第3話 ピッチャーの才能
シニアから入った新一年生は女子のシーナを除いて六人。その内の一人は、シニア時代はエースの控えだった投手である。
控えと言えばエースよりは落ちるのだが、実のところ球数制限や連投制限のあるシニアにおいて、全国レベルの二番手投手は、普通の公立高校の投手よりも優れている。
それは明らかであった。
(鈍ってるなあ)
サーキットトレーニングを中心とした朝練を終えた直史は、完全に息が上がっていた。
開始時間よりも早く来たにもかかわらず、シニア組がそれよりさらに早く来ていたのには、自分の甘さを痛感した。
まあ既に家の周りをランニングしてから来たので、走りこみはしていたのだが。
(明日からはこっちだな。一人でやるより競い合う方がいい)
それにしても、まずは基礎体力を上げる必要があるが。
上級生が来ると、一年生は球拾いや練習の補助に回る。
勝つための私立なら別なのかもしれないが、公立の普通の野球部なら、上級生優先なのも当たり前だろう。
ただその中でも、投手の岩崎だけは別だった。
それとセットのように、捕手のジンもバッテリーを組む。
バッティング練習に駆り出された岩崎、通称ガンちゃんは、ストレートだけで上級生を手玉に取っていた。
三年と二年にも一人ずつピッチャーはいるのだが、岩崎には及ばないだろう。
夏には一年生エースが誕生するだろうな、と直史は予想していた。
「なあ、シニアのやつらって春休みとかも、本格的に練習してたわけ?」
直史が質問するのは、当然のように同クラスのシーナである。
「当たり前じゃん。ナオはしてなかったの?」
「軽いランニングと、投げ込みはしてたけど……」
「うちらは合格発表終わった次の日から、シニアの練習手伝いに行ってお返しに練習させてもらったし、許可貰って部の練習にも参加してたからね」
「マジか……。意識たけぇ~」
「公立が甲子園目指すなら、それぐらいは当然だよ。あと昼にも練習ね」
「はあ!?」
昼休みは確かに長いが、その間に出来る練習というのは、さすがに限られているのではないか。
「心配しなくても、トレーニング室で筋トレするだけよ。昼なら誰も使ってないし。短時間で終わって、それから昼食ね」
「そこまでやんの!?」
「やれることは全部やった方がいいでしょ?」
直史は自分が努力家だと思ったことはないが、平均よりはずっと真摯に野球に打ち込んできたと自負していた。
だがそれが勘違いだと、完全に思い知らされた。上には上がいる。そして報われるのは、その上の上を目指す者だけだ。
「ナオがやる気なら、協力するよ。あたしはマネージャーだしさ」
「そういやノックも出来るんだよな」
昨日の練習を見ていたが、シーナのノックは野手の守備範囲ぎりぎりを狙うものであった。おそらく、上級生の先輩よりも上手い。
「シニアでも最終学年あたりだと、やっぱり力負けするからね。ミート力と打ち分けに励んだってこと」
さらりと言っているが、これまでの言動や行動を見る限り、実態はおそろしく過酷なものだったろう。
直史がどれだけ投げても勝てなかったという以上に、彼女はそもそもレギュラーを男子と共に競って勝ち取ったのだ。
昨日の自分の言動が、いかに世間知らずのものだったか、直史は羞恥にもだえる想いであった。
「まあ、これまでまともな指導受けてないなら仕方ないよ。ジンがそういうの詳しいから」
そこでシーナはまた、あのにんまりとした笑みを浮かべた。
昼の筋トレは、直史が思ったほどに負荷を与えるものではなかった。
「というか昼ご飯の栄養を体がちゃんと摂るようにするのが目的だし」
「練習後30分以内にプロテインだっけ?」
「そうそう。それに一年だとまだ、成長期が終わってないのも多いしさ」
昼休みを学食で摂りながら、直史はジンと向かい合って話していた。
ちなみに大介もいたりする。東京から引っ越してきた彼に、顔見知りがいるはずもない。クラスに友人を作ったほうがいいと思う直史だが、そもそも野球の話がしたいのかもしれない。
代わりにシーナは離れて、他のシニアの連中に囲まれている。
そもそもシニアのレギュラーのほとんどが進学校の公立に来たのは、ジンの影響が大きい。
選手として目立つのはエースや四番であったろうが、鷺北ナインの信頼を本当の意味で集めていたのは、打てない捕手のジンであった。
そのジンと一緒にまた野球をするため、チームメイトは必死で受験勉強をしたわけだ。
「てのは建前で、あいつらシーナ狙いなんだけどな」
「え」
思わず呆然とする直史である。
「そんな美人でもないだろ」
遠慮なく言いのける大介に、ジンはキョロキョロと周囲を見回した。
「あのな、シーナはマジで鷺北の姫だったから、二度と言うなよ」
改めてシーナを見つめる直史だが、彼も大介と似たような感想だった。
ブスではない。ブスではないのだが、直史の考える理想の女の子像とは、何かが決定的に違う。
女の子は野球などしない生き物だと、なんとなく思っていた。
大介は「へいへい」と軽く頷いたが、直史は心に深く留めることにした。
「そんで今日は、二人にも本格的に練習参加してもらうけど、ナオは体鈍ってるんだって?」
「うん……」
思わず小声になる直史である。
「大介は? 春休みとか練習してた?」
「俺は引っ越してきたから、中学時代の伝手使えなかったんだよ。公立で入学前から練習参加出来るとも思ってなかったし。素振りとダッシュはやってたけど、練習相手は壁だけだったなあ」
それでも昨日のキャッチボールを見る限り、大介がいい選手だというのは直史も察している。
アベレージヒッターだったなら、代打として使われることはあるかもしれない。もっとも守備次第だが。
「まあ、まだ本来なら一年は見学期間だしさ。その間に調整すればいいよ。ピッチャーは色々見てきたから、アドバイス出来ると思うし」
「ショートはどうなのよ」
「あ~、配球を考えてポジショニングしてほしいかな」
やることは多い。だがそれが、確かに自分の実力の成長につながる。
そしてその先にあるのは勝利だ。
直史は今まで感じたことのないプレッシャーを受けながらも、同時に高揚していた。
鷺北シニアの二番手投手だった岩崎は、正直単なる公立高校では、既にエースレベルのピッチャーであった。
なぜか物理部にあるスピードガンで測ったところ、ストレートが140kmの数字を出したのだ。
そして普通の公立高校のキャッチャーは、すぐに140kmのストレートが捕れるものではない。
「こりゃ試合で使う時は、キャッチャーとセットにしないとなあ」
監督である数学教師は、間近に迎えた春の大会に、入学間もない一年生ピッチャーを使うことを決断した。
そもそも上級生だけではベンチ入りメンバーに達しないので、背番号を与えることには問題はない。
そして直史もまた、ブルペンで投球練習をしていた。
(少しフォームが崩れてるな。またチェックしなおさないと)
わずかな違和感をおろそかにせず、制球重視で投げ続ける。
キャッチャーをしてくれているジンは、全く危なげのない動作で、捕球してくれている。
「次、変化球いいか?」
「OK」
「じゃ、遅くて落ちるカーブからな」
直史は制球を重視し、打たせて取るタイプのピッチャーだ。
正確には打たれないような全力の球は、キャッチャーが捕れなかったのだが。
そして普通なら凡打になる打球が、エラーで出塁されることが多かった。
遅くて落ちるスローカーブ。普通のカーブ。
ストレートと同じスピードのスライダー。曲がりの多い縦のスライダー。
シュート、スプリット、チェンジアップ。
そしてコントロールの微妙なフォーク。
その全てをジンは危なげなく捕球してくれた。
直史は感動した。
マトモな球を投げて、キャッチャーがそれを捕ってくれる。
こんなに嬉しいことはない。
「あのさ、多分すごく考えて投げてたんだろうけど、実際の試合では何を軸に組み立ててたの?」
ジンは近付いてきて、そんな質問をしてくる。
まあこれだけ変化球をかじっていれば、それも当然だろう。
「バッターによって変わるから、ウイニングショットはなかったよ。強いて言うならストレートは全部ボール。小さなスライダーでゴロを打たせる。終盤でそれに相手が慣れてきたら、チェンジアップとかフォークで目先を惑わすって感じかな」
試合は勝てなければ意味がない。
だから直史には自分のストレートにこだわりはないし、特定の変化球に頼りもしない。
「あのさ、ナオのストレートって、本当はもっと速いよね?」
少し考えた後、ジンは直史の秘密を見抜いてきた。
「そうだな。ただ変化球と錯覚させるために、ストレートを同じ速度で投げてたからさ。それにペース配分もあるし、本気で投げたらキャッチ出来ないから、ストレートを磨くのは諦めてた」
「でも俺はそんなヘボとは違うよね」
わずかだが非難めいた響きが、ジンの声に含まれている。
「俺は打撃じゃなく、捕手として全国行ったんだ。もっと本気で投げてこいよ」
「いや、怒るなよ。単に久しぶりだから、思いっきりストレート投げるのが怖かったんだってば」
貴重な上手いキャッチャーだ。仲良くやっていきたい。
ジンはまだ視線に怒りを乗せていたが、首を傾げた。
「まあ、ピッチャーはそういうもんか」
どこかで聞いたような台詞を呟いた。
「とりあえずストレートを見たいからさ。少しずつでいいから、スピード上げていって」
「了解」
そしてまた、ブルペンでの投球が始まる。
正直なところ、ジンは相当に驚いていた。
昨日も多彩な変化球を投げられるとは言っていたが、中学レベルの変化球というのは、まともに試合に使えそうなのは一人の投手が一つもってたら合格だ。
だが直史の変化球は、ちゃんと変化している。そしてそれぞれの変化球で、投球フォームが変わるということがほとんどない。
そして何より、ストレートはもちろんだが、変化球でもほとんどの球種が、指定のコースにちゃんと収まる。
(スピードとかキレとかは才能だけど、コントロールは努力だしな)
弱小校で直史がどれだけ努力していたか、最初に気付いたのはジンであった。
ストレートを要求し続けるが、確かに少しずつ速度は上がっている。
フォームに変化はない。つまり今までのストレートは、本当に全く本気でなかったということだ。
(120kmはあるな。変化球主体なら、一年の春でこれは充分……すぎる)
シニアの後輩も誘って、三年間で甲子園に行けるチームを作る。
上級生の二人は、正直普通の投手だ。速度も変化も制球も、ほとんど特筆するべきものはない。
激戦区の千葉県で、ムラッ気のある岩崎だけで勝ち抜くのは、正直不可能であろう。
表の顔では人望の厚い調整役。
しかし内面では完全にチームメイトを掌握しようという、まさしく腹黒の人格が計算を立てる。
(さすがに一年からは無理だとして、このままこいつに投げ方を教えて育てたら、三年の春にはシードを取って、夏の甲子園に……いや、くじ運次第だけど、選抜を狙うか?)
取らぬ狸の皮算用ではあるが、計画に良い方向で修正が加わる。
(シーナを追ってシニアのやつも勉強して入学してくれたし、今度はこんな使えるやつを連れて来てくれる。シーナは姫ってより女神様だな)
そのシーナにしても、当初は野球の強い公立で、マネージャーをしようかと迷っていたのだが。
部員数も少ない弱小公立なら、マネージャーとしてやれることも多いと口説いたのはジンだ。
全てが上手くいっている。
そんなジンの計算が狂ったのは、直史が本気になってからだった。
「じゃあ次、コントロール気にしないで投げるから」
ああ、もっと速い球を投げられるのか。
独学でフォームを身につけるやつだ。それを崩していいなら、スピードだけはもっと出てもおかしくない。
そう考えたジンだったが、大きく横に外れたストレートを捕球出来ず、後逸してしまった。
「悪い!」
それは、確かに直史のミスだ。
しかしジンは衝撃を受けていた。
(フォームは変わってなかった。どうやって速度を上げたんだ?)
混乱するジン。だが彼がその日考えなくてはいけなくなったのは、それだけではない。
高い金属音。マウンドにはエース候補の岩崎。打席には同じ一年生の大介。
大介のバットが生んだ打球は、センターのネットの向こうへ消え去っていく。
あんぐりと口を広げる一同。その中で一番早く立ち直ったのはキャプテン北村だった。
「全員注目! 柵越えしたボール探し、第一優先事項!」
全力で駆けていく部員の中で、大介だけは唇の端に笑みを浮かべていた。
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