第4話 背番号20
弱小野球部のメンバーだった直史は、中学時代は一年の頃から、一桁の背番号をつけていた。
そして目の前にある背番号は20。ベンチ入りメンバーである。
「つーわけで母さん、縫製お願いします」
「了解。でも高校でも、いきなり背番号もらえるもんなのね」
それを喜ぶべきかどうか、正直なところ直史は戸惑っている。
部活見学期間が終わり、結局野球部には12人の新入生が入部することになった。
そしてその中で、春大会のベンチ入りを果たしたのは、鷺北シニアの六人と、大介、直史の八人である。
一年の春からベンチ入りするのは、直史の実力と言うよりは、チームの層が薄いというのが実情だ。
一年生がそろったところで歓迎試合が催されたのだが、上級生主体のチームに対し、鷺北シニア主体の一年生チームは勝ってしまった。
まあ岩崎が五回を二安打に抑えたというのが大きいのだが、交代した直史も、二回をパーフェクトに抑えてしまった。ただし三振は一つも取っていない。
そして大介も直史と同じく二回を投げ、彼だけは失点を許してしまった。四球と死球が原因である。だがそれはあまり重要ではない。
試合の結果は七対一で新入生チームの勝利。
そして三番打者であった大介は五打数五安打一ホームランの五打点。
加えて盗塁を三つして、残りの二点のベースを踏んだのも大介であった。
なんだこのチート野郎は、と思ったのは直史だけではないだろう。
(あいつ……引越しがなければ強豪の公立に行ってたのかな。いや、都立で甲子園はないか)
東京と違い千葉は公立でも強い学校はある。東京の例外的に強い公立は、公立のクセにセレクションをしてたりする。
進学校の白富東より、よほど楽に入れる強豪校はあったはずだ。
大介なら一般入試からでも間違いなく強豪のレギュラーになれただろう。さすがに春の大会には出場できなかっただろうが。
正直なところ自分が全ての球種を駆使しても、大介には勝てる気がしなかった。
まあジャストミートされても、打球というのは野手の正面をついたりするものだが。
それに直史は、大介に点を取られない方法を考えついている。
(中学も公立か。球も速いし、あいつがピッチャーしてたら、もっと勝ってたんじゃないのか?)
もっともピッチャーなら、指先のちょっとした傷でも、まともに投げられないこともある。
守備の面でも大介は突出していた。
鋭いゴロやライナーを、何本取ったことだろうか。
大介がいなければ岩崎も点を取られていただろうし、直史が打ち取ったゴロの四つはショートの大介が処理したものだ。
走・攻・守という言葉があるが、大介はその全てを満たしたプレイヤーだ。
(せめてもうちょっと身長があったら、絶対に野球で進学してただろうな……)
ベンチ入りゼッケンを貰いながらも、直史の関心は大介一人に向いていた。
昼練からの昼食を一緒に取るのは、一年生のルーティンとなっていた。
シニア上がりでない一年生も、触発されたのか昼のトレーニングに自主的に参加している。
(まあ、多数派がそれをやってたら、一緒にやりだすのが高校生だしな。あとは夏までに上級生を巻き込めばOK)
計算通りに一年全員の意識を高めたジンだったが、計算外、あるいは計算以上のことも起こっていた。
「だから、大介がピッチャーやってたら、中学でももっと勝ってたはずだろ?」
「だからピッチャーとしては俺はコントロール悪いし、七回まで投げたら失投があるんだよ。暴投でキャッチャーが捕れないことも度々あったし」
「だけどキャッチボールとノックでは絶対に悪送球しないじゃん」
「そりゃそうだけど、色々考えて投げるピッチャーはやっぱり違うんだって」
「でも俺はコントロールいいぜ。球は遅いけど」
「速くてコントロールまで良かったら、そりゃ俺だって勝ってたよ!」
「ジン、なんで大介はピッチャーだとダメなんだ!?」
これである。
正直大介の存在は、計算以上どころか規格外である。
速球も変化球も打てるし、状況によって単打と長打にスイングを使い分けている。
バッピでホームランを打たれた岩崎のメンタルをケアするのは大変だったが、それを補って余りある戦力だ。
おそらく身長でスカウトの目から外れてしまっていたのだろうが、こういう常識外れの選手もいるのだ。
そしてちゃんとした野球指導を受けてこなかったため、ジンの知識にすがり付いてくる。
元々鷺北シニアは守備力重視のチームであり、クリーンナップ以外の打力はそれほどでもなかった。
もちろん全国に行くチームが打てないはずはないので、平均よりはずっと上だったが。
しかし中軸となる打者が消えてしまったため、より守備を固める必要があると計画していた。
野球は一点もやらなければ負けないスポーツである。だが同時に、一点は取らなければ勝てないスポーツでもあるのだ。
大介のスペックは恐ろしい。それは確かだった。
四番として長打を期待してもいいし、一番に置いて相手をかき回してもいい。
もっともこのチームの打撃力を考えると、三番あたりに置くのが一番点を取ってくれそうな感じもする。
まあそれはそれとして、質問に答えてやらないといけないだろう。
直史の意外なほどの食らいつきは、同じチームのメンバーとしては頼もしい。
向上心が旺盛なのも加算ポイントだ。
弱小で育った素材に、今はふんだんに栄養を与えてやるべきだろう。
「簡単に言えばピッチャーの投げ方は、野手の投げ方より難しいんだ」
「もっと詳しく!」
ぐいと近付いてくる直史に、大介もうんうんと頷いている。
まあ確かにもう少し理論立てて説明すべきだろう。直史もそうだが大介も、野球の基礎技術を学んでいないようだし。
それであのコントロールを持っていたり、ホームランを打つというのは、どちらも程度の差こそあれ異常である。
ジンは動作もまじえて説明を始める。これはピッチャーである直史にも必要な知識だ。
高校三年の夏までを考えると、直史はどこかでフォームからいじる必要があるかもしれない。
純粋に好みの問題であれば、ジンにとって一番使いやすい投手は直史である。
「フィールディングで自分のところにゴロが来たら、一塁にはどう投げる?」
「そりゃグラブで取って……あれ?」
「ああ……」
直史に続いて、すぐに大介も気が付いた。
「サイドスロー?」
「あと外野から返球する時はオーバースローでも、ピッチャーが投げるのとは違うフォームで投げるだろ?」
それに外野からの返球は、基本的にど真ん中ストライクなのだ。
投手の投球は、セットからでも体を複雑にねじりながら投げる。
それに比べるとサイドスローは投げるまでの動作が短縮されていて、ボール自体は遅くても、キャッチから送球するまでの時間は短い。
外野からのバックホームもそうだ。これはオーバーハンドで投げる場合が多いが、踏み出しや踏み込み位置にピッチングほどの制限がなく、ある意味投げるのは簡単なのだ。
「するとたとえば、大介がサイドスローに転向したら、コントロールも良くなるってことか?」
「理論上はそうだけど、もちろん球威は落ちるし、ステップも変えないといけないから、やめておいた方がいいな。ただもし試合で使うなら、ナオと絡めて使ったら、速球と変化球の組み合わせで面白いだろうね」
「俺もサイドスローにした方が良かったりする?」
「ナオは制球力あるし、変化球がスリークォーター気味の投げ方から考えられてるから、もしやるならかなりの時間がかかると思うよ」
「……まあ、そうか」
実はサイドスローでも投げられる直史だが、なんとなく言わなかった。
大会直前にフォームをいじる。それもサイドスローへの転向など、絶対に無理だとジンは考えている。
だが理論的にはそちらの方が合ってるかもしれない。直史は体に比べて手が長い。横のゾーンを使うには、サイドスローは理想的だ。
単にジンがサイドスローを好きだということもあるが。
しかしオーバースローで既にコントロール出来ているのだから、それをサイドスローにするのはかなりの賭けになる。
この後まだ球威は上がるだろうし、今の制球と変化球を考えれば、当面は現実的ではないのだ。
それよりは今のフォームを微調整していく方がよほど確実だ。
「けれどジンって、本当に野球のこと全体を考えてるよな」
直史は素直に他人の力を認める。実のところピッチャーはそういう部分に欠けている者が多い。
まあその負けん気の強さをどう制御するかも、キャッチャーの醍醐味であるのだが。
「そりゃ野球で食べていくつもりだしね。勉強することは色々あるよ」
「へ? お前プロ目指してるの?」
思わずといった感じで直史は目を丸くしている。こういう反応には慣れているジンである。
「別にプロじゃなくても野球の仕事はたくさんあるだろ」
昨今はサッカーに押されつつあるが、日本に限って言うならば、最も多くの人間が従事しているスポーツはまだ野球である。
プロ野球の選手というのはその一つの目標ではあるのだろうが、プロになるのは難しいし、プロであり続けるのも難しい。
規定により一度プロになった人間が、アマチュアに関与するのもある程度制限されている。球団関係者もそうだ。
だが高校や大学、あるいは社会人野球まで、野球に関わる仕事自体は大変に多い。
「ジンのお父さんは東京六大学でエースだったんだよ。ドラフト候補にもなってたんだ」
「へえ!?」
シーナから新たに開示された事実に、直史が素直に反応を見せる。
プロ野球。それは球児であれば、甲子園と並んで誰もが一度は夢見た職業であろう。
そのドラフト候補というのだから、初めて目の前の現実に、プロとの接点を見たわけである。
「シーナお前、人の個人情報をだな――」
「するとジンの野球の知識とかも、親父さん仕込みなわけか?」
ならば知識量や技術にも納得である。
「まあかなり影響は受けたけど、あんまり家にいない仕事だしな」
そういえばドラフト候補とは言ったが、実際に指名されたとは言われてない。
「大学最後の年に肘を壊して、ドラフトの話は流れたんだ。それでもまあ、少しでも野球に関わりたくて、今は球団職員としてスカウトをしてるよ」
シーナにべらべら喋られる前に、いっそのことちゃんと自分から話すべきだろう。
「主に東北圏なんだけど、時々違う場所にも行っちゃうから、あんまり顔を合わせないんだよね。そんでまあ、プロになったとしても、成功するのはごく一部だろ? 俺は選手じゃなくて、指導者を目指しているわけ」
実のところジンにも、強豪校への野球の推薦の話は来ていたのだ。
しかしレギュラーを取れる保証はとてもなかった。だから大学でもしっかりと学ぶべく、進学校である白富東に進学したわけだ。
早稲田か慶応のどちらかに入れれば、少なくとも野球部でブルペン捕手にはなれる。
そして父親のものを含めて人脈を築ければ、野球に関する仕事に就ける可能性は高い。
ジンは野球で勝つことや、野球で上手くなることよりも、さらに野球自体が好きなのだ。
「まあ、確かにプロはなあ」
どちらかと言うと聞き役だった大介が言葉を発する。
正直この中で最もプロに行ける才能を持ってるのは、この小柄なスラッガーだとジンは考えている。
身長は確かにマイナス要素かもしれないが、この体格で平気でホームランを打つ打者など、ジンは見たことがない。
(親父にちょっと話しておこうかな)
高校でスカウトの目に止まらなくても、大学まで行けば必ず注目される。高校一年生の時点で断言出来るような選手が、平凡な公立の進学校にいる事実はまさに小説よりも奇妙なことだ。
「選手は骨一本か腱一本壊れただけで、それで終わりだしなあ」
大介はそう言ってうんうんと頷く。確かに体が資本のスポーツ選手は、その危険性は常に付きまとう。
実は白石大介はプロ野球選手の息子である。
正確にはプロ野球選手だった男の息子である。
母親曰く、才能はすごかったそうだが、運が悪かったのだ。
高卒でドラフト三順目で指名。二年目には一軍で代打として12打席に立ち、二本のホームランを打った。
そして交通事故で足首の骨を複雑骨折し、野球選手としての生命を絶たれた。
だがそれを大介は言わない。
父親とは縁が切れている。引退後の父しか大介は知らないが、人生の敗北者でしかなかったことは確かだ。
離婚するまではずっと母親が家の大黒柱だった。
大介が中学に入学する頃、子供への悪影響を考えて、ようやく離婚した。そして現在は母親の実家に戻っている。
「野球しか知らねえ人間が、野球出来なくなったらどうしようもないしな。最初からコーチとか目標にして知識集めてるのは、賢いと思うな」
プロ野球を目指すような人間には、皮肉に聞こえるかもしれない大介の言葉であった。
「プロ野球選手の平均引退年齢は29歳。そんでそっからは、野球しか出来ないおっさんが一人出来上がり。野球は趣味程度でいいと思うぜ」
大介はヤケクソ気味に言ったが、本心にしては棘があるように皆には聞こえた。
ただジンには一つ疑問があった。
「それでよく野球やることを許してもらったね」
「勉強優先でな。同じ公立なら浮橋とか楢橋行きたかったけどさ。ここが近かったし」
ああ、とジンも直史も納得した。
怪我をしても野球で食べているジンの父と、そもそもプロを目指していないジン。
大介は野球バカを否定しているようだが、野球にのめりこみたがっているのだ。
不貞腐れたような顔をする大介だが、内心ではそれほど気分を害していない。
「まあでも、このチームなら甲子園行けそうだしな」
それが彼にとっての重要事項である。
まともなところに就職できる大学に進むというのが母の希望だろうが、高校で活躍して推薦や特待生ともなれば学費も免除されるから、文句はないだろう。
プロに行くのはいい顔をしないだろうが、別に社会人で野球をやってもいいのだ。なにしろ引退しても仕事がちゃんとある。
大介はその能力や周囲の期待とは裏腹に、野球に夢は全く求めていなかった。
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