SS3.ハッピーバースデー
桜の花が芽吹き始めた3月、その10日目。月宮遥香の誕生日だ。隣で寝息たてて眠る遥香の頭を撫でると、寝ているはずの遥香はすりすりと頭を擦りつけてくる。
「……起こしたかな」
「んん……ん、おはよう……」
「おはよう。それと、誕生日おめでとう」
「……あ、今日……」
「いつかの俺を見てるみたいだ」
「懐かしいですね……」
もうあれから2年も経っているのだと思うと、時間の経過は早いものだと思う。あれ以来蓮也は誕生日を忘れる暇もないが、遥香に関しては大学でも優秀な成績を収め続けているので日常としては高校のときとさして変わらないらしい。懸念があるとすれば、平均的な単位取得数よりもかなり多くなってしまっていることらしい。
朦朧としていた意識はようやく覚醒したらしく、遥香は伸びをしながら楽しそうに話し始めた。
「さて、今年は何をお願いしましょうか」
「なんなりと」
「では……お手! おすわり!」
「……えっ、そういう?」
「ごめんなさい、さすがに冗談です。そうですね、今欲しいものといえば婚姻届くらいなものですが……」
「それは卒業するまで待ちなさい」
「はい、わかりました。なんなりとと言うわりには拒否権を行使してきますね?」
「拒否せざるを得ないんだが!?」
「ふふっ、楽しいですね」
「あんまり楽しくない……」
楽しくはないが遥香が楽しそうなので問題は無いことにしておこう。蓮也としても、今日はそもそも遥香を最優先で考える予定だったので別に遊ばれることは構わない。
「とりあえず、考えてみましょうかね。蓮也くん、今日はバイトは……」
「休み。遥香の誕生日だから」
「そうですか。愛されてますね、私」
生活面で大きく変わったことは、蓮也がアルバイトを始めたことだ。アルバイトといっても近所の洋菓子店で、シフトもかなり寛容に変更してくれるので助かっている。蓮也に彼女がいることも知っているため、クリスマスやバレンタインのイベント事の日はより忙しいはずなのに早めに帰してくれる程に寛容だ。
それでも遥香は寂しいらしく、最近はデザートにバイト先で取り扱うスイーツが出ることが増えた。というか、将来の生活の予行練習として少しだけ遥香に渡しているバイト代はほぼ全てそれで消えているだろう。全く金銭管理のできない駄目な妻と化している。
「お正月とかバレンタインとかにお休みをいただけて、ありがたい話ですよね」
「遥香がちらちら様子見に来るから気を遣ってるのは間違いなくあるけど」
「うっ……それは、まあ?」
「まあ、じゃないな。自重してくれ」
「はい……」
しょんぼりとされてしまったので頭を撫でる。誕生日にこんな顔をさせたいわけではない。
「今年は、特別なものはいりません」
「なら、特別なことがしたいのか?」
「と、特別なこと……?」
「あ、違うのか」
「……あ、ああ! わかりました! 少々お待ちを!」
「……?」
蓮也が全く状況を掴めないでいると、遥香は小さい、ちょうど手の中に収まるくらいの紙の箱を持ってきた。
「さ、さて……」
「違う。やめろ待て。脱ごうとするな。待て待て待て」
「……こういうことではなかったのですか。早とちりでした」
「まずどうしてそれを持ってるんだ……」
「蓮也くんが意気地無しでなくなったときのためですが?」
「最近やけに積極的なのはなんでだ!?」
確か、ついこの間のバレンタインデーにも似たようなことがあった気がする。蓮也の記憶が確かなら、そのときも遥香の勘違いだったはずだ。
「さて、ここで問題です。私たちが同棲を始めてからどれくらい経ちましたか?」
「一年と少しだな」
「そして、私たちが付き合い始めてからは?」
「二年とちょっとだな」
「つまり?」
「……つまり?」
「何も起こらない期間が長すぎるんですよ!」
「結構普通だと思うんだが!?」
そういうことはもう少し長い目で見ても構わないだろう。もちろん蓮也と遥香が別れる可能性なんてないのだが、大学生活で遥香の方に支障が出てしまうのは避けたい。
「さて、ここで蓮也くんが意気地無しを発揮するのはわかっていたので、本当に特別なことはしなくて構いませんから外に出ませんか?」
「……散歩?」
「そう、ただの散歩ですよ」
遥香に連れられて蓮也たちは街をふらふらと散歩することになった。思い出巡りというわりには知らない道を通っている気がする。
「どこ行くんだ?」
「さあ。適当に歩いているだけですが。行きたいところがあれば言ってください」
「特にないけどさ……ほんとに、プレゼントとか買いに行かなくてもいいのか?」
「別に必要ないですよ。強いて言うなら婚姻届と、あとは、そうですね。蓮也くんの服を頂いてもよろしいですか?」
「俺の?」
「ですです。ちょっとかっこいい服装も憧れがあって」
「買えばいいだろ」
「それはちょっと違いますね」
「そういうもんか……」
「そういうものです」
それは単に蓮也の服を着たいだけなのではと思いはしたが、遥香の彼シャツというものには蓮也も興味があったのでとりあえず黙っておくことにした。
「でも、なんでまた急に散歩?」
「それこそ理由はないです。あ、あの公園。覚えてます?」
「……?」
「蓮也くんが初めて私を撫でた場所です。覚えてますよ、私は」
「……たしか、俺の誕生日だったか」
「そうですそうです。それで、悠月ちゃんから連絡があって結局ほんの少しだけになって」
「で、なんか曖昧な空気なまま帰ったら急にクラッカー鳴らされて。なにがなんだかほんとにわからなかったなぁ」
「未だにちゃんとマフラーとか使ってくれていますよね」
「まあな」
蓮也からすれば、あれは遥香から貰った初めてのプレゼントになるのだ。大切にしないわけがないし、そもそも手編みのものを雑に扱うつもりはない。
「あのときからずっと、俺は多分遥香が好きだったんだよな」
「……急になんです?」
「いや、ごめん。誕生日に思い出話もなんだしな」
「構いませんが。でも、蓮也くんはよく揶揄う意味で好きとは言ってくれますが、本気で感情を出してはくれないじゃないですか」
「そんなことないし、心配しなくてもちゃんと好きだけど」
「知っていますよ。それでも、その……」
気づけば、遥香の表情は真っ赤だった。
「いざ言われてみると、恥ずかしいものですね」
遥香が照れたように言いながら、その顔を絶対に見せないように顔を押し付けてきた。二の腕の辺りに、ぐりぐりと頭がめり込みそうなくらいに頭突きをしている。
「好きです。好き。大好きです」
「どうした?」
「私だけ照れるというのは不公平ですし」
「言ってから言われてもなぁ……」
「プレゼント思いつきました。蓮也くん、照れてください」
「無茶言うな」
「ほらほら、照れる照れる」
「無理だぞ!?」
そんな無理なお願いでも何とか聞いてやろうとしたのだが、どうにも難しかったので潔く諦める。慣れないことは、たとえ最愛の恋人の誕生日であってもやるものじゃない。
「さて、ここからどこへ行きましょうか」
「どこでもいいぞ。こっからだと……そうだな」
「学校、ですかね」
「だろうな」
とりあえず次の目的地は決まったらしい。
ぶらぶらと歩くだけの時間は、それなりに充実したものだった。理由としては、単純に蓮也たちにとっての大切な時間を思い出すことができるから。
そして、ようやく蓮也たちにとって二番目に大切な思い出の場所に着いた。
「懐かしいですね」
「なんかよくわからないけど隣引っ付いてきてたよな」
「あ、あはは……」
「もしかして、あの時から既に?」
「そこまで惚れやすくないですよ」
「そっか、よかった」
「あの頃は本当にただ仲良くなれたらいいなー程度の気持ちでしたし。そもそも、あんなに素っ気なくされたら好きになる余裕もありませんよ」
「……それに関しては悪かった」
「今更どうだっていいですよ、そんなこと」
柔らかく笑みを浮かべて、遥香はまた手を伸ばしてきた。
「もう思い出巡りはいいです」
「もういいのか?」
「ええ。だって、どこへ行ったって思い出なんてほんの少しだけしか詰まってませんから」
「……そう、だな」
「はい。じゃあ、帰りましょうか」
「だな。せっかくだし、帰ってからアルバムでも見返してみるか」
「賛成」
きっとこの思い出巡りに意味はなかったのだろう。強いて言うのならば、蓮也と遥香にとっての思い出がどれだけ深いものかがわかるくらいだ。
いつも通りに手を繋いで、蓮也たちは一番の思い出の場所へと帰るのだった。
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