第2話 勝てるチーム

 直史が最初に覚えた印象は、小さいな、というものだった。

 彼が割りと背が高いこともあるが、少年は明らかに平均身長を下回っている。

 実際に向かい合ったシーナは162センチの身長なのだが、ほぼ同じだと見えた。

「上級生はまだ来てないよ。今いるのは春休みのうちから参加してた、同じシニア出身の一年だけなんだ」

「そっか、良かった。試合する人数もいないのかと思った」

 どことなくふてぶてしさを感じさせる雰囲気だ。

「入部希望? 一応部活の説明会はまだだけど」

「いや、人数が足りないとかじゃないかぎり、入部するのは決めてたし」

「へえ、あたしは新入生マネージャーの椎名美雪。皆シーナって呼ぶからよろしく」

「俺は白石大介。東京から引っ越してきたばかりだから、なんも知らねえんだ。よろしく」

「そうなんだ? 経験者だよね、ポジションは?」

「基本はショートで、時々ピッチャーかな。中学では二年の時からずっと四番だったけど、どっちかと言うと一番打つのが好き」


 声を挟まずに聞いていた直史だが、少し驚いた。

 この身長で四番というのは、おそらくよほど打率が良かったのだろう。

 基本的に野球もまた、体格が物を言うスポーツだ。彼ほど小さい四番は見たことがない。……と言うか、ほぼ確実に嘘なのだろう。体格の小さい人間は、それだけでアピールの場が減ってしまう。

「すごいね。あたしたちはシニアの頃から、名前とか愛称で呼ぶように決まってたんだけど、なんて呼んだらいいかな?」

「中学時代は大介って呼ばれてたよ。シニアってそんなとこまで決めてるのか」

「チームワーク向上とかでもないんだけど、なんとなく呼び方で違うんだよね~」


 そういえば自分は名字に君付けだな、と直史はかすかな疎外感を覚えた。

「佐藤君も呼び方変えていいかな? 中学時代はなんて呼ばれてたっけ?」

「ああ、だいたいはナオかな」

「じゃあ、ナオ、よろしく。あたしのこともシーナでいいからね」

 そして次に満足感を覚えた。




 シーナに変わって大介相手に、キャッチボールを再開する直史。

 大介もまた、いい球を投げてくる。胸元にぴしりと投げ込んでくる。基本的には上半身だけの野手投げなのだが、さすがピッチャー兼任といったところか。

 中学時代のチームメイトに比べれば、雲泥の差だ。

 高校ではまともな野球がやれそうだな、と直史は身も蓋もないことを思った。

「大介の学校って、けっこう強かったのか?」

「あ~、一回戦負けはまずしないけど、優勝は考えられないってレベルかな。地区レベルなら強豪って感じだった。でも東京でマジで野球するやつは、かなりシニアに行くからなあ」


 そう言いながら大介は、少しずつキャッチボールの距離を空けていっている。

「ナオの学校もそれなりに強かったんじゃないの?」

「いや、うちの中学過疎ってたからさ。三年抜けたら試合出来ないレベルだったから、正直やっとまともに野球が出来そうで嬉しいよ」

「千葉にもシニアってあるだろ?」

「あるけど、金かかるからさ」

 下に弟と妹がいる長男としては、野球というかなり金がかかるスポーツを、させてもらえただけでありがたいと思うしかない。

「ああ、金はなあ。金さえあれば、私立も良かったんだけどなあ」


 なんとなく共感する二人である。

「公立でも強い学校あるけど、そっちはダメだったのか?」

「俺のタッパじゃそもそも使ってもらえねえよ。それに進学のこと考えたら、野球だけ見てるわけにもいかねえしさ」

 大介はおそらくいい選手なのだろう。

 だが体格が足りない。どんなスポーツでも階級制でない限りは、体格は重要な要素となる。

 もちろん例外は存在するが、自分がそんな例外だと思い込むには、大介は現実主義者すぎるのだ。




 キャッチボールの距離が30mを超えたあたりで、ジンが声をかけてきた。

「あのさ、二人ともピッチャー経験あるなら、ちょっとだけ投げてみない?」

 それは魅力的な誘惑だが、そもそもスパイクを持ってきていない。

 硬球で投げるのも不安だし、制服のままで勝手にそんなことをやっていいのかという遠慮もある。

「軽くさ。ピッチャーはいくらいてもいいんだし」

 シーナと同じようなことをジンは言った。

「本業はショートなんだけど、ストレートだけならけっこうはええぞ」

 大介が乗り気だったので、直史も軽く投げることに同意した。


 先に投げた大介は、投手としてのフォームは未完成だが、言うだけあってストレートは速かった。

 コントロールもまあまあで、他に少ししか曲がらないスライダーを投げた。

「俺よりはええな」

「ショートはどんな体勢からでも投げないといけないからな。地肩は強いんだよ」

 20球ほどを投げた大介が、マウンドを退く。

「ナイピ! じゃあ交代な」

 ジンの返球は、直史の胸元にずばりときた。


 マウンドは久しぶりだ。

 石壁相手に投げ込みは続けてきたが、人間相手だと感触が違う。

「一球!」

 ジンのミットにめがけて、直史はストレートを投げ込んだ。

 小揺るぎもせずにミットに収まる。


 ジンはすぐさま返球する。やはり胸元にコントロールされている。

 キャッチボールの基本ではあるが、中学時代は徹底されていなかった。

 顧問も経験者ではあったが、コーチが出来るほどの知識は持っていなかった。

 ほとんど独学で自主練習をしていた直史だが、ただストレートを投げるだけなのに、安心感が違う。

(さすが全国チームのキャッチャーか)


 10球ほど投げた後、ジンが駆け寄ってくる。

「セットで投げてたけど、ワインドアップでは投げないの?」

 それは当然の疑問だったろう。

「ワインドアップだと、コントロールが乱れるんだよ。それにスピードも全然変わらないし」

「そうか……」

 少しだけ考えこんだ後、ぽんと直史の肩を叩く。

「せっかくだから、変化球も試していいか?」

「軽くな」

「ああ、軽く」


 直史は球種を宣言したあと、各種変化球を試していく。

 硬球で人に投げるのは初めてだが、ジンはあっさりとそれを捕球していった。

「縦のカーブ」

 大きく落ちる球が欲しくて身につけた。

「横のスライダー」

 一番最初に憶えた変化球だ。


 全てを試してみたが、硬球でもちゃんとそれなりに変化はしている。

 コントロールも制御出来ている。そして全ての変化球を、ジンは逸らさない。 

 一通り試した後、また駆け寄ってくる。

 何か言いかけたが、体を転じて頭を下げる。

「チワス!」

 見ればグラウンドに入ってくるのは、明らかに上級生と思える部員だった。

 その中でも一際体のごつい、キャプテンっぽさを持つ少年がにっかりと笑った。




 ユニフォームはおろか運動着さえない二人が、練習に参加出来るはずもなく。

 その代わり一番ごつかった、キャプテン北村が、二人と話をしてくれた。


 白富東の野球部員は、二年三年を合わせて12人。そしてシニアの一年が六人いる。

 ピッチャーとキャッチャーがそれぞれ学年に一人ずついる。

 そして鷺北シニアのメンバーにも、投手と捕手が一人ずつはいるわけだ。

「あ、でも俺、キャッチャー以外なら全ポジションやったことあります」

 大介の場合は、素で足が速くて肩が良かったので、専門職のキャッチャー以外は、状況に合わせてこなしていたようだ。

「それなら俺も、サードとファーストはやってたし、一年の時はキャッチャーでした」

 直史の申告に、二人は驚いている。


 ピッチャー経験者というのは、意外なほど多い。

 元々ピッチャーは野球の花形であり、子供時代には遊びででもピッチャーをしたことがある場合が多いのだ。

 試合に出なくてもピッチャー候補として練習した選手は、おそらく他のどのポジションよりも多い。

 それに対してキャッチャーは少ない。専門性はある意味ピッチャーよりも高いのに、希望する者は少ないのだ。


 直史も別にキャッチャーがやりたかったわけではないが、とにかく人が足りなかったのと、他に出来る人間がいなかった。

 三年のときも、自分がもう一人いたらキャッチャーが出来たのに、と思ったことは一度や二度ではない。

「来週から春季大会が始まるけど、ベンチメンバーは埋まってないからな。短い期間だが、その間に一年からもベンチメンバーを選ぶし、頑張れよ」

 地区大会を3勝したら県大会に出場でき、そこでやはり3勝したら夏のシードが取れる。

 普通の公立校としては難しいが、シニアのメンバーで底上げされた力なら、不可能ではないのかもしれない。


 直史は大介と並んでベンチに座り、練習風景を眺めていた。

「上手いなあ」

「シニアはさすがにな」

「いや、先輩たちも上手いよ」

「そうか? 普通じゃね?」

「大介のとことは違って、俺の中学は本当に弱小だったんだよ」


 直史はこの学校で、より深い意味で野球が楽しめそうだと感じていた。

「とにかく人数がぎりぎりだから、レギュラー争いがないんだよな。本当にもう、楽しむための野球だった」

「勝てない野球って、楽しくないだろ」

「だから俺の場合、試合に条件をつけてモチベ保ってたんだよ。正直なところ自責点0なら、チームは負けても俺は勝ったと思ってる」

「あ~、そのへんピッチャーっぽいな」

 何がぽいのか分からないが、大介の中には何か基準があるらしい。


 話していて分かるのは、大介の野球に対する視野は、かなり広いということだ。

 直史の独学とは違って、プレイの一つ一つに、ちゃんと意味があるのに気が付いている。

 特に内野の動きに関しては、ほとんど全てのプレイに独り言をつぶやいていた。

「強くない公立って聞いてたけど、けっこう強いな」

「やっぱりそうか」

 基準が低すぎる直史には、あまり分からなかったのだが。

「投手の継投が上手くいけば、甲子園行けるかもな」

 さすがにそれは無理だろ、とは直史は言わなかった。




 練習後、駅へと急ぐ直史に、声をかける女子。

「ナオ、一緒に帰ろ」

 今日一日で、随分気安い仲になったシーナである。

 そういえば学区が同じだから、直史とは帰路も同じであろう。


 野球の雑談をしながらも、直史はこのチームで、まともな野球が出来そうだという予感に高揚していた。

「そういえば大介のやつが、このチームなら甲子園行けるかもって言ってたよ」

「うん、あたしとジンもそう思う」

 全国経験者の感想に、直史は内心で驚く。

 現在の千葉県は野球強豪校が多い。私立だけでなく、公立でも甲子園に出場するチームは珍しくない。

 もっともそういう学校は、公立でもセレクションめいたスポーツ推薦を導入していたりするのだが。

 普通に考えれば、わざわざ偏差値の高い白富東に来るよりも、強い公立を選ぶのが順当だろう。

 まあ純粋に大学進学まで視野に入れれば、白富東を選ぶべきなのかもしれないが。


 不思議に思った直史であるが、実情を詳しく知れば、それもあるかと思い直した。

 シニアのエースは関西の強豪校に特待生で進学し、打線の要だった4番も地元の私立に進んだ。

 あと成績がどうしても足りなかった者も一人、私立の強豪にセレクションで進学したそうだ。


 他のメンバーが全員勉強が出来る者だったという偶然はともかく、甲子園に出たいなら強豪の公立を目指すべきだと、直史は考える。

 特に甲子園を口にするぐらいなら、ジンは強豪校を選ぶべきだ。

 全国経験者のキャッチャーなら、控えにしろほとんどの強豪校でもベンチには入れるだろう。

 よほど打撃面にでも問題があったのか。


 事情はどうあれ、一流のキャッチャーがいるということは、直史にとって嬉しいことには違いない。

 試合に勝つという目標を、自責点0という目標に下げていた直史だったが、上方に修正しても良さそうだ。

「あ、あと明日から朝練もあるからね」

「やる気だな」

「設備もあるしメンバーも揃ってるし、とりあえず夏はベスト8が目標かな」

 直史はそこまでの自信はない。

 平然と高い目標を持てる人間に、嫉妬すら覚える。


「うらやましいよ。俺なんかもう、勝ち方を忘れちまった」

「ふへ?」

「中学時代、公式戦で勝ったのは一回だけだったからさ。打ち取った当たりでもエラーになるし、三振取ったらキャッチャー後逸。ヒット二本で抑えて二点取られるなんて、シニアじゃなかっただろ?」

 まともな環境になったと思って、直史の愚痴が口から出る。

「そういう言い訳、毎回してたわけ?」

 だから非難めいた問いかけに、失敗したと思ったと同時に、かっと頭に血が上った。

「全部の試合で二点以上とって、エラー一つもしねえんだったら、俺が甲子園連れてってやるよ!」

 ほとんど感情に任せて言ったのだが、シーナは逆ににっこり微笑んだ。

「ナオはピッチャーだね」

「当たり前だろ」

「ピッチャー向けの性格だっていうこと」

 何を言ってるのか直史には理解出来なかったが、おそらくシニアで学んだ、それなりの背景があるのだろう。


 にやにやとやたら笑うシーナとは正反対に、直史は仏頂面を貫く。

 それでも明日からの練習に期待するところが、直史の直史たる所以であった。

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