SS2.バレンタインデー

 肌寒さがだんだん薄れてきた2月の中旬、ちょうど日数の少ない2月を半分に区切る日になる今日は、バレンタインデーだ。

 同居をしてからというもの、まともなサプライズは企画できない。それもそのはず、蓮也は相変わらず遥香頼みの生活で、逆に遥香の方も蓮也にべったりなので、離れているタイミングがトイレと入浴中くらいだからという理由なのだが。

 それでも、昨日は家にいなかった。『悠月ちゃんの家にいます。なるべく早く帰るつもりではありますが、遅くなってしまったらすみません』というメッセージと共に、ハートの型の写真が送られていた。サプライズというわけではなく、ただ作業するのにスペースがないという話だろう。


「蓮也くん、今、暇ですか?」

「ああ、うん。暇だよ。どうした?」

「いい加減覚えてくれたかと思いますが、今日はバレンタインデーです」

「さすがに覚えてる。遥香からチョコ貰える日だろ」

「ものすごくピンポイントな覚え方ですが、そうです。一応悠月ちゃんからもクッキーを預かってますよ。なんでも『日曜に邪魔しに行くのも悪いから』と」

「絶対面倒なだけだろ」

「ふふっ、やっぱりそう思います?」

「まあな」


 よく考えれば、蓮也と悠月の付き合いは若干とはいえ遥香のそれよりも長いのだ。そろそろ蓮也が悠月のことを理解していてもおかしなことはない。


「と、いうわけで。毎年あまり大きなものにしても意味が無いので今年は小さめの物を用意してみました」

「なるほど。小さくて、会ったときの遥香に似てる」

「それ、褒めてます?」

「褒めてる」

「会ったときに『最悪だ……』と言われたことは忘れたことがありませんが、それでも褒めてます?」

「根に持つよな」

「ふふっ、冗談ですよ?」


 本気で焦ったのでやめてほしい。

 蓮也にとって、今の自分と過去の自分は全く違うものなのだ。その構成要素はもちろん遥香だし、その遥香に対しての想いも随分変わった。


「その、ごめんなさい」

「えっ?」

「蓮也くんがちゃんと褒めているのがわかっているのに、変なことを言ってしまいました。だから、ごめんなさい」

「気にしてないから。俺こそ、変な褒め方してごめん」


 微妙な空気。最近はあまりならなかった、やりづらい時間だ。

 今回は別にどちらが悪い訳でもない。だから、どちらも謝ってしまったこの雰囲気を払拭してくれるのは時間か、あるいはこの場にあるものだけだった。


「あ、あーん」

「……あーん」


 小さく開いた口に、同じくらいのサイズのチョコレートが入れられる。

 甘いものをそれほど好まない蓮也に合わせて作ったであろうチョコレートは、ほどよい甘さに控えめな苦味がついた、食べやすいものだった。


「味、全部ちょっとだけ変えてるんです。どれも蓮也くんが食べられるようにしたら、あまり変わりませんでしたけど」

「それは、嬉しいな」

「ほぼ同じ味なのですがという話をしているのですけど、嬉しいですか?」

「もし他の味が欲しかったら、別のものを食べればいい」

「なるほど。例えば?」

「遥香、とか?」

「……ぇ……」

「待て、忘れろ」


 頭のネジが緩んでいるのかもしれない。とち狂った失言だ。

 今までそういうことを思わなかったのかと言われれば、違う。蓮也だって男だし、遥香はそういう魅力にも溢れている。同居を始めてからはそういうことを考えている時間すらも惜しかっただけで、そういう欲が消えたわけではない。

 だが、遥香は元々そういう欲があるわけではないのだろう。顔を赤くして、そして服を脱ごうと手をかけた。


「ストップ!」

「……あの……お口直しに……」

「待て待て待て待て待て。とりあえず待て」

「ま、待ちますから落ち着いてください」

「落ち着くのはお前だよ」


 いや、落ち着くのは蓮也も同じだろう。何を血迷ったことを言っているのか。


「別に、あなたなら構わないのですが」

「知ってる。知ってる上で、待ってくれ」

「……はい」

「今のは失言だ、忘れて欲しい」

「無理です。私もう、その……襲われる準備ができてしまいました」

「できないでくれ」

「だって……もう同居を始めてからは一年ですよ?」

「時間の問題じゃなくて……勢いじゃなくて、ちゃんとしたい」

「……はぁ、意気地無し」

「今は、意気地無しでいい」

「何年続くんでしょうねぇ……」


 だが、そういうことをするには準備も必要なのだ。生憎今のは本当にただの失言だったため、蓮也の方は何の準備もしていない。


「もう少し積極的でもいいと思うんですがね」

「善処はする」

「構いませんが。あーん」


 チョコレートと一緒に、ほんの少しだけ遥香の指を噛んだ。

 積極的というのはさじ加減がなかなか難しいもので、遥香は数秒の硬直の後、自分の指をまじまじと見つめて、真っ赤になった。


「……馬鹿!」

「積極的になったつもりだけど」

「ですけど……そうなんですけど……!」


 キスもするのに、何が駄目だったのか。

 しばらく考えてみたものの、蓮也にはよくわからなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る