50.ひとりぼっち

 帰省した翌日、蓮也は当初の予定通りに夏期講習へと赴いていた。頭を抱えている者もいれば、ダルそうにしながらもペンを動かす者もいる。蓮也はしっかりと集中して受けることができていて、日頃の成果と遥香のおかげもあって十分についていけている。というか、この時期についていけていないのはどうなのだろうか。

 講習を終え、荷物をまとめていると聞き馴染みのある声に呼び止め、というより無理やり引き止められる。


「よっ」

「いって……」

「なんか隣に遥香がいないのって新鮮だね」

「……否定もできない」


 たしかに、悠月の前では二人一緒の方が多かっただろう。悠月の前でなくとも二人は一緒のことの方が圧倒的に多いのだが。

 後ろで半ば強引に連れ歩かれている翔斗は、おそらく無駄な時間を過ごすことになっていたのだろう。果たして、こんな状態で大丈夫なのだろうか。


「あ、こいつは気にしなくていいから。もう手遅れ」

「まあ、いいんじゃないか? 卒業はできるんだろ?」

「良くはないとは思うんだけどな」

「自覚があるなら頑張れよ」

「おう……」


 項垂れる翔斗を他所に、悠月はなにやらきょろきょろしている。


「なんかあったか?」

「あーいや、なんでも」

「なんだよ」

「……いや、遥香は?」

「いないけど」

「えっ、うそでしょ」

「今は俺の実家にいる」

「ごめん、状況が全くわかんない」

「まあ、俺もよくわかってないからな」


 突然行くと言い出したのだから、蓮也にもわからない。あと三日程度は帰ってこないから寂しいので、蓮也としては早く帰ってきて欲しいものだ。


「嫁入りの挨拶みたいな?」

「それもあるかもな」

「あんのかよ……」

「で、結城はご飯とかどうすんの?」

「一応準備は出来るはずだ。多分な」

「大丈夫なの、それ……」

「まあ、なんとかなるだろ」


 味に期待さえしなければ蓮也でも作れるはずである。なにせ、蓮也も一応遥香の手伝いはしているのだ。


「まあ、なんかあったら呼んでよ。あたしも翔斗も、なんかできることはあるかもだし」

「助かる。けど、極力は自分でやってみるよ」

「ん。じゃね」

「おう」


 結局要件があって声をかけたわけではないらしく、二人は並んで帰っていった。やはり、こうして見ると二人はかなり仲のいいカップルだ。


「帰るか」






 家に帰ってきてから少しだけ復習をして、蓮也は買い物に出かけることにした。


「今日はどうする……って、いないんだった」


 このやりとりも、もはや癖になりつつあるのだ。とはいえ、何を言ったところで遥香はいないので自分で準備するしかない。


「野菜炒めだな」


 作るのも面倒なので、楽に作れるものにした。

 食材はある程度残っていたので、とりあえず適当に味付けをして、適当に炒める。大体が適当だが、元からこんな料理しか出来ないので仕方ない。

 そうして適当を繰り返して、数分で完成した。


「いただきます」


 自作の手抜き野菜炒めを食べる。そして、静かに箸を置く。


「なんだこれ」


 不味いわけではない。食べられないものでは決してない。むしろ、以前よりも料理の腕は向上してるはずだ。だけど、何かが足りない。というか、味云々の話なのかすらもわからない。

 なんだか虚しくなってきたが、とりあえず作ってしまった以上は残さず食べた。






 翌日も似たような生活を送り、遥香がいない生活も三日目を迎えた。今日は遥香が帰ってくる日だ。


「にしても、暇だな」


 遥香がいないとこんなにも退屈なものなのかと蓮也自信が驚く程に暇で、寂しいではなく、ただ退屈なのだ。決して寂しいわけではない。

 とりあえず、自室の勉強机に向かう。これでも受験生なので、暇でなくても勉強はしなければいけない。それに、蓮也は多少高望みなのだから手を抜くわけにはいかない。

 そうして一時間ほど教材と向かい合って、休憩を挟む。


「全然駄目だな……」


 驚く程に集中できなかったので、勉強も今日は打ち切ることにした。

 ここまでくるとかなりの重症な気がしないでもないが、部屋に遥香がいるのが当たり前になっていたので違和感は感じるのだ。それは仕方ない。

 スマホが振動して、机の上でうるさく揺れている。確認すると、橘花からのメッセージだった。『よくわからないけど、あげる』というメッセージと共に送られてきたファイルを開くと、幼い女の子の写真があった。それが誰かくらいは蓮也にはすぐにわかったが、蓮也にとってもそれは『よくわからない』ことだった。

 真っ先に出てきた感想は、可愛いだった。当然今の遥香とは違うが、それでも面影があるのだ。が、送られてきた写真にはあまりにも笑顔が少ない。遥香の過去から考えれば当然なのだが、それでもやはり、笑っていないのは悲しい。

 と、そんなことを考えながら写真を眺めていると、インターホンが鳴らされ、蓮也がそれに反応するよりも先に部屋に入る音がした。


「ただいま帰りました〜」

「おかえり」

「ただいまです……といっても、私の部屋は隣ですがね」


 何故か蓮也の実家に蓮也よりも長く居た遥香が帰ってきた。その表情は心做しかいつもよりも楽しげで、写真の中の彼女とは打って変わって幸せそうに見える。


「ちゃんと一人でも生活できてましたか?」

「俺はこれでも高三なんだが……」

「フライパンは出しっぱなし、机の上は散らかっていて床にはいくつか雑誌が散らばっていますが。あ、ソファーの私の座るところは空いてますね。ありがとうございます」

「そこに遥香がいないと落ち着かなくてな」

「完全に寂しがってるじゃないですか」

「悪いか」

「いえ、別に。ただ少しだけ恥ずかしいですね」

「俺も言ってて恥ずかしくなってきた」


 遥香の存在は思ったよりも大きいことがこの三日ほどでよくわかった気がする。


「あ、ところでお姉ちゃんには何も言ってませんよね?」

「別に俺は何も言ってないけど」

「そうですか……よかった……」

「俺は何も言ってないけど、これが送られてきた」

「……なんですか、これ」

「俺が聞きたい。可愛いなこの子」

「……っ! ……っ!」

「痛い」


 無言で殴ってきた。当然、この子が遥香であることくらいはわかっているのだが、少しからかっただけである。心做しか力がこもっていて、若干痛い。


「蓮也くんに送ってって言われても送らないでって……」

「それ、多分逆効果だな」

「……確かに。あーもう! いいですよ、蓮也くんのアルバム借りてきましたから! ここで見てやります!」

「やめてくれ」

「とびきり笑顔な蓮也くんを目に焼き付けて……って、えらく私は仏頂面ですね」

「まあ、仕方ないだろ」

「せめて送るにしてももっとまともな写真はなかったんでしょうか……」

「俺は可愛いと思うけどな」

「蓮也くんにとって可愛くない私が存在するんですか?」

「しない」

「ふふっ、知ってます。そう言ってくれるのは嬉しいです」


 蓮也にとって、今や遥香は恋人なのだ。その全てが可愛くて愛おしいのは当然のことだろう。なんら問題はない。


「でもまあ、今は笑っててくれよ」

「……なんですか急に」

「いや、やっぱり遥香は楽しそうに笑ってた方がいいから」

「そ、そうですか? 蓮也くんがそういうならもう少し笑っても……」

「今までは笑わないようにしてたのか」

「周りのイメージがそんな感じなので……こう、いつも微笑んでるようなイメージなんでしょうか」

「女神様みたいな」

「そのたとえは嫌ですが、多分そういうことかと。でも、蓮也くんがそういうなら、下手に隠さなくてもいいですかね?」

「いいだろ。周りの目なんて気にしなくていい」

「……なんか、今日の蓮也くんは一言一言がキザです」

「うっせ」

「カッコつけ方間違ってますよ」

「……途端に恥ずかしくなるからやめてくれ」


 周りに指摘されてしまうと恥ずかしくなるのだ。今回ばかりは数日ぶりに遥香に会えて、蓮也も少しだけおかしいのでカッコつけていたかもしれない。


「でも、カッコいいからいいですよ」

「……どっちだよ」


 羞恥に身を焦がしながら、蓮也は遥香の話をのんびりと聞くのだった。

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