第5話 試合直前
春季大会は地区大会を三度勝てば県大会。そしてそこでも多くて五度勝てば優勝という組み合わせである。
それ以降も関東大会があるが、県大会で二度勝てば確実に夏のシード権が取れる。これが重要なのだ。夏の大会の過密日程で、強豪校と戦う機会が一度減るというのはありがたい。
もっとも今年はブロック予選で私立の強豪と一度対決するので、そこが鬼門となるのだが。
「今大会の方針は、継投です」
監督教師と並んで、いつの間にやら野球部を差配しているジンがそう切り出した。
入学間もない一年生。しかも上級生は、野球が上手いということにさほど価値を置いていない。経験者の顧問ですらも、生徒の本分は学業であると考えている。
だが考えるということは、ジンの言葉が正論であり、従う価値があれば従うだけの柔軟さもある。体育会系でない野球部の良さだ。
野球に執着していないがゆえに、しかも考えることが得意であるために、ジンの指導を受け止めるだけの余裕があったのだ。
きわめて科学的なトレーニングを、既に体が慣れている上級生、シニアからの仲間、新一年生の三つに分けて考えるだけでも大変だろう。それをちゃんと作成した。
さらに大介と直史の二人は、特に別のメニューを組まれている。
「幸いうちは、投手が豊富です。継投を重ねて打撃の的を絞らせず、ビッグイニングにならないよう気をつけましょう。そしてあとは着実に点を取るのみ」
とは言っても五人いる投手は全て右投げなのだが。サイドスローやアンダースローの変り種もおらず、直史を除けば変化球の種類もそれほど変わらない。
そして一年からレギュラーに抜擢されたのは、二番キャッチャーのジンと、三番ショートの大介の二人である。
この二人が選ばれたのは、先の歓迎試合の結果による。
本当の実力ならシニアメンバーで固めるべきなのだが、ジンの判断でそれは見送られた。シニアのメンバーも文句を言わない。
試合の使うべきところで使う。それが分かっているのだ。
大介の場合は本来なら四番打者なのだろうが、その前に出塁する打者のことを考えると、より打順が回ってきやすい、そして初回に必ず回ってくる三番となった。
もし出塁したら、打率のかなり高いキャプテン北村が、四番として帰してくれるだろう。
ジンの二番というのは、彼が打率は平凡ながら、出塁率が高いからである。
そしてそれ以上に犠打成功率の高さからも、二番ということになっている。
その日も5kmのロードワークを終えた直史は、30mダッシュを繰り返していた。
ロードワークをリズム良く走るのは心肺機能の上昇のためであり、ダッシュは瞬発力の強化が目的である。
「投げ込みはあんまりやらなくていいのか?」
同じ一年生ながら、岩崎や大介は上級生キャッチャー相手に投げ込みを行う練習が多い。
「あれは俺が何かの事故で出られなくなった時、ちゃんと速球をキャッチしてもらうための練習だから。ナオはコントロールいいから、先に基礎を強化しよう」
特に大介にはコントロールを良くするためにアドバイスするジンだが、直史に対しての要求は違う。
「ナオのコントロール出来る速球はマックス121km、コントロール出来ない速球はマックス125kmだったわけだけど」
スピードガンで測ってみたら、そういう結果が出た。岩崎や大介と比べるとかなり劣る。上級生のピッチャー二人と同じぐらいだ。
一年の春としては、充分に及第点だが。
「でも本当に全力で投げたら、もっと出るよね?」
ジンはそう分析していた。
ジンでもなかなか気付かなかった直史の速いストレートの正体は、体の溜めを少しだけ増し、指先の力をほんの少しだけ強めるというものだった。
そう言われて見れば違うような気もするが、やっぱり違ってないようにも思える。
そもそもそこまで精密に体を動かしているというのが、ノーコンのストレートを多く見ていたジンの経験からして信じられないのだが。
コントロールがきかないと言っても、ストライクゾーンには間違いなく入る程度の制球は出来ているのだから。
(もう少しだけ速い、捕球出来る範囲内にくるストレートがあれば、もっと投球の幅は広がる)
出来れば死球にはならないでほしいが。
「ふん!」
わざわざ声を出させてまで、直史は全力を出して投げた。
ストレート。全くコントロールを意識しない、前に投げるだけのストレートである。
(実際には球持ちとか考えた方が、伸びのあるストレートになるはずだよな? あ、でも逆に、伸びのないストレートを球種に入れられるか?)
無心で投げたストレートはたまたまストライクゾーンに入り、ジンのミットに納まった。
「シーナ!」
「128km出た!」
おお、と思う直史である。
「まあでも、これは見せ球だね。本格的な球速アップは、秋季大会が終わってからだ」
ジンの結論は容赦がない。
ジンの考えていることは分かる。強豪私立と対戦するにあたって、一番相手がやりづらいタイプのピッチャーは、直史である。
強豪校の打撃は、速球に合わせて打撃のフォームを作る。ピッチングマシーンなどで目をならしたりすることで、単純な速球ならばすぐに攻略出来る。
だからと言って変化球に弱いわけではないが、ツボになるのは直史の制球がいいのと、変化球の種類が多いことにある。
「単に変化球が多いピッチャーじゃなくて、同じフォームから投げ分けられるのがいいんだよ」
素直にジンは誉める。直史のような弱小チームの出身は、誉められるとよく伸びるはずなのだ。
逆に岩崎は大介にガツンと食らったおかげで、中学時代よりさらにジンの言うことを聞くようになった。
入学時にはエースとしての傲慢さが生まれかけていたが、大介レベルの打者にはまだ正面から勝負することは無理だ。
そんな大介は、直球のスピードだけなら岩崎と同じく時々140kmが出せる。
ただ球筋やコントロールに安定感。スピード以外の課題が多すぎる。とても先発として試合を任せる力はない。
ワンポイントで使うのが最適だろう。クローザーとして使うには、確実性がなさすぎる。
またシニアと高校野球の大きな違いは、イニング数である。
七回で終わっていた試合が、九回まである。単純にその分の負担がピッチャーにかかる。
この負担は、岩崎は大きく感じるだろうが、直史は比較的対応出来るだろう。
限界までの直球を投げていないということは、それだけ体を使っていないわけだ。
実際に中学時代は延長戦を投げぬいたこともある。シニアには投球制限があるため、岩崎にその経験はない。
勝ち進めば地区予選決勝で当たる勇名館は、行けるところまでを岩崎で行って、限界で直史にスイッチ。
逆も考えたが、技術的な面ではなく精神的な面で直史の方が適している。
直史は中学時代、ミスのないピッチングをしながらも得点を奪われ、それでも最後まで崩れなかった投手だ。
名門でちゃんと打者の援護を受けていた岩崎とは違う。
岩崎はいいピッチャーだが二番手には変わりなく、いざとなればエースが後始末をしていた。
追い込まれている状況でも投げられるという点で、直史の方が使いやすいのだ。
入部よりわずか数日という短い期間だが、実戦を想定した練習が繰り返された。
直史はとにかく鈍っていた体を元の状態に戻し、さらにスタミナ強化を要求された。
テクニカルな点で細かい調整が入ったのは、プレートの使い方ぐらいである。
直史は変化球を安定させるためにプレートを一箇所で使っていたが、変化球を持っているなら普通は、角度を考えてプレートの立ち位置を変えるべきなのだ。
「それにしても、なんで変化球こんな多いの? 特にカーブとスライダーが二種類あるというのが分かんない」
ジンの真っ当な質問に、直史は何度目になるのか分からないが、言い訳めいた言葉を繰り返す。
「最初は大きく曲がるボールを投げてたんだけど、それだとキャッチャーが捕れないことが多くてな」
「球種分かってても!?」
「だから、キャッチャーは一番人気がないポジだったんだって。俺も二年の時やったから、しんどいの分かるし。いや、めっちゃ重要なのもそうだけどな」
「キャッチャーが一番面白いのに……」
おそらく高度な野球をやるのなら、確かに面白いポジションなのだろう。
だが直史が中学生時の経験では、ノーコンのピッチャーにサインを送っても、まともにコースに来なかった。
コースによるリードの意味がなかったのだ。それに守備全体の意識も低かった。守備の要としては作用していなかった。
自分で投げて自分で捕れるなら、面白かったかもしれないが。
「いくら下手でも、ちゃんと練習したら捕れるようになるはずだけどな……」
「ちゃんと練習するような部活じゃなかったんだよ」
直史の中学は、少子化で生徒数が少なく、使えるグラウンドも狭かった。
だが部活動の数は、それなりに多かった。なんとなくで決める者も多かった。
一番人気はバスケ部かサッカー部で、野球部は運動部としては三番人気だったのだ。
どの部も弱小だったので、本気の人間はシーナのようにクラブチームに入るのが普通なのだ。
まあ本気の人間自体が少ないし、そういう方向の本気は、直史も持っていなかった。
遠い目をする直史に対して、ジンはにっかりと笑った。
「大丈夫。俺は下手でもないし練習もするから」
「そこは信頼してるよ」
ジンだけじゃない。大介のような点を取ってくれる選手もそうだが、上級生を含めて守備が断然に違う。
そもそも監督やジン、シーナの打ってくれるノックが、ちゃんと取りやすいノックと取りにくいノックを打ち分けている。
ランナーを背負った状態の送球も徹底している。先輩たちは野球の才能はともかく、ちゃんとした野球のやり方を知っている。
エラーが出るのが当たり前で、速球も変化球も限られた中で打者を討ち取るのが、どれだけ大変だったか。
このチームは頼れるチームだ。上級生も含めて、直史は確信した。
大会を前にもう一度紅白戦を行った。
レギュラーチーム対、控えチームである。なお岩崎は背番号こそ10だがレギュラーチーム側である。
その代わりにジンが控えチームの捕手をする。本番を考えて、試合用の岩崎のボールに、キャッチャーが慣れるためのものだ。
それと直史が投げる場合、球種が多すぎてリードの仕方が分からないという問題もあった。
結果はレギュラーチームが五対四で勝利である。
直史は六回から継投し、一点を失った。
大介には打順が二度回ったが、二度とも四球。敬遠のつもりではないが、ストライクは投げなかった。
しかしその大介が盗塁と犠打で帰って、結局は得点に絡んできた。
控えチームは三年のエースから二点、六回からリリーフした岩崎から二点を取った。
140kmを打ったということだが、そもそも控えチームはシニア上がりが中心である。岩崎の球には慣れていたというのもあるだろう。
あとはジンの進塁犠打が完璧だった。
バッテリー、つまるところ三年と二年のピッチャーにキャッチャー、そして一年からは直史、ジン、大介、岩崎の四人によるミーティングが始まる。
ちなみに監督はノックの猛練習である。野球の技術や戦術については、既にジンに任せてしまっている。
それでいいのか、こういうことはちゃんと監督という監督者を置いた上で行うべきではないのかと、直史はジンに尋ねたのだが、返答はふるっていた。
そんなことを気にする段階まで技術が達していないと。
「じゃあ明日から大会ですが、先発は先輩たちにお願いします。投手の枚数は揃ってるんで、ペース考えずに全力でいってください」
正直なところ、全力でいかなければ勝てないということでもあるが。
「一回戦と二回戦は、まず勝てると思います。基本的には正攻法。ミスを見つけたらそこを叩く。先手を打てれば負けることはないでしょう」
白富東は強豪校ではない。だが万年一回戦負けの弱小校でもない。
普通の高校だ。公立の、偏差値の高い進学校だ。
直史がいたような、野球をやるだけの学校ではない。勝つための野球をちゃんと練習する学校だ。
堅実なチーム力があれば、それなりの投手と一点を取れる打撃陣があれば、強豪校が相手でもやりようはある。
特に大介と直史。大介の能力が怪物級なのは確かだが、直史にも大きな可能性をジンは感じる。
中学校時代、速球の速度を上げることを封じられた。そこから変化球に偏向し、既に完成しているようにも思える。
この基礎を伸ばしていくというのも正道だが、一から作り直してみたいという誘惑も感じる。
(迷うなあ。ゲームならともかく現実にはリセットないもんな)
目の前の試合に集中すべきであるのだが、どうにも思考が逸れるジンであった。
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