40.風邪なら大人しくしてください

 しくじった。体を温めさえすれば風邪なんてひかないと思っていたのに。


「はい、あーん」

「食べれるから……」

「あ。口を開けて」

「……あー……」

「はい」


 どうしてこんなことになっているんだろうか。






「雨、凄いですね」

「だな。今日は買い出しは一人で行くから」

「そうですね、お願いします。ああでも、濡れないように気をつけてくださいね?」

「大丈夫だ」


 連休も半ばに入った。そう言って、蓮也は買い出しに出かけた。蓮也の傘は一回り大きい。そうそう濡れないだろう、なんて思っていた。

 そうして、買い物を終えていつものスーパーを出る。遥香いわく、食材の質は正直あまり良くないが、安さと距離が強みらしい。一度遥香にいい食材を使わせてみたいものだ。

 帰路、遥香は傘を持つことを気にして、最小限の物だけを頼んでくれた。片手で持つことの出来る量に抑えられているので、濡れることも無い。

 ふと、傘を持っていない小学生くらいの子どもを見つける。雨はずっと降り続いているので、傘を持ってない理由はわからなかったが、スマホと空を交互に見ている。今の小学生はスマホを使いこなせるのか、なんて感心をしつつ、蓮也はその子どもに声をかける。


「大丈夫か?」

「あ、にいちゃんだ」

「おう、兄ちゃんだろうな。どっかで会ったか?」


 そう尋ねると、少年はふるふると首を横に振る。


「なんかかわいいねえちゃんといっしょにいるにいちゃん。いーよなーあんなにかわいいおよめさんがいて」

「……おう。羨ましいだろ」


 お嫁さん。まだ未成年だから結婚はできない、なんて事情は少年は知らないだろう。というか、別にまだ知らなくてもいい。


「で、時間が無いのか?」

「あ、そだった」


 スマホを見る目が焦っていたので、恐らく時間に余裕がないんだろうという察しはついていた。案の定、少年は時間がないらしい。


「じゅくなんだけど、ぎりぎりまであそんでて……じかんあとちょっとなんだよなー」

「大変だな。傘、使うか?」

「えっ、にいちゃんぬれるぞ?」

「兄ちゃんには可愛いお嫁さんがいるから大丈夫だ」

「そっか、およめさんがいるならあんしんだな!ㅤじゃあ、ありがとな!ㅤにいちゃん!」

「頑張れよ」


 気前よく傘を貸したものの、可愛いお嫁さん、ではないが、たとえ遥香といえども濡れるのは全く大丈夫じゃない。


「走るか」


 極力荷物は揺らさないよう、走って帰ることにした。






「な、なんでそんなびちゃびちゃになってるんですか!?」

「ごめん、濡れた」

「いや見ればわかりますけど……とりあえず、シャワー浴びてください! 服は準備しておきますから!」

「頼む。いや、ほんとごめん」

「傘、持って行ってましたよね?ㅤどこで忘れてきたんですか」

「いや、さすがに忘れたわけじゃ……子どもに貸してきた」

「蓮也くんらしいといいますかなんと言いますか……とにかく、早く体を温めてください」


 若干呆れ顔ではあるが、なんだか嬉しそうに微笑んでいるので怒っているわけではないらしい。

 シャワーを浴びていると、遥香の声が聞こえてくる。着替えを準備してくれたらしい。

 浴室から出て、体を拭く。十分に温まっているので、風邪なんてひかない。






 はずだった。


「と、思っていたらこれですもんね……」

「ほんとにごめんな……」

「構いませんよ。私も一度迷惑かけてますから」

「それはそれだ。一応、お前のときよりも全然マシだから、気にしなくていいぞ」

「馬鹿」

「あ、おい」

「蓮也くんが私にそう言ったんですよ。忘れたとは言わせません」

「あー……」


 確かに言った、覚えている。確か、フラフラになりながら晩御飯を作ろうとしていたから言ったはずだ。


「治るまでは私が看病しますから」











 と、そんな風に張り切っていた私、月宮遥香です。が、私は看病の仕方なんて知りません。とりあえず、風邪薬と飲み物を買いに行くことにしました。


「こっち?ㅤこっち……?」


 そもそも私はそれほど風邪をひきやすい体質でなく、この前も、数年ぶりに風邪をひいたのです。どの薬がどう効くかもわかりません。


「こんなところで手詰まり……」

「風邪の症状はどんな感じ?」

「えっ?」


 声をかけてきたのは、元クラスメイトの伊藤蒼弥くんでした。話すのはなんだか久しぶりです。


「えっと、咳とくしゃみ、発熱です」

「ならこれかな。結城くん?」

「あ、はい。なんでも、子どもに傘を貸して帰ったみたいで……」


 自然と、頬が緩んでしまいます。蓮也くんらしいななんて思ってしまって、目の前の伊藤くんが生暖かい目を向けてきていたので慌てて表情を元に戻します。


「同棲中?」

「ち、違いますよ!? ただたまたま部屋が隣だっただけです!」


 蓮也くんとの相談の結果、隣人であることは隠さない方がいいということになり、元々同じクラスだった人達のほとんどは蓮也くんと私が隣人であることを知っています。


「実質同棲かぁ〜」

「いや、違……うとも言いきれない……」

「風邪なら、プリンかゼリーなんかも買ってあげたら?」

「確かに。蓮也くんはどれが好きなんでしょうか……」


 好みは知っているものの、こういうものはよくわかりません。とりあえず、白桃ゼリー、ぶどうゼリー、プリンを買っておくことにしました。どれかは食べられるはずです。


「あはは、白桃とぶどうを選ぶあたり、やっぱり息がぴったりだね」

「そういえば、蓮也くんも買ってきてくれてましたね。あれも伊藤くんが教えてくれたんですか?」

「いや、結城くんにはお粥の作り方を教えただけだよ。他は全部自分でやってたみたい」

「そうなんですか。なにがともあれ、ありがとうございます」

「お粥の作り方、大丈夫?」

「ふふっ、大丈夫ですよ」


 伊藤くんにも手伝ってもらって、無事買い物は終わりました。なんと、伊藤くんは荷物を持って途中まで一緒に帰ってくれて、とても助かりました。


「わざわざありがとうございます」

「いやいや、月宮さんに買い物袋を持たせたなんて、結城くんには言えないからね。じゃあ、また」

「はい、また」


 かなりたどたどしい会話にはなってしまいましたが、感謝はしています。今度から、蓮也くんになにかあった時は伊藤くんを頼ってみましょうか。


「ただいま帰りましたー」


 返事がありません。風邪をひいていますし、無理に返事をしてほしいわけではないので別に構いませんが。

 一応、部屋を確認しに行きます。すると、蓮也くんは勉強机に向かって唸っていました。


「なっ、馬鹿なんですか!?」

「あ、おかえり」

「寝ててくださいよ……」

「せっかく時間あるし、勉強してようかなって」

「かなって。いや、ふざけてるんですか?」

「断じてふざけてない」


「あれ、ふざけるってどう書いたっけ……」なんて言いながら、ノートに巫山戯ると書いています。反省してるんですかこの人。


「合ってますよ。はい、正解ですから寝ましょう」

「おい、俺は子どもじゃないぞ」

「定義ではまだ子どもです。はい、寝ましょう」

「手厳しいな……」


 と、いいつつも蓮也くんはなかなか動いてくれません。私に合わせるために頑張ってくれているのはわかっているのですが、それでも無理をされるのは辛いです。

 なので、私は最終手段をとることにしました。蓮也くんのベッドに寝転がって、隣をぽんぽん叩いてみます。


「……えっと?」

「カモン、です。安心してください、私も恥ずかしいので」

「ならするなよ……」

「こうでもしないと蓮也くん寝ないじゃないですか……ほら、私を無駄に恥ずかしい気持ちしたので早く来てください」

「……はいはい」


 意外にも素直にベッドに来てくれたので、そのまま布団に閉じ込めます。


「撫でてくれたら嬉しい」

「えっ?ㅤか、構いませんが……」


 思わぬ要求を受けて、少し狼狽していまいました。が、言われた通りに撫でてあげます。少し固めの髪の毛が、私の指の間を通り抜けていきます。


「……おちつく……」

「そ、そうですか?ㅤそれならよかったですけど……」

「なんか、抱きしめてほしい……」

「えぇ……」

「ごめん、なんかおかしいな……」

「い、いえ。風邪のときに無理するからそういうことになるんです」

「……悪いな」

「いいんですよ」


 なんだかいつもよりも甘えん坊な蓮也くんに頼まれた通り、ぎゅっと抱きしめてあげます。できれば今は顔を見られたくないので、隠しながら。


「……ん……」

「……あれ、寝ました?」

「…………」

「あ、あのー……私このままなんですか?」


 その後、二、三時間ほど眠った蓮也くんは、だんだんと調子を戻していって、翌日には快調になりました。










「なんで不服そうなんだ。ゴールデンウィーク中に治って良かっただろ」

「それはそうなんですが、甘えん坊な蓮也くんも可愛かったのになぁ、なんて」

「……全く覚えてないけど、忘れてくれるとありがたい」

「無理ですね」


 どうやら、遥香には随分と迷惑をかけてしまったらしい。というか、甘えん坊な蓮也くんとやらが気になって仕方ない。


「いつでも甘えてくれて構わないんですがね」

「それは……まあ、度合いによる」

「抱きしめてほしい、ですか?」

「どちらかと言えば抱きしめたい」

「……正反対ですね。あ、ちょっと! 抱きしめようとしないでくださ……ああもう……」


 蓮也の痴態を晒してしまったようなので、とりあえず誤魔化すために話の流れに合わせて抱きしめる。やはり遥香の反応は可愛らしいもので、唸りながら顔を真っ赤にしている。


「ほんと慣れないよな」

「慣れるわけないじゃないですか……」

「そろそろ半年になるけど、その辺は?」

「慣れないものは慣れないです。嫌です、私もたまには抱きしめさせてください!」

「嫌だ」


 結局、蓮也が抱きしめる形のまま、数分ほどそのままでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る