそう言った。

「俺がサイドスローだったから分かるんだが、君はサイドスローに転向したら、おそらく数ヶ月で球速を5kmアップし、投げられるようになると思う」

 サイドスローは基本的に、オーバースローよりも球速は落ちるものである。

 それにもかかわらず鉄也がそう言ったのは、直史の現在のフォームの欠点が、明確であったからだ。

「ていうか上から投げるままなら、二年後には速球派で140kmは投げられるようになると思うんだがな」

 140km。直史から見たら夢のような数字である。

 もっとも彼は自覚していないが、一年の春の時点で120kmが投げられるなら、充分に速球派としての資質はあるのだが。


「まあどちらにしろ、大会中に触るようなところじゃないからな。とりあえず春は頑張ってシード取りに行け」

 既に組み合わせは発表されている。さすがに地区を勝ち上がってくる学校なので、明らかな弱小はいないが、勇名館ほどの実力校と当たるまでにはシードが取れる。

 高校野球の本番と言えば夏であるが、その夏のためのシード権を取るのは、かなり重要なことなのだ。

 ジンがリード出来ないのは痛いが、二つ勝てばいいのだから、無理ではない。


 そうやって話をしてジンの家を辞去する時、鉄也は直史に語りかけた。

「佐藤君よ、君は素質的にはいいものを持ってるんだから、大学まで野球を続けるなら、化ける可能性は高いぞ」

「いや、うちも下にまだ三人いるんで、大学行くなら公立じゃないとダメなんですよね」

 かつて全ての高校球児は、甲子園とプロ野球を目指していたものだ。

 今では小賢しい常識が、選手の可能性を縛っていると言ってもいい。


 それでも鉄也は思うのだ。

 本当の才能を持っている人間は、自分の意思とは別に突出してしまうものだと。

 才能を持つ人間は、呪われたようにその才能と付き合っていかなければいけないのだ。

 多くは語らず、鉄也は二人を見送った。

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