SS17.成人の日に

「おはよう、蓮也くん」

「ん……おはよう」

「えっと、申し訳ないのですが朝食は一人でお願いできますか? 着付けしなきゃなので」

「手伝う」


 成人の日。行くか行かないかという話を遥香とした結果、一応は出席しておくことにしようということになった。

 遥香の振袖などは事前にレンタルしておいた。美容院でやってもらえばいいという話はしたが、そもそも遥香はあまり美容院に行く機会もなく探すのも面倒ということで自宅で自分でやってしまうことにしたらしい。


「蓮也くんが着替え手伝ってくれるなんて……」

「言い方」

「ふふっ、すみません。では、よろしくお願いします」


 欠伸を噛み殺して布団から抜け出す。まだ眠気が残る蓮也に対して、やはり遥香は少し前から起きていたようでいつものよそ行きの表情になっている。


「なんだかんだその顔見るの久しぶりかも」

「そうかも。ちゃんと出来てますか?」

「出来てるんじゃないか」

「なにふるんれふか……」


 頬をこねくり回しながら言ってみる。

 正直なところ、未だにこの笑顔には慣れない。蓮也がまだ遥香のことを月宮と呼んでいたときから遥香は心を開いてくれてはいたので、この表情を近くで見ることがあまりなかったからだ。


「わかりました、わかりましたから。切り替えるのはもうちょっと後にしますからやめてください」

「ほっぺ、柔らかいな」

「ちょっと! 駄目ですよ!」

「冗談だよ。ほら、着付けするぞ」

「やり方わかるんですか?」

「さっぱり。指示を出してくれればその通りに動く」

「わかりました。あ、肌に触れることもあると思いますが、理性云々は大丈夫ですか?」

「寝起きだから大丈夫」

「どういうことですか」


 笑いながら服を脱いで、振袖に着替えを始める。それを言われたところだけを手伝うようにする。余計なところで手を出すと邪魔になるのはわかっているし、遥香は邪魔だと思っていても言わないようにしてしまうから。


「前から言おうと思ってたんだけど、邪魔なときは邪魔って言ってくれていいんだぞ?」

「そうしようと思っても、そういうときは大抵あなたがすごく頑張ってくれてるから言えないんです」

「なんか申し訳ないな……」

「お気になさらず。あなただってお節介だなー、と思うときもあるでしょう?」

「……まあ、たまに?」

「それでいいと思いますよ。親しき仲にも礼儀あり、です」


 そういうものだと蓮也も思う。どれだけ一緒にいてもそこで気遣いを忘れてしまうのは少し話が違う。

 そんな話をしているうちに遥香はせっせと着替えを終えてしまい、蓮也が手伝う必要があったのかどうかという疑問すら覚える速度でその他の準備も終えた。


「久しぶりに会う方もいらっしゃいますよね」

「だな。なんだかんだ連絡取れてないし」

「……不服そうですね?」

「いや、会えるのが楽しみな奴もいるんだけど、それ以上に可愛くなってる遥香を見せたくない」

「さらっととんでもないことを言いますね。行くの、やめときますか?」

「行くよ」


 環境が変わったとはいえ、やはりどこに行っても遥香は視線を浴びることになる。もちろん遥香は何処吹く風という様子で知らぬ顔をしているが、正直なところ蓮也は気が気でない。


「以前、あなたが私は変わったと言っていた意味が少しわかった気がします……」

「なんで今?」

「あなたも多分全く同じ方向に変わってますよ」

「……そうかも」


 どうにも過保護になりすぎてしまう。一人にしたくないし、一人になりたくもないからだ。いつの間にか、そういう感情が芽生えてしまっては少しだけ情けなく思う。

 諸々の準備を終えた蓮也たちは、タクシーで会場に向かうことにした。タクシーの運転手相手にも既によそ行きの表情になっている。


「……今、また頬を触ろうとしてましたね」

「バレてた」

「もう駄目ですよ?」

「気にしなくてもいいと思うんだけどなぁ」

「昔からこうやって生きてきたので、駄目なんですよ」

「そういうもんか」

「そういうもんです。ああ、でも……まあ、今はちょっと別の理由もありますけど」

「教えて」

「やですよ」


 普段ならここで引き下がるところだが、なんとなく聞いておいた方がいい理由な気がしたので言及する。すると俯き気味で遥香は口を開いた。


「……あなただけに見せる顔、というのもあってもいいかと思ったんですよ。悪いですか。文句ありますか」

「めちゃくちゃかわいい」

「……馬鹿。ばか。ばーか!」

「かわいい」

「ううぅ! ばーか!」

「そうだな。あと、ちょっと静かにしような」


 タクシーの運転手がミラー越しに温かい視線を送ってくるのが、久しぶりにむず痒い。

 それから不機嫌そうな遥香を連れて会場に着いた蓮也たちは、そのまま式典の流れに従うことになった。

 一時間程度で式典が終わり、蓮也は人集りが出来ている場所へ向かった。


「月宮さん久しぶり!」

「ええ、お久しぶりです」

「元気そうでよかったー」


 楽しそうな声が飛び交う中、遥香はにこにこ笑顔で返答する。

 だが、その声色は不機嫌なときの遥香の声に聞こえた。


「おたくの遥香さんなんか怒ってる?」

「天宮。久しぶりだな」

「いや二週間くらいしか経ってないが? それで、なんであの子機嫌悪いの」

「褒めたつもりがお気に召さなかったらしい」

「へぇ。そりゃまた珍しいね」

「珍しい?」

「『蓮也くんがまた褒めてくれて……たまーにしか言ってはくれませんがいつも照れ隠しするのに必死です』なんて言ってんのに」

「照れ隠し……か?」

「わからん」


 蓮也の視線に気づいた遥香が、すっと蓮也の隣にやって来た。まだかなり不機嫌なようで、蓮也や悠月だけがわかるくらいの変化だが笑顔がいつもと違う。


「あ、結城くんたちここにいたんだー」

「南。今永たちも、久しぶりだな」

「連絡取れなくて悪いな」

「月宮さん、ちょっと変わった?」

「ふふっ、どうでしょう。伊藤さんも、少し明るくなった気がします」

「世間話もほどほどにして、そろそろ移動しよっか」


 彼方の呼びかけで、蓮也たちも移動することにした。






 学年での飲み会を終え、それぞれが解散したり次の場所へ行ったりと散り始めた。遥香は年齢としてはまだ成年ではないので、ずっと周りに合わせていた。


「お疲れ」

「いえいえ。あなたこそ、ちょっとふらついてますが」

「ああ、大丈夫。気にすんな」


 心配なのか、腕を掴んでいる遥香。そこに悠月が声をかけてきた。


「結城、遥香。次あたしらと来てほしいんだけどいける?」

「まあ、大丈夫だ」

「あとは八神くんだけですか?」

「そう。委員長とか呼ぼうかと思ったんだけど、遥香も疲れてるでしょ」

「……バレましたか」


 酒に弱い人も飲んでいたようで、遥香も絡まれていた。途中からは蓮也が遥香の傍にいたから声をかけられることも少なくなったが、ずっと素面でやっていた遥香はストレスも多かっただろう。

 悠月に連れられて近くの居酒屋へ向かう。遥香の年齢を考えて別の場所にしようとしてくれたのだが、当の本人がそこがいいと言ったので居酒屋になってしまった。


「蓮也はどうすんだ、まだ飲むか?」

「飲む」

「お、今日はなんかノリいいな?」

「せっかくだしな。言っとくけどお前らも道連れだぞ」

「うへぇ」

「ま、あたしは元々飲むつもりだけど。酒強いし。遥香はどうする?」

「それっぽいジュースで気分だけ仲間入りさせてください」

「んーじゃあジンジャーエールとか」

「あ、それでいいです。ちょっと前から気になってて」


 注文をしてから数分で四つのジョッキがテーブルに運ばれた。ジンジャーエールもビールと同じようにして並べられている。


「じゃあ、乾杯」

「乾杯ー」

「乾杯」

「乾杯、です」


 ひと口だけ飲んで、少しだけ心配になって遥香の方を見る。


「うぅ……辛い……」

「炭酸飲料とか頼むから。大丈夫か?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「あれ、遥香炭酸駄目なんだ」

「得意ではありませんが、普段は気にせず飲みます」

「素の遥香は絶対飲まない」

「口の中が痛いです」


 だからといって飲まないのももったいないと思ったのか、ちびちびと飲み進める。


「悠月は家でも結構飲んでるよなぁ」

「それに付き合ってあんたも飲んでるけどね」

「おお……この前の話を聞いてから、お二人の話がとても甘い話に聞こえます」

「月宮にだけは言われたくねぇ」


 実際悠月はかなり酒に強いようで、既にジョッキは空になりかけていた。対して、遥香のジンジャーエールはほとんど減っていない。


「遥香とビール飲んだりしたかったんだけど無理そう」

「悠月ちゃんが飲みたいなら頑張りますよ? ほら、私がとってもお酒強いかもしれませんし」

「安心して、それは無いから」

「なんで言い切るんですか……」

「遥香、高二のこと忘れたか?」

「えっ? なんのことです?」


 高二のハロウィンのとき、間違って悠月の父に飲まされてしまったことを遥香本人は覚えていないらしい。あれも今の関係に至るひとつのきっかけではあったのだから、蓮也としてはいい思い出話なのだが。


「でも、まずは蓮也くんと飲みたいです」

「はいはい。俺はいつでも付き合うから」

「やったぁ、絶対だよ?」

「おう」

「……遥香、テンション高くない? 酔ってる?」

「酔ってませんけど」


 それからしばらく世間話をして、翔斗が酔いつぶれたところで解散することになった。

 翔斗を呆れた様子で介抱する悠月を遥香は優しい眼差しで見送って、隣で頭を抑える蓮也に目を向けた。


「何してるんですか」

「気持ち悪い……」

「ふふっ。弱っている蓮也くんを見るの、久しぶりですね。帰れますか?」

「帰れる……」


 悠月のペースに合わせていたら、蓮也もいつの間にかかなり飲んでしまっていた。遥香に肩を貸してもらって、ようやく歩くことができるくらいになってしまっている。


「あの二人を見ていると、なんだかほっこりします」

「んー? ああ、前からああだけどな……」

「私たちと違って、あまり変わらないのでしょう。それも素敵な関係だと思います」

「そうだなー……」


 そういう意味では、これ以上蓮也と遥香の関係も変わらない。翔斗たちに負けないくらいの信頼は既に出来ている。


「それでもな……俺たちはもっと、知らない面も知る機会があったらいいなとは思うぞ……うっ……」

「だ、大丈夫ですか? おんぶしましょうか?」

「恥ずかしいからいい……」


 そもそも遥香に蓮也がおぶれるのかという疑問には回らない頭では至らなかった。

 だんだんぼんやりとしてきて、ただ遥香に引っ張られるままに歩いていく。


「……あなたはよく、私を可愛いだなんてからかいますが」

「かわいいぞー……」

「ええ、知ってます。何度も褒められましたから。私って可愛いんです」


 もはや蓮也には会話しているつもりすらない。ただ思ったことが口から洩れ出ているだけだ。


「知らない面を知って、最初は無愛想だったあなたがかっこよく見えて、可愛いところもあって。ちょっと面倒なところもあって、変わったなんて言うけれど頑固なところはやっぱり変わってないし。でも、そんなあなたのことを、私は愛していますよ」

「んー……?」

「真剣に聞くような話ではありません。こんなこと言うなんて、私も酒気にあてられたのでしょうか……」


 内容はあまりわからなかったが、ただ遥香の顔が真っ赤に染まっていることがとても可愛いということだけはわかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る