あんびりかる

柿尊慈

あんびりかる

 フリーランスのイラストレーターとして働いていると、鬼のように仕事が続くこともあれば、謎の3連休が発生することもある。

 カレンダーの、日づけの下に書かれた金額。その日に完了した仕事で、どれだけの収益が得られたのかを示している。カッコをつけて、その日までの合計金額までご丁寧に書いてあった。私の家にあるカレンダーで、私のこなした仕事に対する報酬だが、このメモ書きは、私によるものではない。今月は順調だから、ゆったりしてても問題はなさそうだった。

 さて、絵の練習をしないと。そう考えて体を起こすものの、数秒してまたベッドに倒れこむ。

 他のどの仕事だってそうなのかもしれないけど、私は仕事に求められるスキルに終わりがないように感じられた。世の中にはまだまだ、描いたことも想像したこともないようなものばかりで、依頼を受けたときに「ああ、この世にはそんなものも存在したなぁ」と変な気分になる。女の子らしい、フリルのついたハートのクッションとか、そういうの。シンプルなものばかりを揃えた独身女性の家にはもう痛々しくて、決して置かれることがないものだ。資料のためにと「ハート クッション」なんて検索をかけて画像を保存するけど、案件が落ちついたら検索履歴と画像は仲良く削除する。そんなもの、データの上でも残しておきたくない。万が一彼にバレたら、いくら仕事の資料だと説明しても笑われるに違いなかった。


 がちゃりと、玄関から音がする。合鍵を使っての、開錠。

「生きてますか、センパイ?」

 今日もまた、彼が来た。いや、来てくださったというのが正解かもしれない。1個下の大学の後輩で、卒業から5年以上経った今も、妙に気にかけてくれている。カレンダーに私の収益を書いてくれているのも、食材や日用品を買い出してくれているのも彼だった。なんなら、たまに料理さえ振る舞ってくれる。昼夜逆転みたいな生活を送っているのに、よくもまあ私のことを気にかけてくれるもんだ。さすがに毎日とはいわないが、週に2回か3回くらい、世話をしてくれる。

「いきてるよー」

 見知った天井を眺めながら、彼に聞こえるよう精一杯声を出す。歯を磨かなければ。寝起きの口内環境は落ち着かない。

 面倒くさいから、歯磨きもやってくれないかな。子どもの頃に見た教育番組を思い出す。子どもが頑張って歯を磨いて、お母さんが仕上げをしてくれるのだ。仕上げどころか、最初から最後までやってほしいけど。

 女らしさの欠片もない、妙に渋い色の――しかし、色褪せているゆるいTシャツの襟を少し正してみて、洗面台に向かう。彼はスーパーの袋から、冷凍庫へ色々と移している。ぼうっとしてると食事すら怠りがちな私のために、安い曜日に冷凍食品を買いだめしてくれるのだ。冷凍食品なら、仕事をしてる最中でも電子レンジが調理してくれる。非常に、効率がいい。

 変えるのも面倒だから、ほとんど残ってない歯磨き粉をギリギリまで絞る。気休め程度の量のペースト。ぶっきらぼうに歯ブラシを口に突っ込んで、頭を掻きながらベッドに戻る。髪も伸びてきて、やや不揃いだが、まだギリギリ「ゆるふわパーマ」で通せるレベル。これが、世間体を放棄したアラサー独身女のなれの果て。

 しかしまあ、本当に自堕落な生活をしているな。大学時代は一応気を遣っていたつもりだが、卒業以降ずっとこんな感じだ。いつまでこれが続くのか。若いイラストレーターがどんどん増えていく中で、私はいつまで仕事を受け続けられるのだろう。いつまで、家の外に出ないでも生きていけるのだろうか。

 ベッドに腰かけ、充電したままのスマートフォンを手に取る。仕事用のチャットアプリを開くと、昨晩送った発注完了のメッセージに対して、確認したという旨の短文が返ってきていた。既読をつけたから、返信の必要はないだろう。


「充電したままスマホ使うの、よくないって知ってます?」

 いつの間にか隣に腰かけていた彼が、傷ひとつない私のスマホ画面を見ながら言った。ベッドの上でしか使わないから、落としてヒビが入るなんてことがない。

「ちょっと借りますね」

 言うよりも早く、彼は私からスマホを奪い、充電ケーブルを引っこ抜く。しばらくタカタカと触ってから、私に画面を見せてきた。

「バッテリーの、最大容量ってやつです。購入当初を100として、今は79になってます。最盛期の8割も、蓄電できてないってことですよ。磨耗してるんです」

 そんなにか。

「充電したままなら100パーセントから減らないだろう。そう思って使ってると、その100パーセントが少なくなってるのに気づけないんです」

「なんか……」

 私がぽそっとこぼしたのに気づいて、彼は続きの言葉を待つ。定時制の私立高校に勤務している彼は、大学の頃と容姿が変わっていない。私は、どうだろうな。

「なんか、私みたいだね」

「バッテリーが?」

 頷いてから、彼がいるのも気にかけずベッドに寝転んだ。この頃、反発力が低減しているような気がする。マットレスを、買い替えなければ。

「ずーっと、この家の中にいてさ。必要な物は、あなたが買ってきてくれる。仕事も家の中でできるし、収入は十分。ケーブルに繋がったまま、無限に充電されてる感じ」

 目を瞑る。眠いわけではないが、いつまでも変わらない天井の色を見ているのが辛くなった。私はどんどん、劣化しているだろうに。

「かといって、スマホみたいに電源を落とすわけにもいかないから、ずっと稼動してるわけ、私。でも、ケーブルに繋げたまま使い続けてると、知らず知らずのうちに磨耗するんでしょ? 私はいったい、今最大何パーセントなのかな」

 薄く目を開ける。彼はカレンダーをぼうっと眺めていた。

「……42パーセントくらい?」

 リアルな数字を言いやがったので、寝たまま蹴りを喰らわす。彼が笑う。私も笑った。


 彼が変なことを言うもんだから、久しぶりにもやもやした気分になる。彼のサポートに安心しきっていたが、急に不安になってきた。ごろんと体を左に倒す。彼の腰のあたりに、私の爪先が当たる。彼は動こうとも、どかそうともしなかった。人肌恋しくなってしまったが、これが私たちの限界だろう。私たちは別に、恋人なんかじゃない。

「ずっとこのままってわけにも行かないからさ。誰か私の背中のケーブルをぶっこ抜いて、この家の外に連れ出してくれないかな」

 磨耗して、磨耗して、擦り切れてしまうより先に。繋がったままじゃ不健全なら、誰か私を連れてってよ。

「そうだ、こんなにお節介してくれるんならさ。私をここから連れ出してよ」

 足の先で、彼の背中をなぞる。

「やですよ」

 カレンダーから目を離さず、彼がきっぱりと言った。表情は、窺えない。思ったよりも、強い否定。足を下ろす。距離感を、間違えたかもしれない。

 なんてね、冗談。

 笑って誤魔化そうとしたとき、頭を掻きながら彼が言った。

「俺、引きこもり気質の女性が好きなんです」


 体を起こして、彼を後ろから羽交い絞めにする。笑いながらしばらくバタついたあと、ふたりでそのまま寝転んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あんびりかる 柿尊慈 @kaki_sonji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ