39.お泊まり会

「……なんか、緊張するな」

「そうですか?ㅤ蓮也くんの部屋となんら変わらないですよ?」


 なんだかんだありつつもゴールデンウィーク初日、以前少し話していた遥香の部屋へと来ていた。「せっかくなんで泊まっていきますか?」なんていうので、せっかくだから泊まることにした。ちなみに、午前中は遥香に付き合ってもらいながらも机と向かい合わせだったので少しだけ疲れている。


「まあ、確かにそう変わらんよな」

「うちには蓮也くんのところにあるふかふかのソファーはありませんけどね」

「あれなんか高いらしいからな……」

「そうでしょうね。ふかふかですし」


 遥香のふかふかの言い方が可愛らしい、なんてそんなことを考えていると、横から持ち込んだ布団を抜き取られる。

 布団がないから、なんてラブコメみたいな展開にはならないように、蓮也の自室から持ってきているのだ。


「ああ、そうでした。くれぐれも私の部屋にはまだ入らないでくださいね。片付いてないので」

「おう、わかった」

「絶対ですからね?ㅤ入ったら怒りますからね?」

「そんなに念を押さなくても大丈夫だ」

「……まあ、蓮也くんなら問題ありませんよね」


 何が問題ないのかはわからなかったが、遥香がそういうなら大丈夫だろう。とりあえず、抜き取られた布団をもう一度遥香から取って抱える。


「いや、なにしてるんですか」

「重いものは持たせたくない」

「ええ、そうでしょうけど。とりあえずそれ、私の部屋に放り込むので貸してもらっていいですか?」

「……ごめん」

「いえ、気持ちは嬉しいので。ただ、今私の部屋を見られるのはちょっと……」

「ああ、見ないから」

「リビングに行っててください。すぐに私も行きますから」

「おう」


 言われた通りにリビングへ行く。当然といえば当然だが、やはり蓮也の部屋と構造はなんら変わらない。多少位置が違う部分はあっても、そこまで気になる差はない。

 マンションとしての構造は同じだが、家具は女の子らしい可愛いものが多く、部屋には甘い匂いが広がっている。あまり下手に分析するのは失礼だと思って、とりあえず椅子に腰掛ける。


「なんだこれ」


 よくわからないキャラクターのクッションが置いてあった。可愛いといえば可愛いかもしれないが、変だ。少なくとも、蓮也は変だという感想が真っ先に出てくるデザインだ。この変なクッションが遥香と過ごしているという意味のわからない発想に至ってしまって、なんだか腹が立つ。


「なんでクッションとにらめっこしてるんですか……」

「いや、なんでもない。好きなのか?」

「ええ、まあ。可愛いと言いきれない感じが好きです」

「よくわからないな……」


 純粋に可愛いキャラクターでは駄目だったのだろうか、なんて疑問はとりあえずしまっておく。遥香が気に入ってるならそれでいい。


「そうだ、中華鍋が届いてましたよ」

「そうなのか。今日は麻婆豆腐とかにしようか」


 購入した中華鍋は北京鍋、持ち手が一本のやつだ。それぞれに使い道があるらしいが、とりあえずなんとなくでこっちを買ってみたのだ。


「麻婆豆腐ですか、いいですね。私も好きです」

「初めて遥香の好物が聞けた」

「あれ、そうでしたか?ㅤお豆腐と卵は好きですよ」

「そうなのか。もし作る機会があれば参考にしてみる」

「ふふっ、作る機会なんてありますかね?」

「……ないかもな」


 悪戯っぽくそんなことを尋ねてくる遥香に、蓮也はそう答えることしか出来なかった。


「まあ、そうと決まれば早速買い出しですね」

「他はどうする?」

「見て決めましょう」

「そうだな」






「また暖かくなってきましたね〜」

「だな。これから暑くなるのか……」


 そんなことを言いながら、遥香は春雨やきゅうりを買い物かごに入れる。蓮也が持っていても、下手に気を遣わなくなってくれたのは嬉しいことだ。


「春雨サラダか」

「中華っぽくしようかと思いまして。わかめスープでもつけましょうか」

「それだと別の国だけどな」

「いいんですよ、こういうのは雰囲気で。わかめ嫌いですか?」

「いや、わりと好きだぞ」

「……一体なにが嫌いなんですか?」

「そうだな……前までは茄子が嫌いだった」

「えっ、普通に出てたじゃないですか。なんで言ってくれないんですか?」

「美味かったし、今は別に嫌いじゃないからな」

「それならよかったですが……」


 遥香はなにやら微妙そうな顔をして、溜息をつく。


「なに?」

「嫌いなものくらいは教えて欲しいです」

「ごめん。でも、ほんとに遥香が作ってくれたものならなんでも美味しいから」

「まあそう言ってくれるのは嬉しいですけど」


 やはり少し複雑そうな顔をしている遥香だったが、スーパーを一周したのでそのまま足をレジに向ける。

 会計を済ませ、エコバッグに商品を詰め込む。


「帰るか」

「ちょっと。なんで一人で全部持つんですか」

「なにも持たせたくない」

「いや無理ですから。既に鞄持ってますし」

「……それも持つ」

「やめてください。腕がとれますよ……」


 呆れたように首を振り、それでも少し嬉しそうに遥香は笑う。


「ふふっ、ありがとうございます」






 遥香の部屋へと戻ってきた頃には、七時を過ぎていた。急いで夕飯の支度に取り掛かる遥香を手伝おうとすると、「今日は結構ですよ」と断られてしまった。

 心做しかいつもより楽しそうに料理をしているので、蓮也は寛いでおくことにしたのだが、彼女の部屋というだけで妙に落ち着かない。

 ふと、遥香が部屋には入るな念押して言ってきたことを思い出す。そもそも、遥香が部屋を片付けていないなんて有り得る話なのだろうか。そう考えると、なんだか気になってしまった。

 そっと、音を立てないように立ち上がる。

 間取りはわかっているので、部屋の位置だってわかっている。

 遥香の部屋は、案の定と言うべきか片付いていた。しっかり整頓されていて、参考書や問題集がきっちりと並べられた本棚の隣に、少女漫画が並べられている。


「読むのか、こういうの」


 片付いた、何の変哲もない部屋だった、強いて言うなら、ベッドの上に参考書が一冊広げられているのは少しおかしな光景といえるくらいだろう。

 ふと、机を見る。ノートが一冊、広げられている。


「……勉強用、じゃないよな」


『蓮也くんの家でみんなが集まっていました。悠月ちゃんに嘘をつかれてしまいましたが、仕方ないので許してあげることにしましょう』

『新しいクラスですが、蓮也くんと同じクラスでした。嬉しいです』


 日記。机の上には、まだ数冊の同じようなノートがあった。他人の日記を覗き見る趣味はないが、どうしても気になってしまって、その中の一冊を抜き取る。


『結城蓮也くんの隣になりました。どうやら私はあまり好かれてはいないようですが、隣人ですからちゃんと仲良くしてもらいましょう』

『結城くんが遊びに誘ってくれました。嬉しいものですね。遊園地には初めて行きましたが、楽しかったです。あと、結城くんは照れていたそうです』


 去年の今頃の話だろう。懐かしいものだ。


「れーんーやーくん?」

「あ……」


 つい、ぼーっと日記を見てしまった。知らぬ間に時間は立っていたらしく、麻婆豆腐の匂いが漂っている。


「それ、閉じて、元の場所に戻してください。今すぐ。早く」

「は、はい」


 圧に負けて、手に持っていたノートを閉じて元に戻す。笑っているが、目が笑っていない。


「入らないでくださいって言いましたよね?」

「……はい」

「なんで入ったんですか?」

「……気になりました」

「……私が馬鹿でした。下手に念を押してしまったばかりに……」


 ため息をつく遥香は、若干頬を赤くして、目尻に涙も貯めている。


「ああ、もう! なんで読んじゃうんですかぁ……」

「ごめん。ほんとに悪かったと思ってる」

「そんなに怒ってないから大丈夫ですよぉ……」


 と言ってはいるのもも、遥香は今にも泣き出しそうである。正直、ものすごく可愛い。


「とりあえず、冷めるから食べましょうか……」

「お、おう。ごめんな」

「構いません。構いませんよ、多分」


 唸りながらも遥香は部屋から先に出る。日記の続きが少しだけ気になったが、これ以上はさすがに申し訳ないので、やめておいた。






 夕飯を食べ、風呂に入った後、遥香は蓮也の前にドライヤーを持って立っていた。


「どうぞ」

「自然乾燥でいい」

「……そうですか。でも、どうぞ」

「……どうしろと?」


 若干赤面しつつ、遥香は蓮也にドライヤーを差し出している。どういうわけかはわからなかったが、とりあえずドライヤーを受け取って、コンセントを差す。

 遥香に促され蓮也が座ると、その上に遥香が座ってくる。


「あ、重いですか?ㅤ大丈夫ですか?」

「全然大丈夫。で、どうしろと?」

「かけてください。私に」

「なんだ、それならもっと早く言ってくれればいいのに」

「ちなみに、拒否権はありませんよ。さっき私の日記を覗いた罰です」

「拒否する気もないけど……」


 ドライヤーの電源を入れて、遥香の髪に指を通す。さらさらといい匂いのする髪に緊張してしまう。


「痒くないか?」

「大丈夫ですよ」

「なら良かった。痛かったりしたらすぐに言えよ?」

「ふふっ、心配しなくても大丈夫です」


 楽しそうに足をぱたぱたとさせる遥香は、子どものようで可愛らしい。髪を乾かしていると、つい首筋が目に入ってしまった。妙に色っぽく見えてやりづらい。

 うなじを指の腹でなぞる。柔らかく、もちもちしている。


「ひゃっ!?」

「あ……ごめん」

「な、な、なにを……っ!?」

「いや、なんか……」


 色っぽく見えて。

 そんなことを蓮也が言えるはずもなく、口をつぐんでしまい、気まずい空気が部屋を支配する。


「なんなんですか、まったく……」


 顔を真っ赤にしながらも蓮也に身を委ねている。しっかり乾いたところで、ドライヤーの電源を落として、コンセントを引き抜く。


「ありがとうございます」

「おう」


 しばらく退く気はないようで、まだ足をぱたぱたとさせている。

 もう一度、首筋を見つめてみる。


「な、なんですか。次同じことしたら怒りますよ?」

「……」

「ち、ちょっと?ㅤやめてもらってもいいですか?」


 首筋にキスをする。我ながらなにをやっているんだと蓮也も思うが、本能的なものだ。


「ひゃあっ!?」

「ごめん、つい」

「つい、じゃありませんよ! ついで少女漫画みたいなことしないでください!」

「ごめん。嫌だったか」

「嫌じゃないですけど……けどぉ……」


 それから三十分ほどは、遥香が目を合わせてくれなかった。






 遥香の部屋に放り込んでいた布団を、部屋に敷く。遥香は手伝おうとしていたのを蓮也が拒んだため、既に布団に入っている。


「同じ部屋で大丈夫なのか?」

「ええ。何か問題があるなら移しますが……」

「いや、俺は大丈夫だけど。まあいいなら」


 蓮也も布団を敷き終え布団に入る。


「電気、消しますよ」

「おう」


 リモコンで操作する。蓮也は壁のスイッチで消すのであまり使わないものだ。

 部屋が暗くなって、静かになる。


「今日の蓮也くん、なんか変」

「ごめん、なんか自分でも変だとは思ってる」

「私の気持ちも考えてほしいです。恥ずかしかったんですけど」

「それでも、嫌だとは言わないんだな」

「嫌ではないので。でも、心の準備が出来てないときの不意打ちはやめて欲しいです」

「善処する」


 それからすぐに遥香の寝息が聞こえてきて、蓮也も眠りについた。心做しか、その日はいつもよりもぐっすりと眠れた。

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