75.学校の人気者の彼女は、これからも俺の隣にいるようです。

 ソファーに座り、一息つく。

 遥香はそのまま昼食の作業をしようとするので制止して隣に座らせ、そのまま膝に寝転がらせる。


「わかりました、休みますから」


 潔く諦めてくれたようだが、蓮也の手を引き剥がそうとしている今はまだ信用ならない。頑張って引き剥がそうとしているが、当然ながら蓮也の力には勝てるはずもない。それどころか余裕すらある。

 その余裕で遥香の頭を撫でる。


「やっぱりさらさらだよな。いい匂いするし」

「手入れをしっかりしてるのでむしろこうなってくれないと困るんです」

「俺にこうされたくてちゃんと手入れしてるんだっけ?」

「よく覚えてますね。無駄なことは忘れていいんですよ」

「俺にとっては無駄じゃないんだけど」

「無駄です。忘れてください」


 どうやら本気で忘れてほしいらしい。忘れてやれそうにはないところだが。


「でも、なんでしょう。卒業式の後だというのに、驚くほどいつもと変わりませんよね」

「それでよくないか?」

「当然です。でも、蓮也くんが泣いてるのとかも見たかったんですがねぇ〜」

「残念だけど、俺は泣けるほど友達がいない」

「悲しい話題にしないでほしいんですけど」


 そう言われても、友人は両手の指で数えられる程度しかいない。それに、その数少ない友人たちも連絡をとってくれると言っているのだ、別に悲しいことは無い。


「娘が嫁入りするときとか泣きそう」

「気が早すぎる。そんな日は来なくていい」

「ふふっ、そうですね。否定しないということは、泣くんですね」

「そんなときくらい泣かせてくれよ」

「はいはい。ところで、そろそろお昼の準備がしたいんですが……」

「駄目だ」

「即答」


 しかし今度は引くつもりはないらしく、必死に蓮也の腕の中から抜け出そうとしている。仕方ないので離してやると、勢いあまってソファーから落ちそうになっている。


「大丈夫か?」

「え、ええ。支えてくれましたから」

「ならよかった。手伝えることあったら言ってくれ」

「はい。あ……」

「ん?」

「マヨネーズ買い忘れましたね……作り始める前に気付いてよかったです」

「買ってくるよ。それだけ?」

「えっと、せっかくなので足りない調味料買ってきてもらえます? 醤油とか結構少ないので」

「わかった」

「すみません。蓮也くんが行ってる間に準備はしておきますので、よろしくお願いします」


 まだ少し寒いからと、遥香は防寒具をいくつか持ってきてくれる。かなり近い距離にあるので防寒にはそれほど気を遣う必要は無いのだが、せっかく遥香が準備してくれたので、素直に付けておく。

 防寒を万全にして、蓮也はスーパーへと向かう。買うものが買うものだけに小学生のおつかい感が否めないが仕方ない。

 近いとはいえ遥香が準備をしてくれているので少し急ぐ。慣れた場所なので当然ながら迷うことも無い。

 商品をカゴに入れてレジへ向かう。数自体は多いが結局買ったものは調味料ばかりなので、値段もそれほどかからなければ、質量として重くもない。

 遥香が愛用しているバッグに荷物を詰める。レジ袋が有料になったことで遥香が作ったものだが、市販のものよりもデザイン、使い勝手共に良い。


「急ぐか」


 帰ろうとして、やっぱり止まる。

 目の端に映ったのは洋菓子店だ。今まではあることにすら気づかなかった。

 あまり特別感がないとはいえ、一応今日は卒業式だ。なにか特別なことをしてもいいだろう。

 それに、以前遥香は甘いものは好きだと言っていた。蓮也にとっても、少ないながらも遥香に日頃の恩返しになるはずだ。


「ショートケーキ、2つ」


 一つでも良かったのだが、それで遥香に気を遣われてしまっては元も子もないので2つにしておく。

 注文を受けた店員は、『一番人気』という札のついたショーケースショートケーキを2つ箱に詰める。手早く準備をして、会計。

 代金を支払い店から出て、若干の急ぎ足で家に帰る。寄り道をしてしまったせいでかなり時間がかかってしまったが、遥香が喜んでくれるならそれでいい。あるいは、帰るのが遅くなったことを怒るかもしれないが。

 そんなことを考えながら急ぎ足のまま歩いていると、マンションにはすぐに着く。

 部屋の前まで行くと、心配そうな表情で遥香が待っていた。まだ少し肌寒いと自分で言っていたのに、薄着のまま出てきている。


「お帰りなさい。遅かったので探しに行こうかと思ってました」

「ごめん。これ、ショートケーキ」

「ケーキ、ですか?」

「一応特別な日ではあるからな」

「ふふっ、なるほど」


 嬉しそうに笑ってくれたのが蓮也も嬉しくて、つい笑を零してしまう。


「思い出しますね」

「2年前か?」

「そうです。あのときも、初めて喋ったのはここでしたよ」

「そうだな。わざわざインターホン鳴らして挨拶までして。それで、初めて遥香のオムライス食べた」

「あの部屋から随分と整頓できましたよね。蓮也くんも成長しました」

「あんまり子ども扱いするもんじゃないぞ?」

「おや、子ども扱いするとどうするんですか?」

「さあな? 後で考えとくよ」

「それは楽しみです」


 悪びれる様子もなく、むしろ悪戯っぽく笑っている遥香に後でちゃんとした仕返しはすることにしよう。

 こうして部屋の前で話していると、懐かしさも感じるが遥香と出会えてよかったという気持ちがやはり大きい。


「何を考えてたんですか?」

「いや、運命とかってあるもんだなーと思ってさ」

「運命、ですか?」

「そう。境遇もなにも全く違う俺たちが出会って、こうして一緒にいて。そういうのは運命なのかなって」

「なるほど……私はむしろ、全部偶然だと思います。私が一人暮らしを初めて、このマンションの部屋を借りて。蓮也くんが篠崎さんの告白をしっかり断って、逃げてきて。蓮也くんは結構ネガティブに考えてますけど、そんな偶然が重なった奇跡みたいなものなんじゃないかなーって。それが運命なのかもしれませんけど」

「そうなのかもな……」


 必然的な、決められた出会いというよりは、蓮也と遥香の出会いは偶然だろう。奇跡というのは間違っていないのかもしれない。


「まあ、そんなことはどうでもいいか」

「そうそう、些細なことですよ」

「出会いはどうあれ、もう俺たちは変わらないからな」

「ふふっ、当然。離れろと言われても離れませんし、離しませんから」


 ふわりと、金木犀の香りが鼻腔をくすぐったような気がした。


「だから、隣にいてね、蓮也くん」


 近づき続けた隣の距離は、これからもずっと続くらしい。




fin.

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