第11話 トルネード
トルネード投法は日本人としては初めてメジャーリーグで活躍した野茂英雄投手の投球法として有名である
その特徴としては背中を打者に向けるほど体を捻り、そこから生まれるパワーを球に伝えることにある。
またこの投球法の他の特徴としては、球離れの見極めが難しく、投手自身も制球に苦しむことがある。
そしてそれをサイドスローで投げるというのは……実はそれなりに理に適っている。
トルネード投法は回転運動である。そしてサイドスローは最もその回転軸から離れたところで球を放つ。
普通のオーバースローが回転と前後の動きをしているのとは、力の伝え方が違う。
もっともこの投げ方は、体への負担が大きいが。
自分なりに完成されたフォームを持つ直史でさえ、それは分かっている。
力が遠心力を加えて右手の先へ集まるので、肩と、さらにその先の肘へと負荷がかかるのだ。あるいは手首にさえ。
それが分かっていながらも、直史はここでそれを使った。
直史は軟投派の投手であるが、一試合を投げきるほどのクセ球を持っているわけではない。
カーブが決め球ではあるが、審判によってはボールと宣告されるような、微妙な軌道を持っている。そんな審判に当たった場合は、カーブはカウントを整えるためにしか使えない。
そんな直史が選んだのが、球種ではなくフォームの変化である。
投手によってストレートでさえ全てが違うように、同じ投手でも投げ方が違えば、打者にとっては違う投手と対戦しているのと同じになる。
同じ投手でさえ日によって球筋が違うのだから、球種や球筋、フォームをたくさん抱えていれば、それだけ投手は有利になる。
そんな考えのもと、直史は完成されたフォームと完成されてないフォームを身につけるという、変態的な投手として存在していた。
なお、このフォームから投げた球はキャッチャーが捕れないため、やはり中学時代は封印されていた。
打率の高い、捕手としての役割を優先して九番に入っているその選手は、多くの投手を見てきた。
しかし直史のその投球フォームは、さすがに見たことはなかった。
一球目は呆然と見送り、素早く放たれた二球目も、バットは振ったが当たらない。
(速い? いや、これは……)
タイミングが合わない。言葉にするならそれだけだ。
そして三球目。今まで何度となく首を振ってきたピッチャーが、一度ですぐさま投げてくる。対策する思考が追いつかない。
(今度は!)
合わせて打ちにいったバットの下を、ボールは潜り抜けた。
キャッチャーが弾いたが、振り逃げにはならず、一塁でアウト。
結局この回は、三者凡退で終わった。
「疲れた……」
球数の多さと相手の強さを除いても、試合で初めて使うものには精神的な疲労がつきまとう。
だがそんな直史に対して、周囲は盛り上がっている。
「すげーじゃん。あれか? やっぱ甲子園のあれか?」
「プロでもいたよな。あっちは左だったけど」
ぶっつけ本番であり、初めての打者への使用だが、やはり疲れる。
「あんなの投げられるなら、最初からやってろよ」
色々と評価は高いが、直史としてはそういうわけにはいかない。
「先輩、球は速かったですか?」
捕手の三年は少し考えた後、首を振った。
「速くはないけど遅くもなかった。けど、バッターとしては打ちにくいんじゃないかとも思った」
つまりはそういう球であるのだ。
スリークォーターから放られるのとは全くタイミングが違う。
「サイドスローだからプレートを大きく使えるし、回転があるから球が指から離れるタイミングがずれるんですよ。だからあくまで奇策です」
そう直史は言うが、実際に通用しているのだから使えるのだ。
「次からはトルネード使うのか?」
大介の質問に、直史は首を振る。
「使わない。あれはようするに猫だましみたいなもんだ。あると分かれば打てる。……まあ四番と勝負しなきゃいけないことになったら使うかもしれないけど」
最終回、打順は一番から。一人でも出れば黒田に回る、そして本塁打が出れば同点だ。
「どうする? 勝負するか?」
キャプテンの意思確認に、直史は悪い笑みを浮かべた。
「まさか。二点差あるんだから、無死満塁でも敬遠ですよ」
ピッチャーというのは、我が強い。エゴイスティックとも言える。
直史もまた、ピッチャーに特有の性格をしている。だがそれは、試合に勝つためならなんでもするという考えだ。
ピッチャーとしてではなく、選手として我の強さを発揮している。
おそらく直史は、言ったような状況になった時、本当に黒田を敬遠するだろう。
それが分かっている大介は、覚悟を持ってネクストバッターサークルにいる。
(二点じゃ足りないかもなあ)
吉村相手に白富東は、大介も含めて全員が三振で倒れている。
万一にも追いつかれたら、白富東が追加点を取ることは難しい。
直史はよくやっている。岩崎はそれ以上だった。
途中で退場したジンも、どれだけ無念だったろうか。
残るイニングは一回。それをしのげば、あの勇名館に勝てる。
だが迎える打者は一番からだ。足の速い一番と、打率と出塁率の高い二番、それからクリーンナップにつながる。
二点を取られて満塁にすれば、比較的安全な六番打者を相手にすることになる。だが勇名館に打てる代打がいないわけはない。
しかし直史の変化球には、一度だけの打席で対応するのは難しいだろう。
一番から五番までで、ツーアウトは取っておきたい。
残りの塁が全て埋まっていたとして、そこから一点だけで抑えきれるか。
(正直、分からなねえんだよなあ。ナオのやつって変なピッチャーだし)
変化球の多彩さに加えてコントロール。ここまではまだ分かるとしても、トルネードのサイドスロー。
器用というレベルではなく、あれは異常だ。
弱小チームのピッチャーとして、色々と試したのだろう。
あの球を捕れなかったというのは、キャッチャーの怠慢だ。才能がなくても努力をすれば、少なくとも後逸しなくても済む程度までは鍛えられたはずなのだ。
(しゃーねえ。俺がお前に勝利をくれてやるよ)
もっともこのまま勝ったとしても、勝利投手は岩崎になるのだが。
決意を込めた大介の前で、先頭打者が三振に倒れていた。
吉村のMAX143kmというのは、確かに速いが全く当たらないほど速いというわけではないスピードだ。
実際のところバッティングセンターの140kmぐらいなら、高校球児であればそれなりに当てられるのだ。
それが実際には当たらないというのは、制球とスピンの問題であろう。
大介の見る限り、白富東の三振は全て、球の下を振っている。もしくは振り遅れている。
バックスピンがキレキレにかかった、伸びのあるストレートなのだろう。
だが、大介の目は慣れた。
ここまでのアウトが全て三振という、驚異的なピッチングを吉村はしている。
最後の勇名館の攻撃を考えると、ここらで勢いを止めなければ、裏の攻撃でサヨナラ負けを食らうかもしれない。
大介がここで打つということは、単に吉村のパーフェクトピッチングを止めるというだけでなく、勇名館の流れを止めることとイコールなのだ。
「しゃあぁ!」
打席に入って大介は、気合の雄叫びを上げる。
初球、インハイに入ってきたストレートを、大介は振り切った。
ライト線、わずかに切れるファール。打球の速度が恐ろしい。
ここまで完璧なピッチングを続けてきた吉村だが、これにはちょっとカチンときたらしい。
前の打席でも大介は、ちゃんと吉村の球をバットに当てていた。こんな、チビの一年坊が。
それは県下最強左腕と呼ばれる彼の、微妙なプライドを傷つけはしないまでも刺激する程度のものではあった。
剛速球。ゾーンへのストレートを、大介は続けてカットする。
そのカットした球が大きく外野まで飛ぶと、明らかに吉村はむっとした顔をしていた。
(ここでムキになってギアを上げたストレートを投げてくるか、それともスプリットか)
ここまで全て三振を取ってきたのだから、大介も三振で抑えたいだろう。
スライダーの変化では、三振は難しい。キャッチャーもここまでストレートをカットしているので、要求はしづらい。
ならば、分かっていても打てないであろうスプリット。
バッテリー間の心理が、大介には手に取るように分かった。
吉村の球が、ベルトの高さのインコースへ。大介は体が開くのを我慢しつつ、落下する動きの球を掬い上げる。
これを待っていた。
大介の打球はライナー性の曲線を描き――ライトスタンドに突き刺さった。
追加点となる、本日二本目のホームランであった。
なんじゃそりゃ。
正直なところ無責任な観客はともかく、プレイヤーである選手たちは、勇名館のみならず白富東のメンバーでさえ、同じ思いであっただろう。
大介のスイングスピードは、正直なところ目に見えないほどのものだ。その打力と動体視力で、ここまでの試合も驚異的な打率を誇ってきた。
しかし、ホームランが二本。それも一つは、県下最強左腕と呼ばれるピッチャーからのものである。
初回のそれにしろ、今回のこれにしろ。
打つべきときに打つ。完全な四番打者の役割を果たしている。
もっとも最近は、球界全般に四番以外に最強の打者を持って来ることも多いらしいが。
それにしても初回に続き、今回もホームラン。
考えてみればこの試合の打点を叩きだしたのは、全て大介なのである。
「……あいつ、プロ行けるんじゃね?」
岩崎はぽつりと呟き、誰もそれに反論しなかった。
ベンチに戻ってきた大介を、メンバーは戸惑いながら迎えた。
体格が小さいとは言え、どうしてこれだけの才能が埋もれていたのか。
本人ですら、自分の才能にはこれまで気付いていなかったらしいし。
そんな流れの中、さすがに動揺があったのか、制球を乱した吉村から、キャプテン北村がヒットを打った。
大介は化物であるが、北村も充分に良い打者なのだ。そして次の五番は岩崎だ。
「ここ、送りバント狙いでいけませんかね?」
これまで試合の展開には全く口を出していなかった直史が、そう提案する。
試合の流れを感じるという点で、彼もまた優れた感性を持っている。
「でも打者はガンだぜ? 今の吉村なら打てるんじゃね?」
「バントの姿勢を見せるだけでいいんだ。追い込まれたら普通に打ってもいい。ただここで相手に流れが渡さないためには、ゲッツーだけは避けた方がいいと思うんだけど」
直史の考えは、それなりに面白い。大介がホームランを打ち、キャプテン北村がヒットを打ったことによって、点差が開いただけでなく、試合の流れ自体が、白富東に傾いている。
またバントの姿勢を見せることによって、吉村の球種を絞ることが出来るかもしれない。ボール先行にさせれば、岩崎の打力なら球種を絞ってヒットを打つことも可能だろう。
そう判断した監督が、珍しくサインを出す。バントのフェイクのサインだ。
岩崎もまたそれを悟る、彼はピッチャーだ。だからピッチャーのやられて嫌なことも分かる。
初球、ストライクに入れるはずだったストレートを、バントの体勢を見て外に外す。
岩崎はすぐにバットを引いた。見え見えの策ではあるが、動揺した吉村には効果的らしい。
ここでタイムが取られて、ベンチから伝令が出る。
三点差で、残る攻撃は一回。クリーンナップからの攻撃とはいえ、さすがに動かざるをえないのだろう。
相手投手は確かに凄い。中学生レベルではまずいない速度と変化球を持っている。事実一打席目は、岩崎は全く手が出なかった。
だが左右の違いこそあれ、岩崎はあれ以上の球を、日常的に見ていたのだ。
自分のチームの、絶対的なエースとして。
(そうだよな。あいつに比べれば……つーかあいつレベルか。なら変化球以外は、打てる!)
開き直った岩崎だったが、続けて投げられたスライダーとスプリットに、空振り三振したのだった。
大介と北村に打たれた吉村だが、冷静に変化球で次打者を打ち取った。
ここまで大介以外にはほとんど見せていない、スプリットが決め球になった。
落差もあるが、それ以上にストレートとの速度差がほとんどないので、まず打てない。
改めて確認するが、あれを打てるのは味方側では大介だけだろう。
その大介にしても、狙って打ったスプリットだ。次にカウントが悪くなれば、歩かせる可能性が高い。
つまり、延長戦に入れば負ける。
(つーか最後のイニングで勝ってるなんて、ほとんど経験したことないんだけどな)
苦笑が洩れそうになるのを抑えて、直史は最終回のマウンドに立った。
プレッシャーは、ない。
点差は三点。打順は一番からだが、この一番は俊足であっても、打率自体が突出していいわけではない。
この打者で出来ればアウトを一つ取りたいところだが、塁に出てしまえば、ホームを踏まれることは覚悟して考えないといけないだろう。
(問題は、味方のエラーだよな)
白富東の守備陣は、それなりに鍛えられている。だが強豪校相手に勝利寸前というところで、下手にプレッシャーがかかってないだろうか。
一年のシニアメンバーの方が、大舞台に慣れているから、そちらに代えた方がいいのだろうが、さすがにそこまで口には出来ない直史である。
残り三人をアウトにすれば、勝てる。勝った時のマウンドにいられる。
密かな期待を胸に、直史は最終回を迎えた。
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