第6話 地区予選
地区予選第一戦、白富東は三年のエース鈴木が好投し6回を2失点に抑えた。
リリーフした岩崎はその後に四球こそ出したものの無安打に封じ、打線は小技を加えながら序盤から得点。最終的には七対二という結果であった。
地区予選第二戦、二年の田中が先発し、3回までに3失点。
その後鈴木に交代し、6回までにさらに1失点。
だが後続をまたも岩崎が0封し、打線は上手く絡んで後半に5点を奪い、9回の裏を待たずに勝利。
予選決勝の相手は予想通り勇名館と決定し、その対策にジンは頭を悩ませていた。
「投手が揃ってるなあ……」
スター選手だけでなく、育成された選手も多い、穴のない粒揃いの陣営である。
単純に投手や打者がいいだけでなく、守備も鍛えられていて走塁にも隙がなく、総合力ではとても敵わない。
勇名館は新興の私立高校だが、設立当初からスポーツにも力を入れていて、ここ数年は県のベスト8にはほぼ入ってくる学校である。
もっとも昨年の秋季大会ではエースの故障と四番の敬遠で早くに負け、地区大会に出てきているわけだが。
「設備もいいんだよなあ。ピッチングマシーンに室内練習場に……」
ジンは進学先は早くから白富東に決めていたが、各学校のパンフレットは手に入れていた。
高校でも野球をやると決めていたので、相手となる学校の情報も手に入れるのは当然であった。
「そんであんた、勝てそうなの?」
リビングの大画面でビデオを見ていたので、しっかりと母もそれを見ている。
夫も野球関係者であり、息子も将来を野球に捧げると誓う、野球バカの父子。
彼女は理解ある妻であり母親であった。
ジンの見る限り、勇名館の戦力を攻略する方法は、一つを除いて見つけている。
弱点とか欠落とかではなく、ごく普通に存在する噛み合わせだ。
だが残る一つが不確定要素だ。ここがどうするべきなのか、その場任せになってしまいそうだ。
「ピッチャーの子よね? 一回戦でも投げてたけど、参考記録ながら5回ノーノーだしね」
ジンの見ている映像は、母が撮ってきてくれたものである。
白富東は普通の公立高校の野球部としては意識の高い練習を行っているが、グラウンドの外までも完全に手が回っているとは言えない。
この場合は対戦相手を調べるスコアラーがいないということだ。
もちろん偵察に行ったことはあるが、どこを見るべきなのか判断し、ちゃんと見てこれるようなメンバーは多くない。ジンがそれにかかりっきりになるわけにはいかない。
無理を言って母に頼んで、ビデオ撮影と共に見るべきものを見てきてもらったのだ。
ちなみにこの母は、高校生の頃は野球部のマネージャーをしていた。
「ガンちゃんとナオの力を考えると、調子が良くても3点は必要、悪ければ……悪ければどうしようもないんだよな」
「へえ、岩崎君。いい感じなの?」
「うん、ライバルがいるし一年ってこともあるから、上手くメンタルが安定してる」
母も知る岩崎は、正直シニア時代は、最後の一年はコントロールが微妙になっていた。
成長期を迎えていたから仕方ない点もあるのだが、エースナンバーをもらえなかったことによって余計な力みがあったのだろう。
今は実質的に自分がナンバーワンであるという自負と、大介にあっさりと打たれた事実が、彼の精神のバランスを取っている気がする。
ピッチャーというのはともかく、厄介な人種である。
「そういえば父さん、今度はいつ帰ってくるのかな」
「いや、けっこう帰ってはきてるのよ? あんたとすれ違いになってるだけで」
確かに父は出張が多く、自分は朝が早くて帰りが遅い。
日中に帰ってくることもある父とは、なかなか顔を合わさないのだ。
「そんじゃさ、これ見てもらっておいてくれない? そんでアドバイスが聞きたいって」
「伝えるのはいいけど、お父さん辛口だよ?」
「一人は素質的にプロでも通用しそうなやつだよ。もう一人はよく分からないけど」
プロ野球の球団関係者と、高校や大学の選手が接触するのは、色々と問題があるとされている。
だが家族の間での話だ。密室での談合などは、父から話を聞いているジンは既に色々と知っている。
それに大介をプロが見たらどう思うのかは、素直に気になるところである。
「よく分からないって?」
「それが本当に、よく分からないんだ」
ジンの知識には、直史のような選手の例がない。
全力を出さないままに制御力を備えてしまった、奇妙なタイプだとは分かる。
妙な拘りがあったりするのでピッチャー気質なのかと思ったら、打者との勝負に拘ることは全くない。
安定していることは確かなのだが、勝負をどうでもいいのかと考えているということもない。
ストレートの速度に全く拘りがないところが、一番ピッチャーらしくないところだろうか。
ただ出来れば三振を狙いたいという、キャッチャー泣かせなところはある。
身長と体重、遠投の記録とダッシュのタイムからして、確実にストレートの速度の上限は、もっと上のはずだ。
受験で鈍っていたとは言うが、体幹はしっかりしているし、自重トレーニングは中学時代からしっかりしていたと聞いた。
だが一度低いレベルで安定してしまったものを、どうして高いレベルに引き上げるかが分からない。
今はやることではないが、いつかはやりたい。しなければいけない。
キャッチャーとしてではなく将来は指導者になりたいジンの目から見ると、直史は本当に面白い素材なのだ。
そんなジンの背中を見つつ、母は溜め息と共に笑みも浮かべていた。
野球に熱中する男は、皆可愛いものだ。
緑茶のお代わりをそっとテーブルに置き、母は息子の背中を眺め続けていた。
「それでは明日のメンバーを発表する」
さすがにこれだけは自分の仕事だろうと、監督教師高峰が練習終わりに名前を呼ぶ。
中身はジンの考えが色濃く出ているはずだが、よほどのことがない限りは受け入れられるはずだ。
そして発表されたメンバーは、わずかに変わっていた。
五番にピッチャーの岩崎が入っている。先発ということだ。
彼は打撃の方も長打力があるので、クリーンナップに入るのはおかしくはない。もっとも打率はそこそこなのだが。
だが、その後に伝えられたことは意外であった。
「佐藤は後半使うし、白石もワンポイントで使っていく。岩崎は一度マウンドを降りても再度登ることがあるかもしれない。また他の投手も全員準備はしておくように」
つまり、総力戦だ。
投手というのは不思議なもので、初回に崩れる場合と、後半に捕まる場合の二つのパターンが多い。
初回に崩れるのは、単に調子が悪いからだ。これは肉体的に調子が悪いとかではない。
打たれてから復調することもあるのだ。単にリズムが合っていないとでもいうべきだろうか。自分の体が上手く動かない状態だ。
後半にかけて調子の上がる投手もいる。肩が暖まってきたなどというが、実のところは体全体がしっくりきたというほうがいいだろう。
後半に捕まるのは体力を消費して球威が落ちてきたことと、単純に研究され、慣れてくることによる。
投手の球筋というのは、一人一人違うものだ。ストレートしか球種がない投手が二人いても、その二人のストレートが同じ物とは限らない。むしろ違って当然だ。
最後に一弾きする指の感覚で、かすかに変化する。
完全に真っ直ぐのマシーンを打つ練習をしている者は、それに微調整して合わせてくる。
また初対戦の投手であれば、序盤は球種が分からないということもある。
回が進めば球種も、またその変化も分かり、たいていは球威も落ちてくる。
浮き沈みの激しい投手ほど、キャッチャー泣かせの存在はない。
実のところジンがリードしていたシニアの投手は、エースも二番手である岩崎も、そういうタイプであったのだ。
プロならどんどん継投していくのだろうが、いくら名門とはいえシニアにそんな投手が何人も集まってくるわけもない。
調子が悪いなら悪いなりに、もしくは調子を上げるようにリードする。
キャッチャーの戦う相手は打者だけでなく、投手でもあるのだ。
「勇名館は確かに切れ目のない打線だけど、ガンちゃんの球がちゃんと低めに決まれば、そうそう連打はないと思う。ただし投手の出来は水物なので、調子が悪ければ早めに代える。でも試合展開次第ではまた登板してもらう」
ジンの出した結論は、とにかく調子のいいピッチャーを使おうということだ。
安定性だけなら直史が一番なのだが、ストレートがキレよく低めに集まるなら、岩崎の実力は充分に発揮されるだろう。
説明しづらいが球の勢いならば、スピードは同じぐらいの大介のボールよりも魅力がある。野手投げに慣れた大介のスピンが関係しているのだろうが。
先輩たちには悪いが、よほどのことがない限り、この三人で回すしかないだろう。
守備はともかく、問題は打撃である。
ビデオを見せつつ、ジンは説明する。
「勇名館のピッチャーは何人かいるけど、まあどの投手も普通の公立なら、間違いなくエースになるぐらいの人たちです。ただ問題なのが一人」
画面に映った左腕のピッチャー。千葉の高校野球部なら、誰でも知っている。おそらく中学生でもほとんど知っているだろう。
吉村吉兆。MAX143kmの速球が武器の二年生エース。
一年生だった彼の活躍によって勇名館は、去年の夏の大会で県大会のベスト8まで勝ち進んでいる。
左投手は5km増し、などと言われることがある。
普段はピッチングマシーンや右投手の球の軌道に慣れているため、それだけ意識を変えるのが難しいのだ。
ちなみにちゃんと左投手にバッティングピッチャーをしてもらえば、比較的対応はしやすい。
だが白富東のピッチャーは一年まで含めても、全て右投げである。
シニアメンバーには左投げがいるが、投手経験はほとんどない。
ほとんど、というのは左利きというのはただそれだけで、一度ピッチャーの適性を見られるからだ。
「まあ左投げだけでも辛いけど、さらにカーブが厄介なんだよね」
吉村の変化球はカーブとスライダーの二種類だが、基本的にカーブとストレートで配球を組み立てる。
スライダーはカウント調整や、次の球のための布石として使われることが多い。
さらに練習試合では落ちる球も投げていたそうだ。カーブではなく、スプリットかフォークらしいが。
だが、ここで発言する者がいた。
「投げるだけなら、俺が左で投げてもいいか?」
直史の言葉に、ジンはくらりと眩暈を覚え、それから頭を振った。
「左で? 投げれるの? なんで?」
「いや、左投手ってだけで有利なのは知ってたし、あと自主練で色々とやってたから、スピードさえ求められなければカーブも投げれるぞ」
「どんだけ器用なんだよお前……」
大介でさえドン引きしているが、直史自身は単に器用貧乏なだけだと思っている。
「なんでもっと早く言わないんだよ!」
ジンが絶叫し、試合前日にわずかながら練習時間が延長された。
結論、直史の小器用さは歪なほどである。
「なんで利き腕でもないのにカーブ投げられるんだよ!?」
逆ギレしているジンというのは珍しい姿だろう。
「俺はなんでか、カーブ投げるの得意なんだよ。じゃあちょっと試しにスライダーを」
と言いつつ投げた球は、確かにスライダーの軌道で変化した。
「この変態が!?」
そう言いつつ打席に入ったジンは、珍しく外野へ向けたフライ系の打球を放った。
ちなみに大介はスローボールを簡単にフェンスにぶち当てていた。
本気ならまたフェンス越えするのだが、二度もフェンスを伸ばす予算がないので、ライナー性の打球でホームランを狙うことを目標にしているらしい。
こちらもつくづく頭がおかしい性能である。
「それにしても手首を捻る左投げのカーブは割りと見抜けるのに、スライダーはストレートと変わらないよな。指先の感覚で投げるもんだろ?」
ジンにとって直史の才能は常識外れのものだ。
天才というわけではない。ただただ異才というものだ。
ジンは直史の投手としての長所を多く知ったが、その中の最大のものは、低目への投球の精度である。
普通投球は球が上ずることが多く、その高目を狙われて長打となることが多い。
だが、直史にはそれがない。制球重視とはいえ、これは明らかに技術的なものがあるはずなのだ。
「それはまあ、環境だよ。俺の家見たら、すぐ分かる」
なんのことだと思いつつも、大会後には直史の練習環境を確認しようと決めるジンであった。
そして、試合当日――。
「……吉村先発じゃねえじゃん」
うなるように呟く大介の視線から、そっと顔を背けるジンである。
「二番手でも他の学校ならエースだし……」
吉村は初戦に登板し、参考記録ながら五回コールドでノーヒットピッチングをした。
さほど対戦相手が強くないところで、他のピッチャーに経験を積ませるというのはよくあることだ。
だがこれで、勝てる確率が上がったことは確かだ。
正直なところ、打順はもう少しいじろうかとも思っていたのだ。
大介の三番というのは、前に溜めたランナーを確実に本塁に帰すための打順である。
しかしながらこのチームには、大介に迫るほどの出塁率を誇る打者などいない。強いて言えばジンだが、ジンには犠打要員としての役割がある。
大介を一番に持ってきて、自分で出塁してもらい、足でかき回しながらスクイズやゴロで一点を取るというほうが、相手を混乱させるという意味では良いかもしれないのだ。
だが相手投手を考えるに、大介の前にランナーを溜めて、彼のヒットで帰すというのが、一番順当なところだろう。
白富東の下位打線の打率を考えると大介を1番にした場合、ランナーがいないことも考えられるからだ。
(よし、計算通り)
そう考えてはいても、一番打者が出てくれなければ、作戦通りにはいかないのだが。
なにしろ相手のピッチャーは二番手とはいえ、130km台後半のスピードのストレートは投げてくるのだ。
だが、岩崎や大介の速球に目が慣れていた白富東は、短期間でありながら速球への対応力は格段に上がっていた。
一番手塚の打球は初球を打ち、三遊間を抜けていった。
二番のジンは、本来ならここで送りバントをするところだが、待球策に出た。
バントやエンドランの構えを見せて、相手のコントロールを乱すことに成功。
二ストライクまでは粘ると決めていたが、あっさりと四球で塁に出た。
さて、この場面で大介である。
足の速い一番打者がセカンドにいるので、深いところにヒットを打てれば一点は確実である。
外野の深いところに飛ばしてくれれば、ジンもホームにまで帰れる。そんな場面だ。
また最低限出塁だけで満塁になるとしても、次のキャプテン北村は打率も良ければ選球眼もいい。それに意表を突いてスクイズという手段もある。
いくらでも手が打てるというところで、ジンに対して四球を投げてしまった投手が選んだのは、外角寄りのストレート。
ほどほどに低めに投げられ、それほど悪い球ではなかったろうが。
――キン――
その打球はライナー性の弾道を取りながらも、失速することはなく――。
レフトスタンドの深いところへ突き刺さった。
スリーランホームラン。
これが長い高校野球における初本塁打。
白石大介。小さな巨人の伝説の始まりであった。
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